そして、1995年あたりのゲーム業界の一端が、マンガとして描かれ共有されたことに価値があった。ぼくを含め当事者たちは物事を忘れていく、あるいは都合のいいように歴史を捻じ曲げる事が出来る年齢に突入している。 なので、今と同時に“過去をがんばる”ということもこれからは必要なのではないかと思った。ノスタルジーに耽るのではなく、過去・現在・未来の3つの時間軸を意識しながら生きる感覚だ。 美術大学では油絵はそこそこに、ペイントソフトで絵を描きはじめる 今回は『アクアノートの休日』【※】に至る“プレ若ゲ”について記しておこう。 (画像はソフトウェアカタログより) ぼくは美術大学で絵画を学ぶ学生だった。油絵を描こうとしていたが、なかなか描けなかった。それは当時の美術の世界の動向によるところが大きい。 「何を描くのかではなく、いかに描くのか」ということが盛んに言われていた。つまり、どのような技法、材料を使
![【飯田和敏連載】あの日、宮本茂の講評が美大生だった僕に与えた衝撃…『アクアノートの休日』を形成したクリエイター達。「若ゲ」前日譚を語ろう](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/7112879000e00e62c90a40bde59c853d50555986/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fimg-denfaminicogamer.com%2Fwp-content%2Fuploads%2F2017%2F07%2Fak_kuro-11.jpg)