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日本史の検索結果241 - 280 件 / 500件

  • 不在着信があり、かけ直すと「この電話は使われておりません」と。???これは何なの?? ホラー??  - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

    不在着信の履歴に残っていたので、かけ直したら 「この番号は現在使われておりません」とのアナウンス! えええ!!!これは何? (不在着信にかけなおすも電源が切れてしまい・・・) ある日の夕方、携帯電話のディスプレイに、着信履歴が残っていました。 その番号は03-6×××-××××という番号でした。03で始まるので東京からの電話ですね。 翌朝、9:47に、その電話番号に、かけ直しました。 すると、すぐに男性の方が出たので「昨日電話を頂いたが、電話に出ることができずに失礼しました。どういう内容ですか?と話すと、相手は「担当者に聞きますので、お待ち下さい」とのことでした。 しかし、ここで、運悪く携帯電話の電源が落ちてしまいました!あちゃ~ 急いで携帯電話を充電し、電話を再起動させ、ディスプレイを見ると、先方も、会話の途中で電話が切れたので、かけ直してもらったようです。これは不義理をしました、申し訳

      不在着信があり、かけ直すと「この電話は使われておりません」と。???これは何なの?? ホラー??  - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
    • 徳川家康の「小牧・長久手の戦い」|織田信雄・家康の連合軍と秀吉が対決した合戦を解説【日本史事件録】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

      はじめに-徳川家康の「小牧・長久手の戦い」とはどんな戦いだったのか 小牧・長久手の戦いとは、天正12年(1584)に、羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄(おだ・のぶかつ)連合軍が衝突した合戦のことです。 織田信長亡き後、秀吉は権勢を強めて事実上の後継者になっていました。それに反発する信長の次男・信雄と家康は利害が一致して手を組みます。 小牧・長久手にて戦闘があったものの、決戦が行われることはなく、両陣営がにらみ合う膠着状態が長く続きました。この戦いで、家康は秀吉に対して軍事的勝利を収めるものの、信雄が秀吉と単独で講和を結んだため、政治面では秀吉が勝利を収めることになります。

        徳川家康の「小牧・長久手の戦い」|織田信雄・家康の連合軍と秀吉が対決した合戦を解説【日本史事件録】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
      • TVではあまり伝えない広島原爆式典での残念な事。式典に参加した人だからわかる一部参加者の残念な行動 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

        毎年8月6日には、 広島市の平和記念公園で平和記念式典が行われます。 この式典は、 原爆で犠牲になられた方を追悼するものですが、 式典周辺にはマナーを欠いた行動を取る方々も 一部見受けられました。 今回は、2023年(令和5年)8月6日(日)の 広島平和公園周辺で見かけた 残念な方々の行動やマナーについて考えてみます。 (広島原爆慰霊祭の意義と目的) 1945年(昭和20年)8月6日、広島に人類史上初めて原子爆弾が投下されました。 広島平和記念式典は、この原爆で犠牲になった方々を追悼し、平和と被爆者の尊厳を 称える大切な式典です。 総務省HPに記載されている広島平和記念式典の趣旨を引用します。 「原爆死没者の霊を慰めるとともに、世界恒久平和の実現を祈念するため、平和記念公園の原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)前において、原爆死没者の遺族をはじめ、市民多数の参加のもとに平和記念式典を挙行

          TVではあまり伝えない広島原爆式典での残念な事。式典に参加した人だからわかる一部参加者の残念な行動 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
        • 事故物件の日本史【第2回】『源氏物語』の舞台は王朝心霊スポット〜河原院と二条院|大塚ひかり

          「事故物件」と聞いて、まずイメージする時代は、“現代”という方がほとんどではないでしょうか。 しかし、古典文学や歴史書のなかにも「事故物件」は、数多く存在するのです。 本連載では、平安以降のワケあり住宅や土地を取り上げ、その裏に見え隠れする当時の人たちの思いや願いに迫っていきます。 第一章 なぜ『源氏物語』の舞台は事故物件ばかりなのか/後編 宇治十帖の舞台は広大な墓場 さて、主人公の源氏死後、その孫たちの物語を描いたのが「宇治十帖」と呼ばれる巻々だ。 その舞台となった宇治は、平安初期、 “わがいほは都のたつみしかぞすむ世をうぢ山とひとはいふなり”(私の庵は都の東南にあって鹿の住むような所だが、このように心を澄まして住んでいる。それを人は宇治山…憂し山…などと、この世をつらく思って遁世したと言っているらしい) と、喜撰法師に歌われて以来、“憂し”の意を込めた歌枕になった。 平安中期の『源氏物

            事故物件の日本史【第2回】『源氏物語』の舞台は王朝心霊スポット〜河原院と二条院|大塚ひかり
          • 「日本史王」本郷和人のアート入門第9回 抽象絵画と歴史がつながった!「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開」(アーティゾン美術館)

            「日本史王」本郷和人です。僕は1988年に東京大学史料編纂所に入所して、30年以上、『大日本史料』の編纂をしてきた歴史研究者です。美術は素人ながら大好きですが、「分からない」からと避けていたのが近代西洋画の「抽象絵画」でした。そんな僕が訪れたのがアーティゾン美術館の「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開」です。 前回は、アーティゾン美術館学芸員の新畑泰秀さんに教えてもらったことを、みなさんと共有しましたが、今回は、会場を歩いたり、新畑さんと会話したりする中で、浮かんできた「日本史」とのつながりについてです。こんな体験ができるなんて、やっぱり美術展巡りは楽しいなぁ。 日本人は抽象絵画が得意? 20世紀初頭にヨーロッパで成立した「抽象絵画」。カメラなど近代化の流れと関係があったことを前回紹介しました。 本展は12章構成ですが、そのうちSection4「日本における抽象絵画の萌芽と展開」

              「日本史王」本郷和人のアート入門第9回 抽象絵画と歴史がつながった!「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開」(アーティゾン美術館)
            • 青木遺跡|島根県出雲市【AICT開催レポート】第142次現地講座「古代の山陰に君臨した王たちの実像を追う 出雲と石見の古代史 出雲後編」その1 – 日本史で遊ぼう ~AI World~

              青木遺跡|島根県出雲市【AICT開催レポート】第142次現地講座「古代の山陰に君臨した王たちの実像を追う 出雲と石見の古代史 出雲後編」その1 2024年4月に開催した出雲の現地講座の後編では、初日の最後に出雲市の青木遺跡を訪れました。到着したのは17時半過ぎです。 青木遺跡は、バイパス改良工事に伴って調査がされ、弥生時代の墳墓や律令時代の建物跡などが検出されました。概要は現地説明板をご覧ください。 説明板での説明の比率が奈良・平安に高いことから、そちらの時代の方がクローズアップされているようですが、本稿では弥生時代について述べます(なお、奈良平安時代の遺物としては貴重な木簡が100点近く出ており、神像も興味深いです)。 出雲平野では、弥生中期中葉に人口が増え、生産力が向上したことが各地の遺跡の内容から分かりますが、当然ながらそれを統括する人物が現れたことが想定でき、実際に首長墓と見られる

              • 高校日本史教科書の英語版 | 山川出版社

                日本史を英訳するにあたって、歴史用語の定訳(決まった訳)がないものも多く、どの表現が適切か一つ一つ検討しながら翻訳を進める必要がありました。 通史として英訳することは困難の連続でしたが、定本となった日本史の教科書に自信を持つ山川出版社だからこそ、完成させることができました。

                • 『NEWSポストセブン【逆説の日本史】「なぜ大日本帝国では権力が一本化されていなかったのか?」と』

                  ☆★☆★☆☆☆歴史タイムッス★☆☆★☆☆★古今東西歴史関連記事リンク集日本史娯楽検証物語サイト「歴史チップス」執筆のネタ探しとして日本や世界のメディアや個人・企業サイトから歴史関連記事リンク集を作成(リンク切れ御免)。また、「古今チップス(旧歴史タイムズ・現歴史タイムス)」の2005年11月~2014年12月のバックナンバーも掲載。

                    『NEWSポストセブン【逆説の日本史】「なぜ大日本帝国では権力が一本化されていなかったのか?」と』
                  • 「ねこねこ日本史」アニメ/キッズ

                    その猫、織田信長! / 幕末に龍馬あり!~青春編~ / スーパーキャット、聖徳太子! / 新選組、疾風伝! / 家康は天下の苦労人!~関ヶ原編~ / 戦上手、真田幸村!~迷走!?編~ / 平安絵巻、紫式部! / 源頼朝、鎌倉に立つ! / がんばれ、藤原道長! / 無敵、武田信玄伝説! / おしゃれ独眼竜政宗!~大ピンチ編~ / 幕末に龍馬あり!~ねこねこの夜明け編~ / ドキドキ、縄文人! / 戦上手、真田幸村!~大坂の陣編~ / 家康は天下の苦労人!~しかめっつら編~ / 足利尊氏、ゼッコーチョー! / ヒーロー大塩平八郎、見参! / 清少納言、いとをかし! / いぬいぬ将軍、徳川綱吉! / 新選組、青春編! / 若武者、源義経! / ねこねこマップだ、伊能忠敬! / 忠臣蔵だよ、大石内蔵助! / 宮本武蔵、天下一なり! / いくぜ信長、桶狭間! / 女領主井伊直虎、誕生編! / はだか

                      「ねこねこ日本史」アニメ/キッズ
                    • 日本史用語翻訳グロッサリー・データベース

                      本サイトでは、国際的な⽇本史研究の基盤構築の⼀環として、⽇本史に関する史料⽤語・研究概念の外国語訳を蓄積し、検索機能を提供しています。

                        日本史用語翻訳グロッサリー・データベース
                      • 2023年(令和5年)参加したイベント (後半:6月~12月) - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

                        2023年(令和5年)に参加したイベント、 6月から12月分を紹介します。 【6月4日 B29日本本土初空襲説明会】 【6月18日 アメリカが記録した北九州初空襲講演】 【6月30日 水無月の大祓式】 【7月8日 安倍元首相の一周忌法要】 【7月15日 博多祇園山笠 追い山】 【7月15日 飯塚山笠】 【7月17日 平成ことこと列車に乗ってみた!】 【7月30日 夏越祭:海上渡御】 【7月31日 夏越祭】 【8月1日 新しい朝が来た!! 公開ラジオ体操に参加!!】 【8月6日 広島原爆式典】 【8月8日 八幡大空襲慰霊祭】 【8月13日 西日本最大級の関門海峡花火大会観覧】 【8月25日 軍馬霊祭】 【小倉城 天守閣バー】 【プレゼントがあたった! 博多水炊きセット当選!】 【9月13日 youtuberデビュー】 【9月18日 稲川淳二の怪談ナイト2023】 【10月8日 北九州市制60

                          2023年(令和5年)参加したイベント (後半:6月~12月) - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
                        • 日本軍にヒョウがいた!!兵隊さんに育てられたヒョウ ハチ  - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

                          上の写真、兵隊さんが抱っこしているのはヒョウです。 戦争中、中国大陸にいた日本軍のなかに ヒョウを帯同していた部隊がありました。 (赤ちゃんのヒョウを発見) そもそもなぜ、日本軍の部隊がヒョウを飼育していたかというと、話は日中戦争中の1941年(昭和16年)にさかのぼります。 2月28日、中国の湖北省陽新県に、高知出身の隊員を中心とした「鯨部隊」(歩兵第236連隊)が駐屯していました。 その部隊の小隊長の成岡正久第三氏(当時41歳)のもとに、現地の中国人から、近くの山にヒョウがいて家畜や住民を襲撃するので退治してほしいと要請が来ます。 それをうけ成岡小隊長が部下3名を連れて山に入り、ヒョウがいる洞窟に、燃える木々を投げ入れ、焼き討ちをします。しかし、大きなヒョウの姿はなく、代わりに生まれたばかりの2頭の赤ちゃんヒョウを発見します。 成岡さんは、洞穴から、この2頭を部隊に連れて帰り、1匹は鉱

                            日本軍にヒョウがいた!!兵隊さんに育てられたヒョウ ハチ  - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
                          • 四国を統一した武将、長宗我部元親が辿った生涯|秀吉の四国攻めで臣下に降った土佐の戦国大名【日本史人物伝】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

                            長宗我部元親が生きた時代 長宗我部氏は戦国時代における土佐の戦国大名です。この頃、土佐では「土佐の七雄」と呼ばれる長宗我部氏を含む有力な大名と、一条氏(五摂家の一つ。応仁の乱を避けて土佐に避難し、国司になった)が勢力拡大のために争っていました。 長宗我部氏は七雄の中では、最も勢力が弱い存在でしたが、長宗我部元親が当主になって次々とライバルたちに打ち勝ち、土佐だけにとどまらず、四国を統一するまでに成長しました。 長宗我部元親の足跡と主な出来事 長宗我部元親は生年が天文8年(1539)で、没年が慶長4年(1599)です。その生涯を、出来事とともに見ていきましょう。 幼少期 当初、元親は武将になるほど勇ましいというわけではなかったようです。少年時代は「姫和子(ひめわこ)」と呼ばれ、色白でおとなしかったとか。あまり戦場で活躍するとは思われていなかったようです。 ところが、初陣にて50騎をともなって

                              四国を統一した武将、長宗我部元親が辿った生涯|秀吉の四国攻めで臣下に降った土佐の戦国大名【日本史人物伝】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
                            • 【日本史教科書シェアNo.1『詳説日本史』の英語版が登場】

                              【あなたの使っていた日本史の教科書が英語に】 2019年に『英文詳説世界史』を発売してから、約5年。ついに『英文詳説日本史』が完成しました。 日本史を英訳するにあたって、歴史用語の定訳(決まった訳)がないものも多く、どの表現が適切か一つ一つ検討しながら翻訳を進める必要がありました。 通史として英訳することは困難の連続でしたが、定本となった日本史の教科書に自信を持つ山川出版社だからこそ、完成させることができました。 英文をより読みやすくする工夫について みなさんに手に取っていただけるように、本書には読みやすくする工夫を盛り込んでいます。 特徴1.日本通史の詳細な記述を活かして、丁寧でわかりやすい翻訳にしました。 特徴2.本文中の歴史用語には日本語表記も併記しています。 特徴3.さまざまな読み方ができるように、英語と日本語両方の索引を掲載しています。 英語でもういちど日本史を読む 例えば古墳の

                                【日本史教科書シェアNo.1『詳説日本史』の英語版が登場】
                              • 【日本史】もはや戦国大名より強い?織田信長もびっくりな戦闘力を秘めていた、桁ちがいの寺院勢力・3選(原田ゆきひろ) - エキスパート - Yahoo!ニュース

                                戦国時代の天下取りレースと言えば、誰もが武将たちの勢力や能力を見比べて、考えるところでしょう。 しかし、例えば織田信長が活躍する前後の時代、有力と言われていた戦国大名に匹敵・・もしくは、それ以上とも見なせる力を持った組織が、存在していました。 それは仏教勢力です。有力な寺院ともなれば財力や兵力、さらには率いる人物の軍才に至るまで、その辺の大名をも上回ることがありました。 いったい何故、それほどの戦闘力を秘めていたのでしょうか。その背景も含め、この記事では特に際立つ、3勢力をピックアップしてご紹介したいと思います。 比叡山延暦寺(ひえいざん・えんりゃくじ)~日本の影の実力者?~今でも有名な天台宗の総本山であり、日本史の勉強で“開祖は最澄(さいちょう)”と暗記した方も、多いのではないかと思います。 位置的には京都の北側、陰陽道に照らすと“仇をなす外敵が来る”と言われる鬼門の方角に居を構えていた

                                  【日本史】もはや戦国大名より強い?織田信長もびっくりな戦闘力を秘めていた、桁ちがいの寺院勢力・3選(原田ゆきひろ) - エキスパート - Yahoo!ニュース
                                • 米・ご飯の日本史 メモ

                                  「宮澤賢治 雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラッテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ (中略) サウイフモノニ ワタシハナリタイ (後略)」 青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45630_23908.html 灰田蘆憲 @haidaroken 『文人悪食』。嵐山光三郎ほどの物知りでも間違える。宮沢賢治の例の詩「玄米四合/日」を大食いと評価。鴎外によると明治期の陸軍では白米六合/日が配給された。さらにカロリー以外に蛋白質もコメから摂取するとなると四合はきつい。慢性的飢餓状態か。

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                                  • 長州萩の中央公園に立つ久坂玄瑞進撃像  - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

                                    維新の志士・久坂玄瑞の像が山口県萩市にありました! (萩城下町すぐ近くにある久坂玄瑞像) 薩摩藩とともに江戸幕府倒幕及び明治日本建設の重要な役割を果たした長州藩。 その長州藩の萩城城下町のすぐ近くにある萩市中央公園に久坂玄瑞進撃像が立っています。 銅像の高さは約1.8メートルで、台座を合わせると約3メートル。この像は高杉晋作の像を手掛けた彫刻家の江里敏明さんの作品です。 禁門の変から150年=久坂玄瑞没後150年にあたる2014年(平成26年)から制作され、翌年の2015年(平成27年)1月24日13時頃に除幕式が行われました。 (幕末の志士・久坂玄瑞) 久坂玄瑞は1840年5月に萩藩医の三男として誕生しました。藩校医学所好生館に入学した後、藩校・明倫館に入学します。母、兄、父が次々となくなり15歳にして家督を継ぎ名前を「玄瑞」と改めました。 1857年、 18歳となった玄瑞は松下村塾へ入

                                      長州萩の中央公園に立つ久坂玄瑞進撃像  - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
                                    • 日本史を彩る道教の謎

                                      日本史を彩る道教の謎-日本の習俗・信仰に潜む中国道教の痕跡 著者 高橋 徹  千田 稔 日本文芸社  1991年10月20日発行 力バー・デザイン 吉田 類 図版制作 天馬夢麿 写真提供 朝日新聞社・高橋徹・千田稔・符川寛・松田常子 ISBN4-537-02222-1 C-0015 日本史を彩る道教の謎【目次】 まえがき-日本文化に投影する道教の影響 中国固有の信仰、道教についての関心がわが国でも高まり出した。海外旅行にひんぱんに出かけるようになり、日本人が道教寺院を見学する機会が増えたことも原因のひとつであろう。台湾はもちろん、東南アジアの国々の中国人街にある道教寺院はどこもにぎわっており、文化大革命で弾圧され一度は姿を消した中国本土の道教寺院も、再建がはじまり観光地になりだしたからだ。 中国の歴史をひもといてみると気づくが、道教は権力者から民衆まで幅広く支持され、風俗習慣に与えた影響は

                                      • 関白・藤原頼忠の長男・藤原公任の生涯|紫式部や清少納言も歌人として一目置いた、道長の同い年の友人【日本史人物伝】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

                                        藤原公任が生きた時代 藤原公任は、康保3年(966)に生まれます。9世紀後期頃、天皇家とのつながりを強めていた藤原氏は、ほかの貴族たちを凌駕するほどに、勢力を拡大していました。中でも、藤原北家は格式高い家柄とされ、周囲から一目置かれる存在でした。 公任は、そんな藤原北家の嫡流である小野宮家に生まれ、素晴らしい才能を持った歌人・文人として、その名を知らしめることとなるのです。 藤原公任の足跡と主な出来事 藤原公任は、康保3年(966)に生まれ、長久2年(1041)に没しました。その生涯を、出来事とともに紐解いていきましょう。 小野宮家の嫡子として生まれる 藤原公任は、康保3年(966)、関白太政大臣・藤原頼忠と、醍醐(だいご)天皇の孫娘にあたる厳子(げんし)女王の長男として生まれます。父・頼忠は、小野宮家出身だったため、公任は政治の中枢を担う家系と、天皇家の間に生まれたサラブレッドだったと言

                                          関白・藤原頼忠の長男・藤原公任の生涯|紫式部や清少納言も歌人として一目置いた、道長の同い年の友人【日本史人物伝】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
                                        • 沖縄那覇の宿泊ならここがお勧め!! CABIN & HOTEL CONSTANT NAHA(キャビン&ホテルコンスタント那覇)宿泊体験談 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

                                          沖縄の那覇に宿泊したいけど、 安くて繁華街に近い宿泊所がないかなあ・・・ そんなあなた! CABIN & HOTEL CONSTANT NAHA (キャビン&ホテルコンスタント那覇)をお勧めします! 沖縄の那覇、観光地ということでホテルの料金は高いです。しかししかし!!国際通りに面し、リーズナブルで快適な宿泊所がありました。実際に2泊利用したので体験談を紹介します。 それは、CABIN & HOTEL CONSTANT NAHA (キャビン&ホテルコンスタント那覇)です! (空港から近く、国際通りに面しています) 、CABIN & HOTEL CONSTANT NAHAは、ゆいレール那覇空港から16分の牧志駅で下車し徒歩で約11分、あるいは、ゆいレール那覇空港から14分の美栄橋駅で下車して徒歩約12分の場所にあります。 国際通りから続くアーケード街の中にあり、牧志公設市場や「やちむん通り」

                                            沖縄那覇の宿泊ならここがお勧め!! CABIN & HOTEL CONSTANT NAHA(キャビン&ホテルコンスタント那覇)宿泊体験談 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
                                          • 9月11日、GHQが戦争犯罪人の逮捕を開始、東條元首相はピストル自殺をはかる! - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

                                            ミズーリ号での降伏文書の調印からわずか9日後の 9月11日、GHQは戦争犯罪人の逮捕をはじめます。 その同日、開戦時の総理大臣だった東條英機元首相は ピストル自殺をはかります。 (「戦争犯罪人処罰」はポツダム宣言に明記) ポツダム宣言を受諾し、有史以来はじめて外国の領土になった日本・・・。 日本が受諾したポツダム宣言は、1945年(昭和20年)7月26日に、ドイツ・ベルリン郊外でひらかれたポツダム会談で、連合国のアメリカ、イギリス、中華民国の名で出された、日本に対する降伏勧告の宣言で、全13条から成ります。 この第10条をみますと・・・ 十 吾等ハ日本国民ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルベシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙

                                              9月11日、GHQが戦争犯罪人の逮捕を開始、東條元首相はピストル自殺をはかる! - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
                                            • 【朗報】これが八幡和郎さん(政治学者)が作った歴代内閣総理大臣格付けランキングらしいぞ!!!!!【日本史】 : 哲学ニュースnwk

                                              2024年04月04日08:09 【朗報】これが八幡和郎さん(政治学者)が作った歴代内閣総理大臣格付けランキングらしいぞ!!!!!【日本史】 Tweet 1: 安倍晋三@基本情報技術者試験合格者(庭:栃木県) 2024/04/03(水) 19:12:08.61 0 政治学者の八幡和郎さんによる歴代内閣総理大臣格付けランキング 2024年版 ※首相在任中の実績で評価。首相でなかった時の実績は対象外。 【10点】 伊藤博文 原敬 吉田茂 池田勇人 安倍晋三(2回目) 【9点】 山県有朋 桂太郎 東久邇宮稔彦王 幣原喜重郎 大平正芳 小渕恵三 【8点】 黒田清隆 西園寺公望 山本権兵衛 加藤友三郎 鈴木貫太郎 岸信介 福田赳夫 【7点】 加藤高明 田中義一 犬養毅 佐藤栄作 橋本龍太郎 森喜朗 菅義偉 【6点】 松方正義 高橋是清(大蔵大臣としては10点) 浜口雄幸 片山哲 三木武夫 細川護熙 

                                                【朗報】これが八幡和郎さん(政治学者)が作った歴代内閣総理大臣格付けランキングらしいぞ!!!!!【日本史】 : 哲学ニュースnwk
                                              • ブログ記事一覧|化粧の日本史ブログ by Yamamura

                                                化粧の日本史ブログ by Yamamura昔の化粧から今の化粧まで、 化粧と社会、化粧と文化に関する さまざまな話題をとりあげていきます。 サイト内の文章・写真などの複製、無断転載を禁止します

                                                • 東陽堂書店 仏教本専門店(和本・古書・新刊書)・宗教・易・日本史・東洋史

                                                  東陽堂書店です 仏教を専門に古典籍(和本)から最新刊書まで・宗教・易・日本史・東洋史も扱っております。 買取もやっております。

                                                  • 11月7日 青島陥落 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

                                                    11月7日は、日独戦争(当時の第一次大戦の呼び名)で、 青島が陥落した日です。 (日本、青島攻撃) 1914年(大正3年)第一次世界大戦が始まり、日本は日英同盟に基づき連合国の一員として参戦します。 そして10月31日には、日英両軍は中国にあったドイツ租借地の青島への攻撃を開始します。下の写真は日本軍の青島守備隊です。 当時、この戦いは日独戦争(にちどくせんそう)と言われました。 下の写真は、ドイツ軍の青島要塞を砲撃する四五式二十糎榴弾砲です。 下の写真は日本軍陣地です。 【出典:幕末・明治・大正回顧八十年史 第18輯14ページ・昭和11年出版 国立国会図書館デジタルhttps://dl.ndl.go.jp/pid/8797974/1/14】 独逸軍の青島陣地には、下のようなドイツ軍の偽砲もありました。 【出典:幕末・明治・大正回顧八十年史 第18輯14ページ・昭和11年出版 国立国会図書

                                                      11月7日 青島陥落 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
                                                    • 野呂邦暢『日本史の旅人』を読む - mmpoloの日記

                                                      野呂邦暢『日本史の旅人』(中公文庫)を読む。副題が「野呂邦暢史論集」。野呂邦暢は作家、37歳で芥川賞を受賞するも43歳の若さで亡くなっている。私は40年以上前、野呂の小説が好きで何冊も読んだ記憶がある。亡くなって40年以上経った昨今また野呂が再評価されている。 そんな流行に乗って、野呂が書いた日本史関係のエッセイを編集したものが本書だ。私は知らなかったが、亡くなる直前に雑誌『邪馬台国』の初代編集長を務めていたという。野呂が急逝して編集長は安本美典に引き継がれた。だから私は『邪馬台国』は安本の個人誌だとばかり思っていた。 野呂は長崎市出身で、宮崎康平の『まぼろしの邪馬台国』』で古代史の面白さを知ったとあるように、邪馬台国捜しに熱中していく。野呂は邪馬台国九州論である。そして古田武彦の邪馬台国博多湾岸説に引き付けられていく。雑誌『歴史と人物』1980年7月号に掲載された「〈熱論〉「邪馬台国」を

                                                        野呂邦暢『日本史の旅人』を読む - mmpoloの日記
                                                      • 8月18日 兵隊さんに育てられたヒョウ ハチ 毒殺される - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

                                                        1943年(昭和18年)8月18日、 “兵隊さんに育てられたヒョウ”のハチが毒殺されます。 (出会い) 日中戦争中の1941年(昭和16年)2月28日、中国の湖北省陽新県に、高知出身の隊員を中心とした「鯨部隊」(歩兵第236連隊)が駐屯していました。 その部隊の小隊長の成岡正久第三氏は、当時41歳。高知出身で、大学卒業後に召集されました。 その小隊長のもとに、現地の中国人から要請が来ます。 牛頭山と呼ばれる岩山に3mもの大きなヒョウがいて、家畜や人を襲撃するので退治して欲しいというのです。 そこで成岡小隊長が部下3名を連れて山に入り、ヒョウがいる洞窟に、燃える木々を投げ入れ、焼き討ちをします。しかし、大きなヒョウの姿はなく、代わりに生まれたばかりの2頭の赤ちゃんヒョウを発見します。 成岡さんは、この2頭を部隊に連れて帰り、1匹は鉱山で働く日本人技師に預け、首筋にやけどのあとが残るもう1匹を

                                                          8月18日 兵隊さんに育てられたヒョウ ハチ 毒殺される - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
                                                        • 家康の説得に、決死の「さらさら越え」を敢行した、佐々成政の生涯|信長の親衛隊“黒母衣衆”の筆頭【日本史人物伝】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト - Part 2

                                                          家康の説得に、決死の「さらさら越え」を敢行した、佐々成政の生涯|信長の親衛隊“黒母衣衆”の筆頭【日本史人物伝】 秀吉と対立、決死の「さらさら越え」 天正11年(1583)、対立が決定的となった秀吉と勝家による「賤ケ岳の戦い」が勃発。成政は勝家に与して戦いますが、秀吉が勝利することに。その後、成政は秀吉に降伏しますが、成政が忠誠を誓ったのは秀吉ではなく織田家だったのです。 三法師を後継者として擁立し、権力を持ちだした秀吉に不満を抱えていた成政。天正12年(1584)、家康と信長の次男・信雄(のぶかつ)が秀吉と戦う「小牧・長久手の戦い」が勃発すると、秀吉に反旗を翻しました。 成政は、秀吉側についた前田利家と激戦を繰り広げますが、あと一歩のところで家康と信雄が、秀吉と和睦してしまうのです。これに納得のいかない成政は、家康の説得を決意。真冬の立山連峰を越えて、家康のいる浜松城へと向かうことに。 「

                                                            家康の説得に、決死の「さらさら越え」を敢行した、佐々成政の生涯|信長の親衛隊“黒母衣衆”の筆頭【日本史人物伝】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト - Part 2
                                                          • 【保存版】これは便利!はてなブログをX(旧ツイッター)にアップしたあとに、サムネイルを変える方法 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

                                                            はてなブログの記事を X(旧ツイッター)にアップしたあと、 サムネイルがイマイチだと気がついて 変更したいなあ・・と思ったことありませんか? それ簡単に変更できるんです。その方法を紹介します。 (アップしたサムネイルを変えたい!) はてなブログの記事をX(旧ツイッター)にアップしたとき、サイズの問題などで予想した通りにならないことがありますよね。 本来は、下のようなサムネイルにしたかったのに・・。 実際にアップしたらこうなりました。 これじゃあ、サムネイルが一部しか映ってなくて何が何だかわかりませんね。 こんなサムネイルじゃいやだ、変えたい!! でも、1回UPしたので、どうしようか。。。 そんなときは、簡単に変更できます。 (サムネイル変更手順) ではサムネイル変更手順紹介します。 ①はてなブログでの作業 はてなブログの「編集オプション」の歯車を押して、小さく表示されているアイキャッチ画像

                                                              【保存版】これは便利!はてなブログをX(旧ツイッター)にアップしたあとに、サムネイルを変える方法 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
                                                            • 大河ドラマ 光る君へ 第9話「遠くの国」ネタバレあらすじ  - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

                                                              おっさんは「光る君へ」を 平安時代の宮中を舞台にしたドラマと考えて見ています。 今回は第9話「遠くの国」のあらすじです。 今回は2つの衝撃がありました。 それでは、あらすじを見て行きましょう。 (まひろ捕まる!) 道長は、押し入った盗賊をつかまえてみたところ、その正体が直秀であったことを知り、盗賊を検非違使に引き渡すよう告げます。 何が起きたかを知らない、まひろは、数日後、直秀たちの隠れ家を訪ねました。 しかし、そこには散楽一座の姿はありませんでした。その直後に、放免たちがやってきて散楽一座が盗んだ盗品が隠されていないか探しはじめます。 その様子にまひろは 「何するんですか。散楽の人たちが何をしたというんですか」と言い、乙丸と一緒に放免たちを止めようとしますが、逆に、盗賊の仲間と思われ、つかまり獄に連れて行きます。 (早めにとき放って) その頃、道長は直秀の罪を軽くしてもらうために、「早め

                                                                大河ドラマ 光る君へ 第9話「遠くの国」ネタバレあらすじ  - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
                                                              • 『ライブドアニュース【日本史】大仏で有名な東大寺を建立した天皇といえば?(第58問) - ライブ』

                                                                ☆★☆★☆★☆歴史タイムッス☆★☆☆★☆★古今東西歴史関連記事リンク集日本史娯楽検証物語サイト「歴史チップス」執筆のネタ探しとして日本や世界のメディアや個人・企業サイトから歴史関連記事リンク集を作成(リンク切れ御免)。また、「古今チップス(旧歴史タイムズ・現歴史タイムス)」の2005年11月~2014年12月のバックナンバーも掲載。

                                                                  『ライブドアニュース【日本史】大仏で有名な東大寺を建立した天皇といえば?(第58問) - ライブ』
                                                                • 坂東巳之助さん演じる円融天皇と本郷奏多さん演じる花山天皇は…オジとオイ?複雑すぎる『光る君へ』前後の天皇と藤原氏の関係を日本史学者が整理 謎の平安前期<前編>|話題|婦人公論.jp

                                                                  大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。いよいよ2024年1月7日から放送が始まりました。しかし「藤原の名前多すぎ!」などと、さっそくネット上にはその複雑な人間関係についての感想があがっているようです。そこで2回にわたり、日本史学者の榎村寛之さんに当時の天皇と藤原氏の”複雑すぎる”関係について整理してもらいました。 円融天皇と花山天皇 『光る君へ』ではここまで、円融(えんゆう)天皇(即位前は守平親王。演:坂東巳之助さん)、東宮は師貞(もろさだ)親王(のちの花山《かざん》天皇。演:幼少時は伊藤駿太さん。成長後は本郷奏多さん)という二人の天皇が登場した。 しかし、この2人、とても親子には見えなかった。じつは師貞親王は皇太子ではなく、円融天皇の兄、冷泉天皇(憲平《のりひら》親王)の長男、つまり、

                                                                    坂東巳之助さん演じる円融天皇と本郷奏多さん演じる花山天皇は…オジとオイ?複雑すぎる『光る君へ』前後の天皇と藤原氏の関係を日本史学者が整理 謎の平安前期<前編>|話題|婦人公論.jp
                                                                  • 性差ジェンダーの日本史 | 展示・イベント | 国立歴史民俗博物館

                                                                    twitter「性差(ジェンダー)の日本史」 昨年開催された企画展示「性差(ジェンダー)の日本史」のアーカイブ映像がニコニコ美術館にて公開されています。 趣旨時の流れに浮かんでは消える無数の事実を指す「歴」と、それを文字で記した「史」。日本列島社会の長い歴史のなかで、「歴」として存在しながら「史」に記録されることの少なかった女性たちの姿を掘り起こす女性史研究を経て、新たに生まれてきたのが、「なぜ、男女で区分するようになったのか?」「男女の区分のなかで人びとはどう生きてきたのか?」という問いでした。本展は、重要文化財やユネスコ「世界の記憶」を含む280点以上の資料を通して、ジェンダーが日本社会の歴史のなかでどんな意味をもち、どう変化してきたのかを問う、歴史展示です。 本展では、まず、政治の行われる空間に着目して、区分の始まりを考えます。人びとを「男」と「女」に二分し異なる役割を定める社会は、

                                                                      性差ジェンダーの日本史 | 展示・イベント | 国立歴史民俗博物館
                                                                    • 源頼朝の生涯と業績:日本史を変えた英雄の物語 #源頼朝 #日本史 - 私立文系大学卒会社員が米国株で徐々に収入を得ながらプライベートキャンプ場を作る

                                                                      鎌倉幕府の創設者源頼朝。彼は1147年、源義朝の三男としてこの世に誕生した。若き頼朝は、平治の乱で父が敗れた後、運命の波に翻弄され、伊豆国へと流罪となった。しかし、この地で彼は北条時政の娘、政子と出会い、結婚する。この結婚が、後の彼の運命を大きく左右することとなる。 時は流れ、1180年。頼朝は以仁王の令旨を受け、平家に対抗するための軍を組織する。彼の政治的才能と戦略は、平家の支配を終わらせ、源氏の勢力を確立する上で重要な役割を果たした。頼朝の平家に対する勝利は、頼朝を日本の武士階級の支配者として確固たるものとしたのである。 そして、1192年、頼朝は征夷大将軍に任命され、新たな時代の幕開けとなる鎌倉幕府を設立した。幕府の設立は、日本の政治体制に変化をもたらし、中央集権的な政治体制から地方に権力を分散させるという新たな形態を導入した。これにより、日本の政治は天皇中心の体制から武士階級が主導

                                                                        源頼朝の生涯と業績:日本史を変えた英雄の物語 #源頼朝 #日本史 - 私立文系大学卒会社員が米国株で徐々に収入を得ながらプライベートキャンプ場を作る
                                                                      • SGU10周年記念シンポジウム「〈日本〉史をひらく」開催のお知らせ

                                                                        国際日本学拠点では、12月9日(土)・10日(日)の2日間にかけて、SGU最終成果発表シンポジウム「〈日本〉史をひらく」を開催いたします。 「スーパーグローバル大学創成支援事業」では、最終年度となる2023年度に7つのモデル拠点がこれまでの成果を広く発信するシンポジウムシリーズを企画しております。このシンポジウムは、早稲田大学スーパーグローバル大学創成支援事業の成果発信を目的として開催いたします。 本シンポジウムでは、ヨーロッパやアメリカ在住の〈日本〉史ないし〈日本〉文化に関する研究者などを招聘することによって、国際的な視野から〈日本〉を見つめ直し、再検討する機会を提供することをめざします。 開催詳細 日時:2023年12月9日 (土) 13:00- (17:40より懇談会)、12月10日 (日) 10:00開始 会場:早稲田大学戸山キャンパス33号館3階 第1会議室、オンライン(Zoom

                                                                          SGU10周年記念シンポジウム「〈日本〉史をひらく」開催のお知らせ
                                                                        • B29最多撃墜記録を有する陸軍のエースパイロット・樫出 勇 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

                                                                          日本本土を焼け野原にしたB29, そのB29の最多撃墜記録を持つ戦闘機乗りがいます。 日本陸軍のエース樫出 勇(かしいで いさむ)です。 (ノモンハンで5機撃墜) 樫出 勇は樫出は1915年(大正4年)新潟生まれ。1934年(昭和9年)に陸軍少年飛行兵の第1期生となり、1939年(昭和14年)9月には、ソ連軍との間でおきたノモンハン事件に参戦し5機以上を撃墜する戦果を挙げます。 (九州の護りに) 樫出 勇は、1940年(昭和15年)に飛行第4戦隊(小月)に転属します。基地の近くには、北九州があり、ここには日本の工業の要である八幡製鉄所がありました。 樫出は、飛行第4戦隊で、双発の二式複座戦闘機「屠龍」を愛機とし本土防衛にあたります。 屠龍は、空中戦用に操縦席と後部座席の間にホ5(二式二十粍固定機関砲)2門を、斜め上向きに装備しています。 (B29日本本土初空襲で迎撃) 1944年(昭和19

                                                                            B29最多撃墜記録を有する陸軍のエースパイロット・樫出 勇 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
                                                                          • 1914年(大正3年)1月12日午前10時5分 桜島大噴火 大隅半島と陸続きになる! 大正大噴火(鹿児島 桜島) - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

                                                                            【埋没鳥居の隣にあった資料館の写真より】 1914年(大正3年)1月12日、 鹿児島県にある桜島が大噴火します。大正大噴火です。 この大噴火で溶岩などが流れ出し 桜島は大隅半島と陸続きになりました。 (鹿児島のシンボル:桜島) 鹿児島県のシンボル桜島。東西約12km、南北約10 km、周囲約55 km、面積約77km² の火山で、今もよく小規模な噴火をしています。 (大正大噴火) 1914年(大正3年)1月12日、桜島は大噴火を起こし、この噴火は1915年(大正4年)9月頃まで続いたと推定されています。 大正大噴火と呼ばれるこの噴火は、20世紀以降、日本で起きた火山噴火の中で噴出物量では最大であり、58名の死者、行方不明者を出したとされています。 下の写真を見るとその爆発の凄まじさがわかります。 この噴火で噴出した大量の火山灰・軽石は、上空18,000m以上まで上昇し、特に火山灰はカムチャ

                                                                              1914年(大正3年)1月12日午前10時5分 桜島大噴火 大隅半島と陸続きになる! 大正大噴火(鹿児島 桜島) - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
                                                                            • 真田昌幸の長男・真田信幸が辿った生涯|本多忠勝の娘を妻にし、関ヶ原で家康につき、真田家を守った兄【日本史人物伝】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

                                                                              はじめに-真田信幸(信之)とはどんな人物だったのか 真田信幸(さなだ・のぶゆき)は、関ヶ原の戦いで父と弟が西軍についたにも関わらず、自身は東軍について戦いました。結果的に、真田家を守ったことで有名です。さて、実際はどのような人物だったのでしょうか? 史実をベースにしながら、読み解いていきましょう。 2023年NHK大河ドラマ『どうする家康』では、徳川との対立関係を解消するべく本多忠勝の娘を妻にし、関ヶ原の戦いでは真田家存続のために父と反目する家康に味方するなど、真田と徳川の間で葛藤する人物(演:吉村界人)として、描かれます。 目次 はじめに-真田信幸とはどんな人物だったのか 真田信幸が生きた時代 真田信幸の足跡と主な出来事 まとめ 真田信幸が生きた時代 戦国時代の信濃では武士の自立性が強く、有力大名による信濃全体の統一的な支配がなされませんでした。甲斐の武田氏と越後の上杉氏が勢力を競い合い

                                                                                真田昌幸の長男・真田信幸が辿った生涯|本多忠勝の娘を妻にし、関ヶ原で家康につき、真田家を守った兄【日本史人物伝】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
                                                                              • 【書評】『賃金の日本史』高島正憲著

                                                                                日本の賃金労働者の歴史は貨幣が出現した古代にさかのぼる。各時代にどんな仕事でどれほどの額が支払われ、労働者の生活水準はどの程度だったのか。それを知るには膨大な古記録を集め、そこに記された名目賃金を基に物価を勘案した実質賃金を推計する必要がある。そうした数量経済史の手法で、1000年以上に及ぶ超長期の日本賃金史を描いた意欲作だ。 前近代の賃金労働者の中心は職人だ。中世の熟練職人の名目賃金は数百年にわたり1日100文程度が続いたが、なぜ物価の変動と連動しなかったのか。そうした点から、近代と異なる経済のあり方も見える。(吉川弘文館・2200円)

                                                                                  【書評】『賃金の日本史』高島正憲著
                                                                                • 『泣ける日本史』 - 愛すべき本たちの備忘録。たまにかたい本も。

                                                                                  赤穂浪士や武蔵坊弁慶など、泣けてくるお話が日本史にはたくさんあります。 本書では、さらにそこまで有名ではないけど、泣けるエピソードをいくつも紹介してくれています。 すごい人がたくさんいたんですね。 読んでいて、武士道を思い出しました。 何より名誉を大切にするのが、彼らだったのでしょうね。

                                                                                    『泣ける日本史』 - 愛すべき本たちの備忘録。たまにかたい本も。