その鍛え抜かれた体と筋肉で、世界を震撼させ、ネットアイドルとなったオーストラリアのアカカンガルー、ロジャー氏(該当記事)が12月7日に亡くなった。享年12歳だった。 アカカンガルーの寿命は12歳から15歳と言われているので、ほぼ寿命をまっとうしたということだろう。
忙しくてゆっくりまとめる時間がなかったので、すっかり遅くなりましたが、一応….。 ロビン・ウィリアムズで私が好きなのは、やっぱりこれ… この映画からのナレーションだよね。 僕らはかっこいいからという理由で詩を書くのではない 人類の1人だから、詩を読み、書くのだ。 人の営みは情熱に溢れている。 医学、法学、ビジネス、工学… これらは気高い追求のもとにあり、生活の維持に必要なものだ。 だが、なぜか詩、美しさ、ロマンス、愛を求め、私たちは生きる。 ウイットマンの言葉にこんなものがある。 「自分よ、人生よ、幾度となく悩ます疑問 信頼に値しない、永遠に続く連続 愚か者であふれる町 これらにどんな意味があるのか? 自分よ、人生よ」 答え… それはお前がここにいるからだ。 ここに人生があり、生きた証があるからだ。 力強い物語は続き、君はそこに一編を提供する。 力強い物語は続き、君はそこに一編を提供する。
冨田勲先生(と見ず知らずの方なのに「先生」とすることをお許し頂きたい。しかし、「先生」としか呼びようがないのだ)の音楽は、ある世代以降の日本人における「無意識の記憶」のようになっている部分があるように思える。 たとえば、あの有名な『月の光』『展覧会の絵』『火の鳥』『惑星』を初めとする歴史的なシンセサイザー・アルバムは、「電子音楽」の大衆化における日本人の無意識だったといえるし、『ジャングル大帝』『リボンの騎士』『どろろ』などの60年代の虫プロダクション制作の手塚治虫原作のTVアニメや『キャプテンウルトラ』や『マイティジャック』などの特撮ドラマは、ある世代の「幼年期」の記憶だし、『新・平家物語』(1971)などのNHK制作の大河ドラマ、『新日本紀行』、『きょうの料理』のテーマ曲などは、ある時代の「お茶の間」の記憶であった。もしくは冨田先生から松武秀樹氏、そしてYMO(以降)へという影響力。つ
5月7日、スティーヴ・アルビニが心臓発作で死去。享年61歳。バンド、シェラックの10年ぶりの新作『To All Trains』の発売を今月に控えたあまりにも急で早すぎる死だった。 80年代、学生時代にシカゴでジャーナリズムを学び、ファンジンのライターと並行して最初のバンド、ビッグ・ブラックの活動を開始。リズムマシーンとギター×2、ベースという編成。ドライなマシン・サウンドと金属的でノイジーなギター・サウンドをもってアンダーグラウンド・シーンで頭角を現した。 彼のバンドとしての活動は、ちょうどCDの登場する時期と重なっていた。ジャケットで日本の劇画『レイプマン』の引用がされていることでも知られるアルバム『Songs About Fucking』の裏ジャケットには「The future belongs to the analog loyalists. Fuck digita」(未来はアナログ支
まあ、いまとなってはこっぱずかしい話ではある、中高生のときにロック、ことパンク周辺に夢中になってしまったぼくは、昼も夜も音楽のことばかり考えて、好きになった曲の意味をなんとしてでも知ってやろうと、辞書を引きながら一生懸命日本語訳に挑戦したものだった。テレヴィジョンはサウンドはもちろんだが、ぼくにとっては歌詞の世界にもどっぷりはまったバンドだった。 “Marquee Moon” の出だしの言葉を、これまでの人生でなんど反芻したことだろう。「I remember how the darkness doubled/ぼくは憶えている。その暗闇がいかにして重なったのかを」 それだけで充分だった。暗闇は前提であって、それがどうしてさらに暗くなったのかが問題だった。冷たさや夜の空しさだけが真実だった。 そりゃあ私だって幸運だったこともある まやかしだったけれどね ローラはそう言った 彼女は目を閉じてしま
ちょっと前のこのようなイベントの書き起こしであるようだ。続きがあるらしいがまだ公開されてないっぽいのでとりあえずこれだけをベースに書く。 2018年6月17日、ベンチャー経営に関わる起業家を中心としたメンバーが一堂に会する「G1ベンチャー2018」が開催されました。第3部分科会の「仮想通貨の課題と未来の可能性」には、ビットバンク廣末紀之氏、京都大学公共政策大学院の教授・岩下直行氏、弁護士の増島雅和氏が登壇しました。福岡市長の高島宗一郎氏をモデレーターに、「通貨圏の次の一手」になり得る可能性を持つ仮想通貨の今後について語り合いました。 「「通貨圏の次の一手」になり得る可能性を持つ仮想通貨の今後」と謳っているのだが、いきなりこんな発言が出てきてびっくりした。 廣末紀之氏 2012年から(2018年まで)約6年間ぐらいやって、今岩下先生がおっしゃったように、法定通貨の代わりの交換媒体としては、正
ペレは、世界初のサッカーにおけるスーパースターだったが、マラドーナと同じく、いちサッカー選手以上の存在だった。モハメッド・アリやマイケル・ジョーダンなどと並べて語られるように、スポーツをもって頂点に上り詰めた黒人でもあった。影響力の大きさから、その無邪気な言動は、ときに政治的にも解釈された。だいたい、戦争を止めることができたスポーツ選手などほかにいたのだろうか。60年代末、内戦状態だったナイジェリアとビアフラはペレのプレイを見るために休戦したのである。 ペレの全盛期は、1958年のスウェーデン大会から1970年のメキシコ大会までの間だと言われている。彼はブラジル代表としてW杯で三度、クラブ・チーム「サントス」の一員として二度の世界王者に輝き、23年間の選手生活において世界80カ国でおよそ計1300試合以上の試合に出場し、公式としてはいまのところ最高の1300近いゴールを記録している。ぼくが
彼の死によって失われたもの三田格 今年はルー・リードのニュースが続いた。 最初は妻のローリー・アンダースンがひそかにルー・リードが肝臓を取り替える手術(最初はそのように表現されていた)を行い、成功したことを伝えるものだった。その時はそうかと思っただけだった。続いて、ミュージシャンがミュージシャンの作品をレビューするthetalkhouse.comで、ルー・リードがカニエ・ウエストの『イーザス』を詳細に分析し、絶賛しているというものだった。その時もそうなのかと思っただけだった。 最後のニュースは手術が必ずしも成功ではなかったことを伝えるものだった。今度もそうかと思うしかなかった。最初に思い出したのは寺山修司のことだった。寺山が47歳で亡くなったのは医師の誤診であり、寺山は「治すことよりも創作の道を選んだ」という武勇伝は、その医師によって流されたデマだったということが死後20年も経過してから明
************************************************* このCIA★こちら映画中央情報局ですは、2017年4月1日に、コチラの CIA Movie News に移転しました!! ************************************************* 現地のロサンゼルスでは今日の2月27日(金)の朝、「スター・トレック」のミスター・スポックとして、世界中で愛された名優レナード・ニモイさんが、ベル・エアーの自宅で、お亡くなりになられたことを、ニューヨーク・タイムズなど各メディアが報じました。妻のスーザンさんのコメントによれば、死因は慢性閉塞性肺疾患の末期症状によるものだそうで、今週はじめにも入院していましたが、どうやら、容体が持ち直すことはなく、ご自宅で息を引き取ることを選ばれたのかもしれません…。享年は83歳でした…。
ナツメグさんは1990年、イギリスのゲーツヘッドにあるリズさんとイアンさんのお宅の庭先にて発見された。野良生活が長かったのか、当時推定5歳だったナツメグさんはやせ細っていたそうだ。 夫妻には子供がいないこともあり、ナツメグさんは夫妻の愛情を一身に受けて健やかに幸せに暮らしてきた。 2015年には大病を患ったが、それをも乗り越えてきた。ご長寿猫とはいえ、毎朝飼い主を起こし、しっかり朝ご飯をねだっていたナツメグさん。 「ナツメグは私たちの飼い猫なのではなく、私たちが彼のために存在する人間なのです。それがナツメグの長生きの秘訣なんじゃないでしょうか。」とナツメグさん31歳のお誕生日の際、夫妻は語っていた。 関連記事:世界最年長か?英在住の猫の31歳のお誕生日を迎えていた。 しかし、先日ナツメグさんは呼吸困難で病院に搬送され、心不全で亡くなった。夫妻の悲しみは言語に絶するものだという。 「心が引き
R.I.P.キース・フリント「プロディジーはレイヴ世代のパンク・ロックだよね」と語っていたジミー・ペイジ ★英国時間の昨日=3月4日(月)の朝、 あのザ・プロディジーのフロントマン、キース・フリントが急死した、という悲しいニュースが届いた、、、。 全英&全米同時1位!をとった97年の『The Fat Of The Land』以来、 筆者も彼らに何度か取材をする機会に恵まれてきたわけだが、 いつも驚かされたのは「マッチョでデンジャラス!近寄りがたい」サウンド+世間のイメージと、 「むちゃくちゃフレンドリーで優しいナイス・ガイ&エセックス・ボーイ」な彼らの素顔とのギャップだった。 ★で、キースの悲報と共に多くのセレブから続々届く追悼メッセージを見ているうちに、 ジミー・ペイジ御大のメッセージを発見→ https://twitter.com/JimmyPage/status/1102544018
LAのビート・シーンを代表するアーティストのひとり、Ras G こと Gregory Shorter Jr. が7月29日に亡くなった。直接の死因は発表されていないが、昨年12月、呼吸に異常を感じて救急搬送され、肺炎、高血圧、糖尿病、甲状腺機能低下、心不全と診断されたことを自らの Instagram で公表している。体の不安を抱えながらも、今年に入ってからは2月にハウス・アルバム『Dance Of The Cosmos』をリリースし、続いてビート集『Down 2 Earth, Vol.3』、『Down 2 Earth, Vol.4』を相次いでリリース。またLAローカルのイベントにもいままで通りに出演し続け、さらに今年6月に長野・こだまの森で開催されたフェス『FFKT』への出演も開催の約1ヶ月前に発表されていたが、しかし、健康上の理由で来日はキャンセルとなっていた。 突然の訃報に際し、Ras
Google Readerが息を引き取った。 8年10ヶ月の命、アクセスできると思ったら反応が悪くなったり、あるいはトップページにとばされたり、apiを受けつけなくなったりと、次々に生の兆候が失われていく生物みたいな死であった。 私にとってGoogle Readerはインターネットの中核だった。Google Readerを通してarXivの論文にアクセスし、知人のブログを閲覧し、大学事務の更新情報を読む。はてブなら複数のタグに属するエントリをまとめて閲覧する。Twitterのようなソーシャルに流行っているものしか集めないシステムではたりない部分に手が届くこまやかさがあった。 世界的にRSSは退潮著しく全盛期の数分の一までPVが低下しているとはいえ、こうやってGoogleに見捨てられる日がくるとは思わなかった。国内ネット大手よりはるかに末永く使えるものと考えてGoogle依存を高めつつあった
私は朝起きるとコーヒーを淹れて、ベランダでタバコをふかしたのち、四十の声を聞き、だいぶガタがきた身体をほぐすために運動するときめているが、そのときかけるBGM選びは慎重を要するうえに困難をきわめる。なんとなれば、その日一日の気分を左右するからであるが、一日の気分なぞ起き抜けの頭にきめられてはたまったものではない。いきおいレコード棚とCD棚の前をうすのろのようにうろうろするハメになる。5分、10分はザラで半時間とはいかないまでもそれくらいかかることもあり、しぶしぶきめた音楽のせいで午前中がムダになることもしばしば、世の勤めびとにくらべるとおかなりお気楽な部類にはいるのである。 今朝はたまたま、CD棚の南向きの面の右端上から3段目に目がいった。水谷さん、灰野さん、ボアダムス、ザッパとかクレイオラ、アイラーやベイリーやマイルスのジャズ関係にまじって、ケージやサティやフルクサス系がごっちゃになった
たとえば、ジュリアン・コープの『ジャップロック サンプラー』でフラワー・トラヴェリン・バンドなどに較べ、村八分の旗色が悪いのは、英国と日本の間に横たわる歴史、地理、言葉の条件から来る齟齬のめもくらむばかりの溝をどのようにのこりこえるのかという以前に、音楽のオリジナリティをどこに聴きとるかという耳の志向に左右される。いわく、旧弊な日本社会におけるアウトサイダーたちによるストーンズ・タイプのロックンロール・バンドだったがそれ以上ではなかった――これはジュリアンがそう書いているのではなく、あの本で彼のいいたがっていることを私なりに解釈したものだが、私は彼にいってやりたい。ねえジュリアン、オリジナリティって新しい形式をつくることのなの? 一方で、小説を書かないことで知られるアルゼンチンの作家、エルネスト・サバトは『作家とその亡霊たち』のなかの「作家と旅行」と題した短文で「よしきにつけ悪しきにつけ、
近頃はみんながハッピーだ 僕たちはみんなそれぞれのインスタグラムでポップ・スターをやっていて、最高に楽しそうな、もっとも自己満足できるヴァージョンの自らのイメージを世界に向けて発している。僕たちは文化的なランドスケープの中を漂い、愉快そうでエッジがソフトな人工品に次から次へと飛び込んでいく。そこでは硬いエッジに出くわすことはまずないし、蘇生させてくれる一撃の電気を与えることよりもむしろ、締まりのない、無感覚なにやけ笑いを引き起こすのが目的である音楽に自分たち自身の姿が映し出されているのに気づく。 近頃では、バズコックスにしてもポップ・カルチャーのほとんどに付きまとう、それと同じ麻痺した喜びのにやけ顔とともに難なく消費されかねない。ノスタルジーの心あたたまる輝き、そして40年にわたって続いてきたポップ・パンクのメインストリーム音楽に対する影響というフィルターを通じてそのエッジは和らげられてき
ブルースの王者、と何の注釈も懐疑も付されることなく尊称を受けた人物、BBキングが89才でこの世を去った。2015年5月14日。王者の死とは何を意味するのだろう。あるいはブルースの死とほとんど変わらない意味を持つものなのか。 BBが身近な存在だった人もいれば、ブルースなんてまったく別世界、という人もむろん多かっただろう。根源的な音楽、だけれど避けて通りたい音楽、できればその音楽ファンだと悟られたくない音楽……であったかもしれない。でもこの世に生きている以上、その網の目から逃れることのできないのは、ブルースという音楽の持つ根強さ、存在感、無意識のうちに人に宿る精神性あればこそである。BBキングはまさにそれを体現していた。 1925年、和暦で言うなら大正14年、日本では初めてラヂオ放送が開始されたというこの年、蛇行するミシシッピ川と歩みを共にする死の川、ヤズーの流れを近くに見るデルタ地帯バークレ
野田努 「テリー・ホールの声は、まったくレゲエ向きじゃない」と、ジョー・ストラマーは言った。「だから良いんだ」。ザ・クラッシュの前座にオートマティックスを起用したときの話である。たしかに、テリー・ホールといえばまずはその声だ。ダンサブルで、パーカッシヴで、ポップで、エネルギッシュな曲をバックに歌っても憂いを隠しきれないそれは、最初から魅力的で、忘れがたい声だった。 12月18日、テリー・ホールが逝去したという。この年の瀬に、悲しいニュースがまた届いた。10代のときからずっと好きだったアーティストのひとりで、とくにザ・スペシャルズの『モア・スペシャルズ』(1980)とファン・ボーイ・スリーの『ウェイティング』(1983)、UKポスト・パンクにおける傑出した2枚だが、ぼくにとっても思い入れがあるレコードだ。これまでの人生で何回聴いたかわからない類のアルバムで、この原稿を書いているたったいまはF
年の終わりに近づいてチャーリー・シーン死亡、なんていうデマもありましたが今年も様々な人が亡くなりました。主に映画関係者に絞りつつ物故者紹介。 アーヴィン・カーシュナー(1923年4月29日 - 2010年11月27日) 「スター・ウォーズ帝国の逆襲」「ロボコップ2」など続編職人として名を馳せた映画監督。ジョージ・ルーカスの南カリフォルニア大学時代の恩師だったとか(ルーカスは「帝国の逆襲」で”カーシュナー・フィルム”とクレジットせず”ルーカス・フィルム”としたためアメリカ監督組合から干されその後長らく監督できなかった)。ヒット作はこの2本ぐらいだがどちらも名作(「ロボコップ2」は迷作?) ボブ・グッチョーネ(1930年12月17日 - 2010年10月20日) ポルノ雑誌「ペントハウス」総帥であり「カリギュラ」などで知られる映画プロデューサー。ハードコアポルノを大予算、スター出演で撮るという
「雑司ヶ谷 R.I.P.」の取り扱いについて 高崎市立図書館の見解 作家の樋口毅宏(ひぐち たけひろ)氏の新刊「雑司ヶ谷R.I.P」(ぞうしがやアールアイピー)が 2月25日に新潮社から発売されました。 この本の文末には、このような作者からの要請文があります。 「公立図書館のみなさまへ この本は、著作者の希望により2011年8月25日まで、貸し出しを猶予していただくようお 願い申しあげます。」 新聞報道や樋口氏のtwitterなどによると、樋口氏は図書館での貸出の役割をす べて否定しているわけではありません。樋口氏自身も図書館の利用者であり、ご自身の図 書館利用経験から、図書館が古今の知の集積であること、また作家にとっても新たな読者 を増やす場であることを理解しておられます。 しかし同時に、新刊の発行後すぐに図書館で貸出を開始することは作品が購入される機 会が減少すること、すなわち作家の
Color, the much-hyped startup that raised a whopping $41 million in a first round of funding, is shutting down its flagship video-sharing app just a year after re-launching it, according to VentureBeat. The company's shareholders and board reportedly voted to shut down Color last week following the news that Co-founder and CEO Bill Nguyen had stepped away from his day-to-day duties. "Color is goin
野田努 ジェネシス・P・オリッジが3月14日の朝に他界したと彼/彼女の親族が発表した。白血病による数年の闘病生活の末の死だった。 いまから70年前の1950年、マンチェスターに生まれたジェネシスは、大学のためにハルに引っ越すと70年代初頭はコージー・ファニ・トゥッティらとともにパーフォーマンス・アート・グループ、COUMトランスミッションのメンバーとして活動し、1976年からはロンドンを拠点にコージー、クリス・カーター、ピーター・クリストファーソン(2010年没)らとともに後のロックおよびエレクトロニック・ミュージックに強大な影響を与えるバンド、スロッビング・グリッスル=TGのメンバーとして音楽活動を開始する。 TG解散後の1981年、ジェネシスはあらたにサイキックTVを結成、そして2019年の『The Evening Sun Turns Crimson』まで、同プロジェクトを通じて数え切
インディ・ヒップホップ・レーベル〈ブラック・スワン〉のオーナーで、元〈Pヴァイン〉のA&R/ディレクターの佐藤将さんが3月5日に亡くなった。享年40歳だった。佐藤さんが亡くなって1か月近くが経とうとしているが、熱心な日本語ラップ・ファンや若い日本語ラップ・リスナーの人たちにこそ佐藤さんの功績を知ってほしいという気持ちは増すばかりだ。 音楽業界におけるA&R(Artist and Repertoire)という職業は、たとえるならば、出版業界における編集者のようなもので、才能あるアーティストを発掘し、その才能を育て、作品を世に送り出すのが仕事だ。アーティストにアドバイスし、ときにプロデューサー的役割を担う。寝食をともにし、ときにはカネを貸すこともある。そうやって、いっしょに遊んで、飲んで、仕事をして、音楽を作っていく。 アメリカの音楽専門サイト『COMPLEXMUSIC』は、昨年2月に「The
2017年9月24日に3年間続いたレギュラー放送の最終回を迎えた『しくじり先生 俺みたいになるな!!』。 オードリーがとても好きなのとオリエンタルラジオも好きなのもあり、放送初期の頃は毎週観ていましたが、いつからか観なくなってしまっていました。 ちょうど3年前、2014年10月5日にFacebookに投稿した「しくじり先生初回放送の感想」の文章が出てきたので、こちらに転載します。 しくじり先生、いい番組でしたね。 しくじり先生初回放送の感想 オードリー若ちゃんが担任を務めるお笑い番組『しくじり先生』レギュラー放送第一回を観ました。 初回の講義をしてくれるのはオリエンタルラジオ先生。 2週に渡り放送される同先生の講義の前編。 デビューから3年で10本(!)のレギュラー番組を抱え、下積みなしで一気に売れまくったオリラジ先生が、天狗になってレギュラー番組がすべて終わるまでを振り返る。 オリラジ先
R.I.P. Malcolm McLaren Tribute Mix Posted April 10th 2010 at 1:51 pm by gimantalon Or download here: DJ Premier – Malcolm McLaren Tribute Mix Tracks: Malcolm McLaren – It Was A New York Phenomenon Sex Pistols – Anarchy In The UK Malcolm McLaren – Zulu Nation Party Interview The World Famous Supreme Team Show – World Famous Supreme Team Show on (WHBI) #1 World Famous Supreme Team – Buffalo Gals Wor
シリコンバレーの日々 日米のハイテクベンチャーに投資する「キャピタリスト」が、ベンチャー企業やVC投資の諸々をお届けします。 Sequoia Capitalが2008年10月に有名なプレゼンテーションを打った。墓標に刻まれるR.I.P.(Rest in Peace:安らかに眠れ)というタイトルで始まるショッキングな内容のプレゼンテーションで、アメリカVC業界に留まらず日本でも随分と話題になったので、ご覧になった人も多いことだろう。(まだ見てない人はこちら) 引用 Sequoia Capital on startups and the economic downturn ところで、このプレゼンテーションが行われたミーティングでコメントしたパートナーのうち、二人がSequoiaを辞めたそうだ。辞めたと報じられているのは、Eric Upin氏とMichael Beckwith氏の二人。どちらもS
photo : Twitter,Instgram→@kanakoshirokuro 河端一、大久保潤 Mar 02,2017 UP 河端一(ACID MOTHERS TEMPLE) 1996年、Musica Transonic / Mainlinerで欧州ツアーを行った際、ベルギーの某レーベルからソロ作品のリリースを持ち掛けられ、当時未だ自身のソロやリーダー作品を発表した事がなかった私は、結成始動したばかりの自身のグループ「Acid Mothers Temple & The Melting Paraiso U.F.O.」の丁度録音中だった1stアルバムを以て、この依頼を受けた。録音には結局2年を要し、遂に完成したマスターを送れば返事は「レーベル閉社」。 斯くしてこの宙に浮いたマスターを携え、知人友人の紹介等もあり、国内外のレーベルあれこれ打診したが、返事は全て「申し訳ないが興味無し」。 私
プレーンな白アディダスに色を塗ろう!というプロジェクト、" adicolor "の北京の広告。 白紙のキャンバスを掲出して、 街のグラフィティアーティストが「ご自由に」ペイント。 ↓ うーわーと思ったのは 最後に上からもう一枚、 スニーカー側面がヌキになってるポスターをペタと貼って、「ペインティングスニーカー」が完成すること。 ↓ 拡大するとこういう状態↓ なんてカワイイ。 キャンバスに触発される「アーティスト魂」と 「モラル」、への信頼。 受け手を信じるということ。 去年、ソニーのPSPで同じようなグラフィティジャックがあったのだけど これは絵の上からイタズラされまくる結果となって、大失敗。 (参照記事) ↓ このソニーとアディダスの違いは、 ソニーのグラフィティが「アーティストに依頼したもの」であること。 メッセージが「企業発」であることに、受け手はシビアなもの。 「いいコト言おうとし
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