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持統天皇の検索結果1 - 13 件 / 13件

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持統天皇に関するエントリは13件あります。 文化エンタメ などが関連タグです。 人気エントリには 『日本史上最も権力を持っていた女帝・持統天皇の夢の跡【藤原京跡】 - kumakuma blog   クマ子の奈良歩き』などがあります。
  • 日本史上最も権力を持っていた女帝・持統天皇の夢の跡【藤原京跡】 - kumakuma blog   クマ子の奈良歩き

    奈良県橿原市にある藤原京跡。 694年から710年の平城京遷都までの間、日本初の本格的な都が置かれていた場所です。 前回の記事では、現在の藤原京跡で四季折々に咲く、素晴らしい花の一つ、満開の蓮レポをご紹介させていただきました(藤原京跡へのアクセスもコチラ)☟ www.norikuma2.com 今回はお花から離れて、藤原京とは何か、そして現在の遺跡の様子・併設されている資料館についてお伝えしたいと思います✨ 藤原京とは? 大極殿跡北側の醍醐池周辺 橿原市藤原京資料室 まとめ 藤原京とは? 藤原京は694年に持統天皇が遷都し、その後、文武天皇(持統天皇孫)が即位、若くして崩御した後、後を継いだ元明天皇(文武天皇母・持統天皇の従妹でもある)が、710年に平城京に遷都するまでの間に都とされました。日本初の本格的都城です。 たった16年で、平城京へ遷都したことが、もったいない気がしてくるほど、広大

      日本史上最も権力を持っていた女帝・持統天皇の夢の跡【藤原京跡】 - kumakuma blog   クマ子の奈良歩き
    • 背の君👨‍💼里中満智子先生の「天上の虹🌈持統天皇物語」を読破する🌟 - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

      うっかり画像ファイルを消してしまったので過去記事をリライトしています( ;∀;)💦 背の君👨‍💼のFacebookより ( ̄(工) ̄) こんばんは 完読天上の虹。持統天皇物語。 諱は鸕野讚良(うののさらら、うののささら)。 父親の中大兄(天智天皇)から孫の文武天皇までの長大な物語。 あれよあれよと続く歴史的事件 30年以上完成迄の歳月を費やしただけあって圧巻です。 【新品/あす楽】天上の虹 持統天皇物語 [文庫版] (1-11巻 全巻) 全巻セット 価格: 7744 円 楽天で詳細を見る 背の君👨‍💼は、リモートワーク中🖥 日中に来る移動図書館さざなみ号にいくわけにいかないので、さざなみ号が来るときは少納言👩が借りに行くわけですよ📚 なんのかんので読み切ったのは天晴れである🌟 少納言👩も読みたかったけど、読み始めると何もかも放り出す自覚があるのであえて読まなかったのです

        背の君👨‍💼里中満智子先生の「天上の虹🌈持統天皇物語」を読破する🌟 - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸
      • 背の君👨‍💼完読📚 里中満智子先生🌹「天上の虹 持統天皇物語👑」 - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

        🌱zoom 🌱少納言👩 開運笑顔の体操🌸(無料🌿) 💠月曜日から金曜日💠 朝🌅5時15分〜5時30分まで 💠土曜日💠 朝🌅5時15分〜5時45分まで https://us04web.zoom.us/j/8838159677… お顔も声も出さなくて大丈夫ですよ🌟笑ってストレッチしましょ💖 背の君👨‍💼のFacebookより ( ̄(工) ̄) こんばんは 完読天上の虹。持統天皇物語。 諱は鸕野讚良(うののさらら、うののささら)。 父親の中大兄(天智天皇)から孫の文武天皇までの長大な物語。 ◇ the pageant of historical events:あれよあれよと続く歴史的事件 30年以上完成迄の歳月を費やしただけあって圧巻 [新品]天上の虹 持統天皇物語 [文庫版] (1-11巻 全巻) 全巻セット 価格: 7744 円楽天で詳細を見る 背の君👨‍💼は

          背の君👨‍💼完読📚 里中満智子先生🌹「天上の虹 持統天皇物語👑」 - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸
        • 万葉文化館の里中満智子展で持統天皇の世界に浸り「山帰来」で手打ちそばに舌づつみ♪ - kumakuma blog   クマ子の奈良歩き

          2019年7月21日に、奈良県明日香村・万葉文化館で開催されている「里中 満智子・天井の虹」展に行ってきた時の様子と、天武・持統天皇陵を訪れ、持統天皇の世界に浸ってみた時のレポをしたいと思います。 また後半には、評判の手打ちそばのお店をご紹介いたしますね(´艸`*) 万葉文化館での「里中満智子・天井の虹Ⅱ」展 見晴らしのいい丘の上の「天武・持統天皇陵」 手打ちそばが評判の「山帰来(さんきらい)」 まとめ 万葉文化館での「里中満智子・天井の虹Ⅱ」展 「令和」元号制定で、一躍有名になった、万葉文化館。 万葉集人気にあやかって「友の会」も発足したようです。 何にせよ、奈良に来ていただけるのは嬉しい限りです(*'▽') 万葉文化館の庭園 2019年7月13日から9月23日まで、特別展として「マンガで語る古代大和Ⅱ 里中満智子『天上の虹』にみる持統天皇誕生の物語」が開催されています。 里中満智子先生

            万葉文化館の里中満智子展で持統天皇の世界に浸り「山帰来」で手打ちそばに舌づつみ♪ - kumakuma blog   クマ子の奈良歩き
          • 👑持統天皇(2番)〜春過ぎて 夏来にけらし 白たへの 衣干すてふ 天の香具山🌿 天智天皇の皇女 天武天皇の皇后 そして偉大な女帝🌸 - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸

            【持統天皇 じとうてんのう】7世紀後半の女帝(在位686〜697) 天智天皇の皇女で,天武天皇の皇后。天武天皇死後,即位しないで執政,皇太子草壁 (くさかべ) 皇子が亡くなると自ら即位。飛鳥浄御原 (あすかきよみはら) 令の施行(689),庚寅年籍の作成(690),藤原京遷都(694)など, 律令国家体制の整備につとめた。 百人一首 2番 👑持統天皇 御歌👑 春すぎて 夏来(き)にけらし 白妙(しろたへ)の 衣(ころも)ほすてふ 天(あま)の香具山(かぐやま) いつの間にか、春が過ぎて夏がやってきたようですね。夏になると真っ白な衣を干すと言いますから、あの天の香具山に(あのように衣がひるがえっているのですから)。 なんておおらかな歌なのだろう🌿 夏に白い衣、爽やかな風が通り抜けるような素敵な歌🌱 1分音読で若返る🌿〜Enjoying My Life🌱ぜひ、一緒に音読してくださる

              👑持統天皇(2番)〜春過ぎて 夏来にけらし 白たへの 衣干すてふ 天の香具山🌿 天智天皇の皇女 天武天皇の皇后 そして偉大な女帝🌸 - 源氏物語&古典🪷〜笑う門には福来る🌸少納言日記🌸
            • 史上最強の女帝、持統天皇 - 暮らしと勉強、猫と一緒に~Bettyのブログ

              今回のブログは、以前「壬申の乱」について記した記事の続編のようなお話です。 www.betty0918.biz 古代最大の内乱「壬申の乱」 その後天武天皇となった大海人皇子。そして妻の鸕野讃良皇女うののさららのひめみこ、後の持統天皇のお話です。 目次 持統天皇(鸕野讃良皇女)って? 天武天皇と鸕野皇后が進めた国づくり 銅銭の始まり 律令の編纂 吉野の盟約 相次ぐ夫と息子の死 即位儀礼 藤原京遷都 持統天皇が定めた皇位継承のルール 日本誕生 崩御 持統天皇(鸕野讃良皇女)って? 中大兄皇子(後の天智天皇)の娘である鸕野讃良皇女うののさららのひめみこは645年、乙巳(いっし)の変(大化の改新)の年に生まれました。 彼女は13歳の時に叔父である大海人皇子(後の天武天皇)と結婚します。 13歳で結婚!? しかも叔父さんと!? あ、気にしないで。 昔はよくあることだったんで💦 天智天皇崩御後、67

                史上最強の女帝、持統天皇 - 暮らしと勉強、猫と一緒に~Bettyのブログ
              • 古典は変わらずとも、読みは変化する―『百人一首』の持統天皇歌から - 能楽と郷土を知る会

                『百人一首』の2首目は持統天皇「春過ぎて夏来にけらし白たへの衣ほすてふ天の香久山」。 これは『新古今和歌集』からの収録です。 でもこの歌、元の『万葉集』では「春過ぎて夏来たるらし白たへの衣干したり天の香久山」と少し異なります。この差異を、私は今まで『新古今和歌集』撰者[1]源通具・六条有家・藤原定家・藤原家隆・飛鳥井雅経・寂蓮の6人。また『新古今和歌集』編纂の院宣を下した後鳥羽院自身も、かなり積極的に関与した。による、新古今風への改変・改作として理解していました[2]私はこの『百人一首』と『万葉集』の差異を初めて知ったのは、永井路子さんのエッセイ『よみがえる万葉人』(文春文庫、1993年)のp69「女帝サマはお腹立ち」でした。以下のように記されているのを、無批判に信じ込んでいました。「たしかに大分違う。いまなら著作権問題で裁判になりかねないところだ。が、女帝サマ死後、約五百年たった『新古今

                  古典は変わらずとも、読みは変化する―『百人一首』の持統天皇歌から - 能楽と郷土を知る会
                • 日本が独立国であることを示した天智・天武・持統天皇

                  ●「天皇」の称号を定め、天皇が元号を制定する体制を整えることで、中国からの“独立”を示した ●白村江の戦いで敗戦し、防衛体制を整える必要が生じた ●「国」を設置し、法律「律令」を整え、体制を固めた 今回のキーパーソンは天智・天武・持統の3天皇。この3天皇の時代に日本という国が出来上がりました。 天智天皇は中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)。「大化の改新」を成し遂げた古代史のスーパースターですね。天武天皇はその弟。持統天皇は天武天皇の妻です。彼女は実は、天智天皇の娘でもあります。 この頃に「日本」という国号、「天皇」という呼称ができました。そして「日本」は「天皇」が治める国であると宣言したのです。 これは日本にとって大きな賭けでした。東アジアの周辺国は、中国皇帝の承認を得て「王」を名乗っていました。これに対し、「天皇」は「皇」の字を使用しており、「皇帝」と肩を並べる存在と主張したわけですから

                    日本が独立国であることを示した天智・天武・持統天皇
                  • 持統天皇の吉野行幸の折、柿本人麻呂が作った歌・・・巻第1-38~39 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

                    訓読 >>> 38 やすみしし わが大君(おほきみ) 神(かむ)ながら 神さびせすと 吉野川 激(たぎ)つ河内(かふち)に 高殿(たかどの)を 高(たか)知りまして 登り立ち 国見をせせば 畳(たたな)はる 青垣山(あをかきやま) 山神(やまつみ)の 奉(まつ)る御調(みつき)と 春へは 花かざし持ち 秋立てば 黄葉(もみち)かざせり 逝(ゆ)き副(そ)ふ 川の神も 大御食(おほみけ)に 仕へ奉(まつ)ると 上(かみ)つ瀬に 鵜川(うかは)を立ち 下つ瀬に 小網(さで)さし渡す 山川(やまかは)も 依(よ)りて仕ふる 神の御代(みよ)かも 39 山川も寄りて奉(つか)ふる神ながらたぎつ河内(かふち)に船出するかも 要旨 >>> 〈38〉安らかに天下を治められるわが大君は、神であるままに神のお振る舞いをされ、吉野川が激しく流れる河内に、高殿を高々とお建てになり、そこに登り立たれて国見をなさる

                      持統天皇の吉野行幸の折、柿本人麻呂が作った歌・・・巻第1-38~39 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
                    • 持統天皇の伊勢行幸の折、都に残った柿本人麻呂が作った歌・・・巻第1-40~42 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

                      訓読 >>> 40 嗚呼見(あみ)の浦に船乗りすらむをとめらが玉裳(たまも)の裾(すそ)に潮(しほ)満つらむか 41 釧(くしろ)着く手節(たふし)の崎に今日(けふ)もかも大宮人(おほみやひと)の玉藻(たまも)刈るらむ 42 潮騒(しほさゐ)に伊良虞(いらご)の島辺(しまべ)こぐ船に妹(いも)乗るらむか荒(あら)き島廻(しまみ)を 要旨 >>> 〈40〉あみの浦で船乗りをしているだろう若い女官たちの美しい裳の裾に、今ごろ潮が満ち寄せているだろうか。 〈41〉美しい釧(くしろ・腕輪)をつけて、手節の岬に今日もまた、大宮人たちは藻を刈っているのだろう。 〈42〉潮が満ちてきて鳴りさわぐころ、伊良虞の島あたりを漕ぐ船に、供奉してまいった私の恋人も乗っていることだろう。あの波の荒い島のあたりを。 鑑賞 >>> 持統天皇6年(692年)3月の伊勢行幸の折、飛鳥浄御原(あすかきよみはら)の宮に留まった

                        持統天皇の伊勢行幸の折、都に残った柿本人麻呂が作った歌・・・巻第1-40~42 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
                      • 天武天皇崩御後に皇后(持統天皇)が作った歌・・・巻第2-160~161 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

                        訓読 >>> 160 燃ゆる火も取りて包みて袋(ふくろ)には入ると言はずやも智男雲 161 北山(きたやま)にたなびく雲の青雲(あをくも)の星(ほし)離(はな)れ行き月を離れて 要旨 >>> 〈160〉燃える火さえも、包んで袋に入れることができるというではないか。智男雲。 〈161〉北山にたなびいていた雲のその青雲が、星から離れて行き、月からも離れて行く。 鑑賞 >>> 題詞に「或る本に、天皇が崩御した時の、太上天皇(持統天皇)の御製歌2首」とある歌です。「太上天皇」は文武天皇の御代の称なので、そのころに記録された書にあるままをここに載せたものとみられます。実際は、天武天皇崩御の後、やや日が経過しての歌とみられます。160の上4句について、当時このような方術があったのだろうとされています。「智男雲」は、訓義未詳。161の「北山」は、北の方の山の意で、明日香北端の香具山か。「青雲」を天武天皇

                          天武天皇崩御後に皇后(持統天皇)が作った歌・・・巻第2-160~161 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
                        • 野口王墓(天武天皇・持統天皇 檜隈大内陵) 奈良県高市郡明日香村野口 - 墳丘からの眺め

                          梅山古墳から鬼の雪隠を経てさらに東へ、丘陵裾に沿った眺めのよい散策路を進んで行くと、目の前に現れた野口王墓(のぐちのおうのはか) 南の拝所側へ回り込んで。 宮内庁の高札には、天武天皇・持統天皇 檜隈大内陵(ひのくまのおおうちのみささぎ)とあります。 繁みの背後の墳丘の様子は確認できず。 下記のガイドブックによれば、墳丘は典型的な天皇陵の形式である八角墳で、規模は東西約58m・南北約45m・高さ9m、5段の築成で周囲巡る石段あり。 日本書紀に記される天武・持統合葬陵として確実視されており、石室は切石を積んだ2室に天武天皇の夾紵棺(漆を塗った布を幾重にも重ねた棺)と持統天皇の金銅製骨蔵器が納められたと考えられているそうです。 畿内 古代遺跡ガイド メイツ出版 Amazon 墳丘の東裾と、飛鳥寺方面へ向かう県道209号。 その県道側からの参道。下に駐車場あり。県道の向こうに満開の梅が目立っていま

                            野口王墓(天武天皇・持統天皇 檜隈大内陵) 奈良県高市郡明日香村野口 - 墳丘からの眺め
                          • 持統天皇の吉野行幸の折、柿本人麻呂が作った歌・・・巻第1-36~37 - 大和の国のこころ、万葉のこころ

                            訓読 >>> 36 やすみしし わご大君(おほきみ)の 聞(きこ)しめす 天(あめ)の下に 国はしも 多(さは)にあれども 山川の 清き河内(かふち)と 御心(みこころ)を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺(のへ)に 宮柱(みやはしら) 太敷(ふとし)きませば ももしきの 大宮人は 船 並(な)めて 朝川渡り 舟競(ふなきほ)ひ 夕河(ゆふかは)渡る この川の 絶ゆることなく この山の いや高(たか)知らす 水たぎつ 滝の都は 見れど飽かぬかも 37 見れど飽かぬ吉野の河の常滑(とこなめ)の絶ゆることなくまた還(かへ)り見む 要旨 >>> 〈36〉わが大君が御統治なさるこの天下に、国は実に多くあるけれども、山や川の清く美しい河内であるとして御心をお寄せになる吉野の国の、花がしきりに散っている秋津の野辺に宮殿を立派にお作りになっていらっしゃるので、お仕えする人々は舟を並べて朝の川を渡り、舟の

                              持統天皇の吉野行幸の折、柿本人麻呂が作った歌・・・巻第1-36~37 - 大和の国のこころ、万葉のこころ
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