エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
超党派「石橋湛山研究会」が発足した現代的意義
病のために湛山はわずか65日で首相の座を降りるも、療養を続けながら東側諸国との関係正常化に力を注い... 病のために湛山はわずか65日で首相の座を降りるも、療養を続けながら東側諸国との関係正常化に力を注いだ。1959年、湛山は訪中して周恩来首相と会談し、「石橋湛山・周恩来共同声明」を発表する。日中国交正常化が実現するのは1972年になってからだが、その下地を築いたのは、ほかならぬ湛山だった。 さらに湛山は1961年、米ソ冷戦で世界が引き裂かれていたさなかに「日中米ソ平和同盟構想」を発表し、3年後の1964年にはソ連訪問を実現している。「西側か東側か」と、どちらか一方の陣営と友好関係を築くやり方は日本の将来にとって現実的ではないと考えたからだろう。通商国家として生きていく覚悟ともいえる。 米中対立についても、もし湛山が生きていたら、アメリカ一辺倒の日本外交とは違った独自の提案をしているのではないか。 宏池会と湛山の因縁 中国の習近平主席は3月にロシアを訪問し、ウクライナとの和平交渉について「建設