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山さ行がねがの検索結果121 - 160 件 / 659件

  • 【山さ行がねが】ミニレポート第250回 紀美野町高畑の激レア線形 付録編

    激レアな平面ループカーブの紹介は、前回で終わった。 それはかなり麓に近い位置にあり、簡単に辿り着けた。 今回の探索の目的は早くも達成したが、私はそこで引き返さず、さらに先へ進んだ。 動機は一つ、こんな珍しい線形を有する道の先行きが気になった。 この道は地理院地図に描かれていないが、グーグルアースのような航空写真を見ると、山のずっと上の方にある何かの施設(その建物は地理院地図にも描かれている)まで、ずっと続いていた。 しかし、ストリートビューも入っていないので、実景を確かめるには自分自身でこの道を行くしかなかった。 もっとも、終点まで行って、本当に何も変わった景色がなければ、わざわざこの回を書こうとは思わなかったに違いない。前回の最後に終点の写真を1枚貼り付けて終わりだったろう。 少なからず、見せたい、共有したいと思える道路風景があったので、“付録編”という形で、この回を書いた。 それでは、

    • 【山さ行がねが】隧道レポート 伊東線旧線 宇佐美隧道

      2007/7/25 11:55 【静岡県伊東市宇佐美】 目の前を軽快なステンレスカーが駆け抜けていく。 水平線と空をイメージしたのだと容易に分かるカラーリングのそれは、伊豆急行線の8000形電車という。 伊東から先の下田まで、国鉄が果たせなかった伊豆循環鉄道の使命を一部受け継いで、昭和36年に開業した私鉄だが、その当初の使命を思い出させるかのように、JRの線路を熱海まで悠々と乗り入れている。その逆も然りである。 ここは、宇佐美隧道の宇佐美駅側坑口に最寄りの小さな踏切である。 実は、既にこの地点では新旧線の切り替えが済んでおり、旧線のレールも踏切の両側に残されている。 だが、踏切部分のレールは綺麗に撤去されており、通行していてそれに気付くことはない。 遮断棒手前の道路右側に、黄色いバーが二本横に渡されているが、この位置で旧線は道路を横切っていた。 上の写真と同じ地点で、左手、すなわち網代駅方

      • 【山さ行がねが】廃線レポート 神岡軌道 猪谷~神岡間

        これを書いている時点での昨日、2008年7月4日まで、私は『日本の廃道』での盟友nagajis氏と共に、飛騨の山中で連続4日間の廃道・廃線探索を行った。 そして、その中で最大の時間と労力をかけて解明を試みたのがこの「神岡軌道」であった。 神岡軌道は、大正初期から昭和40年代初頭にかけて、岐阜県北端に位置する神岡町から県境を越えて富山方面へと延びていた、軌間610mmの鉄道である。 その特殊な軌間が象徴するように、「神岡鉱山」の坑内軌道と連結する「鉱山鉄道」としての性格を濃くした路線であったが、交通不便な地域の足として利用されていた事も事実で、昭和24年以降は正式な地方鉄道として市販の「時刻表」にも記載されていた。 本路線の廃止は母体鉱山の閉山を待つことなく、並行する国鉄の延伸に追い立てられるように行われたことに特徴がある。 まず、国鉄飛越線(現在の高山本線)が富山側から猪谷(いのたに)まで

        • 【山さ行がねが】隧道レポート 草木トンネル (旧三遠南信自動車道)

          2011/3/3 6:26 《現在地》 長い長い(少なくとも自転車にとっては)ランプウェイを上り詰めると、海抜680mに存在する“本線”に辿り着く。 出発地である池島集落(標高600m)からは、すでに80mも登っている計算になる。 ランプウェイと言いながら、ちょっとした峠並の上りであった。 そして、入口から数えて800m地点のここからが本線。 そこにあったのは、やはり一般道路化されているとは言っても、そこら辺の山中にありそうなバイパスとは、一線を画する道だった! 約300m先にある草木トンネルの坑口が、ほぼ真っ正面に見えていた。 その黒い少し大きめの“点”に向けて、今は6車線分もあろうかという幅員が、2車線まで狭まっていく。 が、そちらへ行く前に、 どうしても気になる場所があるじゃないか? ↓ここだよ!↓ ランプウェイが両側に分合流する、その中心にある本線。 本線終端部! 自専道だった時代

            【山さ行がねが】隧道レポート 草木トンネル (旧三遠南信自動車道)
          • 【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道288号/廃線レポート 飯田線旧線(中部天竜~大嵐間)

            2009/1/24 15:45 初めてこの場所に到達してから43分経ったいま、結局私は、この先500m区間の偵察をして戻ってきた形になる。 その際に、大切なリュックをその橋頭堡… つうか人質…に捧げて来た。 しかし、これからようやく本当の意味での前進再開。攻略再開を果たすことが出来るのだ。 その安心感は生半可ではなく、強いストレスからの解放によって、私は一時的に興奮状態になった。 目の前の命さえ脅かされる崩落現場に、二度と踏み込まなくても良い。 そんな安堵も大きかった。 チャリを小脇にして、いま上ってきたばかりの斜面を下る。 しかし、爪先の踏ん張りだけで直立のまま下っていけるほど、なまっちょろい斜面ではない。 すべって転倒する前にチャリを下ろした。 そして、支えのない斜面に下ろされたチャリは、主無きまま数メートルを駆け下り、狙い通りの木立に衝突して転倒、停止した。 乱暴なようだが、ここでノ

              【山さ行がねが】道路レポート 静岡県道288号/廃線レポート 飯田線旧線(中部天竜~大嵐間)
            • 【山さ行がねが】ミニレポート 第134回 道路神社

              宮城県仙台市泉区上谷刈3丁目のマンションが立ち並ぶ一角に、地図にも載らない小さな神社がある。⇒【所在地】 だが、その神社の名は世界におそらく二つと無い(グーグル参考)、大いなる名である。 その名も、道路神社という。 これが、道路神社の神域の全貌だ。 境内には小ぶりな鳥居とイチョウの巨木、それに社務所というか倉庫のような木造の建屋(写真に写る建物)が一棟、後の方に古碑が幾つかある。 敷地は“くの字”型に道に囲まれた一角だが、取りたてて「道路」を祀るという立地には見えない。 全体的に見て、いたって平凡な小社である。 神社の前面はマンション群に囲まれている。 ここは表通りに面しておらず、また通りに看板なども無いために、地元の人でなければほとんどその存在を知らないだろう。 また、鳥居に扁額もないから、これが「道路神社」という名前であることを知るためには、注意深く境内を観察する必要がある。 鳥居の脚

              • 【山さ行がねが】ミニレポート

                2003.5撮影 福島県福島市 栗子山 道路レポートに掲載した一枚の写真。 この写真が、今なお未解明な部分を数多く残す、万世大路最後の謎の始まりであった。 現地は、海抜850mを越える、万世大路のハイライト栗子隧道福島側坑門直前。 棄てられて30年以上を経た廃道の脇、もはやそこへ近付く方法すら分からないような谷間に、明らかに橋台と分かる一対の石組みの構造物があった。 道路レポートで記したとおり、私はこれを、明治にはじめて万世大路が拓かれた当時の痕跡と考えた。 余りにも風化が進んでおり、非常に古い時代の物と思えたからだ。 しかしレポート公開直後、当サイト掲示板に別の可能性が提示された。 サイト『山形の廃道』の作者にして、廃道界の権威 fuku氏 によるその書き込みの、本稿に関する部分をそのまま以下に転載した。 それは、驚くべき内容であった。 さて、詳細不明の橋台ですが、人道橋と云うよりもしか

                • 【山さ行がねが】道路レポート 塔のへつりの廃道

                  2008/7/29 9:57 《現在地》 ここは福島県南会津郡下郷町の一角で、大川(阿賀川)の西側にいくつかの集落を束ねる白岩地区だ。 写っている赤い橋は「塔のへつり橋」。 「えっ? つり橋? これって吊り橋じゃないよね?」 いえいえ。 “塔のへつり”で一つの地名。 この辺りではかなり名前の知れた、岩と水の織りなす景勝地である。 橋が渡る大川の500mほど上流にそれはある。 ちなみにこの道自体は下郷町の町道だ。 で、右に下っていく細い路。 気になるすべ? 分岐に何の案内も無いところを見るに、この立派な橋の旧橋にでも繋がっていそうだ。 そう思ったので、歩きで見に行ってみることにした。 あれれ? こんなトコロに一軒家が。 道は、ちょっと無理やりなカーブを重ねながら、一気にその庭先へと下って行くではないか。 これは… 旧道とは関係ないのか? もう少し行ってみる。 一軒家への道を無理やり右に分かち

                  • 【山さ行がねが】隧道レポート 大多喜町の共栄隧道

                    皆さんは、こんなことをしたことはないだろうか。 ネット上で、一度見たら忘れられないような、奇抜な姿をした隧道を見る。 そしたら、敢えてその場所を積極的に調べようとせずに、 「何度か訪問している内にいつか見つかるだろう」 …と、放っておく。 基本的に、道に限らずあらゆる地物は時限付きなので、あまりこういう先送りの泰然主義は、オブローダーとしての成果主義とは相容れない。 しかし何となくそれでも良いかなと思えるような隧道が、いくつかある。 例えば房総半島のように全体が箱庭的であり、しかも自宅からは近く、繰り返し行くことになりそうな場所。 さらに廃道ではなく現役の道だったりして、そこそこ自力でも見つかりそうなものの場合。 それはサブイベント的な楽しみ。 「いつか出会えるかもしれない景色」として、頭の片隅においておく。 今回はそんな隧道のひとつで、しかもとびきり奇抜なヤツに、遭遇することが出来た。

                    • 【山さ行がねが】橋梁レポート 小鹿野町三山の廃吊橋

                      2010/2/25 16:16 秩父市から西北西の方向に荒川支流の赤平川をさかのぼり、志賀坂峠から群馬上野村へ、さらに信州へ続く国道299号。 その途上の小鹿野(おがの)町三山(さんやま)地区旧国道脇に、珍しい形をした廃吊橋がある。 今回はそれを紹介したい。 右の地図にカーソルオンで拡大する。 田ノ頭と久月の間の国道は、新旧道が赤平川を挟んで並行している。 途中、北岸の旧道から南岸の現道に向けて一本の橋が架けられているが、これが今回見つけた橋だ。 最新地形図に描かれてはいても、これが廃橋なのだった。 なお、探索を終えた現在でも、この橋の素性は不明のままである。 正式な名前さえも分からないので、地区名を取って「田ノ頭吊橋」と仮称することにする。 目の前を流れる川は赤平川。 奥は下流方向となる。 谷幅の割に水量が少ないのが目に付くが、その理由は分からない。 そして左岸の1車線の道路は旧国道で、

                      • 【山さ行がねが】ミニレポート第171回 青森県道274号陸奥関根停車場線

                        前回のミニレポ170回では、駅と共に廃止された停車場県道を岩手県からお伝えしたが、 今回紹介するのは、駅が廃止された後も存続している停車場県道である。 その名も、青森県道274号陸奥関根停車場線という。 東京からかなり遠い場所のため、訪れたことのある人はさほど多くないと思うから、まずはどこにあるのかを確認しよう。 青森県道274号陸奥関根停車場線は、下北交通大畑線陸奥関根駅と国道279号を連絡する全長0.3kmの短い県道で、昭和36年に認定されている。 そして、下北交通大畑線は平成13年4月1日に全線が廃止されており、当然陸奥関根駅もこの日に廃駅となっている。 下北交通大畑線は、JR大湊線下北駅(むつ市)と大畑駅(むつ市、旧大畑町)を結んでいた全長18kmの非電化ローカル線で、昭和60年に廃止された国鉄大畑線を下北交通が継承して運行していた。 この路線は当初、国鉄大間線として下北半島の突端

                        • 【山さ行がねが】廃線レポート 光明電気鉄道 阿蔵隧道と大谷隧道

                          昭和の初期に静岡県西部(遠州地方)の広大な農村地帯で、まるで綺羅星のような都会的高速電気鉄道を運行させた「光明(こうみょう)電気鉄道」は、その数奇で悲劇的な歴史で知られ、地元や鉄道ファンの間では今なお語り種になっている廃線である。 今回は、資料や読者からの情報提供を元に探索した、廃線跡に存在する2本の廃隧道を紹介したい。 まず、同電鉄の歴史を簡単に紹介しよう。 鉄道計画の発端は大正10年である。 東海道の宿場町であった見付(みつけ)は、明治22年に開業した東海道線の経路から外れたため衰微著しく、対策として東海道線中泉駅(現:磐田駅)と見付(磐田市)を結ぶ鉄道が計画された。 しかも計画はそれだけに止まらず、さらに北上して北遠地方の中心都市であった二俣(ふたまた)を経由して、天竜川水運の要衝地 光明(こうみょう)村船明(ふなぎら)へと至る二十数キロの路線を、当時都会でも出始めたばかりの電気鉄道

                          • 【山さ行がねが】ミニレポート第203回 国道20号旧道 高尾山IC内

                            いきなり見て頂いた3枚の地形図は、東京都八王子市内の高尾山付近である。 【位置図(マピオン)】 ここは案内川の谷沿いに明治以来の甲州街道が通じ、現在は国道20号となっている。通ったことのある読者も多いことだろう。 道の際に迫る深い緑に関東平野からの脱出を意識し、来る都県境大垂水峠へ意識を向ける、そんな印象深い谷間の道に、平成24年3月、鮮烈なインパクトを持った新しい場面が加わった。 長い工事の末に出現した圏央道(首都圏中央連絡道路・国道468号)高尾山ICである。 今回のレポートは、この高尾山ICの敷地内に残る、国道20号の旧道についてである。 上の3枚の新旧地形図を見較べると分かるが、現在の高尾山ICがある場所には、込縄という小さな集落があったのである。 さらに昔に遡ると、国道が通っていた場所も少し変わっており、大正12年の地形図では、国道は案内川の右岸を通っていたようである。 これら

                            • 【山さ行がねが】道路レポート 国道113号東港線バイパス 第1回

                              たまには当サイトもそこそこメジャーな案件を取り上げたい。 ジャンルとしては、未成道。 このジャンルが好きな人なら一度は見聞きしたことがありそうな物件だが、紹介したい。 新潟市。 人口80万人を数える本州日本海側唯一の政令指定都市であり、国内有数の港湾都市だ。 この街のど真ん中に、市民から“ジャンプ台”と呼ばれ親しまれている高架道路が存在する。 ジャンプ台なんて使ったら大切な車が大変なことになってしまいそうだが、これがどのような状況の道を比喩した表現であるかは、未成道ファンでなくても察せられるであろう。長らく未成の尻切れトンボ状態である高架道路が、ここにあるのだ。 浅からぬ歴史を持つ、この未成の高架道路は、国道113号の一部である。 国道113号は道路法上の路線名だが、これとは別に都市計画法に則って新潟市が指定する都市計画道の路線名として、東港(とうこう)線の一部も構成しており、中でも高架道

                              • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                2004年最大の林鉄系発見「定義林鉄 巨大木橋」の5kmほ下流には、古くから「定義さん」と呼ばれ親しまれてきた古刹「定義如来」がある。 この定義如来を起点として仙台市中西部に至る主要地方道が、主要地方道定義仙台線だ。 大都市近郊でありながら、その沿道には大倉川が流れ、大倉ダムがあり、山深い道という印象がある。 そして、いつの頃かは定かではないものの、起点付近の道筋はもともと大倉川右岸にあったものが、左岸へと大規模に付け替えられている。 この付け替えによって生じた旧道区間はおおよそ6km。 うち、最上流部の1kmが、現在は廃道となっている。 ご覧頂こう。 まずはオードブル。 県道の起点からさらに上流へと市道が続いている。 この市道の十里平と定義の中間付近、大倉川を渡る橋があるが、この橋の辺りから川原に降りる事が出来る。 そこから下流を見るとびっくり、 こんな場所によくぞ川が通ったもんだ。 特

                                • 【山さ行がねが】ミニレポート第235回 掛川市上張の手掘り隧道(仮)

                                  【周辺地図(マピオン)】 静岡県中西部の位置する掛川市は、東海道の掛川宿および掛川藩の城下町として発展した、長い歴史を持つ地方都市である。 牧ノ原台地の西部を占め、この地方の特産品である茶葉の生産が盛んであるほか、交通の便に恵まれた立地を活かした工業都市としても発展が著しい。2018年現在の人口は約11.5万人である。 オブローダー的な視点から見た掛川市は、東海地方における代表的な“隧道王国”の観を呈している。 低い稜線と谷戸が複雑に入り組んだ丘陵地形で、古くから農業が盛んで高位な土地利用がなされてきたという、典型的な隧道多産地の特徴を持っている。 以前紹介した岩谷隧道も、掛川市にある特徴的な素掘隧道であったが、より知名度が高いのは、土木学会が選定する『日本の近代土木遺産(改訂版)―現存する重要な土木構造物2800選』に、「青田隧道他、旧県道の煉瓦トンネル群」として登録されている、明治中

                                  • 【山さ行がねが】道路レポート 東京都道236号青ヶ島循環線 青宝トンネル旧道

                                    私が青ヶ島で過ごしたたった1日の最初と最後を共にしたのが、島の玄関口として不動の地位にある青宝トンネルの旧道であったことは、偶然ではなかったが、出来すぎているとも思う。 そして、一周約9km、わずか約6km2の島中のたかだか1.3kmに過ぎない道で、ここまで多くの文字数を費やして語りたくなるほどの“探索”があろうとは、「青ヶ島は凄い」と聞いていた私の想像をも越えていた。 本稿は、今回探索した旧道“残所越(のこじょごえ)”の歴史解説編を主とするが、同時に青ヶ島全体の道路整備の歴史についても概観を述べたい。 そうしないことには、小さな島内において代替路があまり存在しない道の存在意義を上手く説明することができないためである。 また、島内の陸上交通は島外との海上交通と不可分の問題であり、すなわち港や航路や新造船の整備とも深く関わる問題であるばかりでなく、島民の生活のほぼ全方位にも関わる事柄であるが

                                    • 【山さ行がねが】ミニレポート第170回 旧岩手県道 大荒沢停車場線 (机上レポ)

                                      昭和34年3月31日、岩手県告示第280号によって、岩手県内の一般県道、158路線が告示された。 昭和29年に先だって認定を受けていた主要地方道20路線と合わせて、現行道路法下(昭和27年制定)における岩手県道網は、この合計178路線でスタートしたのである。 そしてこの一般県道の整理番号92番(これが現在で言うところの「路線番号」と呼べるかは不明)に、大荒沢停車場線という路線が記載されているのだが、現在この路線名を持つ県道は存在せず、それどころか大荒沢停車場自体、いくら地図を探しても見つけることが出来なくなっている。 92 一般県道 大荒沢停車場線 起点、大荒沢停車場 終点、二級国道大船渡本荘線交点(湯田村) この大荒沢停車場、つまり大荒沢駅とは、国鉄北上線の駅であった。 しかし、昭和37年に北上線の路線が付け替えられた際、大荒沢駅は信号所に格下げ(その後廃止)されている。 おそらくこの前

                                      • 【山さ行がねが】道路レポート 神奈川県道515号 三井相模湖線

                                        物音を出来るだけたてないように注意しながら、玄関の扉を閉める。 砂利敷きの駐車場に置かれた、我が愛車ルーキー号。 狭く短い坂を下ると、そこは北野街道と名の付いた県道だ。 ここでは、分からないことだらけだ。まだ。 何故この辺りの住人は、県道や国道に「街道」の名を付けたがるのだろう。 お陰で、青看板と道路地図帳での探索では、たびたび戸惑いを覚える。 件の北野街道を西に向かう。 時刻は午前6時より前だが、道路端に敷かれた複線の線路には、既に幾度も列車が駆けていた。 しかも、その編成はどれも長い。始発はいつなんだろう。 6時をまわる頃、有料道路になっている高架のバイパス道路と交差した。 巨大な高架の上からは、獅子の咆哮にも似た騒音が絶え間なく聞こえてくる。 ここまで、行く先々、ひとときも車通りは途絶えていない。 街は日のあがる前に、もう目覚めの時を迎えているのだった。 さらに西へと進んでいく。 や

                                        • 【山さ行がねが】道路レポート 国道135号旧道 トモロ岬

                                          一般国道135号は、伊豆半島の東岸を南北に縦貫する、観光及び物流の両面で代替路の無い極めて重要な路線である。 実際に通行してみると、確かに、ほぼ全線2車線しかない路幅の中を溢れんばかりに、様々な車が通っているのが分かる。 大型トラックから観光バス、オープンカーやバイク、自転車に至るまで、季節にもよるが、ありとあらゆる車を見ることが出来た。 そしてこの道は、伊豆半島という希代の観光地に全線の立地を置いたため、随所に有料バイパスとの分岐や合流がある。 その中には既に無料開放化されて久しい物も少なくないが、今でも、地方からの観光客やサンデードライバーの多くが、何気なく有料バイパスへ連れて行かれている。小田原から熱海の間はとくに、図らずも二度ばかり有料バイパスへ連れて行かれることになる。 今回紹介する旧道もまた、有料バイパスとの関わりの中で生きた道だった。そして、ある激甚な災害によって死んでいった

                                          • 【山さ行がねが】道路レポート 国道256号 飯田市上村の地形図に描かれていない区間

                                            2011/4/21 14:03 《現在地》 上村市営住宅の裏手にある「マムシの大岩」(←酷い略称だと思うがお許しを)の前で、車が通れる「国道」はいとも呆気なく終わりを迎えた。 自転車も、ここまでだ。 第二第三の「大岩」が転げ落ちてくることを阻止すべく、山の縁には真新しい土留め擁壁が施工されており、一見すると国道どころかいかなる道も続いていなさそうだったが、見えざる道を見る者であるオブローダーの本領発揮とばかりに付近を詮索した結果、写真の位置を「道」と判断した。 「マムシの大岩」の裏から東へ伸びる、高い擁壁と低い擁壁に挟まれた、細い上り坂のような敷地である。 周囲を「長野県」の用地杭が囲んでおり、「国道だから」だといいたいところだが、県が施工した「急傾斜地崩壊対策工事」の関係かもしれない。 いずれにしても民家の敷地ではないようだから、大手を振って歩いても…、良いのかな…? 擁壁と擁壁の隙間を

                                            • 【山さ行がねが】ミニレポート第246回 東由利 蔵の洞門 現地調査編

                                              洞門トンネルの開通 (東由利町・明治時代) 道の両側に並ぶ人びとの服装は和服あり、洋服あり、笠をかぶったり帽子をかぶったりと和洋折衷。明治中期から末期ごろの撮影と思われる。 この手の写真集には必ず1枚は入っている、トンネル開通の良き日を撮影した写真だ。 「ああ、あのトンネルの生まれた時の姿なんだな」と合点するのが、だいたいのパターンである。 だが、私はこのトンネルに、全く見覚えがなかった。 こんなトンネル、東由利町のどこにあったんだ?! なお、土地鑑のない方に説明すると、由利郡東由利町は、秋田県の南部、出羽丘陵地帯の真っ只中に存在した山あいの町だ。 平成17(2005)年に広域合併し、由利本荘市の一部となったためにもう存在しないが、永く秋田に住んだ私にとっては既知の土地であり、この写真のトンネルを見知っていないことは、それだけで大きな衝撃を受ける出来事だった。 そもそも、秋田県はさほど“明

                                              • 【山さ行がねが】隧道レポート 大多喜町の共栄隧道

                                                2011/2/9 9:33 目の前の景色に一瞬我が目を疑ったが、 すぐに、こんな“名(迷)所”が千葉にはあったということを思い出す。 いつか教えて貰った“アレ”は、ここだったんだと。 そういうことならば、さっそく探索を開始しよう! 先ずは…、 一歩前へ。 これがどういう状況か、お分かりだろうか。 いま私の前に口を開けているトンネルは、この坑門の奥にあるものだ。 だから、照明がついていることからもお分かりの通り、廃隧道ではない。 それをなぜか、こうして今見下ろしている。 この“坑門”からは、一歩も洞内に入ることは許されない。 無理に入ることは出来るかも知れないが、それは4mほど下のアスファルトに転落することに他ならない。 そういう意味でこの坑門は、普通の廃隧道の坑門以上に無能な存在である。 実際、縁には緩く土嚢が積まれているだけであり、 こうして突端に立つことは、全くオススメできない。 旧坑

                                                • 【山さ行がねが】道路レポート 金沢区朝比奈の“脅迫的な”市道

                                                  2009/9/28 11:14 《現在地》 爽やかな果樹畑を脇目に見てから1分後、道は再び急峻な地形に挑み始めた。 そして、それと同時に現れたのが、ガードレールだった。 しかも普通の見慣れたガードレールではなく、板も柱も普通のヤツより一回り小さいサイズだ。 支柱は白く、板は茶色だが、これも当初からそうだったのではなく、茶色は白い塗装が錆びて剥がれた色である。 私がこの規格のガードレールを見るのは、初めてではない。 しかし、滅多に見るものでないのは確かだ。 現在も生産されているのだろうか? これが新たに設置されているのを見た憶えが全く無いが、実は前時代の遺物なのではなかろうか。 そもそも、ガードレールというのは防護壁の一種の製品名であり、その目的は通行人や車が路外に逸走する事を防ぐ事にある。 そして、ガードレールの強度は道路構造令で定められており、JIS規格もある。 この場所のガードレールが

                                                  • 【山さ行がねが】道路レポート 神奈川県道515号 三井相模湖線

                                                    このレポートで紹介する道は、神奈川県が指定する県道路線のひとつ、三井相模湖線である。 路線番号は515番が充てられている。神奈川県では、「500番台は県央北部の路線に充てる」などという風な独自の県道命名規則を設けているため、県土が狭い割りに700番台までの県道があったりする。 昔、小学生6年まで横浜市に住んでいたが、当時は全然県道の路線番号なんて気に留めたこともなかった。 この三井相模湖線が結んでいるのは、相模原市三井(みい)と同 千木良(ちぎら)の間の約7kmである。 ほぼ全線が人造湖である津久井湖の北岸の険しい山腹にあり、途中、名手から赤馬(あこうま)までの2km区間が通年通行止めとなっている。 今回の計画は単純なもので、現在地である城山町城山にて県道513号鳥屋川尻線へ入ることからスタートする。 この県道はターゲットの515号と相通じて津久井湖北岸の湖畔路線を形成しており、私は『城山

                                                    • 【山さ行がねが】橋梁レポート 山形県道375号 十里塚遊佐線

                                                      このタイトルなのに「橋梁レポート」? 何かの間違いじゃないの?? そう思われるかも知れない。 だが、この県道の近くには、是非とも紹介したい橋が2つある。 この県道、一般県道375号十里塚遊佐線は、右の地図の通りの短い路線である。 遊佐町の役場所在地である遊佐と、海岸沿いの十里塚とを結ぶ、わずか5km足らずの道だ。 だが、この道は2つの顔を持ち合わせている。 一つは西の海岸線近く、砂丘の防砂林を越える小さな峠区間。 残る東側は広大な田園風景である。 僅かばかり、遊佐の街並みの景色もある。 そして、私が紹介したい橋は、ちょうど路線の中程の江地(えち・えぢ)地区にある。 レポートは、終点である遊佐より始まる。 時は夕暮れ。 ご覧頂こう。 霊峰鳥海の南の一角を占める遊佐(ゆざ)町。 平成の大合併でも、巨大化した酒田市に呑み込まれることを回避し、観光に根ざした独自の町作りが模索されている。 鳥海山の

                                                      • 【山さ行がねが】隧道レポート 国道49号 本尊岩隧道

                                                        国道49号は太平洋岸のいわき市と日本海沿岸の新潟市とを結ぶ全長250km近い国道である。 都会化の進む起終点の両市をはじめ、その沿線にも福島県の中心的都市である郡山市や、会津地方の中心地会津若松市などを擁し、並行して磐越自動車道が通うなど、南東北を代表する列島横断国道と言えるだろう。 だが、この道が一応の近代的な交通路としての面目を得たのは比較的近年であり、昭和39年の一級国道昇格を機に各地で一時改良工事が進められてからのことである。 それ以前は二級国道115号平新潟線と呼ばれており、明治15年頃に二代福島県令三島通庸が拓いた「会津三方道路」(会津若松から栃木、山形、新潟へとそれぞれ繋がる新道整備や道路改良)の名残を残す、殆どが砂利道以下という難路であった。 そのなかでも最大の難所だったのが、昭和39年に現在の隧道が掘られるまで、三島時代の隧道をそのまま使っていた本尊岩(ほんぞんいわ)であ

                                                        • 【山さ行がねが】隧道レポート 旧 佐島隧道

                                                          東京へ越してきた私が、最初に集中的探索を実施した場所が三浦半島だった。 ここには、明治以降に掘られた大量の隧道が存在し、その多くが改良を受け現役で活躍している。 私にとって、たくさんの古い隧道と戯れられる場所というのは、大変魅力的だった。 三浦半島は最南端の三浦市城ヶ島から北端とされる横浜市金沢区円海山まで約25キロ、平均幅が5キロほどの丘陵性の半島であるが、東京湾を挟んで対岸に位置する房総半島があまりに肉厚で巨大なせいで、小縮尺の地図上ではそれほど目立った存在ではない。だが、幕末に黒船に乗ったペリーが上陸したのは半島内の久里浜港だし、鎖国が解かれて開港したのはその隣の浦賀港だった。また、横須賀港は明治以降、日本海軍最大の拠点港として発展した。どちらかというと軍事寄りの歴史が多いけれど、歴史がたっぷり詰まったという意味での土地の濃密さは凄い。そして、おそらく日本で最も人口密度の高い半島では

                                                          • 【山さ行がねが】道路レポート 寸又峡の旧遊歩道

                                                            飛 龍 橋。 全長72m、高さ69m。上路スパンドレルブレーストアーチ。 奥黒法師から流れ出る大間川の深谷を跨ぐ、現役の道路橋で、架設された昭和32年当時はここを千頭森林鉄道が通っていたが、同44年に車道橋へと改築された経緯を持つ。これは土木学会により権威ある「歴史的鋼橋」にも認定された名橋であり、寸又峡を代表する観光名所ともなっている。 しかし、この橋は今回の主役ではない。 夢の吊橋。 全長90m、高さ8m。吊り橋。 この橋は飛龍橋の500mほど下流、寸又川との合流地点にある「大間堰堤(ダム)」に架かる、人道用の吊り橋で、これまた寸又峡の代表的観光名所である。 もちろん、今回の主役ではない。

                                                            • 【山さ行がねが】ミニレポート 第120回 福島県道391号広野小高線

                                                              総延長55kmという、3桁県道としては異例の長さを誇る県道391号。 南相馬市小高区の終点から広野町の起点へ向けて走り続ける私も、いよいよ3番目の行政区分に入る。 一帯の郡名と同じ名前を冠する、双葉町だ。 【大きめの地図を別窓で開く】 今回紹介するのは、県道391号の双葉町にかかる区間の全てである。 海岸に面する3つの大字を縦貫するのであるが、これまでの激しい迂回や右往左往の様相に較べればシンプル。 細かい屈曲こそあるが、全体としてはほぼ直線的に走っている。 まして、北側半分については数年前に待望のバイパスが開通しており、もはや「蛇の道」は過去のものとなっている。 町内延長は、4.7km(バイパス経由は4.5km)ほどだ。 そして、地図の南端部分に怪しい存在感を醸し出しているのは、東京電力福島第一原子力発電所である。 ここまで何度かその存在を匂わせるものを見てきたが、ついに現れる。 双葉町

                                                                【山さ行がねが】ミニレポート 第120回 福島県道391号広野小高線
                                                              • 【山さ行がねが】道路レポート 国道127号 旧道及び隧道群 明鐘岬編

                                                                2007/3/6 11:58 《現在地》 なんじゃこりゃ! いろいろな隧道を見てきた私も、流石にこれにはぶっ飛んだ! これほどの異形の隧道。 流石に今まで人知れず存在していたわけではなく、「知る人ぞ知る」の状態で長らくあったわけだが、私にとっては全くの初見。 地形図一枚の他は、何一つ事前に情報収集を(敢えて)しなかったということが、ここで活きた。 その存在をあてにして来ていたのでは、これほどの驚きは無かったはずだ。 しかしこの異常としか言いようのない断面は、何故に生じたものなのだろう。 富津市史にこの異形の隧道に関する情報はなく、実際のところ、どれだけの高さがあるのかさえ不明。 だが、チャリと比較してみても、10m以上あることは間違いない。マンションの3階くらいだろうか。 並行する現在の城山隧道の竣工年や、古い地形図を見る限り、昭和18年まではこの道が房総半島を縦貫する幹線道路であった。

                                                                • 【山さ行がねが】道路レポート 林道鹿曲川線

                                                                  【周辺図(マピオン)】 今回探索した林道鹿曲川線は、長野県の東信地方南部、八ヶ岳連峰の北端をなす蓼科(たてしな)山の北側山中にある、全長約10kmの民有林林道である。 路線名通り、千曲川支流の鹿曲(かくま)川に沿う渓谷の道で、全線が佐久市(旧望月町)に属す。 中山道の古い宿町で旧町の役場所在地だった望月から、長野県道151号湯沢望月線を終点の春日温泉まで約8.5km、そこから市道約2.5kmを介して本林道がスタートし、約10kmを上りきった先に「仙境都市」なる妙に格好いい地名が、手元のスーパーマップルデジタル(ver.16)には書かれているのである。 右の図は最新の地理院地図から本林道の南側半分、「仙境都市」の周辺を切り出したものである。 なぜか地理院地図には仙境都市という名は出ておらず、同じ辺りに「富貴の平」の地名があるが、本編では呼称を「仙境都市」に統一して進める。 仙境“都市”と言

                                                                  • 【山さ行がねが】道路レポート 中央自動車道 旧道

                                                                    今回紹介するのは、数多くの道を紹介していた「山行が」でも初めてのジャンルである。 それは、高速道路の廃道である。 そんなものがあるのかと思われるだろうが、確かに高速道路で廃道になった路線はない。 昭和38年の名神高速道路栗東IC~尼崎IC開通以来、日本の高速道路45年の歴史の中で、一度開通した高速道路は今日まで継続的に利用されてきた。(ただし一例のみ、北陸道において一般道路に格下げとなった区間が存在する) 今回採り上げる“高速道路の廃道”とは、線形改良によって生じた部分的廃道である。 一般道路においては線形改良による路線の更新は頻繁で、全国にそれこそ無数に存在しているわけだが、ことさら大がかりな工事と、それ故十分な事前調査を行って産み出される高速道路においては、そういったケースでさえ稀で、私がネット上で調べた限り全国でもわずか2例しかない。 そのうちの一例が、中央自動車道の上野原IC~大月

                                                                    • 【山さ行がねが】隧道レポート 国道140号 駒ヶ滝隧道

                                                                      なにやら秩父の山奥には、現役の国道でありながら一風も二風も変わったトンネルがあるらしい。 以前、当サイトで大々的に読者様から情報を募った際にも、そのトンネルの情報は複数の方から寄せられた。 いずれも関東近郊の方からの情報で、「関東に来たならぜひ」とか、「こちらの名物です。ぜひ見てくれ!」というような熱い内容だったと記憶している。 そして今回私は、初めて自転車でこのトンネルを通った。 その結果、現役のトンネルとしては特別に強烈なインパクトを有するものであると、そう認識するに至った。 故に、ここ1年間ではたった1例しか前例のない、現役でありながら隧道レポに登場という(きっと名誉でもなんでもない)快挙となったのである。 前置きはこのくらいにして、早速レポを始めよう。 いきなり隧道というのではそのインパクトを伝えきれないので、少し手前から始めたい。 2007/9/3 6:24 【埼玉県秩父市大滝 

                                                                      • 【山さ行がねが】ミニレポート第224回 熱海の野中山トンネル

                                                                        先日、地理院地図を眺めているときに、面白いトンネルを見つけた。 あなたにも、見つけてもらいたい。 ↓↓↓ ↓↓↓ ここ、どうなってるの?! ごくごく短いトンネルが、180度のカーブを描いているように見える。 この奇妙なトンネルの道は、行き止まりのようだが、とても気になる。 実際にどんな景色が現地にはあるのか、見に行ってみよう。 場所は、日本有数の温泉歓楽街である、熱海(あたみ)だ。 2016/2/21 13:29 【現在地(マピオン)】 ここは、静岡県熱海市のJR熱海駅前。 東海道本線と東海道新幹線そして伊東線が停車するこの賑わいの駅を、観光やビジネスなどで訪れた経験を持つ人は大勢いることだろう。 しかし私はこの日この場所へ鉄道を使わずやってきた。 遙か昔に失われた豆相人車鉄道の跡を、人車鉄道並みの速度しか出ない自転車で追い掛けながら、辿り着いたのだ。 もっとも、ここに辿り着く直前に、人

                                                                        • 【山さ行がねが】道路レポート/廃線レポート 草木湖水没交通遺構群

                                                                          平成24年の夏は猛暑であったが、加えて東日本ではまとまった雨が少なく、必然的に各地のダム湖は渇水に見舞われた。 そのため、いくつかのダムは貯水率が一桁にまで低下する異常事態となったが、そこまで行かなくても、ダム湖の水位が普段より下がっている状態というのは、オブローダーにとって発見の良い機会である。 普段は湖面の下にあって見る事が出来ない様々な水没した地物が、地上に現れることになるからだ。 今回私が訪れたのは、群馬県の渡良瀬川にある草木(くさき)湖で、水資源機構が昭和51年に完成させた草木ダムが生んだ、比較的に規模の大きな人造湖である。 前日の時点でモニタされた草木ダムの貯水率は30%を切っており、私は渇水の湖底に現れているかもしれない “ある” ものを探すべく、朝一番で訪問したのだった。 私が探しているものは、以下のふたつ。 国道122号の旧道。 国鉄足尾線の旧線。 特に国鉄足尾線には、岩

                                                                          • 【山さ行がねが】廃線レポート 千頭森林鉄道 逆河内支線

                                                                            ※このレポートは、「廃線レポート 千頭森林鉄道 千頭堰堤~大樽沢」の続きになります。 ※千頭森林鉄道全体については、【こちら】にまとめています(執筆途中)。 逆河内 読みは、サカサコウチ なんでこんな名前なんだ? どうしても「真っ逆さま」というという言葉を連想してしまって、良い印象がないんだが。 それにここは、一部で有名な“あの橋”のある谷だろ…。 ともかく、この逆河内は寸又川最大の支流であり、河内には谷という意味があるせいで、地図でも「~川」とか「~沢」は付いていない。そのまま逆河内という。 そしてこの逆河内に沿って、千頭森林鉄道の支線が存在した。そのまま、逆河内支線である。 本線との分岐地点は大樽沢(おおたるさわ)だが、ここからして既に最奥集落の大間(寸又峡温泉)から軌道跡を14.1kmもさかのぼった地点である。この探索の模様は、「廃線レポート千頭森鉄 千頭堰堤~大樽沢」をご覧頂きたい

                                                                            • 【山さ行がねが】隧道レポート 栗原鉄道 赤坂山隧道

                                                                              このレポートの内容は不完全なものであることが判明しました。 赤坂山隧道の尾松側坑口は、他に存在するとのこと。 読者の皆様におかれましては、その点をご了承下さい。 「再調査計画中」 またひとつ、レールが消えようとしている。 2007年3月いっぱいで全線のバス転換が予定されている、くりはら田園鉄道線。 通称「くりでん」がそれである。 くりでん。 大正10年「栗原軌道の部分開通」から今日までの80年近い歴史は、まさに波瀾万丈。 僅か26km余りのミニ鉄道でありながら、おおよそ一つの鉄道が経験できる全てのイベントを経験していると言っても過言ではない。 以下に、この鉄道の体験した経歴のうち代表的なものを記す。 まず全線(26.2km)が開通したのは昭和17年。当時は「栗原鉄道」に改称されていた。 昭和27年、電化。 開業当初は軌間762mmであったものを、昭和30年に現在の1076mmへ改軌。 この

                                                                              • 【山さ行がねが】道路レポート 国道158号旧道 猿なぎ洞門

                                                                                平成3年10月18日、 国道の現役の洞門が巨大な土砂崩れに呑み込まれ、あっという間に破壊されるという事故が発生した。 しかも、その模様は偶然にも、対岸の集落に住む安曇村役場職員によってビデオ撮影がされていた。 真新しいコンクリートの洞門が、落雷のような轟音とともにひしゃげ、無惨に崩れ落ちて行くショッキングな映像は、当日夕方のニュース映像にも使われており、ご記憶にある方もおいでだろう。 私もおぼろげながら見た記憶がある。 現在もこの映像は土木の世界において各種の解析に用いられているという。 これは、長野県松本市と福井県福井市を結ぶ国道158号上で、関東方面から上高地へと向かう玄関口の安曇村島々地区、「猿なぎ洞門」での出来事だった。 一歩間違えれば、昭和46年に静岡県の国道150号で発生した石部洞門崩落事故や、平成8年に北海道の国道229号豊浜トンネルでの崩落事故のような大惨事になっていただろ

                                                                                • 【山さ行がねが】道路レポート 国道16号 八王子バイパスの未供用ランプの謎

                                                                                  八王子バイパスの中谷戸~片倉間に存在する未供用のランプウェイに関して、本編(前後編)で提示した謎は以下の5つである。 八王子バイパスは、計画当初からハーフインターを多用する設計だったのだろうか? なぜ、使われていないのか。 使わないのならば、なぜ建設されたのか。 名前は、予定されていたのだろうか。 今後、活用される可能性はあるのだろうか。 また、特に謎解きの「手掛り」として示したものが2つあった。 北野台地区での片倉ICの案内が不親切で、故意にそうしている様に感じられる。 北野台地区には八王子バイパス建設当初に設置された、大気汚染と騒音のモニター装置がある。 謎の答えを探すべく、私はまず、八王子バイパス建設計画の始まりを探ってみることにした。 前編にも述べた通り、八王子バイパス(全長10.5km)には無料の区間と有料区間があり、先に無料区間(6.0km)が開通し、後から有料区間(4.5km