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鉄斎の検索結果1 - 28 件 / 28件

  • なぜ、明治政府は禁じたのか?|正統な日本の美術史から消えた芸術「焼絵」の謎 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

    取材・文/柿川鮎子 撮影/木村圭司 近代化を急いだ明治政府は、芸能や文化を厳しく統制した。怪談が上演できなくなったり、盆踊り、獅子舞なども厳しく規制された。展覧会を禁じられた絵画もあった。江戸の大名家や文人達が所有していた、焼絵である。 焼絵とは何か。長年、焼絵の調査を続けてきた研究家、田部隆幸さんによると、焼絵とは金属製のコテや火箸を熱して紙や絹、木などに絵画や文字を描く作品で、その歴史は古く、『続日本紀』や『平家物語』、『盛衰記』などでも焼絵の記述があるという。 「墨やペンなどの道具が無くても、火を使って絵が描ける焼絵は、私達が火を使うようになった原始時代から伝わる、もっとも古い絵の技工のひとつだったと考えられます」と田部さん。 日本では焼絵を焦画、焼画、屋記絵、火筆画、烙画と言い、中国・韓国では烙画、欧米ではPyrographyである。紙や木、絹のほか、皮革、竹の皮、竹などに描いてき

      なぜ、明治政府は禁じたのか?|正統な日本の美術史から消えた芸術「焼絵」の謎 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
    • フィリップ=マーロウの言葉と山岡鉄斎の生涯を振り返りながら、中学時代に受けた歴史の授業を思い出し、自分の選んだ人生の中で自分なりに強く在りたいなぁなんて思ったこと - 失われた世界を探して

      2024/02/11 「強くなければ生きていけない。優しくなければ意味がない」 僕は学生時代に大学の寄宿舎で生活していたけど、そこはまさに「ザ・寄宿舎」って感じの古めかしい鉄筋の建物だった。 実際、戦前に建設されていて、終戦直後にはGHQに接収され米軍の宿舎にも使用された。大学の敷地内にあるその寄宿舎に、20歳前後の若者たちが地方から集い、青春を謳歌して、卒業(卒寮)して行ったのだ。部屋も廊下も今じゃ考えられないくらいボロボロで、時代は既に平成だったけど昭和のデカダン宜しく、そんな環境の中、僕たちはジャージ姿でウロウロし、毎晩どこかの部屋に集まっては酒を飲み、騒いだ。 もしちょっと一人になりたければ屋上に上がって、鉄製のフェンスにまたがり、眼下に広がる街の風景を見ながらゆっくり煙草を吸った。 20畳3人部屋、というのが寮の規則だったが、僕も1年生の時は、4年生と2年生の先輩と同じ部屋で暮ら

        フィリップ=マーロウの言葉と山岡鉄斎の生涯を振り返りながら、中学時代に受けた歴史の授業を思い出し、自分の選んだ人生の中で自分なりに強く在りたいなぁなんて思ったこと - 失われた世界を探して
      • 富岡鉄斎は心のパイセン - りとブログ

        今、京都国立近代博物館で「没後100年富岡鉄斎」という特別展が行われているんですよね。 www.momak.go.jp 「最後の文人画家」と称される人なのですが「文人画家」ってのは元々は中国で、仕事にせずに教養として絵を描いてた人たちのことを称していて、それが日本に入ってきて、一時期は「中国風の絵を描く人」みたいな意味合いで使われてたものが次第に中国のように、一定の様式にとらわれず作者の感性の赴くままに自由にのびのびとした絵を描く人たち、みたいな感じで使われるようになったと理解しています。 また、文人画家の人たちは独自のネットワークを持っていて、割とみんな仲良かったようなイメージがしていて、それってつまり、今で言うところの、普段はサラリーマンをしてるけど余暇に趣味でお絵描きを楽しみ、ネットに公開してわちゃわちゃしてるぼくらと似てるよねー、なんて勝手な親しみを感じていたりします。 で、鉄斎さ

          富岡鉄斎は心のパイセン - りとブログ
        • 阪急/清荒神駅 (兵庫県宝塚市) - 続々トラベルとかナントカ

          兵庫県宝塚市の阪急/清荒神(きようこうじん)駅です。 宝塚市の駅シリーズ、阪急で巡る駅の数々、まだまだ続きます。 -阪急/清荒神駅- ・路線 阪急宝塚本線(大阪梅田-宝塚間) ・開業 1910(明治43)年3月10日 ・訪問 2007(平成19)年4月 ・1日あたり平均乗車人員 4,176人/日 (2019年) ・近隣の都市駅 (大阪梅田方面) 川西能勢口駅⇒5駅 (宝塚方面) 宝塚駅⇒隣駅 ・鉄道での所要時間 東京駅から:3時間29分 大阪駅から:38分 ※大阪駅から阪急大阪梅田駅まで徒歩含む ※AM9:00発での最短時間 ・駅規模ランク ホーム ★★☆☆☆ …2面2線 跨線橋 ☆☆☆☆☆ …なし 駅舎  ★★☆☆☆ …平屋駅舎 ▼中山観音、売布神社とつづく宝塚市「巡礼の道」の沿線駅三部作最終ともいうべき駅の御紹介です。 開業は1910(明治43)年で、阪急最古の駅のひとつで、隣駅は市の

            阪急/清荒神駅 (兵庫県宝塚市) - 続々トラベルとかナントカ
          • 幸せになってほしかったキャラについてアツく語る - まこうさ日記

            昨日X(Twitter)で、 #幸せになってほしかったキャラ挙げろ ってのがトレンドに上がってて、 それ見てたらめっちゃわかるー!ってキャラばっかりやった(´∀`) 私はあんまりXに書き込むことはないんやけど、 昨日はみんなの熱にやられて書いちゃいました! ちなみに私が挙げたキャラは、 鬼滅の刃の狛治と恋雪 キングダムの王騎と摎 Zのカミーユとフォウ 0080のバーニィとクリス なぜかカップル縛りみたいになっちゃいました( ̄∇ ̄*) 死ななければ幸せになれたのに…!ってのが切ない( ;∀;) ただねー!まだまだいっぱいいるんですよ! 幸せになってほしかったキャラたちが! ということでブログにも書いちゃおう(*´艸`*) 誰が興味あんねんやけど…笑 まずはこの人! 文豪ストレイドッグスの織田作之助! 織田作はポートマフィアという闇の組織にいながら、 「小説家になりたい」という夢を持っていて、

              幸せになってほしかったキャラについてアツく語る - まこうさ日記
            • 初代天皇なのに、教科書に登場するのは「神武景気」だけ。この程度の知識で、ホントに良いのだろうか?(学術文庫&選書メチエ編集部)

              たとえば2016年4月3日には、神武天皇二千六百年式年祭――すなわち神武天皇の没後ちょうど2600年の命日の祭礼が行われ、当時の天皇・皇后(現上皇・上皇后)が秋篠宮らを伴って奈良・橿原市の神武天皇陵を参拝している。歴代天皇の「式年祭」はたびたび行われるが、現在の天皇制は、こうした「伝説」の上に成り立っていることがわかる。 またそれ以上に、先に見た「王政復古の大号令」にある通り、明治新政府は「建武の新政」の後醍醐天皇でも「大化の改新」の天智天皇でもなく、「神武創業の始」を中心的な理念として掲げていた。 さらに、1872年(明治5)の「徴兵告諭」や1882年(明治15)の「軍人勅諭」でも、神武天皇は日本の軍隊の創設者と位置付けられている。近代国家・日本の基本理念の中に、神武天皇はしっかりと組み込まれてきたのだ。 「古代の天皇」は、近代史のテーマである本書の著者で成城大学文芸学部教授の外池昇氏は

                初代天皇なのに、教科書に登場するのは「神武景気」だけ。この程度の知識で、ホントに良いのだろうか?(学術文庫&選書メチエ編集部)
              • 京都国立近代美術館からの大鳥居 | 京都旅屋

                京都国立近代美術館を訪れました。 京都国立近代美術館から 今週の京都は晴れの日が続きそう。初夏の陽気で明るい時期です。新緑も落ち着いてきた雰囲気で、各地でサツキの花が咲き、早い場所ではアジサイが色づき始めています。季節は着実に進んでいます。鴨川沿いも空が明かるい場所です。 平安神宮の大鳥居 京都国立近代美術館で26日まで開催されている「没後100年 富岡鉄斎」展を見に行ってきました。若き頃から見事な富岡鉄斎の筆ですが、晩年にも迫力を感じる絵の数々を目にすることができました。常設展が行われている京都国立近代美術館の4階ロビーからは、平安神宮の大鳥居が印象的に見えます。特別感のある眺めだと思います。 富岡鉄斎展 ガイドのご紹介 吉村 晋弥 京都検定1級に7年連続の最高得点で合格(第14回合格率2.2%)、「京都検定マイスター」。気象予報士として20年。これまでに訪れた京都の観光スポットは400

                  京都国立近代美術館からの大鳥居 | 京都旅屋
                • 五月雨 - eeyannkaの日記

                  〇五月雨の雫落としぬ大鳥居 (さみだれのしずくおとしぬおとりい) 〇五月雨や寿の荷に幌かけて    河童三子 〇五月雨を振り落としてや鉄斎展  々 〇五月雨や最上川にも賀茂川も   々

                    五月雨 - eeyannkaの日記
                  • 時代小説●2024年6月中旬の新刊情報(文庫)

                    時代小説●文庫新刊情報|2024年6月中旬の新刊(11日→20日) 2024年6月11日から6月20日の間に、文庫で刊行される時代小説の新刊情報リストです。新刊の各タイトルは、Amazon.co.jpの詳細紹介ページにリンクを張っています。 →新刊情報リストを見る 光文社文庫 知野みさきさんの『照らす鬼灯 上絵師律の似面絵帖』 手掛けた着物の評判がよく、律に名指しで着物の仕事が入りました。しかしそれは、死装束に「地獄絵」を描いて欲しいという注文で、律の気は乗りません。そんな折、親類の弔問で訪れた王子で知り合った上方言葉の男・余助が、突然、律の仕事場にやってきて――。 似面絵の腕前も冴え、妻として絵師として充実した日々を送る律が人生の新たな局面を迎える。好評シリーズ第10弾。 祥伝社文庫 志川節子さんの『博覧男爵』 真の文明国とは。開国迫られる幕末、幕府の命で巴里万博に赴いた田中芳男は、最先

                      時代小説●2024年6月中旬の新刊情報(文庫)
                    • 老いるほどに輝く〜最後の文人画家・富岡鉄斎 「日曜美術館」先取り学習 | この海の向こう側

                      はじめに 富岡鉄斎(とみおか てっさい)は、明治・大正時代の文人画家として知られ、「最後の文人画家」と称される人物です。80歳代になってからも奔放な筆さばきで数多くの作品を残し、89歳という長寿を全うしました。鉄斎のモットーは「万巻の書を読み、万里の路を行く」であり、若い頃から和漢の書籍を読み漁るとともに、北海道から九州まで全国各地を旅しました。没後100年を迎える今年、西洋画が流入し新たな潮流が巻き起こった明治大正時代、孤高を貫いた鉄斎の姿を紹介します。 鉄斎の生涯 生い立ちと青年期 1836年(天保7年)京都に生まれ、幼い頃から読書に親しみました。18歳で父を亡くし、家業を継ぎますが、20歳代半ばで家業を弟に譲り、学問と絵画に専念するようになります。その後、長崎に遊学し、南画派の祖門鉄翁に師事しました。 壮年期 幕末の動乱期には、勤王思想の影響を受け、尊王攘夷運動に身を投じます。明治維

                      • 樺山紘一『欧人異聞』を読む - mmpoloの日記

                        樺山紘一『欧人異聞』(刀水新書)を読む。日本経済新聞に2011年から2013年まで、2年半にわたって週に1回122回連載したものを取りまとめた。ヨーロッパの歴史上の人物をこの新書見開き2ページで取りあげている。きわめて簡潔にまとめているが、やはり2ページだけなので少々物足りないのは仕方ないのか。 ザクセン大公フリードリヒ・アウグストが景徳鎮と有田磁器をコレクションした。柿右衛門様式の磁器は112点に及ぶという。 神聖ローマ帝国を相続したマリア・テレジアは16人の子どもを産み、うち10人が成人した。長子はヨーゼフ2世、娘のマリー・アントワネットはフランス国王ルイ16世の妃となった。 オーストリア・ハンガリー帝国フランツ・ヨーゼフ1世の皇妃エリーザベトはとびきりの美人で遊びほうけて国を省みない。171センチの長身、50キロの体重と50センチのウエストを維持するために血のにじむようなエクササイズ

                          樺山紘一『欧人異聞』を読む - mmpoloの日記
                        • 天龍寺の見学所要時間はどのくらい必要?見どころと拝観ルートを紹介

                          京都大好きブロガー、サイト管理人のKyotaroです。 今回は京都嵐山にある世界遺産の大本山天龍寺の紹介です。 ここは臨済宗の禅刹として知られています。 嵐山嵯峨観光の中心となる嵐電こと京福電鉄の嵐山駅からすぐの立地で周辺観光地への移動は徒歩で散策できるくらい有名観光地が近くにあります。 境内も非常に広く、拝観ルートを予め理解して行かれると時間ロスなく観光が楽しめますのでまとめました。 ぜひ参考にして下さいね。 天龍寺拝観の所要時間はどのくらい必要か検証してみた 天龍寺は境内の敷地がとても広く、見どころもたくさんあるのでじっくり拝観しようと思うと結構、時間を要します。 正門から拝観を始めて正門まで戻ってきた場合実際どの位の見学時間が必要なのでしょうか? ここでは法堂、庭園+諸堂(大方丈、小方丈、多宝殿)の拝観料が必要な箇所すべてを見た場合の見学時間で検証しました。 じっくり拝観したいという

                            天龍寺の見学所要時間はどのくらい必要?見どころと拝観ルートを紹介
                          • 義弟で幼馴染の許婚には、どうやら私以外に好きな女がいるらしい

                            父様は力のある大妖だった。 妖怪の中でも気性の荒いとされる鬼族で、気まぐれで刹那的、故に美しかった。力の弱い妖怪たちは、どれも父の顔を見るなり真っ青になって逃げ出していった。ゆくゆくは鬼族だけではなく、妖怪たちを率いる首領になるだろうと、そう言われていた。 母様は打って変わって力の弱い雪の妖だった。 真っ白な肌に真っ白な髪。氷の張った湖のような瞳。 冬の間しか姿を保てない程、か弱い母の何が良かったのか父は母を気に入り、入れ揚げ周りからの反対を跳ね除け祝言を挙げた。これには妖界、人界に住まう全妖怪たちが驚いたそうだ。母様が、まやかしや呪術をかけて父様を誑かしたのだと言う妖もいたが、そんな者どもは全て父様が首と胴を引き離した。 大体、力の弱い母様がどうやって父様を誑かせると言うのか。母様のことを少しでも知れば、決してそんな性根の妖ではないと分かるでしょうに。まぁ、良しも悪しも母様の事を知りたい

                              義弟で幼馴染の許婚には、どうやら私以外に好きな女がいるらしい
                            • 「色の道教えます 夢三夜」

                              〔1961年/日本〕 第一話 : 上意討ち 土屋相模守は、 夜伽のお相手に、 家中の美女の中から勇を選ぶも、 勇はそれを拒否。 勇が、家臣の赤尾又兵衛を愛していると知った 土屋は、 又兵衛に、ゆうの上意討ちの仕手を命じるが・・・。 第二話 : 横笛 今夜は、日本橋の菜種問屋の娘、小夜と、 婿養子の婚礼の日。 宴もお開きとなり、 寝間に引き取った新婚カップルだが、 小夜は、得意の横笛を吹くばかりで、 床入りしようとしない。 やっと、というところで、 強盗騒ぎが起き、 二人は床入りの機を失し・・・。 第三話 : うわなり打 常州土浦藩の鬼藤鎮兵衛は、 3人目の妻を娶ったばかり。 今度こそは、理想の女、 彼女となら、添い遂げられる。 と思ったのもつかの間。 慎兵衛は、従順すぎる妻を物足りなく感じ始め・・・。 タイトルから、 エロ映画かと思ったけど、 面白いオムニバス映画だった。 ここに出てくる3

                                「色の道教えます 夢三夜」
                              • 【京都】『旧富岡鉄斎邸』(文化と産業の交流拠点)に行ってきました。 - あとりのやっぱり○○が好き❤

                                こんにちは、あとりです♥️ 京都、『旧富岡鉄斎邸』(文化と産業の交流拠点)に行ってきました。(25年1月24日) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 前回からの続きです。 こちらは、富岡鉄斎、旧富岡鉄斎邸、その一般公開についての説明を載せています。 茶室「福寿庵」についても載せていますので、ご一緒にご覧ください⤵️ ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ここから和室へ行きました⤵️ 廊下右が和室です。 ライトの右横にギザギザした稲妻型垂れ壁が見えているのですが、現地では見落としてしまいました😭😭 ライトは整備時のもので、伝統産業を活用しています。 かわいい♥️ 障子になった窓(手前)は取り外し出来ました。 通気孔になっていました。 押入れを水屋仕様に転用しています。 写真真ん中にある障子は、たたみに座った目の高さの障子の部分がガラスになっていて、そこを開けると庭園が見える

                                  【京都】『旧富岡鉄斎邸』(文化と産業の交流拠点)に行ってきました。 - あとりのやっぱり○○が好き❤
                                • 「最後の文人」富岡鉄斎の足跡たどる 没後100年で奈良・大和文華館が特別企画展

                                  「日本最後の文人」と呼ばれた画家、富岡鉄斎(1836~1924年)の画業をたどる特別企画展「没後100年富岡鉄斎-知の巨人の足跡」が、奈良市学園南の大和文華館で開かれている。同館の所蔵品を中心に約50件を展示し、文人的素養を生かし多彩な作品を生み出した創作活動を伝える。5月19日まで。 鉄斎は京都の法衣商の家に生まれ、和漢の古典を学んで、学者として身を立てながら書画の制作に取り組んだ。古くからの画題や故事などに着想を得て、人物画や山水画などを多く描いた。 展示品のうち、54歳のときの作品「攀嶽(はんがく)全景図」は、縦2メートル超の大画面に大きな火口や無数の岩で構成された富士山を表している。実際に富士山に登った際に受けた印象が反映されているという。 晩年の「山荘風雨図」はどんなときも学問に没頭しようとする鉄斎の意志が、「寿老図」は長寿に対する鉄斎の心境がうかがえる。 また、鉄斎は親しかった

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                                  • 祇園祭 橋弁慶山の前懸が完成しました 祭礼幕の復元新調|KAWASHIMA Stories

                                    京都の夏の風物詩、祇園祭。毎年7月1日から1カ月間にわたってさまざまな祭事が行われ、7月の京都はまさに祇園祭一色となります。中でも、祇園祭のハイライトの一つが前祭・後祭での山鉾巡行。懸装品(けそうひん)や御神体人形、金工品などで豪華絢爛に飾られた山鉾が祇園囃子を奏でながら、都大路を練り歩きます。今年、山鉾の一つ「橋弁慶山」の前懸が復元新調され、当社が制作を担当しました。その舞台裏には、技術者たちの数々の挑戦がありました。 橋弁慶山とは 祇園祭とは 日本三大祭りのひとつで、八坂神社の祭礼である「祇園祭」。その歴史は平安時代まで遡ります。864(貞観11)年、全国的に疫病が流行した際、疫病退散を祈願して執り行われた「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」が起源とされています。その後、平安時代末期にかけて祭りは賑やかになり、やがて室町時代には現在のような豪華絢爛に飾られた「山」と「鉾」が出現しました。

                                      祇園祭 橋弁慶山の前懸が完成しました 祭礼幕の復元新調|KAWASHIMA Stories
                                    • “最後の文人画家”富岡鉄斎の展覧会、富山県水墨美術館で - “大胆な山水画”代表作などが一堂に

                                      企画展「没後100年・富岡鉄斎」が、富山県水墨美術館にて、2024年7月12日(金)から9月4日(水)まで開催される。京都国立近代美術館でも開催される巡回展だ。 文人画家・富岡鉄斎の画業と生涯富岡鉄斎 《富士山図》 明治31年(1898年) 清荒神清澄寺 鉄斎美術館 [後期展示予定]市井の画家として生き、「最後の文人画家」と称された富岡鉄斎(とみおか てっさい)。幕末の京都に生まれた鉄斎は、幅広い学問とさまざまな流派の絵画を学び、深い学識を背景に豊かな画業を展開した。 富岡鉄斎 《富士遠望図・寒霞渓図》 明治38年(1905年) 京都国立近代美術館 [前期展示予定]鉄斎は、「万巻の書を読み、万里の路を行く」を肝に銘じ、日本全国を旅して優れた景色を訪れている。こうして理想の山水を思いえがき、大胆かつ自由に表現した鉄斎の絵画作品は、同時代の画壇の巨匠や京都・大阪の町の人々ばかりでなく、若い画家

                                        “最後の文人画家”富岡鉄斎の展覧会、富山県水墨美術館で - “大胆な山水画”代表作などが一堂に
                                      • 織田信清 (戦国武将) - Wikipedia

                                        織田信康の子として誕生した。父・信康が「織田伊勢守家」当主の織田信安の後見人となっていたことからその配下となっていたが、伯父信秀死亡後は、犬山城で独自勢力として行動する。 信清が領地を押領したため険悪な状態となっていた従兄弟の信長より姉(犬山殿)を貰い受けると、弟の広良同様信長に仕える身になった。 永禄元年(1558年)7月12日、浮野の戦い・岩倉城攻略で信長を支援したが、追放された織田信賢の旧領地の分与を巡って信長と諍いを起こし、永禄5年(1562年)反旗を翻し、楽田城を奪う。しかし、攻勢を強めた信長軍によって支城を次々に攻め落とされ、永禄7年(1564年)5月には居城の犬山城も陥落し、遂に信清は甲斐国へと逃亡、甲斐武田氏の許で犬山鉄斎と称した。

                                        • 【翠嵐 ラグジュアリーコレクションホテル 京都】「茶寮 八翠」に残された明治期に詠まれた漢詩「八賞軒詩(はっしょうけんし)」をテーマにした「和のアフタヌーンティー」を販売開始… | フーズチャネル

                                          【翠嵐 ラグジュアリーコレクションホテル 京都】「茶寮 八翠」に残された明治期に詠まれた漢詩「八賞軒詩(はっしょうけんし)」をテーマにした「和のアフタヌーンティー」を販売開始…掲載日: 2025年02月28日 /提供:森トラスト・ホテルズ&リゾーツ 第一章:2025年3月1日(土)~5月31日(土)まで 「翠嵐(すいらん) ラグジュアリーコレクションホテル 京都」(所在地:京都市右京区・嵐山、総支配人:溝渕康雄)では、2025年3月1日(土)より、明治期に現在の翠嵐が佇む場所から見える情景を8人の詩人が詠んだ漢詩「八賞軒詩(はっしょうけんし)」をテーマにした「和のアフタヌーンティー」を保津川沿いに佇むカフェ「茶寮 八翠(さりょう はっすい)」にて販売いたします。 「和のアフタヌーンティー」イメージ 「和のアフタヌーンティー」のテーマである「八賞軒詩」は、幕末に京都に生まれた“最後の文人画家

                                          • 山梨県立美術館 | YAMANASHI PREFECTURAL MUSEUM of ART

                                            本年は、“最後の文人”と称される富岡鉄斎が、大正13(1924)年に没して100年にあたります。鉄斎は、山梨の豪商「十一屋」野口家との親交が深く、明治8(1875)年には、甲府柳町の野口邸を拠点に生涯で唯一の富士登山を行いました。登頂から間もない時期に野口家の当主、正忠(号、柿邨)のため描いた《富士山巓麓略図》は、鉄斎の富士山画の中でも初期の代表作とされています。その他にも、数多くの作品を野口家のために描き、現在、野口コレクションとして当館へ寄贈、または寄託されています。 一方、野口家は、文人画(南画)家の作品を数多く収集し、現在も伝えられています。与謝蕪村、谷文晁、椿椿山ら大家の作品をはじめ、正忠がパトロンとして交流した日根対山、対山とネットワークにあった岡田米山人と子の半江、貫名海屋、中西耕石ら、そして野口家へ嫁ぎ、後に近代を代表する南画家となった野口小蘋など、江戸後期から近代にいたる

                                              山梨県立美術館 | YAMANASHI PREFECTURAL MUSEUM of ART
                                            • 亜紀書房 - ぼくの美術ノート

                                              内容紹介 原田治が集めた「美しいものたち」 80年代、女子中高生たちが夢中になったOSAMU GOODSの生みの親であるイラストレーター・原田治。物心つくと同時に絵筆を握り、自ずと美術鑑賞が趣味となる。ルネサンスのティツィアーノに20世紀フランスのデュフィ、小村雪岱や木村荘八ら日本の挿絵画家……。古今東西のお気に入りの美術家たちについて、そして自らの日本美術史観について綴った『ぼくの美術帖』が刊行されたのは、1982年、原田が36歳のときのこと。それから30数年、著者の美術鑑賞は綿々と続いた。パリの通りで偶然見つけたスペイン・タイルの青に震え、宗達が描いた銀色の露に思いを馳せ、画家の古いアトリエで新聞小説の挿絵原画を発見する。新たな美の発見を求めて街を歩いた日々の覚書――それがこの『ぼくの美術ノート』である。 青空の下、行雲を眺めるように、ひとり「美術」を楽しみながら歳をかさねてきました。

                                              • ぼくの美術帖【新装版】 | みすず書房

                                                ルネサンスのティツィアーノに20世紀のデュフィ。画品薫る挿絵画家たち——小村雪岱、木村荘八、宮田重雄。鏑木清方のわけても挿絵的な小品を愛し、鈴木信太郎の絵に生命力の発露をみる。と思えば、1950年代アメリカのカートゥニストたち、北園克衛のグラフィックデザイン、そして抽象画家・川端実… 作家・作品の多様さからもわかるとおり、美術史家による「絵画の見方」指南とはまったく異なる新鮮なまなざしがアートを巡る旅へと誘う。さらに、縄文土器から戦国時代の兜、豊国、国貞ら浮世絵師たち、宗達、鉄斎、劉生と縦横に渉り、日本民族の縄文的美意識の系譜を探る〈OSAMU版・日本美術史〉。アートへの愛が溢れる美術エッセイ。 はじめに I ティツィアーノ ラウル・デュフィ 小村雪岱 木村荘八 鏑木清方 宮田重雄 鈴木信太郎 アーニー・ブッシュミラー チョン・イとオットー・ソグロー 北園克衛 川端実 II 美意識の源流 

                                                • 【京都】『「えべっさん詣り」散策ツアー』に参加しました。仲源寺 八坂神社 - あとりのやっぱり○○が好き❤

                                                  こんにちは、あとりです♥️ 京都、『「えべっさん詣り」散策ツアー』に参加しました。仲源寺、八坂神社(25年1月9日) (寺本雅貴、才蔵さんのFacebookから抜粋) 寺本雅貴、通称才蔵さんの「えべっさん詣りツアー」に参加しました。 25年1月9日、13時30分、京阪祇園四条駅集合で、ツアー参加者は5人でした。 まず歩いて「仲源寺」通称めやみ地蔵へ行きました⤵️ 【山門】 山門をくぐりました。 ご本尊は大きな地蔵菩薩で、目疾(めやみ)地蔵尊と呼ばれています。 本堂の中には入れませんが、ガラス越しに拝観する事が出来ました。 眼病平癒の信仰を集めています。 「仲源寺」の境内から出ました⤵️ (うまく写真が撮れなかったのですが) 「キューピーバス」で大人気となっている永観堂幼稚園の通園バスに出会いました❗ バスの前にキューピー人形(赤丸)がついています❗ 意外とキューピーが大きい🤣🤣 以前か

                                                    【京都】『「えべっさん詣り」散策ツアー』に参加しました。仲源寺 八坂神社 - あとりのやっぱり○○が好き❤
                                                  • 車折神社(京都市) | DoraNekoWeb

                                                    Wikipediaから引用 車折神社(くるまざきじんじゃ)は、京都市右京区嵯峨朝日町にある神社。旧社格は村社。現在は神社本庁に属さない単立神社である。「車柝神社」とも表記される。祭神は清原頼業(きよはらのよりなり)である。頼業は、学問で有名な広澄流清原氏の出であり、自身も平安時代後期の著名な漢学者・儒学者であった。大外記の職を長年務め、晩年には九条兼実より政治の諮問を受け、兼実から「その才、神といふべく尊ぶべし」と評された。文治5年(1189年)に清原頼業が亡くなると、清原家の領地であった現在地に頼業の廟が設けられ、後に頼業の院号にちなんで宝寿院という寺院が建立された。その後、宝寿院は清原家の菩提寺となり、その境内に頼業を祀る社が建てられた、それが当社の起源である。なお、頼業は良く桜を愛でていたことから当地には多くの桜が植えられ、別名「桜の宮」と呼ばれていた。社名の「車折」については、ある

                                                      車折神社(京都市) | DoraNekoWeb
                                                    • 美術を通した近代史 / 角田塾読書会文献記録 / アンソロジー海賊版計画

                                                      □ □ □ □ Jean-Paul Sartre from ' Existentialism and Humanism '(1946)。 Jean Dubuffet ' Notes for the Well-Letterd '(1946)。 Lucio Fontana ' The White Manifesto '(1946)。 松本竣介『全日本美術家に諮る』(1946)。 Jakson Pollock ' Two Statements 1947 and 1947/8 '(1947-1948)。 Mark Rothko ' The Romantics were Prompted ... '(1947)。 Mark Rothko ' Statement '(1947)。 Adolph Gottlieb ' Statement '(1947)。 Barnett Newman ' The Ide

                                                        美術を通した近代史 / 角田塾読書会文献記録 / アンソロジー海賊版計画
                                                      • 車折神社嵐山頓宮(京都市) | DoraNekoWeb

                                                        Wikipediaから引用 車折神社(くるまざきじんじゃ)は、京都市右京区嵯峨朝日町にある神社。旧社格は村社。現在は神社本庁に属さない単立神社である。「車柝神社」とも表記される。祭神は清原頼業(きよはらのよりなり)である。頼業は、学問で有名な広澄流清原氏の出であり、自身も平安時代後期の著名な漢学者・儒学者であった。大外記の職を長年務め、晩年には九条兼実より政治の諮問を受け、兼実から「その才、神といふべく尊ぶべし」と評された。文治5年(1189年)に清原頼業が亡くなると、清原家の領地であった現在地に頼業の廟が設けられ、後に頼業の院号にちなんで宝寿院という寺院が建立された。その後、宝寿院は清原家の菩提寺となり、その境内に頼業を祀る社が建てられた、それが当社の起源である。なお、頼業は良く桜を愛でていたことから当地には多くの桜が植えられ、別名「桜の宮」と呼ばれていた。社名の「車折」については、ある

                                                          車折神社嵐山頓宮(京都市) | DoraNekoWeb
                                                        • 「あいち・なごや周遊観光パスポート」の我流トリセツ(その4) - やまとの少しニッチな日記

                                                          碧南海浜水族館 「あいち・なごや周遊観光パスポート」を使っての愛知県訪問の旅。 4コース目の今日訪れたのは3か所。自家用車を使っての旅だ。 本日最初に訪れたのは、「碧南海浜水族館」、次はその近くにある「碧南市藤井達吉現代美術館」最後は少し離れた場所に移動して「三河工芸ガラス美術館」を訪れるコースだ。この3つの営業開始時間をみてみると、「碧南海浜水族館」以外は午前10時からなので、最初に行くべきところが自ずと決まり、あとは近いところから順番にという旅程となった。 今日はなかなか寒い日になったので、自家用車で出かけられるのはホント有難い。外の冷たい空気に触れて冷えた身体をぬくぬくとした車内で温めていると、思わずウトウト。。。 できない!! ひとり旅なので、運転しなきゃいけないから寝てばかりじゃ進まんのじゃ。 通勤時間帯にいつものごとく名古屋方面に向かって車を走らせる。9時を少し回るくらいに到着

                                                            「あいち・なごや周遊観光パスポート」の我流トリセツ(その4) - やまとの少しニッチな日記
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