タグ検索の該当結果が少ないため、タイトル検索結果を表示しています。
政治哲学への招待―自由や平等のいったい何が問題なのか? 作者:アダム・スウィフト 風行社 Amazon ●格差原理と、不平等の正当化 分配の正義に関する論争において、最大の注目を集めたのは、最後の原理ーーすなわち、格差原理ーーである。不平等は、どのようにして、もっとも恵まれない人の地位を、最大限良くすることに役立ちうるのだろうか。それを理解するわかりやすい方法は、すべての人に同じものを支払うことではないだろうか。ロールズの考えは、もし人々が、実益をもたらすような諸活動において働くよう動機づけられるべきだとすれば、彼らにはインセンティヴが必要かもしれないというお馴染みのものである。そして、議論は次のように進行する。もし経済が、そうでありうるのと同程度に生産的であろうとするならば、何らかの不平等が必要(社会学者は「機能的に」と言うかもしれない)である。不平等がなければ、人々はある仕事を別の仕事
政治哲学入門 作者:ジョナサン ウルフ 晃洋書房 Amazon 原書は1996年(最近に第4版が出版されているが)、邦訳も2000年。なんのフックもないタイトルに地味な装丁といかにも売れそうにないタイプの本だが、その中身はというと、わたしがいままで読んだ政治哲学入門のなかでも傑出した出来栄えだ*1。 「自然状態」とはどのようなものであるかというところから始まって、国家の正当化や民主主義の正当化、自由や財産の配分についてどう考えるか、個人主義に対する共同体主義的・フェミニズム的な批判と、政治哲学のトピックが幅広く扱われている。功利主義やリベラリズムといった理論ごとに章立てされているのでもなければ、思想家を時系列に紹介していくのでもなくて、章ごとの問題を扱いながら(西洋の)主要な哲学者たちの政治思想を提示していく、というところがミソ。 また、第一章で「(アナーキズム的な見解を除けば)自然状態は
おはようございます。皆さんは「マイケル・サンデル」という名前をご存知でしょうか? 本を読んだ、大学で学んだ、テレビで見た事がある、という人も沢山いると思います。 サンデル氏は政治哲学の世界では超有名な学者です。政治哲学について勉強するならば、まずサンデル氏の本を読むべきだと言っても過言ではありません。 今回はそんなマイケル・サンデル氏の紹介と、おすすめの本を紹介して行きます。 目次 ・サンデル氏の略歴 ・サンデル氏の大まかな思想 ・サンデル氏のおすすめ本7選! 1.これからの「正義」の話をしよう 2.公共哲学 政治における道徳を考える 3.ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業 4.それをお金で買いますか 市場主義の限界 5.サンデル教授、中国哲学に出会う 6.民主政の不満 7.完全な人間を目指さなくてもよい理由-遺伝子操作とエンハンスメントの倫理 ・まとめ ・サンデル氏の略歴 サンデル氏
ベンヤミンは、政治について多くは語っていない。その主たる関心は、芸術批評と美学に向けられていた。私は拙著『文学部という冒険』で現代芸術の政治性を強調し、ベンヤミンの美学にも言及したので、その政治哲学的含意について論じておきたい。 もともとドイツ社民に対して深い軽蔑を抱いていたベンヤミンは、俗流マルクス主義に対しても何の共感も持たなかった。アーシャ・ラティスを通じて伝えられたロシア革命には大きな期待を寄せたが、それも公式のマルクス主義理論とかボルシェヴィキの組織に対してではなく、そこに示された新しいエトスやモラール(士気)に対してであったろうと思われる。 結論から言えば、私はマルクス主義をベンヤミンによって刷新することを期待する多くの理論家と違って、むしろマルクス主義から、とりわけマルクス主義の唯物論や自然主義から切り離すことによって、ベンヤミンの政治哲学の革命的意義を生かし得ると考えている
ロールズの『正義論』を中心としたリベラリズムを批判し、コミュニタリアニズム(共同体主義)や共和主義の重要性を唱えた、アメリカの哲学者、政治哲学者です。 アメリカでそれまで支配的だったリベラリズムを、哲学的・倫理学的に批判し、その問題点を指摘したことから、コミュニタリアン(共同体主義者)として一躍有名になりました。 日本でも「白熱教室」や『これから正義の話をしよう』などで一般的にも有名になりましたね。 しかし、日本で流行した書籍では、サンデルの政治哲学について体系的に明らかにされていません。 そのため、サンデルがどのような政治的思想を持っているのか、知名度のわりにいまいち知らない人も多いのではないかと思います。 そこでこの記事では、 マイケル・サンデルの政治哲学の特徴 サンデルのロールズ、リベラリズム批判 サンデルの共和主義やコミュニタリアニズム、目的論 などについて詳しく解説します。 サン
政治哲学への招待―自由や平等のいったい何が問題なのか? 作者:アダム・スウィフト 風行社 Amazon [前段で平等を拒絶する世俗的な主張を並べた後に]これはすべて、大衆政治のレトリックのレベルでのことである。しかし平等は、政治哲学者からも、厳しい取り扱いをされてきている。彼らの論じるところによれば、平等を高く評価することは間違いである。重要なことは、人々が、善きものの分け前を持つことではない。また、人々が、善きものへの(あるいは、それを利用する)平等な機会を持つことですらない。もしわれわれが、平等について考えるとすれば、重要なことは、すべての人が十分に持つことであるか、もっとも少なくしか持っていない人が可能な限り多く持つこと、あるいは、もっとも必要としている人が優先権を得ることなのである。平等を気にするということは、人々が互いに同一の総量を持っていることーーそれが、気にすべき特別の事柄の
★連載①(前回)はこちらです。 →「機動警察パトレイバー2 the Movie」の政治哲学的考察 連載① ~押井守と「戦後」、前史としての『犬狼伝説』~ 一国民が、政治的なものの領域に踏みとどまる力ないしは意志を失うことによって、政治的なものが、この世から消え失せるわけではない。ただ、いくじのない一国民が消え失せるだけにすぎないのである。 カール・シュミット『政治的なものの概念』未来社、2006年、61頁。 2つの虚構の戦後史では、『犬狼伝説』では、「政治」の何が清算されていないのか? それは、『犬狼伝説』の世界は、「戦後」であって「戦後」ではない、正しく言えば我々現実の日本人が生きている「戦後」ではないからだ。 現実の戦後史は高度経済成長による失業者の群れを生まなかったし(一億総中流化)、自治体警察を凌駕するような反政府闘争も起こらなかった(安保闘争も警察が鎮圧した)。 必然的に、警察軍
『自由論序説』(未発表稿)の第二部「自由の政治哲学」の草稿を投稿する。演劇論の部分は、すでにここで発表したものであるが、一応まとめて掲載しておく。諸氏の批判を参考にして、出版の際には改善したい。 Ⅱ自由の政治哲学 社会契約説の意義 自由の形を求めてその具体的在り方を論じようとするならば、その政治的形態を第一に論じなければならない。政治権力こそは、人間が自由のために不可欠なものとして創り出しながら、実際にはしばしば隷属へとつなぎとめもしてきた問題的な現象だからである。その中でも、近代政治哲学は社会契約説という形で、政治的自由の一般理論を構築しようとした。それゆえ、自由を論じるうえで、近代社会契約説の吟味は避けて通れない。 近代社会契約説こそは、所与の超越としての自由を政治社会の成立と結びつけることによって、政治哲学を画するものであった。それ以前の政治理論は、その起源を神に求めたり、伝統に求め
近代政治哲学における社会契約説は、さまざまな形で自然状況に言及する。自然状況において社会契約を結ぶことによって、権力や法を人為的に設立するという理論的虚構が社会契約説の骨子である。しかし、自然状況がどのようなものと観念されるかによって、そこから創設される政治社会の性格もさまざまに異なることになる。たとえば、ホッブズの想定した自然状況は、万人が万人にいかなる留保もなく戦争状態にあるという極めて過酷なものであり、それに応じてそこから創設される権力も絶対的独裁制となる。 ホッブズの自然状況では、死の恐怖から逃れるために己れの自然権を放棄することが合理的となる。しかし、自然状況においてはいかなる約束もいつでも裏切ることが許されており、それは単に相手を欺くマヌーヴァに終わる危険がある。それでは「社会契約」が成立することは不可能であろう。 これに対してロックにおいては、自然状況ははるかにマイルドなもの
新型コロナ、国家指導者の政治哲学によって人々の生死が左右される パンデミックのジレンマと公共善――経済やオリンピックか、生命や生活か 小林正弥 千葉大学大学院社会科学研究院教授(政治学) 公共善の重要性を再認識すべき時 新型コロナ、緊急事態宣言やイベント休止・補償を政治哲学から議論する 前稿で紹介した政治哲学の仮想の議論からもわかるように、新型コロナウイルスの問題に対処するためには、コミュニタリアニズムの議論がもっとも適切だと筆者は考える。その最大の理由は、これは人々の健康という「公共善」の問題であり、これをもっとも正面から扱っているのがこの思想だからだ。 ウイルスの流行は「公衆衛生」の問題であり、「公衆衛生(public health)」は直訳すれば「公共的健康」である。功利主義やリバタリアニズムには公共性の問題意識が弱く、リベラリズムも公共性を権利から考えようとする。これらではコロナウ
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く