伊谷周一さんが被爆した旅館跡の近くで、位牌を手にした長女の柴田杉子さんが言った。「来たよ。お父さん」=広島市中区で2021年10月14日、山田尚弘撮影 繁華街の朝はきりりと冷え込み、ビールケースを積んだトラックの往来が絶えない。10月、広島市中区堀川町。米軍が76年前の夏に原子爆弾を投下した午前8時15分に合わせ、柴田杉子さん(58)=鳥取市=は位牌(いはい)をぎゅっと握りしめた。「来たよ。お父さん」。漆黒の位牌には白い字で「不核院堅持日周居士(ふかくいんけんじにっしゅうこじ)」と刻まれている。鳥取の原水爆禁止運動をリードし、4年前に88歳で逝った父の、そして記者の私が初めて出会った被爆者の戒名だ。 伊谷(いだに)周一さん。太平洋戦争末期の1945年8月6日、「不核」の人は鳥取市の旧制中学に通う16歳だった。経理官を養成する陸軍経理学校予科を受験するため試験会場の広島に前日入りし、宿泊した