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石橋湛山評論集の検索結果1 - 11 件 / 11件

  • どサヨクから見た野党内閣 - はてなの鴨澤

    オレは生物学者であり、人間という生物をわりに外から眺めるクセがある。これが身体化しているために、コミュニティの中の自分の位置みたいなものには、まあ自然に気になってしまう部分はあるものの、本当には興味がない。 だから、オレにとっての「当たり前の考え方」とは、「日本人として当然」みたいな身体的なものではなく、「生物としての人間はこう感じ・考えるのが自然」という外形基準に近いものになる。 そのうえに、個人的に、知的生命体(≒霊長)として、まっとうに生きていきたい。という願望が加わる。生物としての人類のどのような歪みをどのような意識によって修正すればそれが可能であるか。ということに興味がある。人間のバイアスを見るのが大好きだ。 このように、「人間としての当たり前」を基準に考えて物を言う人間は、日本では「どサヨク」という扱いになる。 ところがオレは、経済学を学んだ市場原理主義者でもある。市場を心から

      どサヨクから見た野党内閣 - はてなの鴨澤
    • 石橋湛山 データ見抜く眼力、軍部にも占領軍にも屈せぬ胆力

      「植民地を放棄して世界を通商の舞台とすべし」。石橋湛山が唱えた小日本主義は、経済データに裏打ちされていた。明治末から第2次世界大戦中に、自由主義の論陣を張った湛山の胆力はすさまじい。藩閥勢力や軍部を批判し続け、戦後は蔵相として占領軍の政策に真っ向から異を唱えた。 終戦直後に「日本の前途は洋々」 「単に物質的の意味でない科学精神に徹底せよ。しからば即ちいかなる悪条件の下にも、更生日本の前途は洋々たるものあること必然だ」 1945年(昭和20年)8月25日号の『東洋経済新報』は「社論」にこんな一文を載せた。表題は、ずばり「更生日本の針路」。8月15日の玉音放送に日本中がぼうぜん自失となるなか、「前途は洋々たるもの」と言い切った人物こそ、石橋湛山(1884~1973年)その人である。 終戦の日の午後3時、彼は疎開先の秋田県横手で横手経済倶楽部の会員を前に講演した。連合国の対日方針を説明し、日本経

        石橋湛山 データ見抜く眼力、軍部にも占領軍にも屈せぬ胆力
      • 日本的陰惨さはいつ消えたのか - はてなの鴨澤

        戦前の日本のことを扱ったものを延々と読んでいる。「これは今もまったく変わらんなあ」と思うこともたくさんあるものの、「さすがにこれは無いわ、日本も文明化してるわ」と思えることも山ほどあるのは嬉しいことである。 たとえば、いまや、日本的陰惨さ、というものはフィクションの中にしか存在しない。些細なことをどこまでも詰めていきリンチに至るとか、毎晩延々と続く理不尽極まる制裁に耐えるとか、そうしたことに美しい存在が突然巻き込まれるとか、それらすべてが逃げられない関係の中で続くといった、江戸時代的な、昭和初期的な、赤紙招集的な、思想犯拷問的な、内ゲバ殺人的なものは、もしくは、樋口一葉的な、大杉栄的な、安徳天皇的な、鎌倉武士的な、局中法度的な、その他生々しすぎて書きたくないような時代の下った諸々的なものは、社会の表舞台から姿を消した。 これは、そうしたすべてが根絶されたと言っているのではない。現代には、少

          日本的陰惨さはいつ消えたのか - はてなの鴨澤
        • 樋口陽一 1996-2021

          樋口陽一 Ⅲ,1996~2023年(上智大学、早稲田大学時代、及び退職後) 以下のリストは原則として、作成者(管理人)が現物を直接確認したもののみ掲載しています。従ってほぼ全てのものの現物またはコピーを手元に所持しています。 2020年に新たに確認して追加したものには、 のマークが付いています。 ★は古稀論集の「研究教育活動の概略」欄に載っているもの、☆は載っていないもの。 ●はその後樋口教授の単著に(広い意味で)収録されたもの、○はされていないもの。 組み合わせとしては「★●」及び「☆○」が一般的ですが、樋口教授の単著に収録されていないものを渉猟される際にはまず「★○」の組み合わせのものから当たられることをお勧めします。 この記号は古稀論集が刊行された2004年までのリストに付してあります。 <対談、鼎談、座談><インタビュー><書評><判例評釈> [1996] ☆○「一国憲法主義」を超

          • 日本の古本屋 / 第33回 退屈男さん ちょっとずつ「本の世界」に関わるひと

            この連載は、古本や古本屋と自分なりに付き合ってきた人に話を聞くことを目的としている。インタビューの場では、その人の話を引き出すために、私自身の体験を話すこともあるが、文章にまとめる際には極力カットしている。 しかし、以前からの知り合いだとそれがやりにくい。つい、自分の思い出を通して、その人を描いてしまう。相手と私を切り離して書きにくいのだ。だから、数人の例外を除き、旧知の人はなるべく外している。 最終回に退屈男さんに出てもらったのは、最後にプライベートな友人の話を聞いてみたかったからだ。その話の中には当然、私も出てくる。友人と云っても、一回り以上年下で、ふだんは「退屈くん」と呼んでいるので、ここでもそう書かせてもらう。 2004年6月にはじまったブログ「退屈男と本と街」は、新刊書店や古本屋をめぐって買った本の話を書くという点では、ほかの本好きによるブログと変わらない。しかし、取り上げる本の

            • 「憲法」本でひもとく 「政権ヲ私セザル」原理どこへ 樋口陽一・東京大学名誉教授|好書好日

              主催した「桜を見る会」であいさつする安倍晋三首相(中央)=2019年4月13日午前、東京都新宿区の新宿御苑(代表撮影) 幕末・維新変革期の政治は、理念と力のせめぎ合いのなかでの知の格闘でもあった。山室信一『法制官僚の時代』は、明治国家の設計者・井上毅と自由民権の主導者・中江兆民の、敵対と敬意が交錯する間柄に焦点を合わせる。研究職経歴の出発点に立っていた一九八四年の著者は、若書きとも見える筆の運びに乗せて、しかし、二人の思考がそれぞれの内側に抱える緊張のひだを、慎重に腑(ふ)分けして見せる。 「君主ハ臣民ノ良心ノ自由ニ干渉セズ」と立憲政を定義し、教育勅語を「政事上」でなく「社会上ノ君主ノ著作公告」(総理大臣山縣伯ヘ与フル意見)と考える井上は、しかしもとより、民権を抑圧する政権の中枢頭脳だった。政権との闘争の陣頭に立つ兆民は、しかし、「井上毅君、今や則(すなわ)ち亡し」と愛惜の情を書き残す(『

                「憲法」本でひもとく 「政権ヲ私セザル」原理どこへ 樋口陽一・東京大学名誉教授|好書好日
              • 『石橋湛山評論集』 - 狩猟採集民のように走ろう!

                ランニングにも狩猟採集民にも関係ない話ですが……。 石橋湛山評論集 (岩波文庫 青 168-1) 作者:石橋 湛山 発売日: 1984/08/16 メディア: 文庫 時事評論集『石橋湛山評論集』を読みました。ジャーナリストであり、のちに総理大臣になった石橋湛山は戦時下でも戦争に反対していた偉い人だと聞いて興味を持っていたんですが、岩波文庫は購入したまま積ん読状態……。ふと手に取って読んでみると、いやはや予想以上に偉い人なのでした。 たとえば、日本がイケイケドンドンの帝国主義だったさなか、満洲や樺太、朝鮮、台湾などの植民地をとっとと手放せと書いています。さすれば日本は東アジアから尊敬され友好関係を結べるうえ、欧米諸国を動揺させ、それらの国だって植民地にしている地域を手放すほかなくなる。いずれ植民地などすべてなくなる運命だ、それならばいちはやく開放して、日本は尊敬を集めちゃえよってね……すごい

                  『石橋湛山評論集』 - 狩猟採集民のように走ろう!
                • 「人類」という器についての覚書|みんな(クソデカ主語)もクソデカ主語のこと好きでしょ - 珈琲三杯|思索のための思索

                  非実在人類 何となればこれらの人はややもすれば人類だとか、個人だとかいうが、しかし私は未だこれらの人からその人類というもの個人というものの明らかな説明を聞いたことがない。境野氏は「宗教の権威」の中で、人間には「国民としての人間」「人間としての人間」「人間以上としての人間」の三方面があるというておるが、そのいわゆる三方面の関係はどうなるのか、少しも説明しておらない。従ってその各々の性質は不明である。しかしこれは説明の出来ぬわけである。何となればこれらの人の、国民とか、人類とかいうておるのは、抽象的な非実在のものであるからである。人間は、どこまで行っても、またどこから見ても、あくまでただの人間である。国民としての人間だの、人間としての人間だの、人間以上としての人間だのというものは宇宙のどこを探したってありはしない。 石橋湛山「国家と宗教及び文芸」(松尾尊兊編『石橋湛山評論集』1984,岩波書店

                    「人類」という器についての覚書|みんな(クソデカ主語)もクソデカ主語のこと好きでしょ - 珈琲三杯|思索のための思索
                  • 直言(2022年12月19日) 「12.16閣議決定」――「戦」と「時代の転換」

                    ドイツの「年の言葉」はウクライナ関連 清水寺で毎年行われている「今年の漢字」(日本漢字能力検定協会主催)が、12月12日に発表された。今年は「戦」である(清水寺のホームページ参照)。「9.11」が起きた2001年も「戦」だった(ちなみに2008年は「変」)。ドイツでも同じような企画がある。ドイツ語協会 (GfdS)主催の「年の言葉」(Words of the Year)は日本より3日早く、12月9日に発表された。1位は「時代の転換」(Zeitenwende)。2位が「平和のための戦争」(Krieg um Frieden)で、3位が「ガス価格ブレーキ」(Gaspreisbremse)であった(Süddeutsche Zeitung vom 9.12.2022)。すべて「ウクライナの戦争」と関連している。 ロシアの侵攻の3日後、ドイツ連邦議会において、オラフ・ショルツ首相は「時代の転換」を語り

                      直言(2022年12月19日) 「12.16閣議決定」――「戦」と「時代の転換」
                    • 岩波新書の書評(516)田中彰「小国主義」(その2 中江兆民) - アメジローの岩波新書の書評(集成)

                      前回、岩波新書の赤、田中彰「小国主義」(1999年)の書評を書いた。本新書の中で「近代日本の小国主義の系譜」として中江兆民と石橋湛山が紹介されていたので、今回と次回で中江と石橋について、特に「小国主義」という観点にとらわれることなく自由に書いてみたい。 岩波文庫に「中江兆民評論集」(1993年)と「石橋湛山評論集」(1984年)がある。箱入りでセット購読が原則の高額な個人全集内のそれではなくて、比較的廉価(れんか)でコンパクトに持ち運べる形で兆民と湛山の評論集を編(あ)んで文庫収録していることに以前、私は感心した、岩波書店は親切で相当に良心的な出版社であるなと。 今回は明治の思想家、中江兆民についてである。 「中江兆民(1847─1901年)は高知出身の思想家。岩倉使節団と共にフランスに留学、74年帰国。東京に仏学塾を設けた。1881年以降、『東洋自由新聞』で自由民権論を説く。1890年、

                        岩波新書の書評(516)田中彰「小国主義」(その2 中江兆民) - アメジローの岩波新書の書評(集成)
                      • 超党派「石橋湛山研究会」が発足した現代的意義

                        病のために湛山はわずか65日で首相の座を降りるも、療養を続けながら東側諸国との関係正常化に力を注いだ。1959年、湛山は訪中して周恩来首相と会談し、「石橋湛山・周恩来共同声明」を発表する。日中国交正常化が実現するのは1972年になってからだが、その下地を築いたのは、ほかならぬ湛山だった。 さらに湛山は1961年、米ソ冷戦で世界が引き裂かれていたさなかに「日中米ソ平和同盟構想」を発表し、3年後の1964年にはソ連訪問を実現している。「西側か東側か」と、どちらか一方の陣営と友好関係を築くやり方は日本の将来にとって現実的ではないと考えたからだろう。通商国家として生きていく覚悟ともいえる。 米中対立についても、もし湛山が生きていたら、アメリカ一辺倒の日本外交とは違った独自の提案をしているのではないか。 宏池会と湛山の因縁 中国の習近平主席は3月にロシアを訪問し、ウクライナとの和平交渉について「建設

                          超党派「石橋湛山研究会」が発足した現代的意義
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