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キリスト教に関するqpqのブックマーク (23)

  • 教皇フランシスコ1世と『薔薇の名前』:阿部重夫主筆ブログ:FACTA online

    阿部重夫主筆ブログ「最後から2番目の真実」 2013年3月17日 教皇フランシスコ1世と『薔薇の名前』 初物尽くしの新ローマ教皇フランシスコ1世について一言。小生はカソリックでも、クリスチャンでもないが、アルゼンチンのホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿(76)がなぜ、第266代にいたるまで忌避されてきた「フランシスコ」の名を選んだのか、誰も説明してくれないのがちょっと不満です。 新聞はもっぱら、中南米出身の法王は史上初めてで、欧州以外の地域から法王が誕生するのは第90代法王のシリア人グレゴリウス3世(在位731〜741年)以来1272年ぶりだということ、さらにイエズス会出身の教皇も初めてだということを強調しています。 確かに教会力学から言えば、バチカン銀行の金銭スキャンダルや有力枢機卿のセクハラ・スキャンダルが多々起きており、欧州人でない教皇を選ぼうというモチベーションが働いたのでしょう。毎

  • Digital Dead Sea Scrolls

    Great Isaiah Scroll The Great Isaiah Scroll (1QIsaa) is one of the original seven Dead Sea Scrolls discovered in Qumran in 1947. It is the largest (734 cm) and best preserved... The Dead Sea Scrolls, which include the oldest known biblical manuscripts in existence, have been digitized and are now accessible online. War Scroll The War Scroll (1QM), popularly known as "The War of the Sons of Light A

  • 荒川教会ホームページ

    ① 聖書についての質問 ② 教会や信仰についてご質問 ③ 心の悩み 牧師にメールをお送りください。 できる限りお返事します。 yuto@indigo.plala.or.jp (お願い) はじめてメールをくださる方は、 件名に「荒川教会HPより」とお書き ください。毎日大量に送られてくる 迷惑メールと区別するためです。 ご協力をお願いします。

  • 捏造された聖書(バート・D・アーマン):極東ブログ

    「捏造された聖書(バート・D・アーマン)」(参照)はいずれ読むんだろうなと思っていたが、ふと思い立ったように読んでみた。面白かった。 話は、聖書の文批評学(textual critic)を一般向けにしたものだ。聖書というのは信仰者の多くは神の言葉だと理解しているしそれはそれで信仰の問題だが、信仰といった部分を除いて考えるなら、普通に人間が書いた歴史文書であり、その編纂の歴史というものがある。書はその新約聖書の部分をまとめたもので、こういうと嫌われるかもしれないが、欧米の知識人と向き合うことがある日の知識人ならこの程度の内容はざっとごく常識として知っておいたほうがいい。その意味では必読書と言えるかもしれない。日の現代知識人は奇妙に歪んだ、キリスト教に対する優越心みたいなものを持っていることがあるようだけど、そんなのは欧米人には通じない。むしろきちんと彼らの背負い込んだ知識を理解したほ

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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  • ヨナ記というのがある、ピノキオの元みたいな - finalventの日記

    クリスチャンならたいてい知っているだろう。すまん、「ヨナ書」だった。 こんなのもあるけど⇒「 鯨の中のジョナ(字幕): ビデオ: エルダ・フェリ,ロベルト・ファエンツァ,ヤノース・ケンデ,ジャン=ユーグ・アングラード,ジュリエット・オウブリィ,ルーク・ペターソン,ジェネー・デル・ヴェッチオ,ヨナ・オバースキー,エンニオ・モリコーネ」 ウィキペディアでは⇒ヨナ書 - Wikipedia 物語 ヨナ書の主人公はアミタイの子、預言者ヨナ(イオナ)である。ヨナは、神から、イスラエルの敵国であるアッシリアの首都ニネヴェに行って「(ニネヴェの人々が犯す悪のために)40日後に滅ぼされる」という予言を伝えるよう命令される。しかし、ヨナは敵国アッシリアに行くのが嫌で、船に乗って反対の方向に逃げ出す。このため、神は船を嵐に遭遇させた。ヨナがそれまでの神との事情を船乗りに話すと、船乗りたちはヨナが神の怒りに触れ

    ヨナ記というのがある、ピノキオの元みたいな - finalventの日記
  • 植田重雄、逝く: 極東ブログ

    朝のラジオで田村高廣が亡くなったと聞いてネットで確認したところ、併せて植田重雄の死を知った(参照)。十四日のことであったそうだ。 直に学んだこともなくお会いしたこともないのだが、いつも心のなかで植田重雄先生とお呼びしていた。お別れ会は日キリスト教団早稲田教会でとのことだが、やはりカトリックではなかったのかなと少し思った。そうした面についてはあまり知らない。 死因は胃がんとのことだが、八十三歳、天寿に近いと言ってもそう間違いではないように思う。年号年齢早見表 極東ブログ・リソース 2006年版(参照)を見るに、大正十二年か十三年の生まれ。吉隆明とほぼ同じ世代の人になる。 とすれば、昭和三十五年には三十七歳ということになる。書架にある植田重雄「旧約の宗教精神」をお書きになったのは、三十六歳ころであったか。しばし感慨に打たれる。 早稲田大学出版部から出た同書はすでに古書店にもないか、あるいは

  • コイノニアホームページ

    イエスのみ霊のバプテスマ体験について考えるサイトです。 異言を語る人も語らない人も 自分になにが起こったのか? これからどうすればよいのか? これらについて語り合いたいと思います。

  • 間違った生き方があるのか、本当の生き方があるのか、わからない - finalventの日記

    ただ、関係のなかで人は「罪」足りえる。 だけど、「罪」は許されうるかもしれないのに、その「罪」を逃れることで「愛」の可能性を失うこともあるのかもしれない。 そこが生きることの難所のようにも思うし、そうした難所にある人をあまり他人事には思えない。 でも、それは、語れば、欺瞞。人は、「罪」と「愛」の括弧を外して生きなくてはならないのだから。 私はこうしたことを考えるときティリヒを思い出す。 ティリヒはなぜこんな恐ろしいことを言うのだろう。 批判者になったり、反逆者になったりすることは、それほどむずかしすぎるなどということはありません。しかし、何かに対して妥協しない、自分に対してすら妥協しないで、しかも偶像礼拝に対する神の審きを告げることはたいへん困難です。その勇気ある行為が、苦難や殉教を招くかもしれないからというのではありません。失敗の危険を含むからです。私どもの意識のなかにある何かが、つまり

  • アジール - あんとに庵◆備忘録

    アジールというのは地上の権力、つまり例えば領主や、世俗の権威が及ばぬ避難所のことを指す。 西ヨーロッパ中世においては、教会権力が皇帝権力と対立していて、教会、或いは修道会といったものは世俗の権力に対し自立していた為、例えば領主によって裁かれるはずの罪人が聖域に逃げ込んだ場合は、その聖域の責任者と、領主との間で交渉などが行われたりする。罪人が領主によって不当な扱いを受けている場合などにおいては教会側が弁護する、保護する等の働きをする場合もあっただろうし、有無を言わさず領主に引き渡してしまうなんて例もあっただろうが、とにかく一応「聖域」は領主などの統治権限が及ばぬ領域である。 西ヨーロッパなどで修道院や教会が要塞化しているのは、それが自治的存在であったからであろうし、同様に商業的な都市などもその商業という性質上、一定権力の統治を嫌うゆえ自治性を持っていたりする。イタリアが都市国家が長く、そして

    アジール - あんとに庵◆備忘録
  • 「神をナメるな」「人に良くしろ」/ユダヤ・キリスト教刑法 - アケガタ

    たまに深夜にNHK放送されていた「ダーマ&グレッグ」という海外ドラマをご存知だろうか。ヒッピーの両親を持つヨガ教室の講師ダーマと、上流階級出身の検事(後に弁護士)であるグレッグの結婚生活を描いたコメディなのだが、結構面白くて、深夜に再放送をしているのを見つけると、ついつい観てしまった。その中で、どんな話だったか忘れたが、聖書の中身をろくに知らないダーマに、夫のグレッグがその内容を質問した際に、ダーマが答えた旧約聖書の要約が「神をナメるな」だった。そして新約聖書の要約は「人に良くしろ」。なかなかどうして、言いえて妙であるなあと感心したことは覚えている。旧約聖書に出てくるヘブライ人の神は大変に厳しい(というかたまに無茶なことをする)。それに比べると新約聖書ではやたらに優しい。死刑に相当する罪がたくさんある。これを刑法としてみるとどういうことになるか、ちょっと考えてみようと思う。人に対する罪殺人

  • http://www.mori2001.com/

  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • Passion For The Future: ユダの福音書を追え

    ユダの福音書を追え スポンサード リンク ・ユダの福音書を追え ”ダビンチコード”がこじつけに感じられてついていけない私ですが、このの内容はすべてが現在進行形の実話でわくわくした。ナショナルジオグラフィック協会の最新刊。 1970年代、エジプトで謎のパピルスの写が発見された。欲に駆られた美術商たちの手から手へ、写は30年間の旅の末、米国で信頼できる研究者の手に渡った。そのとき写は長期の劣悪な環境によって崩壊寸前であった。研究グループは5年の歳月をかけて修復を行い、内容を解読した。専門家の調査、放射性炭素年代測定の結果は、紀元240年から320年頃のものという結果がでた。初期キリスト教の片鱗を今に伝える文書であることがはっきりした。 そしてナショナルグラフィック日語版では6月号の特集である。 ・NATIONAL GEOGRAPHIC (ナショナル ジオグラフィック) 日版 200

  • みやきち日記 - 他人の不幸はアンタのズリネタですか? - 中学生日記「誰にも言えない」放映前の反応について

    中学生日記 「誰にも言えない」 (前編) ※以下、性暴力に関係する内容です。フラッシュバックを起こしそうな方はご注意ください。 続きを読む 鏡の法則(ハンカチを用意して読め!) 追跡「鏡の法則」 こいつらはカルト鴨 「鏡の法則」を読んで、どうにもうさんくさい話だと思っていたところ、やっぱりカルトではないかという指摘が出てますね。 さて、では、カルトではない宗教では、「許すこと」をどのようにとらえているのでしょうか。下のエントリで取り上げた『リンダの祈り - 性虐待のトラウマからあなたを救うために』(リンダ・ハリディ=サムナー、集英社)に、ちょうどいいエピソードが出ていたので紹介しておきます。 このの著者リンダ・ハリディ=サムナーは父親による性虐待の被害者で、「加害者を許して忘れなさい」とか、「お父さんを許さなければ癒されない」というようなアドバイスに納得がいかず、苦しんだと書いています(

    みやきち日記 - 他人の不幸はアンタのズリネタですか? - 中学生日記「誰にも言えない」放映前の反応について
  • キリストの処女降誕のこと - finalventの日記

    ルカになるとさすがにヘレニズム色が濃い。 マタイはなかなか含蓄がある。 まず、冒頭ダビデの系図があるがだが、これが父系ということもあるのだが、ヨハネにつながっている。当然、ヨハネの血統はイエスにはつながらない。 この系図だが、英語ではbegatを使っていたはず。で、ギリシア語では、ちと忘れたが、語源は「種とする」だったか。つまり、これは、精子の一貫性なわけだ。 また、この系図、ダビデ神話を踏襲していることもあり、ラハブ、ルツ、ウリヤのと蒼々たる暗喩がある。 そして、極めつけ。 イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。彼がこのことを思いめぐらしていたとき、主の使が夢に現れて言った、「ダビデの子ヨセフよ、心配

    キリストの処女降誕のこと - finalventの日記
  • キリスト教、あれこれ - finalventの日記

    信仰とかにはまるで関心がない。 というか、西洋人も日人も、宗教というのを、あるいは神というのを、自己の精神の側のパラメーターでどうなるかのような精神現象と見ているのだな、面白い人々だなという感じがする。まあ、率直に言えばということだが。 聖書を自分なりではあるがよく読んだ。新約聖書は旧約聖書のコンテクストをはずすと意味がなくなる。ので、旧約を自分なりではあるがよく読んだ。読んでわかったことは、神とは、そこから逃げ出したくなるようなものであり、罵倒の対象でもあるようなものだ。ヨナの物語は、人が神から逃げる物語だ。処世とは、そういうものだ。 そしてそれらの物語の核心にあるのは、神が人を選ぶということであり、選ばれた人は神を罵倒してもまったくかまわない、そもそも迷惑なことだという当然の権利のようなものだ。ヨブの物語において神は不当ですらある。理不尽といってもいい。ヨブにはそう抗いたてる権利があ

    キリスト教、あれこれ - finalventの日記
  • クリスチャンであることというのは…… - finalventの日記

    社会の建前とその人の生涯の意味というのでは違う。たぶん、その人の一生のなかにイエスというものが表れているなら、その生涯の終わりをもって彼/彼女はクリスチャンであったことだろう。もっとも、そういう見方を私は人と共有しようというわけでもない。 人の一生のなかにイエスが現れる。刻印のように現れる。そういうことがある。そういう奇跡のような人がいるということはイエスが復活したという神話的な理解でもあるだろう。なぜそんなことが起こるのかわからないし、おそらくそれは個々人の内面の信仰やその手だてとはまったく異なるなにかなのだろう。 その意味で。 洪思翊はクリスチャンではなかったか。少なくとも私の生涯のなかに見える彼の姿は、歳を取るにつれて、イエスのそれと重なっていく。彼は語らず、我々の罪を負って、この世というものに処刑された。 もし、神というものが存在し、それが義であるなら、なぜ神は洪思翊を捨て置いたの

    クリスチャンであることというのは…… - finalventの日記
  • 聖書 - finalventの日記

    書棚を整理しているとこれでもかといろいろ聖書が出てくる。ギリシア語のものが5冊くらいある。げげ。この調子ならセプチュアギンタも出てくるか(わけねー)。 聖書というのを読まなくなって久しい。共同訳が出てからはまるでわからん。 中学生のときに読んでいた新約が出てきてちょっと、甘酸っぱい。 聖書はおよそ日語の文化環境で読めるようなものではないし、所詮古代文書。十代のときは思い入れで読んでいたのだが、ああいうのがむしろアジア的な求道的なものだろうか。 二十代は人生にはいろいろあったがいわゆる宗教的な関心は次第に薄れ、三十代には黄昏、四十代以降は読んでもいない(まるで読まないわけでもないが)。 読んでいてよかったか。以前は、日の知識人、聖書くらい読めとかほざいていたが、読まないから日の知識人なんだろうなということで許す、でいいのか。ま、いいか。 そういえば、二十代後半からは三十代後半は、聖書的

    聖書 - finalventの日記
  • ユダの福音書 - AztecCabal

    ユダの福音書(参照)が話題になっているが、ナグ・ハマディ文書ほどの大ニュースではないかな。どちらかといえば「文学的」な事件だろう。エイレナイオスの『異端反駁』によると、グノーシス主義のカイン派の文書らしい。ダウンロードしてパラパラ読んでみると、たしかにグノーシス主義的表象と用語が用いられている。 グノーシス主義については分派が多いので解説が難しいが、『ナグ・ハマディ文書I 救済神話』の「グノーシス主義救済神話の類型区分」で、大貫隆はグノーシス主義各分派に共通する要素を5つあげている。 人間の知力をもってしては把握できない至高神と現実の可視的・物質的世界とのあいだには越え難い断絶が生じている。 人間の「霊」あるいは「魂」、すなわち「来的自己」は元来その至高神と同質である。 しかし、その「来的自己」はこの可視的・物質的世界の中に「落下」し、そこに捕縛されて、来の在り処を忘却してしまってい

    ユダの福音書 - AztecCabal