デットマール・クラマー 日本サッカー改革論 作者:中条一雄 ベースボール・マガジン社 Amazon 小学校6年生の秋、田舎の個人病院の待合室で診察を待つ間、白黒テレビに流れるイングランド・サッカーの試合を見るともなく見ていた。タッチライン沿いをドリブルで疾走する選手。スライディング・タックルをかわしてゴールラインぎりぎりでセンタリング。ゴール前の選手が足に当てたボールがゴールネットに突き刺さった。そのスピードと目の覚めるような展開に一瞬にして心を奪われた。翌年、中学校に入学するや直ちにサッカー部に入部した。 1974年の6月から7月、西ドイツでFIFA(国際サッカー連盟)ワールドカップが開催された。西ドイツのベッケンバウアー、オランダのクライフ、ポーランドのディナ、ブラジルのリベリーノ。絢爛たる名選手たちが鎬を削った試合がテレビで放送された。中でもオランダのクライフ、ニースケンス、クロルら