2009年7月31日のブックマーク (2件)

  • 私は仲間の名誉を守りたい。 | プチ鹿島ブログ「俺のバカ」

    「東京ポッド許可局」について今日は少し真面目なことを書く。 先週も引用させて頂いたが、今週も水道橋博士さんが感想をブログに書いてくださった。 昨日も、今日も、走りながら、『東京ポッド許可局』の聴いてない回をチェック。 しかし、昨年2月から、ずっと続いているわけだが、屁理屈は続き、面白くない回が無い。(1月5日付)http://www.asakusakid.com/diary/new.html 尊敬する先輩に褒められるのは嬉しい。 「芸人が芸について語る、笑いを語る」というのは、「お前らが言うな!」と言われればそれまでのことである。それでも「屁理屈をスポーツに」という試みを、少なくない人たちが楽しんでくれていることは嬉しい。 しかし、その試みが大きくなってくると厄介なことも出てくる。 局員のひとりサンキュータツオは、あれだけ好評だった「お笑い論」を現在ブログに書いていない。それはなぜか。 タ

    punch-line
    punch-line 2009/07/31
    手数に言及し始めた人と、それを論として歴史を追ってまとめた人の功績を区別して評価しないと。で、まとめた人を引用元として示すのは必要。誰かがまとめねばその後の議論の展開というのは望めないものだから。
  • 「漫才における手数論」は誰かのオリジナルの論ではない - toroneiのブログ

    私は仲間の名誉を守りたい。 | プチ鹿島ブログ「俺のバカ」 この件に関しては、見知っていたけどブログ上で扱わなかったんですが、それは「東京ポット」の人達が、何に対して怒っているのかが、全然見えてこなかったからなんですが、「漫才」に対して“手数”という切り口で論評するのは、サンキュータツオが創り出した概念だから、他の奴が漫才を語る際に、“手数”という切り口を使うのは、盗用だって怒っていたと言うことなんですね。 うわっバカじゃねえの?(笑) だってどう考えても、漫才において“手数”を論点にするなんて概念は、サンキュータツオのオリジナルなわけがないじゃないですか、少なくとも僕のブログだけで見ても、2005年11月や2006年1月の、漫才の感想でも簡単な言葉ですが、「手数」について触れています。少なくとも僕は、2005年末ぐらいの段階では、漫才を語る際において“手数”という用語を使うのは、特別なこ

    「漫才における手数論」は誰かのオリジナルの論ではない - toroneiのブログ