赤塚で衝突 この出陣を知った教吉は鳴海城を出て、赤塚という場所で迎え撃つことを決めます。 そして、三の山に登った信長が教吉を見つけると直ちに突撃、赤塚の戦いが始まりました。 近距離戦となるも… この戦いは、一言で表すなら「近距離戦」。 両軍入り乱れての戦いが2時間ほど(午前10時~12時)続きました。 こう言うと、「両軍ともたくさん犠牲が出た激戦」とイメージするかもしれないですが、実際はそうでもありません。 山口家は元々織田家の家臣だったので、兵士たちにとっては敵軍に知り合いがいる状態。 戦いは引き分けに終わり、捕らえた馬や兵は互いに交換して帰ったそうです。 その後 この後山口家は、織田家の城である大高城、沓掛城を策略によって奪います。 しかしその後は、なぜか主君の今川義元に呼び出され親子共々切腹する羽目に。 一方の織田家は、信長の弟である織田信勝が謀反をおこし、「稲生の戦い」に続いていく