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オリンピック4度出場の皆川賢太郎氏が振り返る競技人生 本格的なシーズンが到来したスノースポーツ。2022年の北京冬季オリンピック・パラリンピックを目指し、寒さを吹き飛ばすような熱い戦いが繰り広げられている。その舞台裏で、夢の祭典に4度出場した名スキーヤーが今、公益財団法人全日本スキー連盟の一員として第二の人生を送っている。皆川賢太郎氏。2006年のトリノオリンピックではアルペンスキーで4位入賞を果たした皆川氏は、なぜ、指導者でも解説者でもなく、連盟の1スタッフとして競技の普及・発展に尽力しているのか。競技生活を振り返りながら語ってもらった。 小学4年生で競技を始め、ジュニア時代から世界のトップで活躍すると、17歳でプロに転向。以来、ワールドツアーを回り、世界を股にかけて戦った。「公にしている手術は2回だけど、本当は5回した。プロ選手なので、怪我を明かすと商品価値がどんどん下がってしまうから
JOCエリートアカデミー生 インタビュー 練習環境と強い相手を求めて「アカデミー」へ ――競技を始めたきっかけと、「JOCエリートアカデミー」(以下アカデミー)に入ろう思った理由を教えてください。 平野: お母さんが卓球教室を開いていて、留守番が嫌でついて行くようになり、3歳には始めていました。練習環境が良かったし、強い相手もいっぱいいるので、アカデミーに入りました。 田南部: 弟が先にレスリングを始めていたのですが、それを見ているうちに楽しそうだと思い、私も小2から始めました。たくさん選手がいるところで練習して強くなりたいと思って、アカデミーを志望しました。 西藤: 父がフェンシングクラブを作って、コーチをしていました。姉が習っているのを見ているうちに興味をもち、5歳の頃には剣を握りました。中学の部活で練習していたのですが、さらに練習の質を上げたいと考えて、中学2年からアカデミーに入りま
梨良:山口の実家には練習場があり、家族みんなが卓球をしています。私も気づいたらラケットを握っていて、7歳で本格的に競技を始めました。姉のように私もオリンピックを目指したいと思い、「強くなるにはこの環境しかない!」と、自分からJOCエリートアカデミー(以下アカデミー)を志望し、2010年に第3期生として入校しました。 平日は登校前に朝のトレーニング、放課後は21時くらいまで練習、その後夕食を食べて宿題などをして23時消灯という生活をアカデミーで送っています。環境がとても整っていますし、姉を始めとするトップ選手と同じ場所で練習することは刺激になり、常に上を意識して卓球に取り組めます。「アカデミー生」というプレッシャーはほとんどありませんが、同世代の選手たちには負けたくないです。同世代に勝たないと上の世代の選手たちにも勝つことができませんから、まず同世代で一番になりたいですね。 アカデミーの生活
ラグビー日本代表・五郎丸歩選手インタビュー 厳しいトレーニングの成果は確実に上がっている ――9月には、イングランドでラグビーワールドカップ2015が開催されます。初めて日本代表を意識したのは? ――2012年にエディー・ジョーンズ氏がヘッドコーチ(HC)として日本代表の指揮官に就任しました。 ジョーンズHCは世界を知る名監督だというのが第一印象でした。後で褒め上手だと知りました。良いプレーをしたらいいと言ってくれますし、ダメだったら怒られます。そしてその基準が一貫しています。日本代表では毎日、朝5~6時からトレーニングしていて、かなりしんどいのですが(苦笑)、その分、体は大きくなりました。4年前は体重93~94kgでしたが今では100kgになりました。それでもしっかり走ることができるのは、今まで積み上げてきた成果だと思います。 ――ジョーンズHCはGPS(全地球測位システム)やiPad、
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