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高津臣吾の検索結果1 - 14 件 / 14件

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高津臣吾に関するエントリは14件あります。 野球プロ野球スポーツ などが関連タグです。 人気エントリには 『「カウント0―0。投手と打者、どっちが有利だと思う?」高津臣吾監督がノムさんから学んだ“戦術的発想”の極意とは | 文春オンライン』などがあります。
  • 「カウント0―0。投手と打者、どっちが有利だと思う?」高津臣吾監督がノムさんから学んだ“戦術的発想”の極意とは | 文春オンライン

    初年度は投打が噛み合わず最下位に終わるも、2021年シーズンは投手の運用をはじめとしたさまざまな改革に着手・成功し、投手出身者として同チーム初のリーグ優勝を達成した高津臣吾監督。そんな同氏の戦略・戦術的発想には、現役時代にヤクルトの監督から受けた影響が大きいという。 ここでは、同氏が二軍監督時代に著した『二軍監督の仕事』(光文社新書)の一部を抜粋。名将・野村克也監督から学んだ“戦術的発想”について紹介する。(全2回の2回目/前編を読む) ◆◆◆ ヤクルトの監督から学んだこと ここまで、二軍監督の仕事についていろいろと考えてきたけれど、僕自身、野村克也監督の影響を多分に受けているのは間違いないと改めて感じた。 日本・アメリカ・韓国・台湾でプレーしたが、戦略・戦術的な発想という意味では、「野村野球」が根っこにある。ヤクルトのスタッフの中にも、野村イズムに触れた指導者が多いので、話が通じるのが早

      「カウント0―0。投手と打者、どっちが有利だと思う?」高津臣吾監督がノムさんから学んだ“戦術的発想”の極意とは | 文春オンライン
    • 「高卒4年目の村上があんなことしていたら、90年代だったら怒られるよ」高津臣吾監督(53歳)がヤクルトで変えた“野球界の常識”(生島淳)

      「高い身体能力を持っている塩見(泰隆)が、ようやく1番打者に固定できるようになったし、オスナ、サンタナのふたりが4月のいい時期に合流できて、相手に圧力をかけられるようになった。それに、4番のムネ(村上宗隆)がよくボールを見極められる。外国人ふたり、それに村上といった中心打者が我慢強ければ、それはチーム全体にいい意味で伝染していく。得点力が上がったのは、地味にそのあたりも大きいんじゃないかな」 たしかに、日本シリーズひとつとってみても、6試合を戦って、ヤクルトは21個の四球を選んだのに対し、オリックスは15個。投手の制球力に起因するところもあるが、ヤクルトの打者はシーズンを通して“patient”=打席で粘り強さを発揮したことは間違いない。 巨人、阪神のダグアウトとは対照的だった 選手たちは、ある意味で「同期」していたように思う。 打線全体としてストライクとボールの見極めをしっかりと行い、フ

        「高卒4年目の村上があんなことしていたら、90年代だったら怒られるよ」高津臣吾監督(53歳)がヤクルトで変えた“野球界の常識”(生島淳)
      • 「高卒4年目の村上があんなことしていたら、90年代だったら怒られるよ」高津臣吾監督(53歳)がヤクルトで変えた“野球界の常識”(生島淳)

        「高い身体能力を持っている塩見(泰隆)が、ようやく1番打者に固定できるようになったし、オスナ、サンタナのふたりが4月のいい時期に合流できて、相手に圧力をかけられるようになった。それに、4番のムネ(村上宗隆)がよくボールを見極められる。外国人ふたり、それに村上といった中心打者が我慢強ければ、それはチーム全体にいい意味で伝染していく。得点力が上がったのは、地味にそのあたりも大きいんじゃないかな」 たしかに、日本シリーズひとつとってみても、6試合を戦って、ヤクルトは21個の四球を選んだのに対し、オリックスは15個。投手の制球力に起因するところもあるが、ヤクルトの打者はシーズンを通して“patient”=打席で粘り強さを発揮したことは間違いない。 巨人、阪神のダグアウトとは対照的だった 選手たちは、ある意味で「同期」していたように思う。 打線全体としてストライクとボールの見極めをしっかりと行い、フ

          「高卒4年目の村上があんなことしていたら、90年代だったら怒られるよ」高津臣吾監督(53歳)がヤクルトで変えた“野球界の常識”(生島淳)
        • ヤクルト好きすぎ声優・松嵜麗は“大好きなヒーロー”高津臣吾をずっと信じ続けている | 文春オンライン

          文春野球読者の皆さん、お久しぶりです! まさかまた書かせていただけるとは思っていなくて驚いているのですが、ただのヤクルトファンの1人として率直に今の想いを書きたいと思います。 ヤクルトの強さ「13のポイント」 あの!!! ヤクルト強くないですか!!!? (1)塩見泰隆選手絶好調(打率.296、9月18日にはサイクル安打達成) (2)代打天才川端慎吾選手が超人的にすごい(今季代打で25安打、打率.375) (3)オスナ選手、サンタナ選手がコンスタントに打ってくれるうえにホームランもある!守備もいい! 走ってくれるし全力プレイありがたい! (4)打撃好調中村悠平選手(打率.288、もちろんリードもいい!) (5)石川雅規投手がものすごくいい!(防御率2.16) (6)奥川恭伸投手ありがとう!(現在8勝、7戦連続無四球) (7)後半に入ってきて先発投手が増えた!!(石川、小川泰弘、奥川、高橋奎二

            ヤクルト好きすぎ声優・松嵜麗は“大好きなヒーロー”高津臣吾をずっと信じ続けている | 文春オンライン
          • 「勝てなかった時は選手たちがダグアウトで委縮していたんだと思う」野村克也監督時代の日本シリーズで生まれた“絶対大丈夫”の気持ち《高津臣吾監督インタビュー》 | 文春オンライン

            ◆◆◆ 「勝つことの喜び、高揚感がチームをより強くする」 「2019年には16連敗を喫したりして、変な言い方ですけど、ぶっちぎりで最下位になってしまったわけです。そのタイミングで監督のお話をいただいたわけですが、まず、何かを変えなきゃいけないと思いますよね。僕が思っていたのは、手始めにここから変えていこうとか、そうした小手先のことではなくて、すべてを変えなければいけないということ。技術、メンタル、環境、もう本当にすべて。 そして迎えた1年目、シーズンの序盤に『あ、これは行けるかもしれない』と思ったことはありました。でも、そんなに甘いものじゃなかった。すべてを変えるというのは簡単なことじゃなくて、2020年はコロナ禍で120試合に短縮されたシーズンでしたが、変化を起こせたのは、1つか、2つだけだったと思います。振り返ってみると、巨人をはじめ上位の球団には、すべての面においてまったく歯が立たな

              「勝てなかった時は選手たちがダグアウトで委縮していたんだと思う」野村克也監督時代の日本シリーズで生まれた“絶対大丈夫”の気持ち《高津臣吾監督インタビュー》 | 文春オンライン
            • 《スラッガー・村上宗隆の育成術》“参考にした日本人野球選手は…”高津臣吾監督が明かした若手選手の“育成指針” | 文春オンライン

              2018年のシーズンでいえば、村上は4番で固定だった。どんなことがあっても動かすことはない。これは僕というよりも球団の意志である。 現状、村上は一軍に上がれば下位打線を打つことになるが、将来的にはヤクルトの屋台骨を背負って立つ選手であり、ファームの時点から4番が打席に立つシチュエーションを叩き込む。ファームは4番としての「帝王学」を学ぶ場所なのだ。 村上はプロ1年目のシーズン、ファームで実力を発揮したが、万が一、打てなかったとしてもずっと4番に据えていた。それくらいの逸材なのだ。 ©文藝春秋 また、捕手の古賀は打席でどんなに結果を残そうとも、8番に固定している。なぜなら、古賀が一軍に上がった場合、間違いなく8番に入るからだ。二軍はDH制が採用されているものの、古賀には、次のバッターが投手であることを意識しながら打席に入るように話す。 こうした形で、一軍と二軍は連動していく。 組織としての連

                《スラッガー・村上宗隆の育成術》“参考にした日本人野球選手は…”高津臣吾監督が明かした若手選手の“育成指針” | 文春オンライン
              • 30歳高津臣吾(ヤクルト)は迷っていた「オレ、このままでいいのかな」右ヒジ痛、伊藤智仁との激戦…“2番手の男”がメジャー挑戦するまで(中溝康隆)

                20年ぶりの日本シリーズ優勝を果たしたスワローズ。チームを率いたのは高津臣吾監督(53歳)。高津監督は90年のドラフト3位でヤクルトに入団、絶対的守護神として4度の日本一をもたらした。さらにアメリカ、韓国、台湾と海外でプレー。 去り際の熱いドラマを描いた『現役引退――プロ野球名選手「最後の1年」』(新潮新書)の著者が、そんな高津のプレイヤーとしての「最後の1年」までを振り返る(全2回の1回目/後編へ)。 「ボクは中学生からだから、ファミコンやってる歴10年かな。“ファミコンおたく”と呼んでください」 これは『週刊ベースボール』92年7月13日号掲載、「究極のID野球 ファミコンで実戦をシミュレート 高津臣吾」記事内のコメントである。カーテンを閉め切った部屋で電気を消し、キャップをかぶり、ナイター気分を演出してスーパーファミコンの『スーパーファミスタ』をプレイする。 「ミーティングの復習とい

                  30歳高津臣吾(ヤクルト)は迷っていた「オレ、このままでいいのかな」右ヒジ痛、伊藤智仁との激戦…“2番手の男”がメジャー挑戦するまで(中溝康隆)
                • ヤクルト高津臣吾監督が真中満に明かした不安と本音。昨季の開幕3連敗に「あんなに阪神と差があるとは...」

                  webスポルティーバ野球の記事一覧プロ野球ヤクルト高津臣吾監督が真中満に明かした不安と本音。昨季の開幕3連敗に「あんなに阪神と差があるとは...」 高津臣吾×真中満 対談 第1回「最下位から日本一へ」 昨年、ヤクルトスワローズを日本一に導いた高津臣吾監督と、元ヤクルト監督でプロ野球解説者の真中満氏が対談。高津氏は1991年入団、真中氏は1993年入団でヤクルト現役時代には年齢の近い先輩・後輩関係で、2017年に真中氏が監督の時には高津氏が二軍監督というお互いをよく知る仲だ。「高津ヤクルト」が前年最下位から結果を出せた要因は何だったのか。連覇をかける2022年シーズンに向けての課題や抱負は。息の合ったふたりの対談を全4回にわたってお届けする。 ヤクルト高津臣吾監督(左)と真中満氏の対談が実現。日本一の戦いを振り返ったこの記事に関連する写真を見る 【我慢を続けた監督1年目】真中満(以下、真中)

                    ヤクルト高津臣吾監督が真中満に明かした不安と本音。昨季の開幕3連敗に「あんなに阪神と差があるとは...」
                  • 高津臣吾36歳と38歳…2度の“戦力外通告”も「まだやりたい気持ちはある」アメリカ、韓国、台湾…43歳で“現役最後のシンカー”を投げるまで(中溝康隆)

                    35歳の挑戦――。 言葉にすれば夢に溢れているが、いざ動き出すと現実は厳しい。“日本一のクローザー”と言われたあの男にしても、そうだった。2004年1月半ば、高津臣吾はロサンゼルス郊外にある大学のグラウンドにいた。MLBのスカウトに向けて、公開トライアウトを行ったのである。前年11月にFA宣言してメジャー移籍を目指すも、どこからもオファーがなく、約30人のスカウトの前で投球を披露することになった。 例年ならまだキャンプインもしていないこの時期に、Tシャツ短パン姿で通算260セーブ(03年終了時)もあげた投手が、アメリカの人気もほとんどないマウンドに立つ。まさにゼロからの再スタートだったが、ホームベースの後ろでは見慣れたキャッチャーミットが待ち構えている。その球を受けるのは、なんとこのために渡米した盟友の古田敦也だった。

                      高津臣吾36歳と38歳…2度の“戦力外通告”も「まだやりたい気持ちはある」アメリカ、韓国、台湾…43歳で“現役最後のシンカー”を投げるまで(中溝康隆)
                    • 【ヤクルト】高津臣吾監督が米代表銀メダルのマクガフをたたえる「素晴らしい成長。手を叩いて祝福したい」 - スポーツ報知

                      ヤクルトの高津臣吾監督が8日、東京五輪の米国代表として銀メダルを獲得した自軍の守護神、スコット・マクガフ投手を「手を叩いて祝福したい」とたたえた。 チームからは日本代表・侍ジャパンに山田哲人内野手と村上宗隆内野手、米代表にマクガフを送り出した。日米対決となった7日の決勝戦(横浜)では、村上が3回に決勝点となる先制ソロ。8回には山田VSマクガフの直接対決があり、山田が貴重な追加点のきっかけとなる右前安打を放った。 山田と村上が活躍しての金メダルに、高津監督は「2人とも代表に入るという目標を実現して、重圧もある中で期待通り、期待以上に(優勝に)貢献したんじゃないかな」と目を細めた。 同時に、感慨深そうに語ったのがマクガフの奮闘だ。山田との直接対決のシーンを「抑えてくれとも、打ってくれとも思えなかった。感情が出なかったというのが正直なところ。こんなに複雑な思いをするんだなと思った」と振り返った指

                        【ヤクルト】高津臣吾監督が米代表銀メダルのマクガフをたたえる「素晴らしい成長。手を叩いて祝福したい」 - スポーツ報知
                      • ヤクルト高津臣吾監督(52)の「絶対大丈夫!」な選手起用を生んだ“1993年ノムさんの教え”「松井秀喜のホームランが高津の野球を変えた」 | 文春オンライン

                        プロ野球のヤクルトスワローズは2021年、6年ぶり8度目のセ・リーグ制覇を果たし、クライマックスシリーズも勝ち上がった。高津臣吾監督の手腕を、かつての恩師である野村克也は生前、どう評価していたのか。「野村の教え」を実践した高津監督の野球を分析していく。 ◆ 野村野球を骨の髄まで学んだ8年間 2勝1分。まさに圧勝だった。ヤクルトはクライマックスシリーズのファイナルステージで、巨人を寄せ付けない強さを見せつけた。試合後、高津監督はリーグ優勝時と同じく5度、宙を舞った。神宮の胴上げを悲願としていた指揮官は、「念願が叶いました」と感慨深げに話した。高津の監督としての力量は未知数だったが、前年最下位のチームを優勝に導くあたり、監督としての能力は高いと見るべきだろう。 高津が90年にヤクルトにドラフト3位で指名されたとき、彼より注目されたのは同じ亜細亜大学で史上最多となるプロ8球団から競合指名を受けた

                          ヤクルト高津臣吾監督(52)の「絶対大丈夫!」な選手起用を生んだ“1993年ノムさんの教え”「松井秀喜のホームランが高津の野球を変えた」 | 文春オンライン
                        • 真中満が高津臣吾監督に聞いた奥川恭伸と石川雅規の起用法。「非情と感じた」鬼の采配にも迫った

                          長谷川晶一●構成 text by Hasegawa Shoichi村上庄吾●写真 photo by Murakami Shogo 高津臣吾×真中満 対談 第2回「若手とベテランの活躍」 昨年、ヤクルトスワローズを日本一に導いた高津臣吾監督と、元ヤクルト監督でプロ野球解説者の真中満氏が対談。高津氏は1991年入団、真中氏は1993年入団でヤクルト現役時代には年齢の近い先輩・後輩関係で、2017年に真中氏が監督の時には高津氏が二軍監督というお互いをよく知る仲だ。「高津ヤクルト」が前年最下位から一気に強くなった要因は何だったのか。連覇をかける2022年シーズンに向けての課題や抱負は。息の合ったふたりの対談を全4回にわたってお届けする。(第1回から読む>>) 2021年4月8日、プロ初勝利を挙げた奥川恭伸(右)と高津臣吾監督 photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る 【笑

                            真中満が高津臣吾監督に聞いた奥川恭伸と石川雅規の起用法。「非情と感じた」鬼の采配にも迫った
                          • パを止めたデータと頭脳 野村イズムを継承、ヤクルト・高津臣吾監督:朝日新聞デジタル

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                            • 独学サブマリン・山中浩史を変えたヤクルト高津臣吾監督「4つの指令」。(長谷川晶一)

                              「立場はわかっているので、腹をくくって自分の投球をしようと思っていた」 8月2日の対中日ドラゴンズ戦。今季初登板を終えたヤクルト・山中浩史は報道陣に語った。 昨年はわずか4試合の登板。今季も二軍キャンプスタートで、開幕一軍もかなわなかった。 待望の初登板はシーズン37試合目のこと。石川雅規とスアレスが二軍に落ち、ローテーションの一角を期待した新外国人・イノーアが活躍できない中で、ようやくチャンスがめぐってきた。 来月35歳になる男が語った「立場はわかっている」という言葉の重み。 だからこそ、8回をわずか97球、無失点で切り抜けたこの日のピッチングは胸を打つものがあった。試合は0-0の引き分けに終わったものの、この日の最速は123キロ、最遅は95キロというベテランの妙味を堪能できるピッチングだった。 テレビ画面に釘づけになりながら、かつて山中に聞いた言葉を思い出す。 「ピッチングの際には《前

                                独学サブマリン・山中浩史を変えたヤクルト高津臣吾監督「4つの指令」。(長谷川晶一)
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