Tokyo, August 11, 2024 — "NEO: The World Ends With You" is a highly anticipated sequel that continues the legacy of the beloved original game. As a follow-up to the critically acclaimed "The World En...
キャシャーン SinsキャシャーンSinsCASSHERN Sins 第18話「生きた時これからの時間」 脚本:大和屋暁 絵コンテ:山内重保 演出:山内重保 作画監督:丸加奈子 ロボットだから、マシーンだから、夢とか涙はない。って言う常識を真っ向から拒否し、設定も説明も無く、アートと言うかやりたい事をがっちりやりきった話。 意味の全部は読み解けないし読み解くつもりも無いが、ある意味美しい。 とりあえず、ツンデレのリューズが姉の死を乗り越えて自分のデレを受け入れて自覚するために1話まるまる使ったと言う事か。 こういう場合、なんやかんや事件が起きて、それをきっかけにしてって言うものがセオリーだけど、自分の自問自答で解決しちゃうのかな。いや、フラグは今までの旅で十分で、それを納得するかどうかってだけだったのか。ふむ。 1クールの旅にウェイトをおいてたからなあ。説明は無いが説得はされた。僕は。 山
前回記事では、映画『タイタニック』をサンプルに「大きな物語」について考えてみました。 今回はさらに話題を広げて、「大きな物語」の有効活用を考えてみましょう。 ■簡単なおさらい ・SFX特技監督として有名だったジェームズ・キャメロンが、こだわりのタイタニック号をより多くの人に見てもらうために「悲劇のラブロマンス」というベタな物語を使用した。 ・ロボットアニメの監督として有名だった富野由悠季が、キャメロンの『タイタニック』に大きな衝撃を受けて、「ロボットアニメの富野」として、より「大きな物語」を作ることを目指した。 なぜ『タイタニック』は世界中の海を渡れたのか<富野由悠季と映画『タイタニック』にみる「大きな物語」> ※ここでの「大きな物語」とは「より多くの人で価値が共有できる物語」程度の意味です。限られた一部の人ではなく、みんなが親しみ楽しめるおはなし、のことです。 「大きな物語」利用のポイン
2002/11/30 12 巨大列石の攻防 脚本 高山治郎 演出森邦宏 絵コンテ斧谷稔 作画監督しんぼたくろう高瀬健一 2002/12/07 13 ブリュンヒルデの涙 脚本高山治郎 演出宮地昌幸 絵コンテ宮地昌幸斧谷稔 作画監督下井草伊井乃弼奥村正志 ちょっと流石に借りてるDVDを帰さないとスパロボZ的に悪い気がしたので慌てて見る。 前後編だが、ブレンパワードのネリー・キム編に比べると格段にゆるい。∀ガンダムの緻密さにくらべると楽に見れて以外。 12話って実質的にブリュンの街に行って小競り合いをしただけだからな。場面転換も無し。 それでもとりあえずそれなりに退屈せずに見れたのは斧谷稔コンテの威力?岩が一杯飛んでぶつかり、場面は1つだがキンゲ・ブリュン・サラ・ベロー&ガウリ・アスハム&ザッキのアクションとセリフの絡み合いの面白さ。 そういう一つの物に対して多くのキャラクターが半分偶然的にぶつ
炎暑の日々をやりすごすうち、ふと気づくと涼風を肌に感じる季節になった。夏ももうすぐ終わりだなあ。 ここのところ、blogでまとまったエントリを書く気力がなかったので完全放置していたのだけど、Twitterなどでそれなりに書き留めた断片的なメモはあるので、それらを編集してお蔵出しなどしてみる。 ついったからの転載、改稿。 「恋空」は古典的な通過儀礼譚、しかもその純化された形として読むことができる。「日常>他者である移行対象との出会い>非日常かつ象徴的生>移行対象の死>日常への帰還と自己変容」という型がそこには見出される。しかし、なぜそのような通過儀礼譚が多くケータイ世代に受け入れられたのかが疑問としてある。 以前、現代における通過儀礼は共同体や社会システムの構造変化により困難になったと書いた。それに代わり「共同体が付与する意味にしたがって通過儀礼をなして成長するのではなく、自らを再帰的に成長
星を継ぐ者の冒頭ではクワトロ・バジーナ大尉と仲良さそうだったレコア・ロンド少尉が恋人たちの食事シーンでクワトロと手が触れただけで「忘れてください」って言うのは思春期臭くて謎だった あ、 「忘れてください」は手が触れた事ではなくボンヤリしてた事か 強いシャアが好きなレコアさんは自分の弱みを見せたくないか あるいはボンヤリしてたのはポーズで、思いやる強さを期待したがシャアが鈍かったとかか で、シャアは「力のバランスを考えすぎるが私だって独り身だ」と、新訳だというのにテレビ版にも匹敵する意味不明独り言を これこそクワトロ大尉だ まあ、簡単に言うと、「力の上下関係で女にすぐ期待されるけど、自分も普通の成人男性なんだけどなー」 という、勝手に好かれて勝手に幻滅されるイケメンの愚痴のような 前後のヘンケン・ベッケナーの素直なエマ大好きぶりがうらやましかったのかも知れんが、ヘンケンほどの情熱もない ララ
コードギアスR2第16話「超合集国決議第壱號」より。リピート推奨。*1 “何言ってんだ!やっていいことと!悪いことがあるだろう!いいひと気取って!勝手におしまい?収まらないんだよ!紅月カレンを安く見るな!” カレンさん、最高です(笑)。立場を無視してフルボッコにした上で、吐き捨てるように“あんたなんか、大っ嫌い”。これだけの事をして許されるカレンのキャラってのがまず素晴らしいのですが(笑)この突き抜けた爽快感は本当に凄いなと。 とにかくこのシーンはとても気持ちいい訳なんですが、スザクに対して視聴者が感じていた不信感、生理的嫌悪感というものを見事なまでに昇華してるんですね。このシーンを用意していたからこそ、スザクをあそこまで感情移入しにくい組み立てにしていたのかもしれないとかまで思っています(笑)。 カレンの拳の一撃一撃が、スザクの心の壁を突き破っていく。腹が立ったら、許せないなら、気が済む
“神を殺し、世界の嘘を壊そう” 第14話で明らかになった、VVとシャルルの契約。ここ数話“嘘”というキーワードが非常にクローズアップされています。ギアスという秘匿された力を行使するシャルルとVVが嘘を忌み嫌うというという矛盾をはらんだ構造。シャルルとVVが抱える最大の“嘘”はギアス能力の存在、そのものなんですね。 だからこそ、VVとシャルルの望みは、そのギアスの力を滅すること。 “これが王のちからだというのならば、力あるものはひとりで十分だ。ギアスという力、罪、存在そのものをこの世から消してやる” ルルーシュがCCに向かって啖呵を切ったこの言葉こそが、皮肉にもシャルルの望みそのものなんですね。しかし、その目的自体が、嘘だったとしたら…? ただひとりの王になる覚悟 15話で明らかになったとおり、ギアスの力、不老不死の力というのは誰かに引き継がせる事は出来ても、存在そのものを滅する事は出来ない
人間をモノ扱いして新品を要求する図々しい卑劣漢と、自分に都合の良い妄想に浸るキモいオタク - 消毒しましょ! 信じないだろうが、オタクといえども内省する。 誰からも好かれる学園のアイドルが俺だけに恋して処女膜を破らせてくれることに疑問を抱かないほどオタクは愚かではないし、主人公が備える「人と違った何か」を自分もまた持つと無邪気に信じられるほど強くもない。確かに仰る通りアニメやエロゲーはオタクに都合の良い妄想だ。恋愛初心者の美少女の魅力を俺だけが見出すことも、対人恐怖症の美少女が俺だけに心を開き依存することも、才色兼備の良家のお嬢様が俺の許婚で俺に結婚を迫ることも、ヒロインが誰一人として前の彼氏の話題を出さないことも、ファッションセンターしまむらにハーフエルフが生息することも、どれもこれもオタクに都合の良い妄想で、現実には有り得ない。全くもって仰る通りだ。だが、id:AntiSepticは信
まあ、そろそろかとは思っていたが、やはりとみの喜幸だね。 カット割が細かいな! あと、アップが多い。アップというか、クローズアップの短いカットで注目させるっていうか。 今回はマリラが紫水晶をアンが無くしたと勘違いして、アンにピクニックに行ったらダメって言うんだけど、勘違いだと分かったのでアンがピクニックに行って楽しいなーって言う話。 その、話の進行にあわせての絵コンテのリズムが音楽的で素晴らしく楽しい富野分。 アンにイライラしてひたすら家事に打ち込むマリラが短いカットの連続で執拗に、執拗に描かれて面白い。 そのあと、誤解が解けたところで、そのテンポがビタリと止まり、あああああっっとなったら、今度は軽快にピクニックの用意をし、高揚したピクニックと成る。 ここで、19世紀の家事労働やピクニックでのオルゴールなど、かなり細かい備品の描写や芝居の考証がなされている。特に、マリラが激しくフラストレー
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