最近、ツイッターのTL上で「公」について考えさせられるツイートを目にすることが多く、「公」について考えてみました。特に、「新しい公共」について。 ぼくは、若い頃はロック好きだったので「公務員」をどこか小馬鹿にしていました。安定した給料への羨望と同時に、ルーティンワークをこなすだけの味の無い職業だという(これって偏見ですね)冷めた視線。だから長らく、「公」はどこか遠いところにいる人がやっていて自分の「私」生活とは関わりのないものだという概念に捕われていた。 「公」と「私」が不可分だと知ったのは、つい最近、子どもが生まれてからです。子どものこと、子どもの将来のことを考えていった時に、どうしても「公」の問題につきあたる。それは、自分だけで好き勝手にロックンロールしていれば済む問題ではなかったことに、気づいたんです。ひとりひとりの「私」こそが「公」を作っている、と。ぼくはインテリではないので難しい
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