タグ

ブックマーク / littleboy.hatenablog.com (92)

  • 『芸能界誕生』の誕生 - てれびのスキマ

    9月20日発売の『芸能界誕生』(新潮新書)、いよいよ見も到着し、発売間近となりました! 書店によっては今週末辺りに並ぶところもあるのではないかと思います。 新書としては限界に近い334頁の大ボリュームでずっしり。読み応えのあるものになったのではないかと自負しています。 このは、一の電話から始まりました。 「相談したいことがある」 ある日突然かかってきた電話の主はなんと「ハウフルス」の菅原正豊さん。 言わずと知れた『タモリ倶楽部』、『ボキャブラ天国』、『メリークリスマスショー』、『いかすバンド天国』など数多くの名番組を手がけたテレビ界の大物です。『新潮45』で取材し「テレビ屋稼業バカ一代――ハウフルス・菅原正豊」と題した人物ルポを書かせていただいた縁がありました。 (※参考:さんま×桑田佳祐&ユーミンによる伝説的音楽番組『メリー・クリスマス・ショー』がもたらしたもの) 詳しい話を伺いに

    『芸能界誕生』の誕生 - てれびのスキマ
  • 最高に幸福な一日 - てれびのスキマ

    「鶴瓶です…」 見知らぬ番号からかかってきた電話をとって、その電話口から聴こえてきた声に驚愕しました。 これが噂に聞く、鶴瓶さんからの直電話! 一気に汗が吹き出ました。 もちろん『笑福亭鶴瓶論』を出版したからには、そういう方だと当然分かっていましたし、正直言ってそうしたリアクションをしていただけるかも、とは思っていました(鶴瓶さん側には今回の出版に関して寛大なご配慮とご協力をいただいていたので、僕の連絡先もご存じであることは分かっていたので)。 でも、ホントにマネージャーさんも何も通さず突然かかってくるとは、と驚くとともに、感激しました。 お電話では、これから収録する『きらきらアフロ』で『笑福亭鶴瓶論』のことを話すかもしれないということをわざわざご報告いただくという、何重にもありがたいお話。 その後、「どこ住んでんの?」など聞かれ、軽く雑談を交わし心臓の高鳴りが抑えられないまま電話を切りま

    最高に幸福な一日 - てれびのスキマ
  • くだらないの中に - てれびのスキマ

    水曜深夜は戦いだった。 深夜2時をすぎた頃になると、僕はそわそわし始め、「まだ早いかな?」と思いながらも待ちきれず出かける。 行き先は近所のコンビニ。 一刻も早く『週刊プロレス』を確認したかったのだ。 『週刊プロレス』は当時木曜日発売。それがそのコンビニに搬入されるのが大抵水曜深夜(つまり木曜早朝)。それを店員が棚に並べるのが2時過ぎ。その頃合いを狙っていたのだ。 けれど、コンビニの店員は忙しい。僕が思い描いたとおりの時間に棚に並べてくれるとは限らない。早く並べてくれないかなと店内を伺いながらその時を待つ。僕と店員さんとの戦いだったのだ。店員さんにしてみれば、ただただ迷惑な客だっただろう。 そんなのを待つまでもなく、早く買える状態にしてくれと店員さんに言えばいいのだが、それを絶対に買うのならお願いすることもできたが、必ずしも買うわけではなかったから言いにくい。 なぜなら、当時僕が読みたかっ

    くだらないの中に - てれびのスキマ
  • テリー伊藤が看破した恋愛バラエティの弱点 - てれびのスキマ

    8月2日の早朝に放送された『はい!テレビ朝日です!』はテリー伊藤をゲストに迎え、「これからのバラエティ番組」をテーマにしながらも、テリー伊藤がテレビの世界に入ったきっかけや『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』や『ねるとん紅鯨団』などの制作秘話を語っていた。 テリー伊藤は1968年に日大学・経済学部に入学。折しも学生運動が盛んだった頃。テリーもそこに身を投じた。 しかし、投石が左目を直撃し大怪我を負ったことがきっかけで、学生運動から遠ざかり、遊びまくっていたという。周囲が就職活動を始めても、遊んでいたテリーは、当然のように就職に失敗し、バイト生活を余儀なくされた。 目標が見つからず、自分の進路に迷っていたテリーは、これまでの人生を振り返る。 大学時代にコンサートを自分で開いたんです。色んな大学の連中に出てもらって自分が司会やって、演出もやったんです。『そうだ、あの時、幕が閉まる時泣いたよ

    テリー伊藤が看破した恋愛バラエティの弱点 - てれびのスキマ
  • 『1989年のテレビっ子』を書いた本当の理由 - てれびのスキマ

    しつこいようですが、いよいよ明日『1989年のテレビっ子』が発売されます。 都市部の大型書店では既に書店に並んでいるようです。 1989年のテレビっ子 -たけし、さんま、タモリ、加トケン、紳助、とんねるず、ウンナン、ダウンタウン、その他多くの芸人とテレビマン、そして11歳の僕の青春記posted with amazlet at 16.02.16戸部田 誠(てれびのスキマ) 双葉社 売り上げランキング: 2,612 Amazon.co.jpで詳細を見る 繰り返しになりますが書は「1989年」を中心(70年代の終わり~90年代のはじめ頃)としたテレビバラエティについて書いたものです。 といっても、どんなことが書いてあるのかイメージ出来ないかと思いますので、その一部を箇条書きにしてみたいと思います。 僕がこのをイチ読者として読んで何か記事にするとしたらこんなタイトルにするなぁというイメージで

    『1989年のテレビっ子』を書いた本当の理由 - てれびのスキマ
  • 1989年はテレビバラエティの転換期だった! 「1989年」テレビ年表 - てれびのスキマ

    今月2月17日、ついに新刊『1989年のテレビっ子』が双葉社より発売になります! 正式には「たけし、さんま、タモリ、加トケン、紳助、とんねるず、ウンナン、ダウンタウン、その他多くの芸人とテレビマン、そして11歳の僕の青春記」という長ーいサブタイトルが付きます。 1989年のテレビっ子 -たけし、さんま、タモリ、加トケン、紳助、とんねるず、ウンナン、ダウンタウン、その他多くの芸人とテレビマン、そして11歳の僕の青春記posted with amazlet at 16.02.07戸部田 誠(てれびのスキマ) 双葉社 売り上げランキング: 35,275 Amazon.co.jpで詳細を見る ページ数400ページになる単行です。 内容はそのタイトルどおり、1989年をめぐるテレビに出る人、テレビを作る人、そしてテレビを見る人のノンフィクションにして、青春群像劇です! つい先日、担当編集とともに約

    1989年はテレビバラエティの転換期だった! 「1989年」テレビ年表 - てれびのスキマ
  • 永野の“メジャー志向” - てれびのスキマ

    最近、テレビで永野をよく見ます。 ほんの少し前まで「カルト芸人」などと言われ、テレビ向きではないなどと評されていたとは思えない活躍っぷりです。 最近ではスマホゲーム「剣と魔法のログレス」のCMにまで抜擢されました。 また、7月21日発売の写真週刊誌『FLASH』(8/4号)では、「あなたはキモ芸人・永野を知っているか?」と特集も組まれる勢いです。 (※画像をクリックすると「『FLASH』捧げる歌」動画に飛びます) その特集の中で永野はインタビューに答え、現在の自分の状況についてこう語っています。 「『もう40歳なんだから』と言われるんですが、それがいい“フリ”になってるみたいです。長くやりすぎて何が面白いのかわからなくなっていますが(笑)。以前、GLAYのMVに出たんですが、そのときの監督に『永野さんは見る人を最初は引かせて、最後うっちゃりで勝ちますよね』と言われたんです。最終的にはネタで

    永野の“メジャー志向” - てれびのスキマ
  • タモリの「びり」の話 - てれびのスキマ

    前回のエントリでは、NHKラジオ『ラジオ深夜便』「萩欽一の人間塾」第7回にゲスト出演したタモリの服装についての話や、中学時代の弁論大会の話を書き起こしました。 今回は同じく『ラジオ深夜便』「萩欽一の人間塾」×タモリから、タモリの頭の回転の早さと話芸がよく分かる部分を書き起こしたいと思います。 この番組は様々なお題を選んで、それについてのトークをするという形式で進みます。 欽ちゃんはそこからまず「のんびり出来る場所」というテーマを選ぶと、そのままでは面白くないと言って「のんびり」ではなく「びり」の話をして、と意地悪な無茶ぶりをするのです。 「“びり”できる場所?」と聞き返すタモリに「いや、単に『びり』の話」と言います。 タモリは少し困惑しつつもすぐに意図を理解すると、「あのーちょっと長いですけどいいですか?」と即座に話し始めるのです。 「びり」の話 タモリ: 僕、趣味料理なんですよ。毎

    タモリの「びり」の話 - てれびのスキマ
    popup-desktop
    popup-desktop 2014/11/06
    「料理やってると雑念がわかないんですよ。集中するから。」「ずーっと先々のことを考えるんで雑念が入る余地がないんですよ。」
  • タモリの生きる“コツ” - てれびのスキマ

    10月27日早朝(26日深夜)に放送されたNHKラジオ『ラジオ深夜便』「萩欽一の人間塾」第7回のゲストはタモリでした。 萩欽一とタモリというなかなか見る(聴く)ことができない組み合わせ。この二人の接点というと、『笑っていいとも!』「テレフォンショッキング」(14/2/14)に出演した際、突然タモリが欽ちゃんの家を訪ねてきて驚いたという話をしています*1。 ちなみに「大タモリ年表」では以下のように書きました。 ▼1979年10月6日、『欽ちゃんのドンとやってみよう』(フジテレビ)にゲスト出演。 この頃、タモリは放送作家の大岩賞介に誘われて、萩欽一がパジャマ党の作家たちと仕事をしていた家に突然訪れている。タモリは萩もいるとは知らなかったというが、突然の訪問に驚きつつも迎え入れた萩や作家を前に数時間にわたり持ちギャグを繰り広げ、作家たちを笑わせ続けた。若い作家たちがタモリを絶賛し続ける

    popup-desktop
    popup-desktop 2014/10/31
    「周りの求めるものを嗅ぎ分け、それに合わせ変幻自在に「なりすまし」ていくことで、本質や軸はブレずに生きていく」
  • 光浦靖子のジャイ子への祈り - てれびのスキマ

    「ドラ泣き」なるキャッチフレーズを引っさげ公開された映画『STAND BY ME ドラえもん』が現在大ヒットしています。 「ドラえもんと藤子・F・不二雄が大好きな人の」を標榜する『Fライフ』も第2号は公開時期と発売時期が重なっているため、当然この映画の大特集が組まれています。 このには何人かの著名人*1がコラムを寄せていますが、その中で、オアシズの光浦靖子さんが「『ドラえもん』で一番乙女な生きものへ」という文章を書かれていて、それがあまりも素晴らしいので紹介します。 その「一番乙女な生きもの」はもちろんジャイアンの妹「ジャイ子」です。 光浦さんは「私はジャイ子のことが心配です」と書き始めるのです。 私はジャイ子のことが心配です。だって、だって、ジャイ子は誰よりも美しいものを愛する心を持っているんですよ。ジャイ子はそのうち、自分が美しくないことに気づくでしょう。そして、そんな自分を許せな

    光浦靖子のジャイ子への祈り - てれびのスキマ
  • オードリーの発見 - てれびのスキマ

    「最近僕は山里亮太っていう男を見失っているんですよ」というオードリーの若林の言葉が発端となった企画が放送されたのが6月20日、27日深夜の『もっとたりないふたり』(日テレビ)だ。 若林: もう一度、山ちゃんを一から知りたいということで。じゃあ、何で一番知れるのかっていうとネタ帳だったわけですよ。 山里: 正直、他人に見せるものじゃない。ネタ帳が誰よりも何よりも自分のすべてが書いてあるんです。親も知らないような、相方ももちろん知らない。誰も知らないことが唯一書ける、全てを知ることができるのがネタ帳なんです。 若林: 驚きました。 山里: 無修正ですよ、これ。 若林: だから家にあるネタ帳、全部持ってきてくださいってことで。これが全部、山ちゃんの家に残ってる… 山里: 72冊だって。すっごいよね。 若林: 「ヤバいの抜いてねえか?」っていう時期があったんですよ。「おい、山里?」と。そしたら追

    オードリーの発見 - てれびのスキマ
    popup-desktop
    popup-desktop 2014/06/25
    「もっとたりない〜」で一番好きな回かも。
  • 「バカッター芸人」太田光の“後悔” - てれびのスキマ

    タモリタモリにとって「タモリ」とは何か?』、お陰様で好評を頂いております。 恥ずかしながらエゴサーチャーと化して、Twitter、ブログ、ブクログ、読書メーター、Amazonなどに書いて頂いた感想を賛否問わずまとめました。一応だいたい時系列で並んでいるかと思います。結果、ほとんど「否」の意見もなく大変ありがたいのですが、賛否関わらず漏れていたりしたらお知らせ下さい。(逆に勝手に載せるなっていう場合も) 戸部田誠(てれびのスキマ)著『タモリタモリにとって「タモリ」とは何か?』感想まとめ さて、今回は3月24日に放送された『ストライクTV』最終回についてです。 後悔 太田: 僕はね、心の中で「口は災いの元」って思った回数、世界一多いと思う。 爆笑問題の太田光といえば、暴言を吐いたり余計なことを言ったりしてたびたび問題を起こしたり、その場の空気がおかしくなってしまうことが多い。 そんな

    「バカッター芸人」太田光の“後悔” - てれびのスキマ
  • 有吉の“どん底時代”とは何か? 「ミニ有吉弘行年表」 - てれびのスキマ

    いよいよ日『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方』がコアマガジンから創刊されるコア新書として発売されました! 有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか 絶望を笑いに変える芸人たちの生き方 (コア新書)posted with amazlet at 14.04.02てれびのスキマ コアマガジン 売り上げランキング: 715 Amazon.co.jpで詳細を見る これはお伝えしているとおり「水道橋博士のメルマ旬報」連載の「芸人ミステリーズ」の傑作選です。 ただし、第1章と最終章は書き下ろしで、書全体の4割近くを占めている長編です。 そのテーマは「猿岩石」と「有吉弘行」。つまり表題のとおり、「有吉弘行」を主題にしたものです。 書き下ろしのテーマに「有吉弘行」を選んだのは、もちろん現在のお笑い界にとって、もっとも重要な人

    有吉の“どん底時代”とは何か? 「ミニ有吉弘行年表」 - てれびのスキマ
    popup-desktop
    popup-desktop 2014/04/03
    「仕事が無い」とされている時期に、実は毎年何かしらの爪痕を残していて、再ブレイクの伏線が張られていた話。
  • 我慢する3人~立川談志、ビートたけし、太田光の晩餐- てれびのスキマ

    ビートたけしと石橋貴明が総合司会を務める『日曜ゴールデンで何やってんだテレビ』では1月20日に「貴明が浅草で徹底取材!ビートたけしが出来るまで」として浅草時代のビートたけしを、27日に「貴明が六木でみた!ビートたけしの歴史」として、漫才ブーム以降からフライデー事件直後のビートたけしを島田洋七とともに振り返っていてとても貴重で興味深いものだった。 そして27日放送回の後半には“芸能人が持ち込むいわくつきの品々「ワケアリ商品」を査定する”「日曜質店」に爆笑問題がゲスト出演。ビートたけし、石橋貴明、爆笑問題という関東芸人の巨頭3組が揃い踏みした。 そこに太田光が持ち込んだワケアリ商品が、立川談志、北野武、太田光の3人のサインが並んで書かれたサイン色紙だった。ちなみに3人のサインの上部にはモザイクが。たけしはその“放送禁止”の円形のマークを指し「お日様マークだろ?」と笑った。 そして太田は、この

    我慢する3人~立川談志、ビートたけし、太田光の晩餐- てれびのスキマ
  • 星野源の共感と羞恥 - てれびのスキマ

    このクソッタレな時代に、同じようにソングライティングをもって格闘しているなら、仲間として “その剣の使い方、どうなの?”というような種類の話をしてみたい(『TV Bros.(2012年10月27日号)*1』) と佐野元春が2009年から始めた『佐野元春のザ・ソングライターズ』も現在はシーズン4を迎えている。 11月2日と9日のゲストは星野源だった。 たたきあげの笑顔 星野源は学生時代のことを問われこう答えている。 暗かったですね。自分の気持を素直に表に出せなくてそれを音楽とか演劇をやってなんとか消化してたというか。普通に同級生と自分の気持ちで話せなかった。 (最初に曲を作ったのは)中学3年生か高校1年の時。オリジナルの一番最初の歌詞は確か「人の関係」っていう歌だったと思うんですけど「人の関係がわからない」って感じで「わからない」っていっぱい書いてあった。自分のことながら落ち込んだ覚えがあり

    星野源の共感と羞恥 - てれびのスキマ
  • 2011年テレビお笑い界を振り返る(芸人編) - てれびのスキマ

    2007年から自己満足で勝手にMVPなどを選んできました。 で、過去ログを振り返ってみると2007年から2010年まで順にケンドーコバヤシ、有吉弘行、ブラックマヨネーズ、オードリーを選出していました。この4組は2011年も大活躍でした(特に有吉とオードリーの活躍はまた一段上がった感じでした)が、例年同様彼らは除外して選んでみます。勝手に。 MVP 2011年特に活躍が特にめざましかったのはアンガールズ田中とフットボールアワー後藤でしょう。 で、どちらかを選ぶならフットボールアワー後藤。 2011年確変した田中*1ですが、僕は今年2012年にさらにまたひとつのピークを迎える*2のではないかと思います。 後藤はいわゆる「スマートツッコミ」がまず注目され、それ自体もイジられる対象に。それをイジられると、さらにスマートにツッコミ返すという磐石っぷり。有吉をして「もっとも汗をかいているツッコミ」と称

    2011年テレビお笑い界を振り返る(芸人編) - てれびのスキマ
  • 2011年テレビお笑い界を振り返る(番組編) - てれびのスキマ

    2011年も面白い番組がたくさんありました。 やや硬直した感のあった2010年頃までのラテ欄よりも多彩でワクワク感があったような気がします。 あと、震災の影響か、島田紳助引退の影響か、あるいはそれらとは全然違うかも知れませんが、ナインティナインとダウンタウンの共演を筆頭になにかあるひとつの「箍が外れた」感じがしました。 お笑いテレビ番組大賞2011 ・『クイズ☆タレント名鑑』(TBS) 2011年のベスト番組は文句なしで『クイズ☆タレント名鑑』だったと思います。圧倒的でした。 日曜20時という完全なるゴールデンタイムに、この番組が放送されているという一点だけでも「テレビってやっぱりおもしろい!」と言えるのではないでしょうか。 悪意と悪ふざけとテレビ愛に満ちた番組。 万人に分かりやすく、が主流のゴールデンタイムの番組にあって、「クイズ」という名目を傘に、「一見」では分からないネタもふんだんに

  • 有吉弘行のプロレス - てれびのスキマ

    11月1日に放送された『ロンドンハーツ』では、これまで有吉弘行の暴言によって被害を受けたと主張するメンバーが、有吉に謝罪を求めるという「有吉被害者の会」が放送された。 番組はこれまでの有吉の暴言を振り返り、それについて被害を訴えるという流れで行われた。 たとえば、グラビアアイドル代表として磯山さやか、熊田曜子が彼の暴言によって仕事の方向性が変わってしまったと訴える。 しかし有吉は 「ホントに尊敬してるよ、磯山さんのことは。俺、日のロバート・デ・ニーロだと思ってるから。太ったり痩せたり(笑)」 「俺が(ポッチャリで)止めてあげてるんだよ。この前まであなた『デブ山さん』って言われてたんだよ」 などと暴言を吐き続け 俺、口の悪い下町のおっさんくらいに思ってみなよ。心は優しいなって思っちゃうでしょうよ。 と開き直る。 熊田: 私たちグラビアアイドルってそんなふうに扱われたこと今までなかったんです

    有吉弘行のプロレス - てれびのスキマ
    popup-desktop
    popup-desktop 2011/11/20
    「一歩間違えば相手も自分も重大なダメージを負いかねないギリギリの緊張感の中で、相手を上限まで引き上げつつ、なお自分がそれを凌駕する。それはまさに有吉弘行のプロレスだった。」
  • アイドル田原俊彦はいかにしてメディアから抹殺されたのか - てれびのスキマ

    お忙しいなかをね、マスコミ嫌いの田原のためにこうしてあつまっていただきありがとうございます。 今日のこの場面ですか、会見もね、僕の意思に反することは充分にあるんですが、ここに至るまでの段階として、ほんとみなさんの熱意と言うかしつこさと言うか大きなお世話に僕も大変困惑しまして。 −−(結婚式の)時期はいつごろになりそうですか? またぁ、こないでよー。疲れるんだから(会場笑)。嫌いなんだから。僕はみんなのことを。 何事も隠密にやりたかったんだけど、僕くらいにビッグになっちゃうと、そうはいきませんけどね。よく分かりました、はい。 これが当時各局のワイドショーなどでくり返し流された1994年2月の田原俊彦長女出産会見で、この中の「ビッグになっちゃうと、そうはいきませんけどね」という発言が「ビッグ発言」として大きく報じられた。また「終始傲慢な態度で記者の質問に答えない」などとされた。その結果、彼の好

    アイドル田原俊彦はいかにしてメディアから抹殺されたのか - てれびのスキマ
    popup-desktop
    popup-desktop 2011/10/30
    オチが面白切ない。
  • 中居&草なぎのオンチによるオンチ批評 - てれびのスキマ

    現在『24時間テレビ』が放送されているさなか、また『27時間テレビ』に関するエントリーになってしまいますが、今更。 名場面が続出した『27時間テレビ』。前半だけでもvsとんねるずや明石家さんまの凄さを改めて見せつけた「ホンマでっか」から「今夜も眠れない」、そしてビートたけしの火薬田ドン。さらにハケ水車復活での今田&中山秀征の珠玉のトーク*1……、と挙げればキリがありません。で、後半、あのエンディング*2まで怒涛のように名場面が続くわけですが、中でも印象的だったのが、早朝に放送されていた「FNS歌へた自慢」です。 このコーナーはFNS各局の歌が下手な社員を一堂に会し、NHK「のど自慢」のパロディで日一オンチな局を決めるというコーナーですが、そこで審査員として登場した「理事長」こと草なぎ剛と、中居正広がイキイキと抜群のコメントを連発していました。早朝の放送だったため見ていた人が少なかったのが

    中居&草なぎのオンチによるオンチ批評 - てれびのスキマ