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山さ行がねがの検索結果281 - 320 件 / 468件

  • 隧道レポート

    今回紹介する区間で、県内に残る奥羽本線の廃トンネルは打ち止めだ。 奥羽本線二ツ井~前山間は、全国的にも有名になった恋文コンテストの舞台きみまち坂を通過する区間だ。 白神山地の南端が米代の流れを湾曲し、深い淵に切り立った岩肌が洗われる。 崖沿いに開削された狭い国道7号線と、寄り添って走る単線の線路。 ゆったりと流れる米代と、その畔に連なる車の群れ。 その眺めは、もうない。 国道は昭和54年バイパス化、かつての国道は県道に降格となった。 そして、奥羽本線の鉄路は、さらに遡ること8年、昭和46年には長大なトンネルを供する現線に切り替えられている。 発生した旧線は、総延長3.9km、4本の隧道を有する、長大なものだった。 当レポートはその痕跡を辿りつつ、二ツ井から前山方向へと進行する。 2003年4月10日、午前8時30分。 この日は、奥羽本線の廃隧道を一挙に攻略する目的で、能代市富根で輪行を解い

    • 【山さ行がねが】道路レポート 新潟県一般県道178号 山ノ相川下条(停)線

      ちょっと肩に力が入ったレポが多かったと思うので、ここいらで“昔くせー”レポを一発。 おもわず、チャリ馬鹿トリオ愛唱歌である『マイナーマンのテーマ』が脳内リフレインするほどにマイナーな、新潟県内のある県道不通区間の探索である。 道は、新潟県一般県道の178号、路線名「山ノ相川下条停車場線」である。 「そんな道しらねーよ」という声がいまにも聞こえてきそうである。 …あ、マジ聞こえてきた。家の猫が言ったよ、いま。 この道、今時「山ノ相川下条」ってググってもたった2頁しかヒットしないほど、マイナーであり、知られていない。 無論、私も知らなかったし、そう力んで近付いていったわけでもなかった。 ただ、なんとなくね。不通みたいに地図で描かれていたんで、チャリ旅の途中に寄ったわけよ。 で、この道についてレポる前に、何だか妙にカラフルチックな上のMAPを見て欲しい。 カラフルなのは、狭い範囲に県道や国道がひ

      • 【山さ行がねが】隧道レポート 北寺家隧道(仮)改め 市場隧道 前編

        【周辺地図(マピオン)】 2009/4/27 10:45 つい先日、4泊5日で岐阜富山方面の探索に行ってきた。 目的は神岡軌道の再訪と追加調査および、北陸有数の電源地帯である庄川沿いにある国道156号の旧道探索などであったのだが、富山市付近に行ったのならば当然体験せねばなるまいというくらいの、有名な「道路スポット」がある。 それは、廃道ではなく現役の道路、しかも県道、さらに一個格上の主要地方道なのだが、乗用車がようやく通れるくらいの極狭隧道が3本もあるという。 これまでも、たくさんの読者様からその調査依頼を頂いていた。 右の地図にもその一部が写っている。 「富山県道67号大沢野宇奈月線」なのであるが、実は今回その序でに見てきた隧道が思いのほか印象的だったので、マイナーを承知で紹介したいと思う。 個人的には、知られたる大ネタより知られざる小ネタを愛する質なので、県道の方を期待してくださる方に

        • 小ネタ集

          2002.9撮影 秋田県山本郡二ツ井町 二ツ井町の中心街から、米代川にそって南下すると、まもなく一本の長い橋が現れる。 これは銀杏橋といい、かつて秋田杉の一大集散地であった仁鮒に渡る。 この橋の上からは、きみまち坂から七座山にかけての、一幅の水墨画のように雄大な山河が眺められる。 そして、この橋の下流1km程の地点には、現在の橋が竣工する以前に使われていた旧橋の遺構がある。 私は当初、これから紹介する旧橋の名も「銀杏橋」であったものと安直に考えていたが、実はまったく別の名であったという事を、相互リンク先サイト「YOHBUN」の作者であるYOHBUN様よりご指摘いただいた。 これを受け、本文の一部を訂正している。 その旧橋の名は、響橋といったそうだ。 すぐ上流には、現在では旧道だが、当時は国道7号線の琴音橋が架かっていて、これらの命名の妙には唸らされる。 響橋のあった場所は、今でも県道が通っ

          • 隧道探険隊

            この写真。 なにやら、時代錯誤な景色であるが、紛れも無く、先日の景色である。 一応、今回の主役は、明らかに古臭いこの橋なのだが、奥に写る巨大な工場。 この迫力には、かなりマイッタ。 一目見た瞬間に、もう、私は骨抜きにされてしまった。 一目ぼれというやつである。 奥に写る沢山の建物は全て同じ敷地無いにあるものなのだが、一際目立つ正面の工場は、一見して廃墟かと思った。 その全体が赤錆に覆われ、その屋根の上の一部は草地と化してさえあった。 さすがに、これで現役とは思えない。 そう思ったのだが、周辺の工場は、稼動しているようであり、これでも現役なのかもしれない。 手持ちの地図には何の施設も描かれていない一角に、この工場群を含め、国道を挟んで反対側にも、同規模の巨大な工場があった。 こんな内陸の、山間の地に、なぜこれほどの巨大工業地帯が形成されているのか、甚だ疑問である。 ともかく長い歴史を持つ工場

            • 隧道レポート

              お馴染み「山形の廃道サイト御提供:全国隧道リスト」に「昭和9年竣工」と示されている古隧道の一つであるが、現道からはちょっと分かりづらい場所にあった。 私も、ここにあると知っていて辿り着いた訳ではなかったので、発見時の興奮はかなりものであった。 しかし、まずは発見するのが大変だった。 そして、その後もまた…。 ご覧頂こう。 国道112号線は、昭和28年に山形県山形市と同県鶴岡市とを繋ぐ路線として指定された。 途中には霊峰:月山があり、険難な六十里越街道の路を元にしている。 昭和41年の月山道路開通で難所は解消されたが、その旧道は随所に残った。 この月山道路の一方の端である朝日村上名川に、今回紹介する隧道はある。 名川隧道は旧道にだけ存在し、これに対応する現道の隧道はない。 写真は、下名川で梵字川を渡る現道と、旧道。 これから進む上名川方向を背にして撮影している。 橋の名は新旧共に「早田川橋」

              • ORJレポート 国道45号線旧道 槇木沢橋 前編

                現在の槇木沢橋の隣には、さらに高くさらに長いうり二つの橋、新槇木沢橋(仮称)が現在急ピッチに建設されている。 三陸地方の大動脈、国道45号線。 仙台市青葉区を起点に青森市までの525kmあまりの、山あり谷ありの長い長い道のりである。 しかし、現在でも十分に長いこの国道は、昭和40年代に一時改良を完了する以前には、さらに200km以上も長かった。 一時改良によるこの極端な距離の短縮は、三陸地方の名物であるリアス式海岸に突き出した幾つかの半島の基部にトンネルが掘られ、従前は半島の突端まで大きく迂回していた道が大幅に短縮された事が大きいのだが、この一時改良以前には、一級国道に指定されていながらも車が満足に通れない区間も存在していた。 それが、下閉伊郡田野畑村にある槇木沢橋一帯だ。 昭和40年の一時改良によって、高さ105m(当時日本一)の槇木沢橋が開通する以前、一度谷底まで降りて同名の木橋を渡り

                • 廃線レポート

                  遂に核心部への入り口を発見しながら、墜落の恐怖に敗れ退却した日より、ちょうど一ヵ月後。 再び私は、その橋の前に立っていた。 意を決し、橋へと踏み出す私。 鏡のような黒い湖面は、押し黙ったまま、私の挑戦を見つめている。 核心部への侵入が、開始された瞬間だった。 二人の同志との出会いが、森吉林鉄探索の歴史に、新たな一頁を刻む。 <作者注> 本レポートをご覧頂く前に、「道路レポ 森吉森林鉄道 邂逅編」及び「道路レポ 森吉森林鉄道 奥地編」をご一読いただいたほうが、お楽しみいただけると思います。 森吉町 阿仁前田 交差点 11月30日午前8時。森吉町阿仁前田。 ここに、森吉森林鉄道の完全攻略を目論む3人の男が会した。 一人は、パタリンさん。 幼き頃から山や沢に親しみ、オートモービル全般にも精通した彼は、今回の計画準備を中心的に担った、頼れる男。 彼の操るジムニーの助手席に、私はあった。 一人は、H

                  • 橋梁レポート 藤琴森林鉄道 高岩橋 遺構編

                    これまでも、山行がでは多くの林鉄遺構を紹介してきた。 特に私の住む秋田県内の遺構を重点的に紹介してきたわけだが、探索を続ける中で、今はもうすっかり失われてしまった物がとても多いことに、「跡もう10年早く生まれていたらなぁ~」などとため息をつくことが少なくない。 県内でも最も林鉄が密にあった旧二ツ井町荷上場にも、私にそんな悔し涙を流させた、かつて「日本一」を冠されていた物件がある。 それは、日本一長い、森林鉄道用の橋梁である。 その橋は、高岩橋という。 それは、二ツ井営林署が昭和5年までに完成させた、藤琴森林軌道に架かる橋で、藤琴川とその左岸の耕地をまとめて跨いでいた。 さて、この橋、現役当時何メートルあったと思うだろう? 答えは、724 m である。 驚いた人、感覚的に掴めない人、色々な反応があろう。 比較対象物として、例えば秋田県内に現在ある(川に架かる)橋の中で最も長い橋を挙げると、そ

                    • 【山さ行がねが】廃線レポート 万世大路工事用軌道

                      万世大路工事用軌道は、おそらく正式なこの路線の名前ではないだろう。 しかし、我々は机上・実踏のいずれの調査においても、正式と言える名前に出会えなかったので、この名前をレポートのタイトルとして、採用した。 実際には単に、「工事用軌道」「工事線」などと呼ばれていたようである。 万世大路は、歴史的に見ても東北地方では最も著明な道路遺構である。 それは、現在の国道13号線、福島米沢間を隔てる、栗子峠越えの路であった。 日本中でも数少ない、正式に「大路」を冠された道の名は、開道間もない明治14年に、ここを巡幸なされた明治天皇により賜ったものである。 以降、万世大路はその名に恥じぬ主要な街道として賑わいを見せたが、昭和に入り交通の主役は人の足から車へと替わりつつあった。 昭和8年頃から、万世大路を国道13号線の新しい峠道として改良する大工事が行われ、以後、昭和40年代に現在の東西栗子トンネルのバイパス

                      • 【山さ行がねが】ミニレポート 第105回 国道46号 水沢旧道

                        一般国道国道46号は秋田市と盛岡市を結ぶ、本州で最も北にある列島横断2桁国道である。 昭和38年に、それまでの2級国道105号から、一級国道46号に昇格し、この路線番号を得た。 46号といえばなんといっても県境の仙岩峠が第一であり、その存在が大きすぎるためか、全線約100kmの道中にあるその他の旧道にはあまり触れてこなかった。 今回は、秋田県大仙市協和境(さかい、旧協和町境)と仙北市角館(旧角館町)の間に残る旧国道を紹介しよう。 ここは意外に謎の多い旧区間である。 読者の皆様は、机上にて廃道を探すとき、どうしておられるだろう? 新旧の地図を見比べるというのは、やはり常套手段だと思う。 今回の旧道もまた、そのような地道な作業の中で発見されたものである。 発見する以前から現道の方は繰り返し通っていたのだが、地図で確認するまで旧道の存在を知らなかった。 いかにも旧道がありそうな場所というのはある

                        • 【山さ行がねが】ミニレポート 第109回 国道402号旧道 色見隧道

                          あなたは日本海夕日ラインをご存じだろうか。 日本海へ没する夕日の景観が美しいことから、新潟県内の日本海海岸沿いを通る複数の国道をまとめてこのように称したものである。 この名前を記載する地図帳もあるが、その総延長は実に337km。北は山形県と接する笹川流れ、西は天下の奇景親不知海岸までと長大である。 国道7号、8号、113号、116号、345号などとともに、これから紹介する国道402号線も夕日ラインの一翼を担っている。 国道402号は前述の通り、日本海沿岸を通る国道である。 新潟県の柏崎市と新潟市を結ぶ、実延長86.5kmの比較的新しい路線である。(路線指定は昭和56年) 特に、長岡市寺泊から新潟市角田浜までの13.9km区間は、「越後七浦シーサイドライン」の愛称を「日本海夕日ライン」と重複して有し、険阻な海岸線を上下して通り抜ける観光道路として知られている。 越後七浦シーサイドラインはかつ

                          • 2005年度人気投票 結果発表

                            2005年12月19日から31日までの期間に当サイトにて実施しました人気投票の結果を発表します。 この人気投票では、公開日が2004年12月15日から2005年12月19日までに完結した全てのレポートを対象に、皆さんのお気に入り上位3本を選んでいただきました。(投票は、お一人様一回) 各々の投票1位には3ポイント、2位には2ポイント、3位には1ポイントを加算し、その合計ポイントで最終順位を判断いたしました。 今回は、期間中あわせて 192名(重複票や白票と当方が判断した票がこの他に10票有りました。)の方にご投票頂きました。(昨年は148名) 皆様、ありがとうございました。 それでは、「2005年度人気投票」、さっそく第5位から発表してまいります! <作者コメント> 工事中の現場に強引に忍び込んで探索してしまうと言う、傍若無人な振る舞いが物議を醸し、良識派の山行が読者からはさすがに批判意見

                            • 【山さ行がねが】道路レポート 福島県道318号 上小国下川原線

                              福島県北建設事務所が管轄する一般県道上小国下川原線は、同所発行の「管内概要」によれば、実延長6045mの路線である。 平成18年現在、このうち0.7kmが交通不能区間に指定されている。 本路線は伊達市霊山町上小国において主要地方道霊山松川線より分岐し、福島市境をなす小山脈を越える。この初っ端の区間が不通となっている。 その先は福島市大波地区に下って国道115号と交差し、そこから再び伊達市保原町との境をなす峠を越え、下川原地区に下ると一般県道山口保原線に合流し終点となる。 本路線は、福島市と伊達市の山間集落を相互に連絡し、ほぼ全線が山間部に位置する、国道及び主要地方道の補助的路線である。 私は、東北一円が雪に閉ざされつつある12月の初旬、草藪の弱った時期を見計らうようにして、この短い不通区間へ挑戦した。 この道は、今年春に周辺町村と広域合併を果たし「伊達市」となった旧霊山(りょうぜん)町が関

                              • 【山さ行がねが】隧道レポート 安房白石隧道(仮)

                                【所在地】 右の地図だけを見て「あ、あそこね!」と分かる人は、よほど地元通の人だろう。 主要地方道「富津館山線」(県道88号)は、内房のメインルートである海岸通りの国道127号と、半島中央部を縦貫する国道410号とに挟まれたエリアを縦貫する道路で、沿道に目立った市街地や観光地が無いことから、県外車の少ないローカルな道路である。 しかし地道に改良は進められており、行楽シーズンなどは渋滞を避ける意味でかなり有意義なルートである。 全長35kmの途中には房総丘陵内の小山脈を越える峠が2つあり、それぞれ木之根峠と白石峠と呼ばれるが、これらの箇所を含めて現在の当路線には隧道が一本もない。 隧道の宝庫である半島内では珍しい感じさえ受けるのだが、その理由をこの探索で知ることになった。 これから紹介する隧道は、 千葉県内に385※あった明治隧道の1つである。 ※『明治工業史土木篇』による。 右の地図は、明

                                • 隧道探険隊

                                  実名公開は色々な意味でヤバイ。 ということで、お蔵入りが決定的だったレポートを、匿名という条件で公開することにした。 2004年末、更新ペースを息切れさせてしまったにもかかわらず、毎日お越し下さる皆様への、ささやかなプレゼントである。 くれぐれも、これが何処かという詮索はなさいませんよう…。 ここは、昭和初期の地図に記載された金属鉱山。 極めてアクセスしにくい山中に、坑口が口を開けている。 わたしと、もう一人の仲間は、好奇心の赴くままに侵入する。 明らかに廃坑である。 これが、生涯初の、生の廃坑(観光坑道除く)侵入である。 ※画像はコンピュータ処理をしています。 うまれて初めて見る、リアルな鉱山。 中に誰もいないのは間違いないが、外にも誰もいない。 一体は、完全に無人の山中。 もはや、このような坑道が口を開けていることすら、誰も知らないのではと思われるほど。 入口付近は、水深30cm程度の

                                  • 隧道レポート

                                    見えているのにたどり着けない。 廃線を探索する趣味を持つ人なら、誰しもが遭遇するジレンマだ。 その理由の多くは、地形的な制約によるものだろう。 それは、少々無鉄砲な踏破力を売りにする私と言えど、おなじこと。 過去に多くの道で涙を飲み、そのいくつかはリベンジを果たし、結局辿りつけていないものも、ある。 今回、見た瞬間に私を虜にした隧道を紹介しよう。 実は、レポートとして紹介するには、まだ時期尚早との考えもあった。 と言うのは、レポートタイトルの「和賀仙人鉱山鉄道」だが、実際にそういう風に呼ばれていた路線はない。 路線名すら分からないと言う、ありえない様な話が、現実に起きているのだ。 勿論これは、今後の十分な調査によって、正しい路線名も判明するだろうし、前後関係も判明しよう。 本来なら、それらを待ってから公開すべきものだが、この衝撃は2004年の初陣を飾るにふさわしいと勝手に判断し、未完成なが

                                    • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                      写真の滝は「老不知の滝」といい、昭和52年指定の「新観光秋田三十景」にも選ばれている。 場所は、秋田県北秋田郡上小阿仁村の南沢にあり、国道285号線からは一瞬だけ、小阿仁川の対岸の崖に落ちる優美な姿が見える。 この滝をよく見たければ、国道に並行する旧国道を通ると良い。 平成になってから国道が代替わりして、滝の向かいにあるドライブインが廃業。 いまは、至って静かな場所になっている。 国道に見限られ、廃業してしまった巨大なドライブインは、独特の三角屋根の大豪邸。 住宅としてだけ今は使われているようだ。 かつて、ドライバー達にひとときの憩いを与えていた庭園も、併設されていた釣り堀も、老い知らずの滝の前で、朽ちることなく残っている。 初めて本格的な雪が降った日、たまたまここを通りかかった私は、以前から知っていた滝とは別に吊り橋を発見した。 そして、車を付近に停め、その吊り橋へと近づいていった。 無

                                      • 【山さ行がねが】道路レポート 国道148号旧道 外沢地区

                                        今回紹介するのは国道148号の旧道で、特に長野県小谷村下寺から同村中土(なかつち)地区までである。 ここは小谷村の幹線道路である国道148号が、もっとも大きく付け替えられている地区であり、外沢(そとざわ)という踏破のし甲斐がある難所を含んでいる。 なおここは、以前レポートした「国道148号旧道 下寺地区」の南側に繋がる区間であり、同日に連続して探索している。 今回は「序」ということで、歴代の地形図でルートの変遷を追いかけてみよう。 別にこの行程を経なくても旧道の存在は現地で明らかなのだが、小谷村が経験してきた自然災害の歴史と、それに伴う壮絶な路線付け替えの様子を、予め知っていただきたいのである。 まず最初にお見せするのは、現在の地形図だ。 「道の駅小谷(おたり)」がある北小谷下寺地区で、新旧の国道は並走している。 そしてここから姫川沿いを南下して、中小谷の中土地区に至るまで、外沢北側の一部

                                        • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                          以下、食事中には読まぬ事。不快な思いをしても責任持ちません。 秋田県の北都大館市から青森県碇ヶ関村に越える矢立峠、現在の国道7号線筋には、多くの廃モノが点在しており、さながら廃.Stの様相を呈しているわけだが、その代表的なモノは、まずは以前レポでも取り上げた「奥羽本線旧線」である。 秋田県側から青森県に至まで線上に点在する廃モノを探索をしていると、自然と他にも、いろいろな廃が目に入ってくる。 例えば、相乗温泉(←おっと!最近遂に取り壊されて、一部老人保養施設として復活してるぞ!)や、国鉄廃隧道の前に立ち並ぶ廃ロッジ群、それに、国鉄廃アーチの上に建つ廃モーテルなど…。 って、なんか国鉄旧線の廃が空気感染してしまったような矢立峠の廃モノ群であるが、 なんだ、青森県側にばかりあるじゃねーか。 ダセーな、青森。 と、ついこの前までほくそ笑んでいた。 しかし… 秋田県側にもあたーよ… 国道7号線を大

                                          • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                            2004.4.14撮影 秋田県協和町 かつては鉱山と林業が盛んだった仙北郡協和町。 その中心部である境地区から鉱山街のあった荒川地区まで、明治期から昭和初期まで鉱山馬車軌道が繋いでいた。 その大部分は、現在の国道46号線の旧道に当たる車道との併用軌道となっていた。 未だに、その開設時期や、正確な位置などが判然としない謎の存在である馬車軌道だが、その当時のものかもしれない、大変古びた遺構を発見した。 紹介しよう。 現在の国道46号線は、境で国道13号線から分かれた後、荒川集落を迂回して、荒川の右岸山際を通っている。 それは、かつて馬車軌道とはまた別に存在した、森林軌道に近い道のりである。 一方、旧国道や馬車軌道は、荒川集落を通っていたが、荒川へと注ぐ宮田又沢川を渡る写真の橋のすぐ東側で、現道と旧道は合流する。 写真は、現道の荒川橋上から、旧国道の橋を撮影したものである。 奥に見えるのは、荒川

                                            • 【山さ行がねが】道路レポート 山梨県道37号南アルプス公園線 角瀬トンネル旧道

                                              右の地図は、山梨県南巨摩郡早川町の役場がある高住(こうじゅう)地区。 といっても、この地図だけでどこだか分かるという人は、ほとんどいないと思う。 それこそ地元の人か、あとは南アルプスの山々をこよなく愛する人くらいしか…。 大きな地図で見ると、このあたりだ。→【広域(マピオン)】 この早川町というのは、四方を広義の南アルプス山脈、狭義でいえば白根山脈、巨摩山地(櫛形山系)、身延山地に囲まれており、大きな峠を越えずにここへ行く道は一本しかないという、日本中でも稀な厳しい立地にある自治体だ。 こうした交通の不便ゆえか、或いはもともと山梨県内で最も広大な町域を有していたせいなのか、日本一人口の少ない「町」(平成22年12月1日現在人口1228人。平成17年当時日本で9番目(本州で4番目)に低い人口密度)でありながら、平成の大合併にも呑まずに存続している。 とまあ、早川町を手っ取り早く語るのには、

                                              • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                                由利町は、子吉川とその支流である鮎川流域に広がる町で、南端は南由利原と呼ばれる標高500mほどの高原地帯である。 川に近い低地では稲作が、高原地では酪農が営まれているほか、高原の一部では今なお油田が稼働している場所もある。 この由利町を、鮎川に沿って子吉川から南由利原まで縦断するのが、一般県道287号鮎川南由利原線だ。 私は、この道のちょうど中盤、西沢集落の片隅で、変わったガーダー橋を目撃した。 皆様からの情報提供を目的に、これを公開したい。 場所は、県道287号線を国道108号線との分岐点から7.5km南下した、西沢地区。 県道は舞台橋との標識が掲げられた桟道橋で、蛇行する鮎川に落ち込む急斜面を渡っているのだが、この橋の辺りから、川面を見下ろすと、ご覧のガーダー橋が目撃される。 旧道と言うことはなさそうで、対岸には狭い農地しかない。 ガーダー橋の先は、何処かへ通じているというわけではなさ

                                                • 小ネタ集

                                                  2001.4 および 2000.4撮影 秋田県河辺郡雄和町 主要地方道9号線は、秋田市と本荘市を内陸から繋ぐ、海岸沿いの国道7号線の迂回路としても重要な路線である。 穏やかな田園風景の多い道ながら、途中、雄和町から岩城町へと抜ける部分は、ヘアピンカーブもあり冬季は特に難所とされる峠であった。 1999年に、トンネルを供する新道が開通し、それと共に封鎖されてしまった旧道を、辿ってみた。 なお、本文中特に説明のない写真は、2001年4月撮影のものである。 雄和町側から、旧道との分岐点。 新道の先に見えているのが、田代峠トンネルである。 現道は、この一本のトンネルで、あっという間に、大内町へと抜けてしまう。 旧道は、車止めとチェーンで封鎖されており、四輪車の進入は出来ない。 封鎖されてそれほど経っていないので、まだまだ現役の路面状況。 ただし、ペイントは消え、路傍からススキの大群が押し寄せてきて

                                                  • 【山さ行がねが】道路レポート 第三次 日原古道探索計画 江戸道編

                                                    中世に秩父地方から進入し、この日原の地を拓いた原島家。 彼とその眷属の子孫が連綿と利用し続けた外界との連路、それが「日原みち」の始まりであった。 はじめ、外界側からこの道へ人が踏み込むことは稀であったが、やがて日原の奥地に一石山(日原鍾乳洞)なる信仰の地が現れ、近世には「日原みち」の改良が行われた。 右の図は、『日原風土記』や『新編武蔵風土記稿』などを元にして作成した、歴代の「日原みち」の概要である。 風土記における道の分類(第1期~5期)に、現道の直接の元となった道を6期として加えている。 このなかで、最も各代の道が輻輳しているのは「とぼう岩」の近辺であり、最も険しい河崖部分を大きく山上に迂回してきた第1期2期の道に対し、初めて谷中に道を開いたと考えられる第3期道は、その後の日原みちの方向性を決定づけたと言える。 この第三期道のとぼう岩開削については、風土記にはこう書かれてある。 第三期

                                                    • 【山さ行がねが】道路レポート 岩手県道212号雫石東八幡平線 網張工区

                                                      平成10年11月18日、この日行われた記者会見の席上で増田寛也・前岩手県知事は、それまで県が進めていた一般県道・雫石東八幡平線の建設の断念を発表した。 この道路の開通が地域発展の起爆剤になると信じていた沿道自治体関係者を中心とする建設推進派にとっては死の宣告にも等しい重大発表であったが、知事は建設断念の理由を次のように述べたという。 県内でも有数の規模のトンネルとなり、莫大な費用を要することから、現在のような厳しい経済情勢下では県民の御理解をいただくことが難しいと考えたところでございます。また、観光を主体とした地域振興上の波及効果が必ずしも明確にならないことや、さらに自然と共生する新しいライフスタイルや21世紀を展望した新たな価値観に対応するためにも、このような選択をしたところでございます。    岩手県議会議事録より抜粋 そしてこの代替策としては、環境庁(現:環境省)と県の合同による「緑

                                                      • 【山さ行がねが】ミニレポート第177回 法末の丑松洞門

                                                        2012/6/1 13:41 先日、山チャリを楽しんでいたときに通りかかった県道で、こんな案内板を見つけた。 カラフルでポップないかにも新しげな案内板で、オブローダーに有益な情報がありそうには見えなかったのだが、案内板は必ず見るようにしているので、今回も自転車を止めて眺めてみたところ… 現在地から少し離れた場所に、 “丑松洞門渓(コウモリの館)”なるものが、描かれていたのである。 最後の“渓”の意味は分からないが、地図上の描かれ方を見る限り、水路ではなくて、歴とした道路の隧道のようである。 案内板曰わく、地形図上では右の位置に隧道が存在しているらしい。 集落から隧道のかなり近くまで破線の道(徒歩道)が描かれており、山の反対側にも同様に破線の道がある。 しかし、隧道自体は全く描かれていないし、探索時にも案内板を見るまでは、隧道の存在を全く予期していなかった。 現時点ではどのような経緯を持った

                                                        • 【山さ行がねが】橋梁レポート 大畑森林鉄道 近藤川支線1号橋(仮称)

                                                          あああ… (泣) と、なったんだ。 つい先日(平成24年5月21日)、ここを6年ぶりに訪れてみて。 またひとつ、林鉄ならではと呼べるような光景が、貴重な痕跡が、おそらくは遺産と呼ぶべきものが、失われた。 特に延命の手が打たれた様子はなく、廃なる運命を、ただ静かに受け入れたようだった。 この橋は、大畑森林鉄道近藤川支線に架かっていた。 ご存じの方もいるだろうが、大畑林鉄は青森県下北半島を代表する林鉄のひとつで、全長約26kmの本線と数多くの支線からなる総延長80kmを越える路線網を、下北半島の北部を占める恐山山地へと伸ばしていた。その歴史は、明治44年から昭和43年までの57年間に及び、日本三大美林の1つに数えられる青森ヒバ(ヒノキアスナロ)を、我々の暮らしに供給し続けた。 このうち近藤川支線(全長1420m)は、本線20km附近で分岐して大畑川支流の近藤川沿いを遡行するルートで、昭和19年

                                                          • 【山さ行がねが】ミニレポート

                                                            これまで、山行がでも何度も名前が出てきた小阿仁林鉄。 北秋田郡上小阿仁村を南北に縦貫し、太平山系の膨大な森林資源を開発するために敷設された、県下最大級の森林鉄道である。 能代市(旧二ツ井町)の天神貯木場から、小阿仁川に沿うてひたすらに南下し、終点は上小阿仁村最南端の萩形(はぎなり)の奥地で、本線だけでも全長43kmに達する。 これに、無数の支線網が沢ごとに伸びており、総延長は計り知れない。 小阿仁林鉄は一般的な路線延伸のイメージとは異なり、起点から順次奥地へと伸ばされたのではなく、中央部から小阿仁川に沿って南北へそれぞれ延伸されてきた経緯を持つ。 上流へは新たな森林資源を求めて、下流方向へは、非効率的な舟運への依存を減らし、最大の集散地である二ツ井への直接の乗り入れを目指し、長い年月をかけて伸ばされた。 その最終延伸区間が、小阿仁川の母流である阿仁川の積み出し港「増沢」から、一山隔てた二ツ

                                                            • 廃線レポート

                                                              これから始めるレポートは、「山さ行がねが」史上稀に見る困難な戦いに挑んだ、男達の物語である。 計画名は、和賀計画。 発案者は、「ヨッキれん」こと、私。 私が参加を要請したのは、森吉林鉄の合同調査を共にした、「くじ氏」と「パタリン氏」だ。 命掛けは必至となることを説明した上で、なお参加を快諾してくれた猛者達である。 実施日は、2004年5月30日(日)。 現地の天候は、前夜までの雨が嘘のような快晴。 本計画の骨子は、かつて私が単独で探索し、なおなし得なかった極めて条件の悪い道の踏破であり、対象は2路線。 一つは、「平和街道」という名は地元でしか通用しないと思われるが、明治初期に秋田県平鹿郡と岩手県和賀郡とを結ぶ街道として、両県が開削した路線である。 現在の国道107号線は、ほぼこの街道を踏襲している。 その中でも、特に廃止が早く昭和7年には現道に切り替えられた、北上市和賀町仙人地内の約2km

                                                              • 隧道レポート

                                                                おなじみ、『山形の廃道 全国隧道リスト(昭和42年度版)』にて、特に凄まじいスペックを誇っていた隧道群がある。 それは、現在の岩船郡山北町。 かつてそこがまだ村であり、そして、その道も県道にすぎなかった時代だ。 異常な隧道達を抱えていた道の名は、主要地方道村上温海線。 それは、ほぼ現在の国道345号線勝木~村上間に相当する路線だった。 隧道群の多くは、リストに記載された直後から続々と新線に切り替えられ、放棄された。 なにせ、リストに記載された、同路線上の隧道は合計27本もあるが、そのうち11本までが車道幅員2m以下なのである。 おいおい、そんな隧道を車が通れるのかと突っ込みたくなるが、とりあえず絶対に通れなかっただろうものもある。 最狭の平木隧道など、幅0.9m高さ2mなのだから、自転車だって、乗ったままではちょっと無理。 そんな異常な隧道群のレポートは、すでに以前に行った。 「道路レポー

                                                                • 【山さ行がねが】道路レポート 栃木県道28号大子那須線 大和須不通区

                                                                  茨城県の最高峰八溝山(海抜1022m)は、阿武隈高地の南端に位し、八溝山地を経て筑波山で関東平野に没する、本州北彎(わん)山系外帯の一角をなしている。 その山頂は茨城県大子(だいご)町に属するが、山頂付近には福島県棚倉町および栃木県那須町との県境線があり、いわゆる三国峰となっている。 標高はたかだか1000mに達する程度だが、周辺には他に目立って高い山がないことから360度のパノラマに優れ、古くから観光登山の対象となるとともに、山頂には八溝嶺神社が、また八合目に坂東二十一番札所の日輪寺があって、信仰の山としても著名である。 この八溝山一帯の道路は、外周をなす国道118号、294号、461号および福島・栃木県道60号と、これらの道路上から山頂へ向けて延ばされた数本の県道・林道によって構成される。 右の図は主要な道路を示したものであるが、県道28号と八溝林道を利用することによって山頂付近まで車

                                                                  • 【山さ行がねが】廃線レポート 早口森林鉄道 早口駅~岩野目間

                                                                    早口(はやぐち)森林鉄道は、秋田県内でも最も森林鉄道の利用度が高かった米代川上流における林業輸送を担った一路線である。 また、秋田県内においては標準的だが、全国的に見ればかなり早い時期に生まれた森林鉄道でもある。 早口川沿いに馬力による14.5kmの林用軌道が敷設されたのは明治45年で、大正14年には路盤強化工事が行われて蒸気機関車が入線した。 起点である早口貯木場は奥羽本線の早口駅に隣接しており、ここからはほぼ同時期に北東方向の岩瀬沢沿いに敷設された「岩瀬森林鉄道」も伸びていた。 全盛期には両本線および支線を合わせた路線網は50kmを越えていたが、早口線は昭和33年の水害によって上流部の被害が特に大きく、昭和34年から39年にかけて随時廃止された(一部支線のみ昭和46年まで残った)。 今回紹介するのは、2008年の10月に秋田へ帰郷した際に細田氏と探索した区間で、早口貯木場跡から約7km

                                                                    • 【山さ行がねが】道路レポート みたけ湖の旧道

                                                                      みたけ湖は、 平成10年に出現したばかりの比較的新しい湖である。 つまりは、人造湖だ。 大松川ダムによって、この世に生を受けた。 その大松川ダムは、現在は市町村合併で横手市の一部となった当時の山内村の松川に造られた重力式コンクリートダムで、多目的ダムとして23年をかけて建設された。 そして、公募で決められた「みたけ湖」の名前は、上流の御嶽山にちなんで付けられている。 この湖にも、人造湖の例外に漏れず、水没旧道と言うべき道が存在している。 ダム建設によって移転となったのは、あわせて76戸。 そして、一般県道273号(外山落合線)の約5kmである。 私は2005年の9月。 残暑の厳しい時期を見計らって、年間で最も水位を下げたであろうダムを目指した。 水没から8年目という、比較的新しい水没旧道の実走調査が、目的だった。 (なぜ、実“走”しなければならないかという問題は、置いておく。) 大松川ダム

                                                                      • 【山さ行がねが】ミニレポート 第94回 JR釜石線 陸中大橋駅

                                                                        個人的に大好きな街、釜石。 道路も面白いし、鉄道も面白い、鉱山(ヤマ)も面白いといった感じで、私の冒険心をいつ何時でも刺激してくれるこの街の、愉快なスポットの一つを、紹介しよう。 内陸側から釜石へと鉄道で足を踏み入れたときの玄関口となる、JR釜石線の陸中大橋駅である。 と同時にここは、かの釜石鉱山の積み出し駅としても栄えた場所であり、当時の沿線では釜石駅に次いで活気溢れる駅だったという。 その今を、お伝えしよう。 もしあなたがこの陸中大橋駅で列車から降りたとする。 そのとき、駅の出口をくぐって最初に見る駅前の景色は、おそらくあなたの想像していた通りの景色だろう。 前提としては、あなたが釜石について、既に廃山になっているという最低限の事前情報を持っていた場合だが。 駅前には、もう二度と満車になることがないのではないかと思えるような、奇妙に広く、しかも未舗装の駐車場がある。 その先には大橋地区

                                                                        • 【山さ行がねが】隧道レポート 旧 吹上隧道群

                                                                          小学六年の夏に横浜から秋田へ引っ越して以来、17年間もの間、ただの一度も関東地方へと足を踏み入れることなく、ひたすらにみちのくの地に轍を刻み続けてきた私であったが、このたび、たった一日だけではあるが、思いがけない形で関東の地を踏むことになった。 この春から勤めはじめた仕事先の、出張の機会である。 東北新幹線が大宮に近付くと街並みがはじまり、それが途切れぬまま、やがて上野の車内アナウンスが響く頃には今度は列車は地下へと潜ってしまう。 これは東京隧道なのか。地下鉄なのか。 ……あれから17年も経って、もう東京の街では全てがドームに覆われ、空の見えない全天候型都市になったのかと諦めかけた頃、列車は再び光の元へ、周囲のビルディングの巨大さに驚く間もなく、すぐに東京駅の21番線に滑り込んだ。 不慣れなスーツに身を包み、ぱりぱりの名刺を胸に秘め、緊張の面持ちで下り立つ首都東京駅のホーム。 どうにかこう

                                                                          • 【山さ行がねが】隧道レポート 国道136号旧道 一色隧道

                                                                            【周辺地図(マピオン)】 伊豆半島の南端に位置し、石廊崎や下賀茂温泉など、南国情緒の感じられる多くの観光地をもつ南伊豆町。 あまり知られていないが、この町は半島随一の“トンネルの街”でもある。 西海岸の急峻で複雑な地形を縫う数多くのトンネルが建設され、人々の暮らしを支えてきた。 その一部を右図に示した。 西海岸では明治34年竣功の妻良(めら)隧道をはじめ、幹線道路沿いに多くの隧道が建設され、子浦から仲木にかけての車道は昭和12年までに開通している。 これらはいずれも車1台分の小さな隧道であったが、通行量も多くはなく、さほど困るということもなかったようだ。 しかし、戦後次第に半島北部の交通事情が改善すると、南伊豆まで足を伸ばす観光客も増加しはじめる。 昭和39年、石廊崎を貫く主要地方道「下田石室松崎線」(現在と名称が異なる)が開通。さらに同47年には、念願の伊豆循環道路最後のピースである「南

                                                                            • 【山さ行がねが】隧道レポート 南伊豆の青市隧道(仮)

                                                                              前に紹介した「一條隧道(仮)」の2.6kmほど南東、青市地区の山中にもう一本隧道がある。 この情報は、下田周辺の古道旧道について独自の調査を展開し、どこよりも詳しい情報を持つ『下田街道』さんに教わった。 一條隧道のレポートに登場した下田市の“丁場”を直接案内してくださったのも、このサイトの主である。 一條隧道は地形図を頼りに独力で発見することが出来たが、こちらは歴代の地形図に一度も記載されたことがない。 それゆえ、草の根的な調査を続けられる彼らの力が無ければ、辿り着けなかっただろう。 ありがたいことだ。 ということで、今回の探索は全面的に『下田街道』さんの調査結果をお借りしたい。 独自部分は一條隧道との関わりを考察する部分だけとなるかもしれないが、それでもぜひ見ていただきたい隧道なのである。 【現在地(外部リンク)】 まず右の地図を見て欲しい。 目指す隧道は、中組地区と上組地区を隔てる、「

                                                                              • 【山さ行がねが】隧道レポート 明智隧道

                                                                                関東よりも東にお住まいの方であれば、この小さな地図を見ただけでどこだか分かるのではないだろうか。 一切文字は見なくても分かったよ。 という人もいるだろう。 ここは、《現在地》 栃木県日光市のいろは坂付近である。 左に見える水面が中禅寺湖で、その右側に周回する2本の国道。これがいろは坂だ。 いろは坂は現在2本あり、北(上)のいろは坂が「第一いろは坂」、南が「第二いろは坂」と呼び分けられている。 このうち、「第2いろは坂」の一部には旧道と旧隧道が有るのではないかという鋭いツッコミが、今年の1月に当サイト掲示板において、 ミ・ω・ミ さんから寄せられた。 (HNはどうお読みすればよいのでしょうか? “ヌコ顔”さん?) ミ・ω・ミ さんが指摘されたのは、第2いろは坂の中禅寺湖側終点と明智平の間にある2本のトンネルが、地図によって描かれ方が違っているぞと言うことだった。 確かに、地形図(左)と市販の

                                                                                • 隧道探険隊

                                                                                  県内には、正確に数えたことはないが、100を越える隧道が存在する。 その中のいくつかは、すでに使われなくなっていたり、ほとんど通るものもない状態にある。 次に紹介する隧道も、そのような隧道のひとつである。 ただ、例外的なのが、この隧道のある道が、現役の県道であるということだ。 私はここに惹かれ、何度も通っているが、そのたびに、新鮮な驚きを覚える。 それほどに、懐の深い、でも短い、そんな愛すべき隧道を紹介することに、多少の興奮を覚える私であった。 その隧道があるのは、四方を山に囲まれた東由利町。 その南の外れに近い、黒沢の山中。(写真は、黒沢集落遠景) もう少し北には、県内でも著名な湯治場滝温泉がある。 隧道は、その滝温泉を経由し、大内町と東由利を結ぶ県道上にある。 滝温泉は、著名なわりに、そこに至る道はいまだに細く、公共の交通手段からは断絶されている。ある意味、秘湯だ。 その効用は、事故の