[編集] 略歴 兵庫県出身(出生は東京都)、1942年に父・小林三雄三厩舎の騎手見習となり、1944年に騎手となる。 1951年の菊花賞と1952年の天皇賞・秋をトラツクオーで制覇している。中京競馬場で行われた最初の競走の勝利騎手になっている。 その後1964年に調教師試験に合格。翌1965年中京競馬場所属として厩舎開業、1968年に栗東トレーニングセンター完成により移転。中京で開催されたレースでは特に執念を燃やし、特に第1回高松宮杯(中京大賞典を改称した。現在の高松宮記念)は必勝を期して厩舎の看板馬2頭出しを行ない、見事シュンサクオーで勝利した。 1992年のダイヤモンドステークスでは、ミスターシクレノン・アローガンテ・ロングシンホニーの所属馬3頭で1・2・3着を独占し、現在のJRA重賞競走では極めて困難といえる大記録を達成した。 1996年6月1日、藤田伸二を乗せたフサイチコンコルドが