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宗教に関するqpqのブックマーク (17)

  • ユダヤ教において「親の罪を子が被らなければならぬ(Must Take Over)」というのは一般的ではない、況やキリスト教においてを乎、について - Comments by Dr Marks

    ああ、忙しい。今日は夕方にレッスンもある日なのになあ。10時までに事務所に行かなきゃならないし。日時間の12時半だけど、起きてる人は起きてるから急ごう。(これというのも、私が野次馬で先生が出ている黒古先生のブログに書き込んでしまったのが発端だから、身から出た錆なんだ、嗚呼。そのコメントの一部を下に引用しておく。) 罪を被るというとイエス・キリストの十字架の死(人類の罪の身代わり)を想像してしまうが、あれはもともと動物が担うものであって、ユダヤ教に綿々として受け継がれている思想はむしろ人身御供の禁止である。また、「親の因果が子に報い」的思想の根拠として出エジプト記20:5(関連して、民数記14:18、申命記5:9)を挙げる人がいるが、いずれも素人さんと思っていい。これは神と人間との信仰と契約の関係であって、人間社会の法秩序ではない。これは聖書学者の常識。 それでは、人間社会の法秩序の常

    ユダヤ教において「親の罪を子が被らなければならぬ(Must Take Over)」というのは一般的ではない、況やキリスト教においてを乎、について - Comments by Dr Marks
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    qpq 2009/07/26
  • 十牛図

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    qpq 2007/04/26
  • 極東ブログ: 仏教の考え方の難しいところ

    「仏教と大量殺人」というタイトルにしようかと思ったが、不用意に刺激的なのでいい加減なタイトルに変えた。たぶん普通の日人は仏教は不殺生の宗教なので、大量殺人を教義的に許容することなどありえないと考えるのではないか。実際夏安居などはジャイナ教かと思えるほどだ。あるいは多少日史を知っている人なら僧兵や願寺戦なども連想するかもしれないが、それでも仏教の教理において殺生を是とする考えがあるとは思わないだろう。しかし、子細に仏教を検討していくとそうとばかりもいえない。 歴史的に興味深いのは北魏における大乗の乱だろう。なぜかウィキペディアに項目がある(参照)。 大乗の乱(だいじょうのらん)とは、中国北魏の宗教反乱であるが、人を殺せば殺す程、教団内での位が上がるという教説に従った殺人集団であり、その背景には弥勒下生信仰があるとされる。 515年(延昌4年)6月、沙門の法慶が冀州(山東省)で反乱を起こ

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    qpq 2007/04/23
  • 二拝二拍手一拝という作法 - 西野神社 社務日誌

    先日、京都市に在住のある方から、「H木K子さんが、女性は拍手の音を立てるべきではないなど誤った神社参拝方法をTVで喋り、その弊害が発生しているとの話を聞きました。ブログで一度取り上げてみられてはいかがでしょうか」とのメールを戴きました。 H木K子さんとは、TVや雑誌等で広範に活躍されている売れっ子の六占星術家(作家、タレント、実業家なども兼ねておられます)で、そのH木さんが以前から「男性は拍手しても構わないが、女性は神社では柏手を打ってはいけない」と言っているということは私も聞いて知っており、やはり気にはなっていました。幸い、当社ではまだそのような参拝者は見かけたことはないのですが、神社によっては、神職が二礼二拍手一礼の参拝方法を説明しても、「それは間違った作法です。H木先生は、神社では女性は拍手をしないのが正しい作法と仰っています」と神職にって掛る参拝者もいると聞いていたからです。 そ

    二拝二拍手一拝という作法 - 西野神社 社務日誌
  • ドクター苫米地ブログ - Dr. Hideto Tomabechi Official Weblog:イエス・キリストを理解してない人たちへ、-(仏陀を理解していない人たちも) - livedoor Blog(ブログ)

    2007年02月22日13:27 カテゴリ イエス・キリストを理解してない人たちへ、−(仏陀を理解していない人たちも) http://www.tomabechi.com の掲示板の2004年の2月過去記事: >>>>【記事番号:497】 サトリの先にあるもの・2 投稿者: 苫米地英人 投稿日時: 04/02/16 18:53:44 近代宗教(キリスト教、イスラム教、仏教など)は、原始的宗教に一般に見られる矛盾=神と人間の関係が対等であるという立場、もしくは、人間が神を使役するという、人間が神の上位になる関係を避けることで成り立ってきたといえます。例えば、日の古来の「御利益」の概念は、人間が、一心不乱に祈ったり、水行をしたり、生け贄を捧げたりして、なんらかの犠牲を神に払えば、神がお返しに御利益をくれるという概念です。これは、人間の行為に神が見返りを提供しなければならないという、人間と神を対

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

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    qpq 2007/01/26
  • http://www.relnet.co.jp/izuo/brief/kinenko19.htm

    7月13日、創立七十五周年記念婦人大会が、木邊美子近畿宗教婦人連盟総裁をはじめとする来賓を迎えて、『生かされて生きる喜び〈いま、ここから〉』のテーマで開催され、長年の歴史と伝統を踏まえて、現代に生きる信仰女性のあり方を問うた。また、記念講演では、歌手で俳優の美輪明宏氏が『「ほほえみ」と共に生きる』という講題で、長年にわたる芸能生活を通じて体得した独特の人生観を親しみやすい口調で講演された。サイトでは、講演の内容を数回に分けて紹介する。 ●正負の法則とは 皆様こんにちは。私がただいまご紹介にあずかりました白鳥麗子でございます(会場笑い)。日は大勢の方がお集まりですが、劇場じゃございませんし、平場で傾斜がついていないので、会場の真ん中から後ろのほうはよくご覧になれない方もたくさんいらっしゃって、あまり背伸びしてご覧になられますと、途中で気分が悪くなったりなさる方もいらっしゃるかと思いま

  • 田島正樹氏の『ヨブ記』論 - charisの美学日誌

    (挿絵はブレイクの『ヨブ』より) 田島正樹氏が、10月6日より、ご自身のブログ「ララビアータ」で、旧約の「ヨブ記」について覚書を連載されている。↓ http://blog.livedoor.jp/easter1916/ 実にスケールの大きな興味深い解釈なので、この問題に関心を持つ者として、氏の「ヨブ記」論を取り上げてみたい。私も8月の日誌で「ヨブ記」に触れたが、今回の田島氏の論稿を拝見して、ようやく「ヨブ記」を理解できそうに思う。 ヨブ記は旧約中でおそらくもっとも問題を孕む書といえる。ヨブが神に力ずくで屈服させられる経緯に、何ともいえない割り切れない思いが残るし、ユングのように、神ヤハウェの未熟さを正面から批判して、「神が人間に追い越された」という解釈をする論者もいる。田島氏は、ラカンのテーゼを根底に置いて「ヨブ記」を読む。すなわち、「主体が象徴界に生まれる時、不可避的に象徴界に対して遅れ

    田島正樹氏の『ヨブ記』論 - charisの美学日誌
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    qpq 2006/11/25
  • 上野修『スピノザ:「無神論者」は宗教を肯定できるか』 - 日曜社会学

    前半。 聞きまくり社会学―「現象学的社会学」って何? (ist books) 作者: 西原和久,岡敦出版社/メーカー: 新泉社発売日: 2006/11/01メディア: 単行 クリック: 16回この商品を含むブログ (8件) を見る 夕後半。 スピノザ―「無神論者」は宗教を肯定できるか (シリーズ・哲学のエッセンス) 作者: 上野修出版社/メーカー: 日放送出版協会発売日: 2006/07メディア: 単行購入: 4人 クリック: 25回この商品を含むブログ (30件) を見るこれすばらしいです。すごいです。おもしろいです。 この紙幅でこんな──啓蒙的かつ質的な──仕事ができちゃうなんて尊敬と驚愕に値します。 あと、腹抱えて笑える箇所多数。お得です。星5つ スピノザが「証明する」と言い出したら、当に証明するのである。[p.34] 考える自由は敬虔も平和も損ねない。いやむしろ、そ

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    qpq 2006/11/22
  • Crimeを憎んでSinを憎まず : 404 Blog Not Found

    2006年10月29日12:00 カテゴリLogosTaxpayer Crimeを憎んでSinを憎まず これ、はっきり言って誤訳ではないか。 H-Yamaguchi.net: 私は石を投げるべき人なんだろうか? 「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」 ―ヨハネによる福音書 / 8章 7節(新共同訳)あまりに有名なこの一節、英語ではこうだ。 Bible (King James)/John - Wikisource So when they continued asking him, he lifted up himself, and said unto them, He that is without sin among you, let him first cast a stone at her. そう。Crimeでなくて Sin。日語ではCrime

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    qpq 2006/10/29
  • 2006-10-04

    毎日新聞の社説に比してこっちはよく書けている。 国連事務総長という職務は大きな権限を持つようだが、実は必ずしもそうではない。国連で最も大きな実力を持つのは安保理の常任理事国5カ国であり、事務総長は第一に文字通り事務局を統率する長である。それでも加盟国間の調整役として大きな役割を果たすことができる。 ぶっちゃけでいうと安保理というのは国連にとって荷が重過ぎる。 日がめざした安保理拡大、国連事務局の経費の分担金見直し、旧敵国条項の削除は実現していない。 ⇒極東ブログ: 日はいまだ国連の「敵」である ⇒極東ブログ: サンフランシスコ講和条約についてのメモ アナンの元でどれほど国連に不正があり、そのための改革がどのように目論まれてきたのか。また、主にアフリカでの諸問題。そのなかで事務総長はどう振る舞ってきたのか、どうあるべきか。そういう観点で事務総長を見ていくべきなのに、いきなり日韓のフレーム

    2006-10-04
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    qpq 2006/10/09
  • 誤謬 - kom’s log

    政治家が母校での講演で口が緩んで人種差別発言をすることがある。緩んでいるんだからまさに心、というわけで、ますます問題になる。 目下のローマ法王の発言問題もそんな感じなのかな、と勝手に思っていた*1。 私が最初にニュースを知ったのは、トルコ系フランス人の友人からだった。なーんか、フランスで騒いでいる、というような話で、彼のヒトコト解説は「ローマ法王がモハメッドを非難した」というような上の時事通信の記事と同じような要旨だった。よくまあ、そんな無茶するなあ、と思ってそのままだったのだが、さっき公式英語訳を読んでみた。06年9月12日付の演説である。バチカンのウエブサイトに掲載されている。聴衆はヘッダーに書かれているように、南ドイツの大学の人たち。内容はかなり難解である。このまま喋っているのを聞いても、私にとってはなんたらの耳に念仏、である。論旨が難解というよりも回りくどいいいかたをするの

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    qpq 2006/09/17
  • 日本テーラワーダ仏教協会

    2024年4月15日 兵庫 4月21日(日)午前10時より「廻向法要」 どなたも、ぜひご参加ください! 恩人・恩師をはじめ、それぞれの親族、すべての先祖へ向け追善供養として、皆で比丘サンガにお布施し、その功徳を廻向する法要を行いたいと存じます。

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    qpq 2006/08/07
  • 人の死を直視するということについて - R30::マーケティング社会時評

    大学生の時、とある事情からタイの田舎で出家した経験がある。 日では出家というとびっくりされるが、タイでは20歳になった男子は必ず1回は出家することが文化的風習だ。つまりタイ式「成人式」である。キリスト教の広まった最近のバンコクではそうでもないらしいが、基的に出家したことのない成人男性は「未熟者」と見られる。また、女性にとって人生で最大の功徳(善行をなして徳を積むこと)とは、「息子を出家させること」とされている。 僕は高校時代にも一度タイにホームステイしていたことがあり、実は出家は日では決してできない自分のための「成人式」のつもりであると同時に、その時に僕を実の息子同様に可愛がってくれたホストマザーに対する恩返しのつもりもあった。もちろん、彼女は自分の息子が出家するのと同じぐらいに、僕の出家をたいそう喜んでくれた。 それで、タイで出家するとどんな暮らしをするのかというと、そちらの方面に

    人の死を直視するということについて - R30::マーケティング社会時評
  • [R30]: 言葉の磁場

    以前のエントリにも書いたことがあるが、93年にタイで出家していたことがある。その理由は、1つには高校時代のホームステイ先のホストマザーを喜ばせたいということだったが、もう1つはこちらのサイトで彼が書いているようなこととそっくりな理由だった。彼が91年、そして僕が93年だから、京都と東京という違いはあれど、あれはちょうどあの時代の共通な空気だったのかも知れない、と思う。僕はたまたまタイで出家ができた。彼はそれを日でやりたいと考えた。違いはそれだけだったのだろう。 僧侶だった間、僕はずっと自分と世界とのかかわりの法則について考えていた。当時の僕の頭の中は、マルクスとかデカルトとかカントとかヘーゲルとかヴィトゲンシュタインとか、そういうものでいっぱいだった。そして、タイで先輩僧侶に向かって「マルクスはこう言っている」とか「ヴィトゲンシュタインはこういう説を述べている」とか、つたないタイ語で必死

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    qpq 2006/03/08
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