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ブックマーク / hysmrk.cocolog-nifty.com (24)

  • 仕事を「労働」「仕事」「活動」に分けてみる - 心のうち

    一つ前に書いた、山口周さんの著作「ビジネスの未来」を読んだという話で最も興味をひいたのが労働観の変化について。ドイツ政治哲学者ハンナ・アーレントは、いわゆる一般的な仕事を「労働」「仕事」「活動」の3つに分けたという。 山口さんのでは、この分類を簡潔に説明してくれている。 生存するための糧や日用品を得る=労働 快適に生きるためのインフラをつくる=仕事 健全な社会の建設・運営に携わる=活動 これに興味をもってネットで検索してみると、ハンナ・アーレントがこれを著した「人間の条件」について詳説しているブログに行き当たった。平原卓さんのPhilosophy Guides「アーレント『人間の条件』を解読する」。おぉ、平原卓さんって「読まずに死ねない哲学名著50冊」の人ではないか。 で、自分なりの理解で、この3つを図解してみると、こんな感じになった。 平原卓さんによるハンナ・アーレント「人間の条件

    仕事を「労働」「仕事」「活動」に分けてみる - 心のうち
  • 山口周「ビジネスの未来」が美味だった - 心のうち

  • さようなら、自己実現。自己はそこにない - 心のうち

    仕事始めの1月6日、会社の勤怠管理システムから「リフレッシュ休暇が付与されました」という通知メールが届いた。私の勤め先は、勤続5年ごとに5日間のリフレッシュ休暇が付与される。 私はこれが3回目、つまり丸15年この会社に在籍していることになる。ということに、このメールで気づかされて、そっちのほうにびっくりした。この1月から勤続16年目に突入である。 20代に4回転職して、今の会社は5社目。ここに転職してきたときは、まだ20代後半だった。そこから30代まるまる、40代の今もって在籍中、たいそう長いことお世話になっている。 昨年10月に部署異動して、久々に自社の中核事業に仕えるようになったし、これまでとは意識を変えて…会社の事業展開にも寄与するかたちで社会貢献を自分なりにやっていけたらと思う新年。当たり前すぎるけど。 秋の異動では、2つの大きな転換があった。一つは、主な支援対象がクライアントでは

    さようなら、自己実現。自己はそこにない - 心のうち
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    popup-desktop 2020/01/15
    「とりわけ変化の激しい21世紀は「自己構築」にコンセプトを置き換えたほうがいいのではないかという話。」
  • Web制作はいつの間にかチームスポーツに - 心のうち

    「ルールを作りながらゲームをする時代」とは、よく言ったものだよなぁと思いつつ、誰が言ったんだっけな、よく言われているよな…?と不安になってGoogle検索してみたら、自分が2012年に書いたブログ記事が一番トップに出てきて、誰も言ってないってことが7年越しに発覚した…。 それでも、そういう前提でむりやり話を展開しちゃうと、ルールは新たに作られるだけでなく、ゲーム途中に変更が加わることもあるんだよなって最近思った。 Webデザイナー(便宜的に)をゲームのプレイヤーに見立てると、1990年代からこれまでの間のどこかで、個人スポーツからチームスポーツに、競技の根幹が変わっていったのかもなぁと(いや、全部が全部じゃない、同じ走るでもマラソンも駅伝もリレーもあるように、いろいろっちゃーいろいろなんだろうけれども)。 だから、もともと個人競技を志向して参入した古参の中には、時代が進むとともに肌に合わな

    Web制作はいつの間にかチームスポーツに - 心のうち
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    popup-desktop 2019/12/26
    「もともと個人競技を志向して参入した古参の中には、時代が進むとともに肌に合わなくなっていった人もあるかもしれない」
  • 「一万時間の法則」とか「10年経験を積めば」とか - 心のうち

    一流になるには1万時間のトレーニングが必要と説く「一万時間の法則」。これに対する反論が、山口周さんの「武器になる哲学」(*1)に書かれていた。「人をミスリードするタチの悪い主張」と一刀両断。 「一万時間の法則」というのは、アメリカの著述家、マックス・グラッドウィルが著書「天才!成功する人々の法則」の中で提唱したもので、簡単にいえば、 「大きな成功を収めた音楽家やスポーツ選手はみんな一万時間という気の遠くなるような時間をトレーニングに費やしている」から、「一万時間のトレーニングをすれば、一流になれる」という法則を導いている、とのこと。 これは「命題の証明として論理展開のミスがある」と指摘している。「天才モーツァルトは努力していた」から「努力なしにはモーツァルトのような天才にはなれない」は導けても、「努力すればモーツァルトのような天才になれる」にはならんだろうと。ひっくり返し方が、まちがってい

    「一万時間の法則」とか「10年経験を積めば」とか - 心のうち
  • 20-30代の生態、マネジメントする40-50代の葛藤 - 心のうち

  • アイヒマン実験をトリガーに、組織の「分業化」を見直すスライドを作ってみた - 心のうち

  • エンジニアがマネージャーになるキャリアパスの再考: 心のうち

  • 受託ビジネスの魅力 #websig - 心のうち

  • 「UXまとめ 2015」参加メモ - 心のうち

    一昨日は「UXまとめ 2015」( #uxmatome2015 )というソシオメディアさん主催のイベントに参加した。まさに、2015年のUXデザイン&ビジネスまわりが俯瞰できる講演を伺えて良かった。その後、みんなで学級会的なノリでお話しできたのも、懇親会で講演者の上野さんに質問できたのも、10人くらいで中華屋さんに行ってゴハンべながらわいわいおしゃべりできたのも楽しかった。非常によい時間を過ごせて、主催者にも、お話しさせていただいた皆さんにも感謝。久しぶりだったな、あんな時間をもったの。 講演内容はSlideshareに上げてくださっているので、ご興味のある方は下の「講演名」からリンク先へ。 上野学さんの講演は「UXとデザイン まとめ」。 混迷するUXの定義なり人々の解釈なりを整理して捉えるのに、これ以上ないという内容。意味も使われ方も動き続ける今にあって、厳密に「UX」という言葉を一つ

    「UXまとめ 2015」参加メモ - 心のうち
  • ウェブデザイナー不要論の感想メモ - 心のうち

    「ウェブサービス開発の現場におけるデザイナー不要論と5〜10年後の生存戦略」という話を、テーマ的に興味深く拝読した。それの感想と疑問をメモったのだけど、疑問なとこは…、私の内容の理解が浅いだけかもしれないという不安が大きい。でもそれが等身大なので仕方なし。 ●所感 エンジニアの職能領域が需要高まってる感、今後はさらに!という見通しはすごくあるし、啓発的なメッセージ、具体的なアドバイスについても刺さるところが多分にある刺激的な文章だった。 一方で、「優秀なエンジニア」と「非優秀なデザイナー」(あるいは「そこそこのエンジニア」と「ダメダメなデザイナー」)を比較している感じもよぎった。つまり職種関係なく、エンジニアでもデザイナーでも優秀だったら生き残れるし、優秀じゃなかったら生き残れないよ、という話のようにも読めた。 あと、エンジニアの職能のほうにも、けっこうマーケティングとかサービスデザイン的

    ウェブデザイナー不要論の感想メモ - 心のうち
  • ウェブデザイナー不要論の感想メモ - 心のうち

  • 研修の効果測定 - 心のうち

    一つ前に書いたgihyo.jp取材記事の後編が公開されました。研修の効果をどう測るのかとか、クリエイティブ職の能力を誰が評価するのかとか、その辺に問題意識をおもちの方に、ひとつでも拾ってもらえるものがあれば幸いです。 研修の効果をどう測る?メンバーの能力を誰が評価する? ~株式会社アイ・エム・ジェイ川畑隆幸氏が赤裸々に語る!IMJ人材育成への挑戦 研修の成果をどう評価するかは、多くの業界で難しい問題とされているテーマだけど、Web業界もご多分に洩れず。 ざっくり評価レベルを分けるなら、カークパトリックによる学習成果の4レベルというのがわかりやすいけど、多くの場合、効果測定はレベル1どまり。レベル2以上は、その効果測定にかける費用対効果ってどれだけあるのよ…ということも多く、なされないことが多いのではないかと。以下、個人的な理解で超ざっくり。 レベル1-Reaction(学習者の反応) 研修

    研修の効果測定 - 心のうち
  • 組織の視点、個人の視点 - 心のうち

    久しぶりにgihyo.jpに取材記事を書きました。デジタルマーケティング業界の大手IMJが、今年度から人材育成に腰を入れ出したということで、その取材記事をまとめました。クリエイティブ職育成の組織的な取り組みにご興味ある方に、何かしら考えるエッセンスが拾ってもらえたら幸いです。 若手社員の単能工化をい止める ~株式会社アイ・エム・ジェイ川畑隆幸氏が赤裸々に語る!IMJ人材育成への挑戦 それにしても、不定期連載とはなんと甘美な響き。止め!と言われるまで、とりあえず不定期連載のようです。「連載」に「不定期」をのっけるなんて人間わざとしか思えない。くれぐれも、いつぶりに書いたかなんて野暮な振り返りはなさらず、一つのお話としてご賞味ください。 さて、これを読んで、もしかすると「なんだ、結局は外からプログラム買ってまわしてるだけじゃないか」という感想をもたれた方がいるかもしれません。そんな人がいな

    組織の視点、個人の視点 - 心のうち
  • Facebookの云々 - 心のうち

    「Facebookで「ウザい」と思われてしまう投稿の特徴7つ」というような記事が、時々ネット上で話題にのぼる。この手のものに言及するのは気が引けるのだが、より質的な、真理のようなものがあるなら、わかりたいな、と思い、読んで考えたことの走り書き。 問題の置き方が質的じゃない。「来週からハワイに行ってきまーす!」「うまい餃子、べた!」をウザいと感じるのは、投稿内容の問題ではない。読み手と書き手の関係性の問題だ。仲良しの「うまい餃子、べた!」はウザいと感じないから試してみると良い。ウザいと感じない人が誰もいなかったら、表に出てまず仲良しを作ると良い。ウザいのは内容ではなく、相手との関係性に起因する。ウザさを取り除きたいなら、書き手が内容を選ぶのではなく、読み手が自分のSNS相手を選ぶことが問題解決の基線だ。あるいは、誰の「うまい餃子、べた!」も受容できる体質を手に入れるか、その相手と

    Facebookの云々 - 心のうち
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    popup-desktop 2013/10/25
    「ウザいのは内容ではなく、相手との関係性に起因する。ウザさを取り除きたいなら、書き手が内容を選ぶのではなく、読み手が自分のSNS相手を選ぶことが問題解決の基本線だ。」
  • 限界に達したGUI - 心のうち

    GUIでできることは、もう限界に達しているのです」という言葉には、なかなかどきっとさせられた。先日、監訳者の @nobsato さんが献くださった「モバイルフロンティア よりよいモバイルUXを生み出すためのデザインガイド」(Rachel Hinman著/丸善出版)の中の一節だ。 私が最初にパソコンを触り出したのは1991年(学校で)、ネットをつなげて格的に使い出したのは1996年(会社で)。格的といったって私が使っていたのは英文タイプとかOfficeとかFilemakerとかクラリスワークスとか(懐かしい…)のビジネスアプリ中心なんだけど、この頃にパソコンのGUI環境はずいぶん整備されたと、一般ユーザーなりに記憶している。 それでも当時はいろいろ手つかずのところがあったので、ド素人ながらコマンドラインインターフェイス(CLI)に触れる機会ももつに至った。会社のWebサーバーにアクセ

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  • 酷評を読む - 心のうち

    ある小説を読んだら、ぼろぼろ涙が落っこちてきた。泣きやすいというのは、ある。映画にも、音楽にもあるように。心をわかりやすく揺さぶる作品。一方で、涙はこぼれないけど、静かに心に染み入る作品というのもある。泣ければ泣けただけ、よい作品というわけではない。涙の量と作品の評価に相関はないと考えている。けれど、とにもかくにも、今日読んだにはぼろぼろ泣いた。 読み終えた後、そのAmazonのレビューをみてみた。他の人は、どんなふうに感じて読んだのだろう。けっこう派手な帯で平積みされていたから、レビューはそこそこついているはずだ。レビューをみにいく前にの帯を改めてみてみたら、このLINE」で展開された連載小説の書籍化だった。位置づけ的にはケータイ小説に近いってことか。レビューがどんなふうか、なんとなくイメージが浮かぶ。読むの遅い私が、昼に買ってその日の夕方に読み終えたくらい、すぐ読めてわか

    酷評を読む - 心のうち
  • 米国から見た日本の学習者 - 心のうち

    「有志で集まって勉強会をする」というのを見聞きするようになって久しい。何年も回を重ねてきたものだと、業界内で認知も広まって、参加者が数十人とか百を超えるものもある。 参加人数が増えると、望むと望まざるとに関わらず、「主催者」「登壇者」「参加者」という区分けが明確になってくる。そうすると、特に初期からその場を切り盛りしてきた主催者や登壇者は思う。 人数が増えたからといって別に「登壇者=先生」とか「参加者=生徒」という構図に変わったわけじゃない。同業者としてフラットに意見交換したいし、話し中でもどんどん絡んできてほしい。実際、アメリカのカンファレンスなんかでは、そういうやりとりが一般的だ(私の経験ではなく聞いた話です…)。 というのは、どこの業界でもそうなのかわからないけれど、私がおじゃまするWeb業界のくくりでいうと、主催者や登壇者は概ねそういう思想のように思う。そもそもインターネットがそう

    米国から見た日本の学習者 - 心のうち
  • かみあわない会話 - 心のうち

    立場が違えば、直面している問題も違うし、人それぞれに関心事も価値観も主張も違う。それは周知の事実だ。それでも話をかみあわせる事ができるし、その会話の過程やその先に意味を生み出せるのが人間のすごいところだと思っている。 だけど、それを成り立たせるには知性と感受性が必要だ。優しいという性質だけじゃ足りない。今語るべきテーマの質をとらえる知性と、そこで語られている話のレイヤーに周波数をあわせる感受性、会話の前提となる言語能力も必要になる。 知性と、感受性と、言語能力と、という言い回しが適切かどうかわからないけれど、そういったもので立場の違う人同士が有意義な会話を成り立たせることはできると思う。そして、それは素敵なことだと思う。全部にかみあわせる気も力量もないけれど、全部をあきらめたくはない。だから、そう信じて知性と感受性のどちらも磨きつづけたいと思う。

    かみあわない会話 - 心のうち
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    popup-desktop 2012/09/11
    「知性と、感受性と、言語能力と、という言い回しが適切かどうかわからないけれど、そういったもので立場の違う人同士が有意義な会話を成り立たせることはできると思う。そして、それは素敵なことだと思う。」
  • アンケートの書き方 - 心のうち

    ここでは基的にひとりごちた系の文章をしたためることが多いのですが、今回はちょっと提案したいことを述べます。何かというと、アンケートの書き方です。何のアンケートかというと、まぁセミナーとか勉強会とか、その類いです。 私は、個人向けの講座とかセミナーとかワークショップとか、ここ数年は法人向けの社員研修を提供する仕事をしてきて、その手のアンケートは「書く」より「作って(書いてもらって)読む」ほうが圧倒的に多いのですが、ここ15〜16年の仕事人生で、おそらく万を超えるアンケートを読んできました。 それで思うところというのは、アンケートのコメント欄には、そこで学んだこととか、学び損ねたこととか、疑問に思ったこととか、その学習テーマや登壇者の見解に対する意見とか、つまり「学習の中身」について書くのが筋だよねってことです。 セミナーか何かに参加して、最後にアンケートを書くとき。たいていは、いくつかの

    アンケートの書き方 - 心のうち
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    popup-desktop 2012/07/17
    「自分に向かって振り返りをしているか、登壇者のパフォーマンス評価だけに終始していないか」