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江戸幕府 滅亡の検索結果1 - 12 件 / 12件

  • 淡路島三原平野の史跡と文化財を訪ねて 淡路島旅行①

    淡路島は何度か旅行をしているのだが、淡路島の南部にある三原平野は、古代から中世にかけて淡路国の政庁がおかれていたことから多くの史跡が存在し、また人形浄瑠璃の発祥の地であることに興味を覚えて、先日旅程を組んで淡路島各地を巡って来た。今回は三原平野を中心にレポートしたい。 天明の縄騒動と天明志士紀年碑 天明志士紀年碑と天明志士の碑 国道28号線の広田交差点を北西に進むと広田八幡神社があり、その東にある大宮寺(だいぐうじ:南あわじ市広田広田898)の境内の山手に「天明志士紀年碑」、その横に板垣退助が撰文した「天明志士の碑」が建立されている。いずれも、天明二年(1782年)に起きた淡路島最大の百姓一揆である「天明の縄騒動」の犠牲者を顕彰する碑なのだが、そもそもどのような事情で百姓一揆が起こったのであろうか。 当時淡路島を領有していた阿波藩は、参勤交代や幕府から命ぜられる相次ぐ土木工事のために財政が

      淡路島三原平野の史跡と文化財を訪ねて 淡路島旅行①
    • 歴史人「戦国最強家臣団」!戦国大名のかげに家臣団あり…信長、信玄、家康を支えた軍団とは?

      約100年続いた戦国時代。戦に明け暮れたからこそ整った戦いのシステムが「家臣団」です。 逆に言えば、この家臣団の存在そして強さ無くして、戦国武将は領土を拡大することはできませんでした。 方面軍を組織して天下取りまであと一歩のところまで迫った織田家臣団。 戦国最強と称された武田家臣団、鉄の絆と忠義で天下を制した徳川家臣団などなど…。 戦国乱世に覇を唱えた武将のかげに、主君を支えた家臣団あり…。 今日の夢中は、戦国大名を支えた軍団の強さに迫る総力特集、歴史人「戦国最強家臣団」です。 ■織田家臣団 戦国に名を馳せた戦国大名には、その躍進を後押ししたそれぞれの家臣団がいました。 歴史人は、その家臣団に注目。織田や武田、徳川、伊達など、名だたる武将の家臣団を分析、その強さや仕組みを徹底検証しています。 誌面には16の戦国大名の家臣団が紹介されています。それぞれ特徴や変遷があって興味深い…。 …のです

        歴史人「戦国最強家臣団」!戦国大名のかげに家臣団あり…信長、信玄、家康を支えた軍団とは?
      • 戦国大和の覇者・筒井氏~大和武士の一族(1) - 大和徒然草子

        当ブログでは鎌倉時代から江戸時代までの大和武士たちの活躍や動向を、当時の畿内史と関連付けながら21回にわたって「大和武士の興亡」として奈良の戦国史を詳しく紹介しました。 今回は奈良の戦国史について切り口を変え、戦国の大和で活躍した大和武士の一族たちに焦点を当てて、ご紹介していきます。 最初にご紹介する大和武士の一族は、戦国末期に大和国の覇権を握って近世大名へと躍進することになる筒井氏です。 筒井氏の出自 筒井氏歴代 順覚(南北朝~室町初期) 成身院光宣と順弘、順永(河上五ヶ関を巡る抗争と応仁の乱) 順尊、順賢(筒井氏の没落と大和復帰) 順興(筒井氏の戦国大名化) 順昭(大和を武力統一した最初の覇者) 順慶(近世大名化した最後の官符衆徒棟梁) 定次(筒井宗家最後の当主) 正次、正信(徳川氏旗本・筒井家) 筒井氏ゆかりの旧跡 筒井城 椿尾上城 郡山城 筒井順慶墓所 筒井氏関連年表 南北朝~戦国

          戦国大和の覇者・筒井氏~大和武士の一族(1) - 大和徒然草子
        • 征夷大将軍と関白はどっちが偉いの?・・・複雑すぎじゃないですか?

          当サイトはアフィリエイト広告を使用しています 歴史の雑学 征夷大将軍と関白はどっちが偉いの?・・・複雑すぎじゃないですか? 征夷大将軍と関白はぶっちゃけどちらが偉いのか 征夷大将軍と言えば源頼朝や足利尊氏、徳川家康なんかが有名ですが 武将で関白になったのは豊臣秀吉だけなんです。 その辺を深堀りして説明していきたい どうも~@kesuikemayakuです。 今は昔の話ですが征夷大将軍と関白は日本においてどちらが偉かったのかを調べていきたいと思います。 意外とスルーされがちな話題だけど、どっちが偉いのかを調べる事は日本の歴史を深く知るために必要な気がします。 ちょっとした会話のネタにもなると思います。 ぶっちゃけどっちが偉いの? 征夷大将軍と関白、どちらが偉いかと言うと関白の方が偉いです。 関白(かんぱく)は、成人の天皇を補佐する官職である。令外官であり、また、実質上の公家の最高位であった。

          • 40年も国を保って「バカ殿」扱い。 何度も像が破壊された? 皇帝・劉禅の悲劇 | 歴史人

            40年も国を保って「バカ殿」扱い。 何度も像が破壊された? 皇帝・劉禅の悲劇 ここからはじめる! 三国志入門 第100回 劉禅(りゅうぜん/207~271)。その幼名である阿斗(あと)は、中国では「阿呆」とか「無能」の代名詞とされている。父の劉備や諸葛亮が建国した蜀を滅亡させた「暗君」という理由から「英雄」とは逆の意味で有名である。 だが、昔からいわれていることでもあるが、彼を本当に暗君と決めつけていいのかという疑問に当たる。いうなれば、江戸幕府を終わらせた徳川慶喜と比べるとわかりやすいのかもしれない。 ■趙雲に命を救われた若君 劉禅は西暦207年、荊州に身を寄せていた劉備と側室・甘(かん)氏との間に生まれた。このとき劉備はすでに47歳。戦で転々としてきた彼には、養子の劉封(りゅうほう)のほか息子はいなかった。それまでの子は戦で命を落としたか、何らかの理由で殺されたのだろう。 この年も曹操

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            • 11月22日は神迎祭、鎮魂祭、小雪、試し書きの日、甘酒ヌーボーの日、ペットたちに感謝する日、ボタンの日 、いい夫婦の日、キムチの日、大工さんの日、回転寿司記念日、長野県りんごの日、和歌山県ふるさと誕生日、「愛ひとつぶ」の日 、大人の日、いいフルフルの日等の日&話題 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)

              おこしやす♪~ 11月22日は何の日? その時、そして今日何してた? 2023年(令和5年) 11月22日は神迎祭、鎮魂祭、小雪、試し書きの日、甘酒ヌーボーの日、ペットたちに感謝する日、ボタンの日 、いい夫婦の日、キムチの日、大工さんの日、回転寿司記念日、長野県りんごの日、和歌山県ふるさと誕生日、「愛ひとつぶ」の日 、大人の日、いいフルフルの日等の日です。 ●神迎祭(出雲大社) 11月22日 神迎神事・神迎祭 午後7時 23日 神在祭・献穀祭 午前10時 出雲大社教龍蛇神講大祭 古伝新嘗祭 午後7時 27日 神在祭・縁結大祭 午前10時 29日 神在祭・縁結大祭 午前10時 神等去出祭 午後4時 ●鎮魂祭(ちんこんさい、みたましずめのまつり) (宮中及び石上神宮) 往古は『延喜式』に記載通り、毎年仲冬11月の中の寅(とら)日、即ち新嘗祭の前日に行われていましたが、明治初年以降現行の11月2

                11月22日は神迎祭、鎮魂祭、小雪、試し書きの日、甘酒ヌーボーの日、ペットたちに感謝する日、ボタンの日 、いい夫婦の日、キムチの日、大工さんの日、回転寿司記念日、長野県りんごの日、和歌山県ふるさと誕生日、「愛ひとつぶ」の日 、大人の日、いいフルフルの日等の日&話題 - 風に吹かれて旅するブログ (話題・記念日&ハッピートーク)
              • 大学修学能力試験(대학수학능력시험)の世界史を解いてみた - ぶんぶんの進路歳時記

                はじめに 最近連れ合いが『SKYキャッスル』を観てます。チラ見すると「ポートフォリオ」「ボランティア体験」の場面があり、日本の「ポンコツ入試改革」の悪夢がよみがえってきます。ヾ(*`ω´*) ムカーッ SKYキャッスル~上流階級の妻たち~ DVD-BOX1 ヨム・ジョンア Amazon 宣伝用ダイジェスト www.youtube.com 原題の「SKY」は三大難関大学(ソウル大学校・高麗大学校・延世大学校)の頭文字をとった造語でダブルミーニングです。 そんな折に『絶対に解けない受験世界史』の稲田さんが韓国の「大学修学能力試験」(修能)の世界史について書いていました。 nix-in-desertis.blog.jp 韓国の受験生応援サイト このHPが大韓民国の著作権法に触れないならぶんぶんのブログも触れないはず。 legendstudy.com 韓国の世界史の内容や、受験生はどのような準備が

                  大学修学能力試験(대학수학능력시험)の世界史を解いてみた - ぶんぶんの進路歳時記
                • 14 家康の遺策 関東郡代記録に止めず 上田 秀人(2011) - 小説を 勝手にくくって 20選!

                  関東郡代 記録に止めず 家康の遺策【電子書籍】[ 上田秀人 ] 価格: 627 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 江戸幕府開府以来、関八州の天領を支配する関東郡代を務める伊奈家。所領3,000石の旗本だが、管轄する土地は実に20万石以上で、表向き以上の実力を有している。そして伊奈家には、神君家康が伝えた百万両とも言われる真大な遺産を保有していると、幕閣内で信じられてきた。しかも伊那家初代の忠次は三河譜代の家柄とはいえ、数度にわたって家康の下から出奔した人物。それがなぜこのような重責を代々担い、しかも家康から真大な遺産を託されたのか。 その秘密を知った老中の田沼意次は、危機に瀕した幕府財政建て直しのために百方両を狙い、幕府内の隠密を使って伊奈家に襲いかかる。対して伊奈家は、時の当主伊奈忠宥の下、鍛えられた家臣団が次々と忍びの襲撃を退けていく。江戸幕府当初は外様大名の内情を暴くために、命がけで

                  • 豪徳寺を立派にした姫君 - Garadanikki

                    豪徳寺には説明板がとても多い。 下の説明板には、井伊直孝の娘と側室 ( 娘の母 ) がこの寺を井伊家の菩提寺に相応しいように大造したことが書かれている。 大谿山だいけいざん豪徳寺 ( 曹洞宗 ) 豪徳寺は、世田谷城主 吉良政忠が文明12年 ( 1480 ) に亡くなった伯母の菩提のために建立したと伝えられる弘徳院こうとくいんを前身とする。天正12年 ( 1584 ) 、中興開山門菴宗関もんなんそうかん ( 高輪泉岳寺の開山 ) の時、臨済宗から曹洞宗に改宗した。 寛永10年 ( 1633 ) 彦根藩世田谷領の成立後、井伊家の菩提寺に取り立てられ、藩主直孝の法号にちなみ豪徳寺と改称した。 直孝の娘・掃雲院そううんいんは、母の春光院 ( 直孝側室 ) と供に、多くの堂舎を建立寄進し、豪徳寺を井伊家の菩提寺に相応しい寺観に改めた。仏殿と三世仏さんぜぶつ ( 阿弥陀、釈迦、弥勒 ) 像、達磨、大権

                      豪徳寺を立派にした姫君 - Garadanikki
                    • 6 名君の碑 保科正之の生涯 中村 彰彦(1988) - 小説を 勝手にくくって 20選!

                      保科正之の生涯 名君の碑【電子書籍】[ 中村彰彦 ] 価格: 968 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 滅亡した北条家の旧臣に生まれたお静は江戸城に侍女として仕え、二代将軍となる秀忠に見初められて懐妊する。しかし嫉妬深い秀忠の正室お江与の方の迫害から逃れるため江戸城から立ち去る。一度は子を流したが、秀忠の願いで再度登城し懐妊した時は、今度は生む決意をして、以前親切にしてもらった武田信玄の次女である見性院(穴山梅雪正室)に保護と養育を依頼する。 見性院は幸松と名付けた子を可愛がるが、将軍の子を女子が育てるのはふさわしくないと感じ、武田家でも武勇の名高い、高遠藩主保科正光に預ける。幕閣の意向も確認した正光は幸松を養子とし、学問だけでなく武士として、そして領主としての教育を施す。幸松もその思いに応え、自らの境遇に恨まない「足るを知る」人間に成長する。 幸松の出生は土井利勝など幕閣でも数人にしか知

                      • 父親とは対照的、側室なしの徳川秀忠 - 暮らしと勉強、猫と一緒に~Bettyのブログ

                        NHK大河ドラマの主人公徳川家康には2人の正室がいました。 築山殿とあさひ姫。 そして正室以外に多くの側室がいました。 「どうする家康」に登場しているのは西郡局(にしこおりのつぼね)、お万の方、お愛の方、阿茶局です。 子連れの未亡人が圧倒的に多かったそうです。 熟女好きというよりは、「子供を産んだ経験のある女性ならば、跡継ぎが生まれやすい」と考えたのかもしれません。 家康には11人の息子がいましたが、後継者となったのは三男の徳川秀忠でした。長男の信康は切腹しており、二男の秀康は母の身分が低く城外で育てられたからです。 家康と違い、秀忠は1人の側室も持ちませんでした。 いわゆる「恐妻家」だったのです。 徳川秀忠の正室はお江。後の崇源院です。 目次 浅井三姉妹の三女、お江 徳川秀忠との結婚 大阪の陣以降 秀忠と江の子孫は、天皇家へと繋がる 浅井三姉妹の三女、お江 お江は、近江で浅井長政の三女と

                          父親とは対照的、側室なしの徳川秀忠 - 暮らしと勉強、猫と一緒に~Bettyのブログ
                        • 宮崎駿の神と革命(ノート)――『君たちはどう生きるか』から『風の谷のナウシカ』へ|杉田俊介

                          ★以下は、学習院大学での講演@二〇二三年十一月二五日のために事前に準備したノートです(ディスカッションを受けて、後日の加筆修正あり)。いつか書かれるべき『ナウシカ論』のための助走用のノートでもあります。ご批判を受けながら時間をかけて書き進めていくつもりです。よろしくどうぞ。(現状約32,000字) こんにちは。本日はお招き頂き、ありがとうございます。在野で、独学で批評を書いて生業にしている杉田俊介と言います。 まずは個人的な話からはじめます。私はこれまでに『宮崎駿論――神々と子どもたちの物語』(二〇一四年)、『ジャパニメーションの成熟と喪失――宮崎駿とその子どもたち』(二〇二一年)という本を刊行しました。『宮崎駿論』は幸いにも繁体字と簡体字に翻訳され、後者はまもなく繁体字版が刊行されます。後者の「あとがき」にも書いたのですが、わたしの宮崎駿論は三部作の構想になっています。もう一冊、『千と千

                            宮崎駿の神と革命(ノート)――『君たちはどう生きるか』から『風の谷のナウシカ』へ|杉田俊介
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