歴史観は特定の人が持つ歴史的事件の見方であり、主観的なものである。もちろん、歴史の事実を調査し、ありのままに記述することの重要性は否定できない。しかし、歴史的事件をどのように見るかは人それぞれだ。見る者の価値観や立ち位置に左右されるし、人々の記憶は部分的に曖昧になったりする。また自分にとって都合の悪い部分は、泥が水の底に沈殿するように、自ずと見えないところへ消えていく。 中国では、歴史学は国家の存亡と王朝の交替に関わるものと認識されてきた。歴史を研究する目的は、歴史を鑑にして王朝を永遠に存続させていくためだった。 現存の歴史書の中でもっとも古いのは漢の時代に司馬遷が書いた「史記」である。本来なら歴史家は自分が生きている時代の皇帝について記録するのを避けるはずだが、司馬遷は漢武帝について「武帝本紀」を記した。しかも武帝に媚びることなく、クリティカルに書いた。これは司馬遷の偉いところである。
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