大手電機メーカーの「シャープ」は、大阪 堺市にある子会社の工場での大型液晶パネルの生産停止に伴い、工場の従業員を対象に500人規模の早期退職を募集していることが、関係者への取材で分かりました。 テレビ向けの大型液晶パネル事業の不振を受けて、シャープは、大阪 堺市にある子会社、SDP=「堺ディスプレイプロダクト」の工場での生産を、ことし9月末までに停止する方針を決めています。 これに伴って、シャープは、パネルの製造に従事している従業員を対象に500人規模の早期退職を募集していることが、関係者への取材で分かりました。 これはこの工場の従業員のおよそ6割に相当し、会社は、応募した社員に対しては年齢に応じて月収の最大24か月分の加算金を支払うとともに、専門業者による再就職支援などを行うとしています。 また、残りの従業員についてはパネルの開発部門などほかの部署に配置転換することを検討しているというこ
シャープの沖津雅浩社長兼最高経営責任者(CEO)は16日、社長就任後初の記者会見を開き、令和9年度に白物家電などを含む既存のブランド事業の営業利益率を7%に引き上げるとの方針を明らかにした。沖津氏は「シャープらしさを取り戻す」と述べ、家電を中心に付加価値の高い製品を開発し、経営の立て直しを図るとしている。 シャープは液晶パネル事業の不振によって4、5年度の2期連続で巨額の最終赤字に陥った。業績改善に向け、5月に堺市の大型液晶パネル工場の生産を停止し、ブランド事業に集中した事業構造へとシフトする中期経営方針を発表。これに伴い、親会社である台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業出身の呉柏勲(ごはくくん)氏から、家電などに詳しいシャープ生え抜きの沖津氏に社長を交代する人事が発表された。 新体制では、鴻海の経営トップである劉揚偉・董事長が代表権のない会長に就いた一方で、執行を担う経営陣は日本人が占めた。呉
いまや世界中の人が毎日のように使っている「カメラ付き携帯電話」。実は、撮った写真をメールで送れるという革新的な端末は、どの国よりも早く日本で初めて、いわゆるガラケーの時代に生まれた。作ったのは「つながらない電話会社」と揶揄されていたJ-PHONEと、高い技術力を誇りながら携帯電話市場に出遅れていたシャープの弱小連合。後発の端末メーカーで退路を断って挑んだ開発者ら、反骨のエンジニアたちが成し遂げた執念の逆転劇をNHK「新プロジェクトX」制作班が取材した――。 ※本稿は、NHK「新プロジェクトX」制作班『新プロジェクトX 挑戦者たち 1』(NHK出版新書)の一部を再編集したものです。 1991年設立の新会社は“寄せ集めチーム”で始動した 1991(平成3)年、とある携帯電話会社の設立が発表された。東京・市ヶ谷の雑居ビルで創業した東京デジタルホン、後のJ-PHONEである。携帯電話事業の競争に出
観光客の行動から「カメラ付きケータイ」のアイデアが浮かんだ iモードにいかに対抗するか。「メールのJ-PHONE」の進化形とは何か。マツダから出向の後、J-PHONEの社員となった高尾は逆転のアイデアを考え続けていた。 ある週末、両親が初めて長崎から東京に遊びに来ることになった。せっかくだから、と家族で1泊2日の箱根旅行に出かけ、駒ケ岳山頂に向かうロープウェイに乗り込んだ時のことだった。 ロープウェイの中で、高尾は景色を楽しむ両親をビデオカメラで撮影していた。徐々に高度が上がり、箱根の尾根から富士山が少しずつ姿を現す。天気にも恵まれ、目の前に広がる大パノラマはまさに絶景だった。初めての風景に感動している両親の表情をカメラに収めていると、すぐそばで「ピッ、ピッ、ピッ」という聞き慣れた電子音がした。携帯電話のボタンを押す音だ。 携帯電話の利用者がいると、自然と目が行ってしまう。高尾の職業病だっ
シャープは9日、中小型の液晶パネルを生産する三重工場(三重県多気町)の一部施設を活用し、半導体の生産ラインの構築を推進することで、アオイ電子と合意したと発表した。平成27年から稼働停止している第1工場を転用することで、収益を改善する狙いがある。今年中に着工し、令和8年中の本格稼働を目指す。 アオイ電子は高松市に本社を置く電子部品メーカーで、構築するのは半導体を製品化する「後工程」のライン。今後、需要拡大が予想される半導体関連製品の生産を既存施設を活用することで迅速に拡大する。 シャープは、液晶市況の悪化に苦しめられており、2年連続の巨額赤字に陥っている。今年9月までの生産停止が決まっている堺市の大型液晶パネル工場は、生成人工知能(AI)向けのデータセンターに転用する方向で、ソフトバンクやKDDIなどと協議が進む。 同社は三重工場などでの中小型パネルの生産縮小の方針も示しており、液晶工場の転
シャープが大型液晶パネルを製造する堺ディスプレイプロダクト(SDP、堺市)を9月末までに停止する。シャープにとって液晶は飛躍の原動力であると同時に経営危機の元凶でもあり、社外分社化が何度となく検討された。「液晶のシャープ」を返上するが、「とうとう」「もっと早ければ」との思いが交錯している。 おさらいの意味を込めて振り返りたい。同社は昭和48年に液晶表示板を搭載した電卓を発売し、世界で初めて液晶技術を実用化。ディスプレーとして進化させてテレビに搭載し、ブラウン管に取って代わった。平成16年に亀山工場(三重県亀山市)が稼働すると「世界の亀山モデル」のテレビが爆発的に売れた。同社はブラウン管を自社生産できず、テレビに他社製を搭載してきたコンプレックスを液晶の成功で払拭した。 ここで同社は19年、世界市場のシェア拡大を目指し堺市に世界最大規模の生産能力の液晶パネル工場(SDP)の建設を発表した。計
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