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!再読未定に関するprisoner022のブックマーク (104)

  • エヴァを壊すこと、鏡を割らないでいること――『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』へのメモ - 灰かぶり姫の灰皿

    Cut (カット) 2009年 08月号 [雑誌]出版社/メーカー: ロッキング・オン発売日: 2009/07/18メディア: 雑誌 ヱヴァンゲリヲン破を観てきた。いくつか簡単にメモしておきたい。苦しい仕事になったと思う。もちろん新しい物語的展開やエピソードの挿入はあって、それは旧作を引き継ぎながら超えていこうとする『ヱヴァンゲリヲン』の姿勢をよく示してもいるのだろう。でも、かえってそうした努力によって『エヴァンゲリオン』が呼び戻されてしまっている箇所があると感じる。今回の『破』では、基的に『エヴァンゲリオン』TVシリーズの第八話から拾九話までの内容が一のフィルムとしてまとめ直されていた。そのためにTV版のいくつかの放映回は姿を消しているし(たとえば第拾壱話「静止した闇の中で」や第拾参話「使徒、侵入」)、大きく圧縮されて映画の中に組み込まれた出来事もある(たとえば『破』の第8の使徒は落

  • 『火垂るの墓』が教えてくれること - じゃがめブログ

    蛍業界のイメージ戦略として定期的に放送される映画*1のお話。もはや説明するまでも無い、国民的反戦映画と言えるでしょう。 初めて私が見たのは小学4年生の時。あまりに怖かったのを覚えています。以来、放映されてもしっかりと見ることは無く今に至っているのですが、今年は久しぶりに通して見ました。抱いた印象は「モラトリアム喪失の環境変化に対応出来なかった若者の悲劇」です。戦争災害うんぬんはあんまり関係ないんじゃないか、というお話をします。 あらすじ 物語は清太(14)が駅で死ぬ場面から始まる。清太の死から時間を逆行すること数日、清太の視点で物語は進められていく。 神戸を襲った空襲により母親を焼かれ、父親は出征しているため身寄りの無い清太と節子(4)の2人。2人は近くに住む叔母を頼るが、その叔母からは辛辣な態度と言葉を浴びせられてしまう。母親の形見の着物を米に換えられ、その換えた米もろくに振舞われず、や

    『火垂るの墓』が教えてくれること - じゃがめブログ
  • 2009年8月号掲載 ロングインタビュー 『世界は分けてもわからない』の福岡伸一さん

    prisoner022
    prisoner022 2009/08/27
    生命とは《動的平衡》だと言うのは簡単ですが、ではなぜ、絶え間なく動きながらも全体としては統合されているように見え、「私は私だ」と言える自己同一性が存在しうるのか
  • これこた

    砂(すな) 1971年生まれ。マンガ家。東京大学法学部卒。在学時から同人誌作家として活動。98年商業誌デビュー。現在、季刊『マンガエロティクス』(太田出版)に連載中。フェミニズム思想に耐えるポルノグラフィーの条件を問うことをテーマとしている。ホームページ『SANDWORKS access point』を運営。単行に『フェミニズムセックスマシーン』(太田出版・近刊)。 東浩紀(あずま・ひろき) 1971年生まれ。東京大学総合文化研究科修了。学術博士(哲学・表象文化論)。日学術振興会特別研究員。現在の研究対象は、1970年代以降の世界(ポストモダン)と、フランス思想、ハッカー文化オタク文化の相関関係。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞受賞)、『郵便的不安たち』(朝日新聞社)。

  • KimSchzClTx-6.html

    「文脈病」所収  「アニメ」の国のミヤザキ    アニメーションと総称される分野の中でも、いわゆる「アニメ(日製アニメーション)」の特異な発展とその国際的受容については、いくぶん無批判的に称揚され過ぎてきたきらいがある。日製のアニメはたとえそれが「宮崎アニメ」であろうと「R指定」にしてしまうイタリア、スペインなどの過剰反応を、衰弱した国家身体の奇妙な免疫反応として嗤うことはたやすい。しかしあるいは、彼らは「アニメ」に質的に随伴する「無-倫理性」の徴候を見切っているのかも知れないのだ。  アニメに「倫理」?オタクの哄笑を誘いかねないこうした不用意な提言を、あえて試みる目的はなにか。「宮崎アニメ」の徹底的な擁護のためである。擁護?何かの間違いだろうか?公開前からすでにトップクラスの興収と評価を約束された大作「もののけ姫」の宮崎駿を「擁護」する?しかし言い間違いではない。

  • アニメ昼話 ポニョとハヤオを語りたおす! in ロフトプラスワン その2 - 冒険野郎マクガイヤー

    幸せ光線、よかった光線 宮崎アニメには「幸せ光線」とでも呼ぶべきものがある。 たとえば「千と千尋の神隠し」。たいへんたいへんハクが死んじゃう〜ということで行動するのに、ピンチになったらそのハクが助けにきて、椅子から転げ落ちそうになった。たとえば僕の奥さんが病気になったとして、その病気の薬を手に入れる為にドイツに行ったとして、そこで交通事故に巻き込まれそうになった時に奥さんが助けにきたら怒るでしょ(笑)?なんでオマエこんなところにいるんだー!って(笑)。 でも観客はよかったね〜、よかったね〜。湯婆婆もよかったね〜。そこでよかったと言う理由は無い(笑)。あるとすれば、あと10分で映画が終わるという理由だけ(笑)! 矛盾があるのに、なんでそれを乗り越えられているのか?つまりそこには「幸せ光線」「よかった光線」とでも呼ぶべきものがある。 シナリオはロジックで書くもの。それが破綻している。でも、理と

    アニメ昼話 ポニョとハヤオを語りたおす! in ロフトプラスワン その2 - 冒険野郎マクガイヤー
  • 三次元ヌードへの拒否反応 - ohnosakiko’s blog

    今日のデザイン専門学校のデッサンの授業は、ヌードクロッキーだった。私の行っている学校では、全コースの一年生が一度はヌードクロッキーをすることになっている。美術系のヌードモデルをしているベテランのモデルさんが、毎年来る。彼女から、アニメ専門学校に仕事に行った時の興味深い話を聞いた。 クロッキーの授業が始まってしばらくしたら、気分が悪いと言って退室する学生が幾人か出たという。初めてヌードモデルを描くという緊張感で気分が悪くなったのか? 後で教官に訊くと、どうもそれだけではなかったらしい。 アニメーションコースに来るような学生は、だいたい女の子の絵を厭というほど描いている。実物の女のヌードを目の当たりにする前から、女の子のヌードの絵も描いている。そこで頭の中に、かわいくて理想的な女の子の身体イメージというものが、既に確立されている。 しかし。現実の女性はアニメ絵とは違う。ずっとずっとナマナマしく

    三次元ヌードへの拒否反応 - ohnosakiko’s blog
  • セカイ系とは何か

    「セカイ系」というのは、その手の小説やマンガを知っている人には感覚的に わかる概念であるが、そうでない人にはなかなか説明しづらい。そのせいで、 人によって説明がけっこうバラバラだったりする。知っている人が見れば、そ れぞれの説明が同じ対象を別の角度から言い表しているものとわかるのだが、 知らない人にとっては分かりにくい。 ここでは、困難は承知の上で、セカイ系とは何であるか、できるだけわかりや すい説明を試みたい。 セカイ系は「世界を救う物語」ではないアニメやマンガなどでは、「世界を救う」物語が悪い意味で非常によく目につ く。そのため、セカイ系をこうした物語を指すものだと思ってしまっている人 もいる。半分は当たっているが、半分は外れている。 確かに、「世界を救う物語」にはセカイ系が多い。しかし、そうでないものも 多い。「世界を救うからセカイ系」というのは間違いであるということをまず 認識して

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    【教えてくん】コミュニティーなのです。 なんかニュースとかあったらここに書こうかと思ってますよ。とりあえず、おいらのブログ

    prisoner022
    prisoner022 2008/06/02
    フィクションの情報圧縮/可逆圧縮ではない/通常の非可逆圧縮とも違う/展開するためのデータは読者の側にある/読者は作品を読む時に、自分の人生経験を補うことで作品を展開/
  • シャア専用ニュース - FC2 BLOG パスワード認証

  • マンガ<表現>論

  • 塚田憲史「社会システム・テレビゲーム・NPC」『筑波批評 2008春』所収 - らいたーずのーと

    ■ この評論には二つの目的がある。まず第一に、東浩紀が『動物化するポストモダン』で提示し、それを受けて稲葉振一郎が『「公共性」論』などでより広い意味で用いた「動物」という概念を、そこに含まれるネガティヴなイメージをむしろポジティヴなものとするためとして「ゲーマー」という概念に置き換えること。稲葉の言う「動物」とは、「慣習や制度などの人々を取り巻く人工的な環境」*1である「社会システム」を「自然」として体験する主体のことを示している。だが、その体験とは、「動物」という言葉からは能的な、受動的なものとして捉えられる。塚田氏はそれを否定し、自ら合理的に判断し、あえて「社会システム」に従う道を選んだ主体として彼らを「ゲーマー」と名指す。 評論の後半では宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』との接続が行われる。彼が提示する「決断主義」という物語ムーブメントを「(東が提示する狭義の)動物」ではなく「ゲーマー

  • 格差社会の反逆児~『コードギアス ルルーシュの反逆』~|乳之書

    舞台は架空の世界。地球の1/3は、神聖ブリタニア帝国という超大国に植民地化され、日はエリア11、日人はイレブンとして蔑称されている。社会の上位を占めるのは、支配者階級のブリタニア人だ。その中で、ブリタニア人の血を持つ主人公ルルーシュが、妹と母の復讐のためにブリタニア帝国に反旗を翻し、合衆国ニッポンの独立を目指すというお話だ。ごく単純に要約すると、そういうことになる。 ブリタニア人を、ブリタニアという名前に引っ張られてイギリスと人として解釈するとおかしなことになってしまう。ブリタニア人はある特定の外国人の呼称ではない。ブリタニア人は、むしろ階級的呼称――具体的に言うなら、上流階級として捉えた方がいい。経済社会の上位に位置し、ヨーロッパ的センスで生活を満たそうとする現在日の強者たち、すなわち勝ち組の人たち――それがブリタニア人だ。負け組の人たちがイレブンである。 そう捉えると、「今の時代

  • 1986〜1995はアニメ史的空白だったか?

    きっかけはARTIFACT@ハテナ系で取り上げられた記事「オタク歴史認識欠如」、「オタク歴史認識欠如話の続き」とそれに対して私が雑記として書いたこことここ、さらに倉井あどきさんの掲示板への書き込みから発展してかなり実のある意見がいろいろ出されたので、折角なのでログにまとめておきます。 エヴァとそこに至る90年代前半の状況と歴史認識的断絶、リアルロボットブーム終焉以降80年代末期から90年代前期のアニメ史的意義、そしてそれは何故、これまで黙殺されてきたのかなどなど。 いままで、あまり語られることがなかったのであろうエヴァ前夜のアニメ史的状況について主に論議されています。 君は、時の涙を見る(核爆)。 投稿者: 倉井あどき  投稿日: 3月 5日(土)01時28分10秒 夜になりましたが未だに屋根から雪が落ちる音が止みません(笑)。ご機嫌いかがでしょうか。どうも倉井です。 >オタク歴史

  • BANDAI VISUAL CLUB

  • アニメは誰のものか - Phase-D

    はてなの京都移転に対する各所の反応が「会社は誰の物か」論に発展していて面白かったんですよ。狭義では株主のものであるし、広義では利害関係者(従業員や取引先はもちろん、会社の規模や状況によって変わってくるけど社会)のものっていうのはある程度通説としても通ってる気がするんだけど、はてなに関しては特に後者の「広義」な部分での従業員の利害やユーザーの思惑のズレが今回の議論を呼んでるのかなと思いました。 店移転って株主総会の特別決議事項だった気がするけど、はてなは上場企業じゃないし、ましてや新会社法上でいう非公開企業のような気がするので、この辺りの機動力とか柔軟性はあるのかな。 この話にインスパイアされて、「アニメは誰のものか」について考えてみました。この問題に関する考え自体は特にここ1年くらいでいろんな理由をつけてアニメが放送休止や打ち切りになる度に思ってはいたんですけどね。 で、狭義では金を出し

    アニメは誰のものか - Phase-D
  • 決断主義トークラジオAliveを聴いてみました - シロクマの屑籠

    決断主義トークラジオAlive 東浩紀さんと善良な市民さん(宇野常寛:以下宇野さん)の対談ラジオをネット上でダウンロード出来るということで、今回聞いてみることにした。「動物化するポストモダン」をはじめとした恐ろしい文章を沢山書いている東さんと、「ゼロ年代の想像力」を呈示する宇野さんの話から、何かヒントが得られればと思い聞いてみたが、半分コントのような、半分シビアのような、とにかく聞いていて面白い話であった。 以下に、そのなかで印象と記憶に残った言葉、そして自分が思ったことなどを書き連ねてみる。ただし、以下はあくまで僕の記憶に残った断片であり、実際に喋った内容を正確にトレースできているものではなく、勿論、僕の選好に大きく影響を受けたうえで残ったであろう断片であることを断っておく。また、約二時間にも渡る内容のうえに、会話のスピードが速すぎてついていけなかったり疲れてメモをとるのをやめた部分もあ

    決断主義トークラジオAliveを聴いてみました - シロクマの屑籠
  • 「ゼロ年代の批評」のこれから - 第二次惑星開発委員会NEWS

    「ゼロ年代の批評」のこれから 「トラカレ!」の荻上チキさんにインタビューをしてもらいました。 長々と喋ってしまい、チキさんにたいへんな労力をかけてしまいましたが、ぜひご覧ください。 あと、このインタビューを読み返していて、さすがに下記の部分は誤解を招きそうなので(誤解されても仕方がないくらい乱暴な表現なので)補足しておきます。 --------------------------------------------------------------- 北風政策は、ふきつけられている人たちには有効ではないけど、見込みのある人間、物になる人間というのは、北風を吹かれたときにちゃんとそれを受け止めて肥やしにできる。 北風に吹かれていじけるような人間は、結局何をやってもダメなんです。 何をやってもダメな人間を有効活用するためには、見せしめにすることです。 こういう他人を僻んでいるだけの醜い人間は

    「ゼロ年代の批評」のこれから - 第二次惑星開発委員会NEWS
  • 「ゼロ年代の批評」のこれから──宇野常寛さんロングインタビュー - 荻上式BLOG

    2008年2月7日新宿にて、『PLANETS vol.4』が好評発売中の「第二次惑星開発委員会」を主宰している評論家、宇野常寛さんのロングインタビューを行いました。「惑星開発委員会」の成り立ち、論争を起している「ゼロ年代の想像力」(『SFマガジン』連載中)の背景にあるもの、そしてケータイ小説論、サブカル評論の現在まで、ここでしか読めない宇野常寛さんの発言が盛りだくさんのインタビューとなっております ■プロローグ 歌舞伎町の飲み屋から 荻上:今日は新宿、歌舞伎町の飲み屋からお伝えしてます。ということで、『PLANETS vol.4』発売、おめでとうございます! それから、『SFマガジン』での連載「ゼロ年代の想像力」も好調で、話題になっていますね。 宇野:ありがとうございます。 荻上:今日はそんな宇野さんに色々聞いてみたいと思います。個人的には、後日簡単に発表すると告知されてからさっぱり更新さ

    「ゼロ年代の批評」のこれから──宇野常寛さんロングインタビュー - 荻上式BLOG
  • 狐の王国 著作権違反に罪悪感が無いのは、知財がわかりにくいからじゃね?

    #1 著作権違反に罪悪感が無いのは、知財がわかりにくいからじゃね? 「まぢわかんない」「悪い大人を取り締まって」──携帯フィルタリングに未成年者の反応は (1/2) という記事。 ふーん、といった感想ではあったのだが、この記事に過剰反応してる方が散見された。おそらくその理由は、 「反対。モバで読んでる小説読めなくなりし、掲示板に行けなくなるんで音楽を取る(無料の違法着うたなどをダウンロードする)こともできなくなるし、好きな芸能人のブログも見られなくなるんでかなり迷惑です」(未成年女子)  この部分だろう。違法音楽のダウンロードにまったく罪悪感が無いというところに、反応されてるのだと思う。 で、俺はこれ見てどう思ったかというと、「ああ、やっぱそんなもんだよな」というのが感想。 著作物が誰かの所有物で自分たちはその「使用権」だけ買ってるんだ、なんて概念、普通わからねえよなあ、と。 「いやわかれ