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浮世絵 大判錦絵の検索結果1 - 40 件 / 50件

  • 明治時代のアイヌの暮らしを描いた浮世絵を紹介します|太田記念美術館

    2020年7月、北海道白老郡白老町において、アイヌ民族博物館(1984年開館)を発展させたウポポイ(民族共生象徴空間)が設立されました。また、アイヌ文化を取り扱った漫画『ゴールデンカムイ』も話題となり、2024年1月には実写映画化もされました。 そこで、浮世絵ではほとんど描かれることのない北海道、なかでもアイヌ民族の暮らしを描いた浮世絵を紹介いたします。 明治3年(1870)、浄土真宗の僧侶である大谷光瑩(こうえい)、法名「現如(げんにょ)」は、明治新政府からの命を受け、北海道の開拓事業と布教を行いました。 その様子を伝えたものが、翌明治4年(1871)頃、浮世絵となって刊行された「現如上人北海道巡錫絵図」です。点数は、大判錦絵15点、大判錦絵3枚続1点。絵師は、二代国輝、三代広重、二代国貞、小林永濯といった、当時の人気絵師たちが分担して制作しています。 今回は、その中から3点の浮世絵をご

      明治時代のアイヌの暮らしを描いた浮世絵を紹介します|太田記念美術館
    • 春画展—shunga— 永青文庫 春画展日本開催実行委員会主催

      開催趣旨 人が愛を交わす様子を描き出した春画は、古くから愛好されてきました。「枕絵」や「笑い絵」などといい、平安時代や鎌倉時代には「偃息図(おそくず)」と呼ばれ、「小柴垣草紙(こしばがきぞうし)」や「稚児之草紙(ちごのそうし)」など、鎌倉時代に制作された作例が現存しています。印刷技術の盛んでなかった時代には上層の人々だけが享受してきましたが、江戸時代に入ると版画の普及によって庶民にまで広まっていきました。そして印刷技術によらず絵師が自らの手で描き出す、従来の「肉筆」の作品にも、浮世絵版画で活躍した多くの絵師が腕を振るうようになったのです。 本展は日本初の春画展として、海外は大英博物館およびデンマークから、また、日本の美術館や個人コレクションから「春画の名品」を集めます。鈴木春信の清楚、月岡雪鼎の妖艶、鳥居清長の秀麗、喜多川歌麿の精緻、葛飾北斎の豊潤など、浮世絵の大家たちによる作品のほか、徳

        春画展—shunga— 永青文庫 春画展日本開催実行委員会主催
      • 春画展—shunga— 永青文庫 春画展日本開催実行委員会主催

        永青文庫 春画展日本開催実行委員会主催 「shunga 春画展」 開催概要開催趣旨 人が愛を交わす様子を描き出した春画は、古くから愛好されてきました。「枕絵」や「笑い絵」などといい、平安時代や鎌倉時代には「偃息図(おそくず)」と呼ばれ、「小柴垣草紙(こしばがきぞうし)」や「稚児之草紙(ちごのそうし)」など、鎌倉時代に制作された作例が現存しています。印刷技術の盛んでなかった時代には上層の人々だけが享受してきましたが、江戸時代に入ると版画の普及によって庶民にまで広まっていきました。そして印刷技術によらず絵師が自らの手で描き出す、従来の「肉筆」の作品にも、浮世絵版画で活躍した多くの絵師が腕を振るうようになったのです。 本展は日本初の春画展として、海外は大英博物館およびデンマークから、また、日本の美術館や個人コレクションから「春画の名品」を集めます。鈴木春信の清楚、月岡雪鼎の妖艶、鳥居清長の秀麗、

          春画展—shunga— 永青文庫 春画展日本開催実行委員会主催
        • 歌川国芳 - Wikipedia

          画号は文政初年から万延元年にかけて一勇斎国芳といい、後に彩芳舎(文政中期)、朝桜楼(天保初年から万延元年)、雪谷、仙真とも号した。歌川を称し、狂歌の号に柳燕、隠号に一妙開程芳といった。江戸時代末期を代表する浮世絵師の一人であり、画想の豊かさ、斬新なデザイン力、奇想天外なアイデア、確実なデッサン力を持ち、浮世絵の枠にとどまらない広範な魅力を持つ作品を多数生み出した。 寛政9年(1798年)、江戸日本橋本銀町一丁目[3][注釈 2](現在の東京都中央区日本橋本石町四丁目あたり)に生まれる。父は京紺屋[3](染物屋)を営む柳屋吉右衛門。幼名は井草芳三郎。後に孫三郎。風景版画で国際的に有名な歌川広重とは同年の生まれであり、同時代に活動した。壮年時には向島に住む。 三囲神社碑文[注釈 3] によれば、国芳は幼少期から絵を学び、7、8歳で北尾重政の『絵本武者鞋』や北尾政美の『諸職画鑑』を写し、12歳で

            歌川国芳 - Wikipedia
          • 春画はポルノにあらず

            精巧で色鮮やかな浮世絵は海外でも評価が高いが、実は当時の著名な浮世絵師の多くは、性風俗を描写した春画の制作にも携わっていた。大勢の来場者でにぎわう大英博物館の春画展を、英国在住のライター、トニー・マクニコルが取材した。 美とユーモアに溢れる浮世絵“春画” 蛤(はまぐり)に 嘴(はし)をしつかとはさまれて 鴫(しぎ)立ちかぬる 秋の夕ぐれ (宿屋飯盛) 大英博物館で開催されている特別展「春画 日本美術における性とたのしみ」を眺めていると、春画を「ポルノ」と形容するのがいかに不適切かを思い知らされる。この特別展のキュレーターを務める大英博物館日本セクション長のティム・クラーク氏はこう語る。「性を赤裸々に描いた作品に美とユーモアが溢れ、しかも人間性が伝わってくるので、みんな驚いたんじゃないかな」 春画展キュレーターのティム・クラーク氏 165点の展示作品の中でクラーク氏がとりわけ気に入っているの

              春画はポルノにあらず
            • 「電線絵画展」練馬区立美術館で - 絵画や現代美術などから探る、電線・電柱へのまなざしの変遷

              展覧会「電線絵画展 ─小林清親から山口晃まで」が、東京の練馬区立美術館にて、2021年2月28日(日)から4月18日(日)まで開催される。 美術作品から探る、電線・電柱に向けるまなざしの変遷小絲源太郎《屋根の都》明治44年(1911) 油彩、キャンバス 東京藝術大学大学美術館蔵街中を縦横無尽に走る電線は、青空を遮り景観を損ねるものと忌み嫌われやすい。他方で、そのように雑然とした雰囲気は、人びとが幼いころから慣れ親しんだ街の風景を織りなすものでもあり、時として郷愁すらも喚び起こそう。 川瀬巴水《東京十二題 木場の夕暮》大正9年(1920) 木版画 渡邊木版美術画舗蔵展覧会「電線絵画展 ─小林清親から山口晃まで」では、日本の明治初期から現代までの美術作品に描かれた、電線や電柱に着目。日本画や油彩画、版画、そして現代美術作品など約130点の作品から、各時代において電線や電柱が果たした役割と、そこ

                「電線絵画展」練馬区立美術館で - 絵画や現代美術などから探る、電線・電柱へのまなざしの変遷
              • 源義仲 - Wikipedia

                源 義仲 (みなもと の よしなか)は、平安時代末期の信濃源氏の武将。河内源氏の一族、源義賢の次男。源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる。木曾 義仲(きそ よしなか)の名でも知られる[3][4][5]。『平家物語』においては朝日将軍[6][7](あさひしょうぐん、旭将軍とも)と呼ばれている。 以仁王の令旨によって挙兵、都から逃れたその遺児を北陸宮として擁護し、倶利伽羅峠の戦いで平氏の大軍を破って入京する。連年の飢饉で荒廃した都の治安回復を期待されたが、治安の回復の遅れと大軍が都に居座ったことによる食糧事情の悪化、皇位継承への介入などにより後白河法皇と不和となる。法住寺合戦に及んで法皇と後鳥羽天皇を幽閉して征東大将軍(征夷大将軍とも)[注釈 1]となるが、源頼朝が送った源範頼・義経の軍勢により、粟津の戦いで討たれた。 生涯[編集] 「大日本六十余将」より『信濃 旭将軍源義仲』、大判錦絵 生い立

                  源義仲 - Wikipedia
                • 見世物興行年表

                  2022年10月09日 更新履歴(令和4年) 令和4年1月2日(日曜日) 三十年以上も前にある方から一枚のコピーを頂きました。「大船四季の順風」と題した倉田久五郎作のからくりぜんまい細工です。調べたところ、『武江年表』によりこれが天保7年であることが分かり、その項へ図版を入れました。その時「長崎ぜんまい人形大切ニ奉御覧入候」という小さいビラのコピーも頂いていたのですが、関連があるのかどうか分からないまま年代不明のファイルに閉じておきました。 昨年の暮も押し詰まった頃、幸運にも「大船四季の順風」のビラを手に入れました。これだけでも喜びでしたが、なんとこのビラに「長崎ぜんまい人形大切ニ奉御覧入候」という小さいビラが貼りつけてあったのです。これには吃驚でした。これによってこの小さいビラが同興行のものであり、かつこの興行の表看板が長崎の雪遊びで、大切が長崎ぜんまい人形であることがはっきりしました。

                  • 松浦武四郎 - Wikipedia

                    松浦武四郎。首から下げているのは、武四郎がコレクションしていた古物で自作したもの。 松浦 武四郎(まつうら たけしろう、文化15年2月6日〈1818年3月12日〉 - 明治21年〈1888年〉2月10日)は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての探検家・浮世絵師・著述家・好古家。名前の表記は竹四郎とも[1]。諱は弘[1]。雅号は北海道人(ほっかいどうじん)、多気志楼など多数[1]。蝦夷地を探査し、北加伊道(のちの北海道)という名前を考案したほか、アイヌ民族・アイヌ文化の研究・記録に努めた。 制作に携わった「北海道国郡全図」(1869年発行) 文化15年(1818年)、伊勢国一志郡須川村(現在の三重県松阪市小野江町)にて郷士・松浦桂介ととく子の四男として生まれる[注釈 1][1]。松浦家は、肥前国平戸の松浦氏の一族で中世に伊勢国へ移住してきたといわれ、別書では、代々百姓で、父・桂祐の次男とし

                      松浦武四郎 - Wikipedia
                    • 「大妖怪展」東京と大阪で開催 - 縄文の土偶から妖怪ウォッチまで、4000年にわたる妖怪を一挙公開

                      「大妖怪展」が、東京都江戸東京博物館で2016年7月5日(火)から2016年8月28日(日)まで、あべのハルカス美術館で2016年9月10日(土)から2016年11月6日(日)までの期間、開催される。 歌川国芳 「相馬の古内裏」 大判錦絵三枚続/弘化(1844~48年)頃/個人蔵 本展では、古くから日本で愛されてきた妖怪たちを、縄文時代の土偶から、平安・鎌倉時代の地獄絵、中世の絵巻、江戸時代の浮世絵、そして現代の「妖怪ウォッチ」まで、国宝・重要文化財を含む一級の美術品で紹介する。4000年の時空を超えた妖怪表現の流れを体感できると同時に、奥深さを知ることのできる、またとない貴重な機会となる。 重要文化財 伝土佐光信 「百鬼夜行絵巻」(部分) 室町時代(16世紀) / 京都・真珠庵蔵 東京会場 8月2日(火)~28日(日)、大阪会場 詳細未定 見どころは、平安~鎌倉時代の国宝「辟邪絵」をはじ

                        「大妖怪展」東京と大阪で開催 - 縄文の土偶から妖怪ウォッチまで、4000年にわたる妖怪を一挙公開
                      • 小林清親 - Wikipedia

                        小林 清親(こばやし きよちか、1847年9月10日(弘化4年8月1日)- 1915年(大正4年)11月28日[2] )は、明治時代の浮世絵師。明治10年(1877年)頃に、江戸から移り変わる東京の様子を版画で表現した。 略歴[編集] 新橋ステンシヨン。1881年。 両国大火浅草橋。1881年。 武蔵百景の内、江戸橋より日本橋の景。1884年。 平壌攻撃電気使用之図。1894-95年。 雨のお茶の水。紙本著色。明治30年代以降。ロサンゼルス郡美術館蔵。 浮世絵師となるまで[編集] 江戸本所にて幕臣で本所御蔵小揚頭取を務める小林茂兵衛の子として生まれる。母は浅草御蔵方小揚頭を務めた松井安之助の長女ちか。9人兄弟の末子で、幼名は勝之助。小林家は足軽級の軽輩であったが、蔵米を扱う職務上、番方の同心より裕福であり、家には剣客の居候がおり、また出入りの医師もいるほどであった[3]。 1862年(文久

                          小林清親 - Wikipedia
                        • 蔦屋重三郎 - Wikipedia

                          出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。 記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2019年7月) 版元として出版物に登場した肖像画 蔦屋 重三郎(つたや じゅうざぶろう)、寛延3年1月7日(1750年2月13日)[1][2] - 寛政9年5月6日(1797年5月31日)[3][2]は、江戸時代の版元(出版人)である。朋誠堂喜三二、山東京伝らの洒落本、恋川春町らの黄表紙、喜多川歌麿や東洲斎写楽の浮世絵などの出版で知られる。本姓は喜多川(生誕時の本姓は丸山)、本名は柯理(からまる)[4]。通称は「重三郎」といわれる[4]。号は耕書堂[2]、薜羅館など[2]。狂歌名を蔦唐丸(つたのからまる)と号し[2]、歌麿とともに吉原連に属した。 父は尾張出身の丸山重助[4]で、母は廣瀬津与[4][2]。重助の職業は不明だが、吉原という特殊な地域に関係のあ

                            蔦屋重三郎 - Wikipedia
                          • ぼやきくっくり | 江戸時代を見直そう

                            【「今様蛍狩りの図」(三枚揃いの右)渓斎英泉/文化12年〜天保13年/大判錦絵三枚揃】 突然ですが、皆さんは江戸時代についてどんなイメージをお持ちですか? 私は幼い頃からずいぶん長い間、江戸時代は暗黒の時代だと思っていました。 具体的には、こんな感じ? 過酷な年貢の取り立て、気分次第で切り捨て御免、ひたすら怯えて暮らす日々。 それに耐えかねて時々、一揆などが起きるけれども、全て鎮圧。 この理不尽な構図が解消されるには、明治維新を待たなければならなかった……。 もちろん後々こんなのは間違いだと分かっていくのですが、少なくとも高校生ぐらいまではこんなイメージを持っていました。 これは学校教育(いわゆる階級闘争史観の刷り込み)もあったのでしょうが、それよりはテレビの時代劇の影響が大きかったんだろうなと思います。 だから、たとえば「水戸黄門」などを観ていて、偽善的な番組だなあと感じたことも。 だっ

                            • 喜多川歌麿 - Wikipedia

                              この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。 適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2020年5月) 姓は北川、後に喜多川。幼名は市太郎、のちに勇助(または勇記)と改める。名は信美。初めの号は豊章といい、天明初年頃から歌麻呂、哥麿と号す。生前は「うたまる」と呼ばれていたが、直接本人を知るものが居なくなった19世紀過ぎから「うたまろ」と呼ばれるようになったようだ[1]。なお、天明2年(1782年)刊行の歳旦帖『松の旦』に「鳥山豊章」「鳥豊章」の落款例がある。俳諧では石要、木燕、燕岱斎[要出典]、狂歌名は筆綾丸(ふでのあやまる)、紫屋と号して、蔦屋重三郎とともに吉原連に属した[要出典]。 生年、出生地、出身地などは不明。生年に関しては、没年(数え54歳)からの逆算で1753年(宝暦3年)とされるこ

                                喜多川歌麿 - Wikipedia
                              • 銭湯 - Wikipedia

                                「番台」はこの項目へ転送されています。 鉄道車両を性能・設備などに応じて分けるための番号の区分については「番台区分」をご覧ください。 江戸東京たてもの園(野外博物館)に移築された子宝湯の入口部分。 のれんの一例 銭湯(せんとう)は、日本の公衆浴場の一種。風呂屋(ふろや)とも、湯屋(ゆや)とも呼ばれる[1](詳細は後述)。大規模な銭湯ではスーパー銭湯を名乗る場合もある。 概要[編集] のれんの例 2 ボイラーで大量の湯を沸かすため、高い排気用の煙突がシンボルの一つとなっている。また、銭湯によっては温泉を利用している場合もある。温泉資源が豊富な北海道帯広市では、市内に10カ所ある銭湯と日帰り入浴施設としても営業しているホテルの大浴場が全て温泉(モール泉)である[2]。 定義[編集] この節は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。また最新の法令改正を反映していない場合がありま

                                  銭湯 - Wikipedia
                                • 山種美術館で展覧会「クールな男とおしゃれな女」 - 日本画でたどる江戸時代からの“よそおい”

                                  守屋多々志《慶長使節支倉常長》(部分) 1981(昭和56)年 紙本・彩色 山種美術館 山種美術館が展覧会「クールな男とおしゃれな女―絵の中よそおい」を、2014年5月17日(土)から7月13日(日)までの期間開催する。 東京・広尾に位置し、日本初の日本画専門美術館として知られている山種美術館。今回彼らが注目したのは、絵の中にある「よそおい」の変遷だ。江戸絵画や浮世絵の粋なよそおいから、近代・現代の日本画や洋画に描かれたモダンなよそおいまで。各時代の日本画の中にあるスタイリッシュな男女の着こなしを展覧会では振り返っていく。 左)上村松園《春のよそをひ》1936(昭和11)年頃 絹本・彩色 山種美術館 中央・右)鳥居清長《社頭の見合》1784(天明4)年頃 大判錦絵(2枚続) 山種美術館〔後期展示6/17-7/13〕 例えば、各時代の最先端を行くような「クール」な男。小林古径の雅な平安装束姿

                                    山種美術館で展覧会「クールな男とおしゃれな女」 - 日本画でたどる江戸時代からの“よそおい”
                                  • 山東京伝 - Wikipedia

                                    山東京伝像 山東 京伝(さんとう きょうでん、旧字体:山東 京傳、宝暦11年8月15日(1761年9月13日) - 文化13年9月7日(1816年10月27日))は、江戸時代後期の浮世絵師、戯作者。浮世絵師としては北尾政演(きたおまさのぶ)と号し、葎斎(せいさい)、北尾葎斎政演、北尾京伝、山東政演とも号して寛政元年(1789年)まで活動した。作画期は安永7年ころから文化12年前後(1778年-1815年)であった。寛政の改革における出版統制により手鎖の処罰を受けた。現在の銀座1丁目に喫煙用の小物販売店「京屋」を開き、自分がデザインした紙製煙草入れが大流行した。 人物[編集] 『江戸花京橋名取 山東京伝像』鳲鳩斎栄里(鳥橋斎栄里)筆(18世紀) 本名は岩瀬醒(いわせさむる)、または田臧(のぶよし)。一説に排田または灰田[注 1]。狂歌名を身軽折輔と号した。幼名は甚太郎。通称は京屋伝蔵または田

                                      山東京伝 - Wikipedia
                                    • ”画鬼”と呼ばれた幕末・明治の天才画家 ”河鍋暁斎” - 夏野の驚異の部屋

                                      どうも皆さんこんにちは。 美術関連はそこそこ話を書きやすくて助かってます! 篠虫です。 今回は、ベクシンスキ、バンクシーと続いて、 激動の時代を駆け抜けた1人の日本人画家のお話です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 時は江戸時代末期。 黒船来航を中心にする外国からの圧力とそれに呼応するように奮起し始めた尊皇攘夷運動の板挟み、正に「内憂外患」動乱の幕末から明治を生きた画家を紹介します。 河鍋暁斎 (1831―89年) かわなべきょうさい 肖像写真 明治22年(1889)以前に撮影された物 実は私が一番好きな日本の画家です。 なのでいつも以上にしっかりと書いていこうと思います!(笑) 生涯 生まれは1831年5月18日、下総国古河石町、現在の茨城県古河市のあたりです。 物心つく頃に父が河鍋性に改姓したようです。 幼い頃からなかなかの性格で、暁斎自

                                        ”画鬼”と呼ばれた幕末・明治の天才画家 ”河鍋暁斎” - 夏野の驚異の部屋
                                      • 印象派と浮世絵 | 浮世絵ぎゃらりぃ

                                        印象派って? 「印象派」という言葉、よく耳にしますよね。 ゴッホ、モネ、ルノワール、セザンヌ…などなど。 でも印象派って、そもそもどういうジャンルや技法を指すものなのか、お分かりですか? 自信を持って答えられる人は意外に少ないのではないかと思います。 さて、印象派とは一体どういうものなのでしょうか? 下のゴッホの絵にそのヒントがあります。 「名所江戸百景・大はしあたけの夕立」 歌川広重 大判錦絵 安政四年(1857年) 「雨の大橋」 Van Gogh, Vincent 油彩 カンヴァス 1887年 まずこの両作品、左が広重のオリジナルで、右側はそれを模写したゴッホの油絵作品です。 つづいてもう1点。 「名所江戸百景・亀戸梅屋舗」 歌川広重 大判錦絵 安政四年(1857年) 「梅の花」 Van Gogh, Vincent 油彩 カンヴァス 1887年 これも同じく左

                                        • 神奈川沖浪裏 - Wikipedia

                                          「神奈川沖浪裏」(かながわおきなみうら)は、葛飾北斎の名所浮世絵揃物『富嶽三十六景』全46図中の1図。現在は「神奈川沖波裏」とも表記する[注釈 2]。横大判錦絵。「凱風快晴」「山下白雨」と合わせて三大役物と呼ばれる[3]同シリーズ中の傑作で、画業全体を通して見ても最も広く世界に知られている代表作である[4]。 凶暴なまでに高く激しく渦巻く波濤と、波に揉まれる3艘の舟、それらを目の前にしつつ、うねる波間から遥か彼方にある富士の山を垣間見るという、劇的な構図をとっている。一筋一筋の水の流れ、波濤のうねり、波に沿わせた舟の動き、富士山のなだらかな稜線といったものはすべて、幾重にも折り重なる対数螺旋の構成要素となっている。 モデルの地については様々な説がある。「神奈川沖」とは現在の神奈川県横浜市神奈川区の沖合であるが、図中の三艘の船は押送船と呼ばれ、房総半島から江戸に海産物を運ぶ際に利用されたもの

                                            神奈川沖浪裏 - Wikipedia
                                          • 広重の浮世絵ワールドを巡る下町散歩!谷中・上野・湯島編 | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

                                            江戸のにぎわいに想いをはせつつ1日下町散歩 江戸に生まれた広重は故郷を愛し数多(あまた)の名作を手がけたことで知られています。その広重は、現代散歩の聖地、谷中、上野、湯島をどのように描いていたのでしょう。ここでは広重の浮世絵とともに下町散歩のおすすめルートをご紹介します。 広重の名画を巡る下町散歩、まずは江戸の人々にとって虫聞きNo.1スポットであった道灌山(どうかんやま)から始めましょう。道灌山は江戸城を築城した太田道灌の住居があった場所。江戸時代になると庶民にも開放され、秋の虫の音、花見、月見の名所として大変な人気でした。当時はここに集まる観光客目当てに多くの団子屋が店を出したそうです。その眺めはJR西日暮里駅の線路にとって代わられましたが、目をつぶると広重も聴いた虫の音が聞こえてきそうです。 道灌山(東京・日暮里) 歌川広重『東都名所 道灌山虫聞之図』大判錦絵天保10~13(1839

                                            • 和楽器 - Wikipedia

                                              【打楽器】大型の祭太鼓(祭事で用いる大型の鋲打太鼓)[1]の演奏/画像は志多らの公演。 【弦楽器】平安貴族の男性が琵琶を奏で、女性が聴き惚れている。/男性は『源氏物語』の主人公の一人である匂宮、女性は宇治の中君。絵は『源氏物語絵巻』宿木の一場面。平安時代後期頃の作。 【管楽器】名笛を奏でる朱雀門の鬼に挑む雅楽の名手・源博雅(手前)/月岡芳年『月百姿 朱雀門の月 博雅三位』/浮世絵揃物『月百姿』の第19図。1886年(明治19年)刊行。縦大判錦絵。 和楽器(わがっき)とは、日本で伝統的に使われてきた楽器[2]。和太鼓・和琴・尺八・三味線など、先史時代に原形があるものから近世生まれのものまで、種類は多種多様である。 「和」は「日本」を意味するが、「邦(くに、国)」と「楽器」を合わせた邦楽器[3](ほうがっき)も結果的同義。日本の伝統楽器[4]などという表現もある。英語では "tradition

                                                和楽器 - Wikipedia
                                              • 北斎漫画 - Wikipedia

                                                『北斎漫画』(ほくさいまんが、旧字体:北齋漫畫)は江戸時代後期の浮世絵師、葛飾北斎による画集である[2]。文化11年(1814年)から北斎没後の明治11年(1878年)まで、全十五編[注釈 1]が断続的に刊行された[2]。人物、動植物、風俗、職業、市井の人々、建築物、生活用具、名所、名勝、天候、故事、説話、歴史上の人物、妖怪、幽霊など4,000点[注釈 2]を超える様々な主題の図版が絵手本の用途で収録され、総頁数は970を数える[5]。『冨嶽三十六景』とともに北斎の代表作のひとつに挙げられ[6]、欧州を中心とした日本国外でも『ホクサイ・スケッチ』の名で親しまれており、多くの芸術家に影響を与えた[7]。 構成[編集] 『北斎漫画』は文化11年(1814年)に当初1冊完結の絵手本として刊行されたが、その後版元を変えて全十編の構想で追加刊行された[8]。その後も人気は衰えず断続的に追加され、北斎

                                                  北斎漫画 - Wikipedia
                                                • K-SOHYA POEM BLOG

                                                  浮世絵春画コレクション(2) 「浮世絵・春画」は日本の江戸時代の誇る独自の芸術作品である。 したがって、これを単なるエロとして見られる人には鑑賞をお断りする。 この18回にわたるシリーズでは毎回5葉づつ絵を挿入してある。 こちら側が最終である。  (1)が始まりで、(18)が後なので、(1)から見られよ。 2005/11/20のBlog ──浮世絵春画コレクション──(18) 浮世絵「版画」名品聚芳─(6) 喜多川月麿、歌川国芳・・・・・・・・・・・・・・・木村草弥 いよいよ、このシリーズも今回で終わりになった。 時代は幕末である。 図版①②は喜多川月麿である。 月麿については生没年不詳ということで判らない。ここに挙げた図版①②については「東男に京女郎」という題がついている。 彼の作品としては「中村歌右衛門十二変化」「萩見る二美人」(扇面)などの作品が知られているが、歌麿の門人の中で最も優

                                                  • 【オンライン展覧会】「江戸の敗者たち」展|太田記念美術館

                                                    太田記念美術館にて、2021年4月15日~5月16日まで開催の「江戸の敗者たち」展のオンライン展覧会です。展示作品全61点の画像および作品解説を掲載しています。 note上では、画像をクリックすると、より大きなサイズでご覧いただけますので、美術館で実物をご覧いただくようにお楽しみいただけます。 オンライン展覧会の入館料は、実際の展覧会と同じ800円です。無料公開の下にある「記事を購入する」をクリックしてご購入ください。一度記事をご購入されると無期限でご覧いただけます。いつでも、どこでも、好きな時に「江戸の敗者たち」展をご鑑賞ください。 展示作品リストはこちら →http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/wp-content/uploads/2021/04/losers-list.pdf はじめに戦いや競争があると、そこに必ず生まれるのが勝者と敗者です。そして日本の歴史上の

                                                      【オンライン展覧会】「江戸の敗者たち」展|太田記念美術館
                                                    • 目黒川 - Wikipedia

                                                      目黒川(めぐろがわ)は、武蔵野台地東端部を東流し、東京都世田谷区・目黒区および品川区を流れて東京湾に注ぐ河川。二級水系の本流である。 概要[編集] 河口付近では古くは「品川」(しながわ)といい、古代から中世まで武蔵国の品川湊があった。 河口地形は、砂州(洲崎)が細長く突き出し、流路が湾曲し流れが緩やかだったため[注釈 1]、湊(みなと)に適していた。品の行き交っていた川であったことから、地名「品川」の起こりとされる。 江戸時代の絵図などでは、その上流の下目黒付近では「こりとり川」と記され、江戸時代に「目黒川」と記した絵図は確認されない。「こりとり」は「垢離取り」の意で、この川で身を清めてから目黒不動尊(瀧泉寺)に詣でたことにちなむ[1]。 1957年(昭和32年)には、台風22号による集中豪雨で氾濫が発生したことがある[2]。 地理と生物[編集] 目黒川起点。右から北沢川が、左から烏山川が

                                                        目黒川 - Wikipedia
                                                      • ベロ藍が日本美術の色合いを変えた! 若冲から北斎、広重へ | INTOJAPAN / WARAKU MAGAZINE

                                                        空や海などの“青”は、自然界に欠かすことができない色のひとつです。にもかかわらず、絵画の歴史に青が登場するのは比較的新しく、それから人の目に映る自然の青がそのまま描かれるようになるまでには、非常に長い時間を要しました。今回は、そんな日本美術の青に革命を起こした、“ベロ藍”の歴史をひもといていきます。 日本美術の青に革命! “ベロ藍”の歴史とは? 伊藤若冲名作「動植綵絵」にもベロ藍が使われていた! 徳川幕府が江戸に開かれ、かつてなかった平和な世の中が実現したことで、日本美術にも飛躍的な進歩が訪れます。 この時代の京都に、彗星のように現れた絵師・伊藤若冲は、生家が富裕な商家であったことから、最上質の顔料を自在に使用していました。だからこそ、極彩色で美しい最高傑作「動植綵絵(どうしょくさいえ)」を描くことができたわけで、緻密に織りなす顔料の色合いは今日までいささかも失われていません。 たとえば「

                                                        • 「北斎 大いなる山岳」の概要、見どころ、感想!登山好きに是非オススメです! - 走り出した足が止まらない!

                                                          先日、すみだ北斎美術館で開催されている展示会「北斎 おおいなる山岳」を観てきました。 この展示会では、日本の浮世絵の巨匠である葛飾北斎とその一門が描いた壮大な山岳風景の数々が一堂に集められており、その独自の画風と卓越した技量から描かれている山々の壮大さや荘厳さに圧倒されてしまいました。 自分が登ったことがある山が描かれていたりして、山が好きな人には是非見に行ってほしいと感じた展示会でしたので、今回は「北斎 おおいなる山岳」の概要と見どころについて述べていきたいと思います!! 「北斎 大いなる山岳」の概要 葛飾北斎とは すみだ北斎美術館とは 「北斎 大いなる山岳」とは 「北斎 大いなる山岳」の見どころと感想 有名な山から里山まで数多くの山が登場 「富嶽三十六景」、「諸国名橋奇覧」などの、有名シリーズ 現代の山の写真とセットで展示されている 登山好き学芸員の現地レポート おわりに 「北斎 大い

                                                            「北斎 大いなる山岳」の概要、見どころ、感想!登山好きに是非オススメです! - 走り出した足が止まらない!
                                                          • 北斎が2011年ベルリンでその全貌をあらわした

                                                            永田 生慈(日独交流150周年記念 北斎展 監修) しりあがり寿(漫画家) (司会 国際交流基金 造形美術チーム 森 多恵) 今から150年前の1861年、日本と当時のプロイセンとの修好通商条約の締結に遡る日独の交流の始まり。日本は江戸末期、天才浮世絵師・北斎(1760-1849)が亡くなってまだ160年余。すでに北斎らの作品は欧州に伝えられ影響を及ぼし、ジャポニスムの波が高まりをみせる頃である。北斎がその作品を通じてヨーロッパそして世界に伝えた当時の日本の姿、そして同時代の人々も現代人をも惹きつけてやまない北斎の発信力を、今回のベルリン展のチーフキュレーターである永田生慈氏と、多様な表現に挑戦しつづけ国内外で活躍中の漫画家・しりあがり寿氏が語り合う。 北斎の評価には 多くのドイツ人が貢献してきた ── 日独交流150周年でドイツ各地で行われている数多くの日本文化紹介事業の中でも、この北斎

                                                              北斎が2011年ベルリンでその全貌をあらわした
                                                            • MOMOA – 茂木本家美術館

                                                              開催中 「広重と行く東海道の旅」展 前期:2024年9月4日(水)~10月20日(日) 後期:2024年10月23日(水)~12月8日(日) お江戸日本橋から京三条大橋まで約500km。その間に53の宿場があり、江戸時代の人々は、各宿場で休みながら何日もかけて長い旅をしました。 歌川広重の代表作である《東海道五拾三次之内(保(ほ)永堂版(えいどうばん)東海道)》は、その道のりをたどった55枚の大判錦絵シリーズです。それぞれの地域の風景や名物とともに、雨の日や雪の日の様子、大名行列や留女(とめおんな)など旅の途中で出会う人々などさまざまな場面、事柄が描かれており、人々の東海道の旅へのあこがれを掻き立てました。このヒットにより、名所絵の名手としての地位を不動のものとした広重は、生涯で20種以上の東海道物を製作しています。 本展では保永堂版《東海道五拾三次之内》とともに広重の街道絵を前期、後期に

                                                                MOMOA – 茂木本家美術館
                                                              • 歌川国貞 - Wikipedia

                                                                香蝶斎豊国肖像 孝子国貞筆 大判錦絵 元治元年 死絵の内の一作。 歌川 国貞(うたがわ くにさだ、天明6年5月19日[1](1786年6月15日)- 元治元年12月15日(1865年1月12日))は、江戸時代の浮世絵師。のちの三代目歌川豊国。 歌川国貞 画 『吉原時計  亥ノ刻』 歌川国貞 画 『八重織の霊』 歌川国貞画「今源氏錦絵合 須磨 十二」 初代歌川豊国の門人。本名は角田 庄五郎(すみた しょうごろう)。後に庄蔵、肖造と改める。画姓として歌を称す。号は、五渡亭(文化8年から天保末)、香蝶楼(文政10年から嘉永初)、一雄斎(文化9年から)、琴雷舎(文化10年)、北梅戸、富望山人、富望庵、桃樹園、応好、月波楼(文化8年)、喜翁(文久2年)、国貞舎豊国、雛獅豊国、浮世又平、不器用又平などがある。面長猪首型の美人画が特徴。存命中と没後で評価が分かれる。弘化元年(1844年)の一陽斎豊国襲名

                                                                  歌川国貞 - Wikipedia
                                                                • 【エイプリルフール企画】『けもフレ』、『妖怪ウォッチ』、『シン・ゴジラ』ヒットの影にはこの男あり!? “画狂”河鍋暁斎にズームイン!

                                                                  【エイプリルフール企画】『けもフレ』、『妖怪ウォッチ』、『シン・ゴジラ』ヒットの影にはこの男あり!? “画狂”河鍋暁斎にズームイン! エイプリルフール企画2017このハンガがすごい!ロングレビュー河鍋暁斎 2017/04/01 皆さんは「河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい)」なる人物をご存じだろうか? 昨年、当サイトでもご紹介した「このハンガがすごい!2016」オトコ編首位の浮世絵師・歌川国芳にも学んだという、いまニッポンの絵画界で大いに気を吐く大・大・大ブレイク中の絵師だ。 うわさによると、あの大人気アニメ『けものフレンズ』や『妖怪ウォッチ』、さらにはあの映画『シン・ゴジラ』の大ブレイクまで、この河鍋暁斎がからんでいる、というのだ。 わーい、すごーい♪ 今回は、それほど多大な貢献をしている(らしい)マンガ界のフレンド・河鍋暁斎が現代日本マンガの世界におよぼした影響の数々を検証してみよう! こ

                                                                    【エイプリルフール企画】『けもフレ』、『妖怪ウォッチ』、『シン・ゴジラ』ヒットの影にはこの男あり!? “画狂”河鍋暁斎にズームイン!
                                                                  • 「ミネアポリス美術館 日本絵画の名品」展がサントリー美術館で開催。豊かなコレクションから日本絵画の変遷を見る

                                                                    「ミネアポリス美術館 日本絵画の名品」展がサントリー美術館で開催。豊かなコレクションから日本絵画の変遷を見る東京・六本木のサントリー美術館で、「ミネアポリス美術館 日本絵画の名品」が開催。本展では、ミネアポリス美術館の豊かな日本絵画コレクションを展覧する。会期は4月14日〜6月27日(展示替えあり)。 群仙図襖(旧・天祥院客殿襖絵) 狩野山雪 四面 江戸時代 1646(正保3) ミネアポリス美術館蔵 The Putnam Dana McMillan Fund Photo: Minneapolis Institute of Art アメリカのミネアポリス美術館は、1883年にミネアポリスの市民や実業家が美術協会を設立したことに始まり、現在では世界各地の約9万点を超える美術作品を所蔵。とくに、約2500点の浮世絵をはじめとする日本絵画のコレクションは質・量ともに高い評価を得ている。 そんな同館

                                                                      「ミネアポリス美術館 日本絵画の名品」展がサントリー美術館で開催。豊かなコレクションから日本絵画の変遷を見る
                                                                    • 冨嶽三十六景とエッフェル塔三十六景 | 信州小布施 北斎館

                                                                      「冨嶽三十六景とエッフェル塔三十六景」 平成24年4月27日(金)~7月3日(火) 【特別講演】 日時:平成24年4月29日(日) 午後2時~ 会場:映像展示室 「北斎とアンリ・リヴィエール」 国際浮世絵学会常任理事 中右 瑛氏 日本浮世絵界の巨匠北斎「冨嶽三十六景」、 パリの浮世絵師アンリ・リヴィエール「エッフェル塔三十六景」 日本・フランスの版画芸術、夢の競演 日本の浮世絵が、世界の美術家に大きな衝撃を与えたことは、よく知られています。たとえば情熱的な絵で知られ、オランダの画家「炎の人」ゴッホの作品には、浮世絵の影響が色濃く出ています。今回、葛飾北斎の代表作「冨嶽三十六景」と、この作品に魅せられたパリの版画作家アンリ・リヴィエールが描いたリトグラフ「エッフェル塔三十六景」が、夢の競演を果たします。 北斎と「冨嶽三十六景」 北斎の代表作「冨嶽三十六景」は、大判錦絵で三六枚で

                                                                      • 浮世絵に聞く!

                                                                        『江戸名所百人美女』「第六天神」 絵師:歌川(三代)豊国 版元:山口屋藤兵衛 形式:大判錦絵 年代:安政5年2月 こま絵:歌川(二代)国久 こま絵「第六天神」は浅草橋と柳橋の北にあって、本作品に描かれる美人はまさにその柳橋芸者と思われます。潰し島田で、中剃りがあり、前髪を短く括って左右に分けており、若いお侠(きゃん)な美人と判断されます。結綿、櫛、簪などの赤色も若さを強調するものです。他方で、帯は宝相華柄のかなり高級そうな品物です。着物は青海波の地紋に白と薄紫(?)の市松模様の小紋で、五三桐の紋が入っています。裾回しには縹色(はなだいろ)という淡い藍色が使われ、その裏地に赤い瓢箪が描かれるという奇抜なデザインです。何よりも気になるのは、美人が左腕に付けている濃紺の腕輪のようなものです。これは腕守りというもので、起請文や神仏のお札が縫い込まれたお守りの一種なのです。芸者筋に流行りましたが、浮

                                                                          浮世絵に聞く!
                                                                        • 巨樹 - Wikipedia

                                                                          葛飾北斎『富嶽三十六景 甲州三嶌越』/名所浮世絵揃物『富嶽三十六景』の第29景。横大判錦絵。刊行は天保1-3年(1830-1832年)頃。腕を広げた成人男性が幾人も取り巻いてようやく囲めるほどの大きな幹周りを誇る名木が、富士山を食ってしまうほどの存在感で画面中央に屹立している。本図は籠坂峠からの富士見の眺望を描いたものであるが、この大木が実在したのか、そうであればどこにあったのか、そういったことについてはよく分かっていない。[1] 巨樹(きょじゅ)とは、極めて大きい樹木のこと。巨木(きょぼく)、大木(たいぼく)、大樹(たいじゅ)などともいう。どちらかというと高さより太さに主眼が置かれる言葉である。 木の測りかたには何通りかあり国際的に統一されているわけではない[2]。 ヨーロッパでは胸高130cm(4フィート3インチ)を幹を図る位置としている[2]。 日本の環境省の巨樹調査での調査木は地上

                                                                            巨樹 - Wikipedia
                                                                          • 【オンライン展覧会】「和装男子ー江戸の粋と色気」展|太田記念美術館

                                                                            太田記念美術館にて、2021年1月6日~28日に開催の「和装男子ー江戸の粋と色気」展のオンライン展覧会です。展示作品全67点の画像および作品解説を掲載しています。 note上では、画像をクリックすると、より大きなサイズでご覧いただけますので、美術館で実物をご覧いただくようにお楽しみいただけます。 オンライン展覧会の入館料は、実際の展覧会と同じ800円です。無料公開の下にある「記事を購入する」をクリックしてご購入ください。一度記事をご購入されると無期限でご覧いただけます。いつでも、どこでも、好きな時に「和装男子ー江戸の粋と色気」展をご鑑賞ください。 (※2021年1月28日、追加コンテンツとして、コラム①とコラム②を加えました。) 展示作品リストはこちら↓ http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/wp-content/uploads/2021/01/wasou-list.

                                                                              【オンライン展覧会】「和装男子ー江戸の粋と色気」展|太田記念美術館
                                                                            • なぜ葛飾北斎は国内で過小評価され、西洋では世界最高峰の画家と賞賛されたのか? | 文春オンライン

                                                                              葛飾北斎ほど、国内で過小評価されている芸術家も他にいない。もちろん名は通っているものの、普通はせいぜい「赤富士とか波の浮世絵を描いた人ね」くらいの認識では? そもそも生前だって、売れっ子ではあったが経済的にはたいして恵まれぬまま生涯を送った。 ところが、そんな北斎を見る海外の目はやたら熱い。世界の美術史を通覧する際には、レオナルド・ダ・ヴィンチら超一級の巨匠と並び称されることもしばしば。控えめにいっても、19世紀における世界最高峰の画家のひとりと目される。後世への影響力も大きく、印象派以降の西洋画家で北斎のインパクトに打たれなかった者がいるだろうかというほどだ。 西洋近代絵画の源流となった北斎の作品と、それを受容した西洋美術を合わせて展示する意欲的な展覧会が始まっている。東京・上野、国立西洋美術館での「北斎とジャポニスム」展。 北斎が西洋に巨大なインパクトをもたらす 江戸の世で鎖国を続けた

                                                                                なぜ葛飾北斎は国内で過小評価され、西洋では世界最高峰の画家と賞賛されたのか? | 文春オンライン
                                                                              • “浮世絵師 鳥文斎栄之展” 世界初の展覧会 開催の裏側に迫る 千葉市 | NHK

                                                                                千葉市で開かれている、浮世絵師・鳥文斎栄之(ちょうぶんさい・えいし)の展覧会。世界初の開催ということもあり、注目を集めています。今や知る人ぞ知る絵師となっている鳥文斎栄之ですが、活躍当時、喜多川歌麿と人気を二分したと言われる浮世絵師でした。 海外での人気が高く、作品の多くが国外に渡っているため、これまで国内で作品の全貌を知ることは難しいとされてきましたが、今回、アメリカのボストン美術館やイギリスの大英博物館などからも作品を借り、世界初の展覧会が実現したといいます。 担当学芸員が「これが最初で最後かも」とも話す今回の展覧会。開催の裏側を取材しました。 (千葉放送局記者・浅井優奈) “知る人ぞ知る”浮世絵師 鳥文斎栄之は、今から200年あまり前の江戸時代後期に活躍した浮世絵師で、武士から絵師に転身したという異色の経歴の持ち主です。浮世絵の黄金期と言われるこの時代に、長身で清らかな独自の美人画様

                                                                                  “浮世絵師 鳥文斎栄之展” 世界初の展覧会 開催の裏側に迫る 千葉市 | NHK
                                                                                • 凱風快晴 - Wikipedia

                                                                                  「凱風快晴」(がいふうかいせい)は、葛飾北斎の名所浮世絵揃物『富嶽三十六景』全46図中の1図で、「赤富士」(あかふじ)とも呼ばれる。大判錦絵。「神奈川沖浪裏」「山下白雨」と合わせて三大役物と呼ばれる[3]。 概要[編集] 「山下白雨」とともに、富士を大きく正面から描いた作品で、画面下には樹海、空にはいわし雲が描かれ、富士の山頂には雪渓が残る。 「凱風」とは『詩経[注釈 2]』や『和漢朗詠集[注釈 3]』に由来し、夏に吹く柔らかな」南風を意味する。本図以前に、野呂介石筆「紅玉芙蓉峰図」(和歌山脇村奨学会蔵)などの赤富士先行例があり、北斎に影響を与えた可能性が指摘されている[6]。 題名や描写に、朝を示す情報は無い。朝日で赤くなっているのなら、雪も赤く摺られるはずである。これらの点から、富士山の茶色い山肌を、快晴の空の下で明るく照らされているのを強調するために赤くし、「赤富士」という現象が知ら

                                                                                    凱風快晴 - Wikipedia