今から20年前の1989年11月、東西ベルリンを隔てていた「ベルリンの壁」が崩壊しました。実際にこれが歴史的な事件であったことは事実ですが、「西」側のメディアは、この「壁の崩壊」という事件を、「社会主義の崩壊」を象徴する出来事として宣伝しました。「壁」というのは、東西ベルリンの人々の行き来をへだてる物理的なものであると同時に、「東」側の社会主義体制の「不自由」を象徴するものとみなされました。壁が崩壊した、ということは、「自由」と「民主主義」を求める民衆によって自由を抑圧する社会主義体制が打ち倒された、ということとほぼイコールの出来事として理解され、ベルリンの壁崩壊の映像は、その後もテレビなどでしつこく繰り返して使われました。 というわけで、「社会主義崩壊以後」の世界、とは「壁崩壊以後の世界」であり、すなわちそれは「自由と民主主義の勝利した後の世界」であるかのようにみなされたわけです。しかし