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ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (8)

  • なぜ現代日本人は豊かなのに不安なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    人にとって個人とは人権ではなく干渉されない自由な環境 日人は明治以降、市民革命を経ずに資主義化をここまで進めてきました。産業化、貨幣社会化を重視してここまで来ました。日人が民主主義より、自由主義を重視する傾向は明治以降の歴史的な背景もありますが、やはり島国という閉じた地理的条件からくるハイコンテクストな環境の影響が大きいでしょう。 日は民主主義国家ではありますが、日人は人権的な平等について真剣に吟味したことがありません。だから日人にとって個人とは、基的人権として尊重しあう存在であるより、経済的な豊かさにより他者に干渉されない自由な存在を意味します。 だから日人は個人と集団は対立しません。日人の中では集団主義的な行為と、個人主義的な自由は自然に共存します。ともにイデオロギーはなくただコンテクストによる慣習だからです。 日人にとって集団は環境であり習慣です。ある状況にな

    なぜ現代日本人は豊かなのに不安なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    proto_jp
    proto_jp 2010/11/08
    日本は民主主義国家ではありますが、日本人は人権的な平等について真剣に吟味したことがありません。だから日本人にとって個人とは、基本的人権として尊重しあう存在であるより、経済的な豊かさにより他者に干渉され
  • なぜ日本人はこれほど外来文化にかぶれやすいのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「同化吸収」 ああ、それで思い出した。和むかどうかっちゅーと、またちょっと微妙な話だけど、欧米系から見た日の評価の話。俺の友人の飲み友達に、人類文化学の教授がおってな。彼の分析と、同じ研究者として向こうの連中と話しあった結果、欧米が深層心理で日をどう思っているかって結果が「同化される恐怖」なんだと。 たとえば、日になにか新しい文化が投入されるとする。普通の国の反応ってのは、大概それに対して拒否反応を起こして反発するか、事大主義のようにそれ一色に染まる二極分化らしいんだけど。日の場合、「自国の今ある文化と矛盾がないように、ゆっくり吸収して、同一化する」傾向が強いんだって 同じように日文化海外に出た場合、はじめは拒否反応を起こされることが多いんだけど、いつのまにか「COOL!」であると評価をひっくり返し、その後、ゆっくりとその国の文化の中に溶け込んでいく傾向が強いんだと。 この「

    なぜ日本人はこれほど外来文化にかぶれやすいのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    proto_jp
    proto_jp 2010/10/26
    島国日本にはたえず閉塞感がある。だから外来からの文化に飛びつきやすい。そのときに外来文化の侵略への恐怖がなくのんきだ。こののんきさは日本が単に島国なだけではなく、中国と朝鮮という二重の防波堤に守られて
  • なぜ日本人には民主主義は浸透しないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「貨幣の前の平等」から「民主主義の平等」へ 人は生まれながらの特性も違うし、育つ環境も違うし、習慣において平等というのはありえないですね。歴史上そんな文明はなかった。それが、資主義が全面化したときに大きな変化が起きる。貨幣交換が浸透すると貨幣の前に平等が生まれる。 貨幣交換では相手が誰だろうが貨幣を持っていることで商品交換が成立するという「貨幣の前の平等」がうまれる。これは今で言えば自由主義思想ですね。自由に経済活動を行うことで平等は自ずと達成される。 しかし資主義が浸透する過程でどうもそうまくいかないことがわかってくる。たとえばマルクスが注目したのが貨幣交換ではなく資です。貨幣が資という形態を取る場合には「貨幣の前の平等」とは異なる挙動をする。 資は貨幣交換機能を超えて、貨幣を生み出す。そして資家は生み出された貨幣を独占している。だから平等はもっと能動的に目指すべきものである

    なぜ日本人には民主主義は浸透しないのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    proto_jp
    proto_jp 2010/06/23
    育つ環境も違うし、習慣において平等というのはありえないですね。歴史上そんな文明はなかった。それが、資本主義が全面化
  • ツイッターのよいところ、よくないところ - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ツイッターのよいところ ・コンテクストを気にせずサクッと書き込める。 ・コンテクストを気にせず誰かのにコメントに返信できる。 ・適当なことを書いてもどんどん流れていく。 ・書き込むとすぐに反応がある。 ・短い時間でも長い時間でも楽しめる。ハイになれる。 ・ケンカになりにくい。なっても継続しない。最悪、ブロックで排除できる。 ・コメントが無数にあり飽きない。 ・有名人と出会える。多様な意見が聞ける。 ・フォローで人を選択できる。 ・発言がフォロワー数として評価される。 ・自分のコメント、フォローが財産として蓄積される。 ・財産を身体として他のメディアに繋ぐことができる。 ツイッターのよくないところ ・簡単にコメントできてしまう。何かいった気になって満足する。 ・簡単に反応がもらえる。すぐに充足する。 ・140字制限で議論ができない。 ・相手と真剣に向き合うことができない。 ・有名人ほど影響力

    ツイッターのよいところ、よくないところ - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    proto_jp
    proto_jp 2010/04/17
    ツイッターはネットコミュニケーションに内容がないことに開き直り、その本質を暴露してしまった
  • ウェブでは「フリー」が基本であるというのは本当か  「ネット帝国主義と日本の敗北」岸博幸 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「ネット帝国主義と日の敗北―搾取されるカネと文化」 クリス・アンダーソンの 「フリー」(ISBN:4140814047)が大ヒット中だ。ウェブ上に働くフリーモデルのエコノミーを明らかにした。しかし「フリー」は前著「ロングテール」(ISBN:4153200042)と同様に、マーケティングのである。IT企業がウェブ上でいかに収益を上げるか、ということを分析している。フリーでも、フリーだからこそ収益を上げることができる。 「ネット帝国主義と日の敗北―搾取されるカネと文化」 岸博幸 (ISBN:434498157X)は「フリー」の裏面というべきである。タイトルは俗っぽいが中身は冷静な経済的な分析をしている。「フリー」がIT企業のためのマーケティングであって、ウェブ側の「楽観的な自由主義」を基にしているとすれば、著者は以前に大臣補佐官をしていたこともあるように、ウェブだけではなく社会全体

    ウェブでは「フリー」が基本であるというのは本当か  「ネット帝国主義と日本の敗北」岸博幸 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    proto_jp
    proto_jp 2010/02/13
    ウェブはフリーが基本であると言われているが本当にそうだろうか。日本のケータイを見ても、ウェブユーザーが金を払うことを敬遠していると思わない。フリーはコンテンツを探すなどめんどくさい。またウィルスなど信
  • なぜiPadに魅力がないのか 「サイバーリバタリアニズムの倫理と新自由主義の精神」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    ITとセルフサービスと技術的選民性 AppleiPadに魅力がないのは汎用性が高すぎるからだろう。そんなのパソコンで十分でネットブックでさえネットに特化して、iPhoneも基音楽用ハードである。いままではハードの価格が高くて、パソコンのように一台でなんでもできる汎用性の高さが求められてきた。しかしいまではハードが安価になり、コンテンツサービスに特化したハードを多台持ちできるようになった。 ハードが高く一台のパソコンに多くの機能を求めるときは、自らコンテンツサービスを選び、ソフトをインストールし、使い方を調べるなど、「セルフサービス」が基だった。家電製品に比べてパソコンやウェブサービスが難しいのは単に知的で複雑であるだけではなく、このようにセルフサービスを基としているためだ。 そしてこのような中から、「自分で努力して使いこなすものだ」、「わからないことはググれ」、そして「使いこなせ

    なぜiPadに魅力がないのか 「サイバーリバタリアニズムの倫理と新自由主義の精神」 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    proto_jp
    proto_jp 2010/02/03
    ケータイ、iPod、DS・・・いまではハードが安価になりサービス毎に多台持ちしている。もはやユーザーが求めているのはハードではなく、コンテンツサービスという環境であり、ハードはコンテンツサービスを使いやすくす
  • ウェブ・アメリカーナ なぜウェブ上の主体はアメリカ的なのだろう - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    近代的主体って、世界を俯瞰することで、自らを反省するということだ。だが情報社会では世界は俯瞰するものではなく創造するものになる。そこでの主体はいかなるものになるか。いまのところ、ウェブ上の主体はアメリカ的である。楽観的、自由至上主義、反権威、反省しない、テクノロジーフェチ・・・サイバーリバタリアンなどと言われる。中国政府がグーグルに脅威を持つのは「小さな漏洩」ではなくウェブにおいて人民がアメリカ教育されることへの警戒だろう。 なぜウェブ上の主体はアメリカ的なのだろうか。発祥がアメリカだから?ウェブがフロンティアだから?多民族だから?ウェブでは情報がコピーされることで自由化される? いまのところ、このウェブ・アメリカーナに対して異文化圏を作りえたのは日のケータイだけではないだろうか。ドコモが奇跡的に起こしたこの「ガラパゴス」では、主体は全く異なる風俗を生きている。当然、世界を作る気などな

    ウェブ・アメリカーナ なぜウェブ上の主体はアメリカ的なのだろう - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    proto_jp
    proto_jp 2010/01/29
    いまのところ、ウェブ上の主体はアメリカ的である。楽観的、自由至上主義、反権威、反省しない、テクノロジーフェチ・・・サイバーリバタリアンなどと言われる。中国政府がグーグルに脅威を持つのは「小さな漏洩」で
  • ウェブへ求めるものが日常の楽しいツールへと変容しつつある。 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「サイバー空間」という言葉も死後になりつつある いまでもインターネットは国家から自由だと思っている人はいるのだろうか。ほんの少し前まではインターネットにはそのような空気が満ちていた。それは日のネットにアメリカ文化を残していた時代。とくにケータイという日独自の文化が流れ込んだとき、ネットに日色が強まり、自国色が強まった。 かつてネチズンなる言葉があった。ネットの市民権。いまではネットはGoogleなどの企業サービスが先行し市場優先、あるいはケータイによって日色が強まり国民文化優先である。いまだにネチズン感をもっているのはiPhoneヲタのおじさんぐらいか。 それにともない「サイバー空間」という言葉も死後になりつつある。市民権から市場と国民文化へ優先度が移動することで、ネットコミュニティと実社会の主権対立の構造が薄れて、いまでは実社会との延長線上にネットがある。それでもまだ垣根はある

    ウェブへ求めるものが日常の楽しいツールへと変容しつつある。 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    proto_jp
    proto_jp 2010/01/07
    日本のケータイは世界で唯一、コンテンツで1兆円規模の課金を成立させている。
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