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2006年3月19日のブックマーク (14件)

  • 2006-03-13

    「八脚の蝶」 (http://note2.nifty.com/cgi-bin/note.cgi?u=ICF13700&n=5) がになったのだそうだ。私は、「ベルトーチカ」(http://www14.big.or.jp/~onmars/)のdemiさんが彼女のことを書いていたせいで、彼女の文章を、彼女が亡くなった(と思われた)直後に読んだのだけれど、その時は、一ページもまともに読めなかった。それは、あまりに身近すぎたので。 たとえば彼女の読むや、彼女の書き付ける言葉や、彼女の憧れや装いや振る舞い、彼女の作る物語は、かつて私が憧れ、苦い思いと共に決別したものとあまりに重なり過ぎていたし、当時私は、それらを過去のものとして捉えることができるほど、「大人」ではなかった。そうして、三年の歳月が過ぎて、私が今こうして彼女の文章と再会することになったのは、偶然だが、偶然であるが故に、奇妙で静かな

    2006-03-13
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    qpq 2006/03/19
  • 加清純子 - kinotiz

    http://be.asahi.com/20060311/W21/20060227TBEH0029A.html http://be.asahi.com/20060311/W21/20060227TBEH0031A.html http://www.manabook.jp/seigabook/seigabook_art02.htm もうひとりの二階堂さん。思えばこういう、才能があり、けれどわずかに作為的な面影を残すひとたちが、私の周囲には沢山いたのだ。戦略的であることと、戦略的であるうちにどうしようもなく身に付いてしまった魅力と、擬態。彼らは人一倍勤勉で、努力家なので、それが生来のものと思いこむことがきっと最後までできなかったんじゃないかと思う(まったく逆かもしれない)。「自分はだませないのよ」あるいは、「わたしはからっぽ」。自意識という名のくびき。

    加清純子 - kinotiz
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    qpq 2006/03/19
    “「自分はだませないのよ」あるいは、「わたしはからっぽ」”
  • 2006-03-18

    まるで小学生のようなことばかり考えてしまう。 生きることの裏側が、死ぬことだというのは大いなる嘘じゃないか、とおもった。死ぬことも、生きることも、とてもポジティブな行為だから、放っておくと、私は死んでいるとも生きているとも言えないような状態になる。そういう状態があり得るということを排除してしまうなら、今度は潔癖にすぎる。私は大部分の日常を、生きていることなど考えもせずに過ごす。また、死ぬことなどもっと考えもせずに過ごす。 生きようとすること、はとても危うい。生きられなくなった瞬間に、選択肢が、死ぬことしかなくなってしまうから。 もしかすると、言葉にするということは、何かを平坦にして、簡単にひっくり返せるようにするということかもしれない。それは、テストやモデルであったはずなのに、いつの間にか、私はそれを真理であるかのように捉えて振る舞う。 なんだかつぶやいてばかりだな…。 ご近所の、美味しい

    2006-03-18
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    qpq 2006/03/19
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    帰省、寿司、陶芸体験 8/13(火) の実家の墓参りへ行き、俺の実家へ帰省。風呂に入る前に子供達と外で水鉄砲で水を掛け合いびしょ濡れになる。最後のほうはどうにでもなれと思い、ホースやバケツで直接水をかけ合う。久しぶりの大胆な遊び方に子供たちは大声をあげながら騒いでいるが、田…

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  • メルヴィル『代書人バートルビー』 - heuristic ways

    杉田俊介氏が『ユリイカ2月号』に「ニート/バートルビー 生まれてこなかったことを夢見るイエス」というエッセイを寄せていることを知って、初めてメルヴィルにそんな作品があることを教えられ、図書館で調べたところ、国書刊行会からJ・L・ボルヘスの序文つきで『代書人バートルビー』(酒雅之訳、1988年刊)というが出ていることがわかった。*1短いので一気に読み終えたが、これがかなり私好みの作品で、体験的にもよくわかるし、文学史的にもいろんな類縁関係が思い浮かぶような小説だった。 体験的によくわかるというのは、たとえば仕事というのは、一連の指示や命令と、それに対する応答や反応から成る一種の「言語ゲーム」(ウィトゲンシュタイン)と考えることができるが、この言語ゲームの現場においては、不可解な応答や反応―あるいは無反応(ノー・リアクション)―が往々にして生じるからである。筆写以外の仕事(指示や命令)をな

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    qpq 2006/03/19
    バートルビー
  • 『知の考古学』 - 松岡正剛の千夜千冊

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    qpq 2006/03/19
  • http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1031.html

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    qpq 2006/03/19
  • 2006-03-15

    >< 例えば古代史を眺めるときと現代史を眺めるときでは何が一番違うかといえば、時間のスパンである。例えば奈良時代のことといえば数十年単位で物事が起きるので、そこに関わる人間が全く別の人間であることはあたりまえのことなのだが、現代史は違う。やたらと事件は起こり、そこに携わる人間は同じ人間であったりする。このところ立花隆の「東大と天皇」をぽつぽつと読んでいるのだが、ここに登場する戦前の過激な右翼思想の青年たちはたかだか私の祖母祖父ぐらいの世代(全員他界しているが)なのであり、肉感的な連続性、圧倒的な連続性を感じざるを得なくなる。近年ヤスクニだのなんだの、と叫んでいる首相議員なぞはまさに彼らの子や孫である。ついでに同じように圧倒的な資料を駆使した小熊英二の戦後史「民主と愛国」もあわせれば、日の戦前・戦後がいかに連続してひとつの”二十世紀”であるのかを知ることになる。あるいは私がふと思ったのは、

    2006-03-15
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    qpq 2006/03/19
  • 潜在。 - ホツマツタヱ。

    ■[Hiki] 親に精神科を受診させられるニートの半分は社会不安障害。 クリニックにも勤務する山田和夫・東洋英和女学院大教授(精神医学)は、潜在化するSADが新たなニートを生み出していると分析する。「厚生労働省の実態調査ではニートになった理由のトップは『社会生活をうまくやっていく自信がない』だ。実際、親が『うちの子は働かない』と心配して連れて来る子の半数はSADと診断できる」と指摘する。 http://www.mainichi-msn.co.jp/science/medical/news/20060317k0000e040100000c.html おや始まったか。 ぼくは「ひきこもり」概念の余命は長くないと思っている。この概念が廃れた後には、「対人不安が強過ぎて家族ぐらいしかしゃべれない」ヒトたちをカテゴライズするために「社会不安障害」(社会恐怖)が普及するのではないだろうか。 id:ho

  • 光市母子殺害事件の弁論欠席の安田好弘弁護士らに初の出頭在廷命令 : 小心者の杖日記

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    qpq 2006/03/19
  • 光市母子殺害事件の上告審に死刑反対運動で知られる安田好弘弁護士らが出廷せず : 小心者の杖日記

    このニュースを聞いたときには、我が耳を疑いました。3月14日に開かれた光市母子殺人事件についての最高裁での上告審弁論に、被告側の弁護士である安田好弘弁護士らが出廷しなかったというのです。毎日新聞、読売新聞、朝日新聞の記事。 この事件は、1999年に山口県光市で、当時18歳だった少年が強姦目的で母子を殺害したものです。残された夫であり父である村洋さんは、加害者の死刑を訴えてきましたが、死刑反対を唱える「人権派」の人々は彼を中傷し、加害者は刑務所からの手紙で「調子づいてる」などと彼を侮辱してきました。そして、これまでに下されてきた判決は無期懲役。無期懲役の場合、仮釈放があるため、実際に無期懲役になるとは限らないのです。 この事件は、まさに日の死刑反対運動のグロテスクな側面を浮き彫りにしてきました。そうした点については、藤井誠二が「少年に奪われた人生―犯罪被害者遺族の闘い」(→amazon.

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    qpq 2006/03/19
  • 人付き合い - monotone

    matsunagaの人のことは前から知ってたけどだからどうしたってのが率直なところで(´Д`)y-~ つうか三十年以上も生きていれば前科持ちの知人の二、三人いても不思議はない つうか爺さんの代では国家上げて殺し合いしてたんだし むしろ殺したり殺されたりというのを他人事のように考えてるお坊ちゃまとかお嬢ちゃま気取りがうぜえというか死ねばいいのに

    人付き合い - monotone
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    qpq 2006/03/19
  • 魂の仕事人 バックナンバー|人材バンクネット

    第40回 ネクスタイド・エヴォリューション代表 須藤シンジ-その6-仕事なんて何でもいい 重要なのは「どう生きたいか」 独立して9年が経った今でも、会社を辞めるときに選択した、人生の時間を自分でコントロールする生き方を実現している。完結編の今回は須藤氏にとって仕事とは何か、何のために働くのか、そして幸せとは何かに迫った。[2009/6/22]

  • 「排外的愛国主義者は、日本に限らず、低所得ないし低学歴層」(宮台真司)

    あれれ、身も蓋もないことを言っている: アンチ・リベラル的 バックラッシュ現象の背景 - MIYADAI.com Blog: "要は『諸君』『正論』な言説の享受者は、リベラルな論壇誌のそれより、低所得か低学歴だということです。" こういうことは、思っていても口に出してはいけません。 でも、こういう発言もある程度 は意味があるのかも知れない。というのは「排他的愛国主義」的な発言をする人は、それが勇ましくて「カッコイイ」と思ってやっている場合があるからだ。普 通の人はこの宮台氏のようにはっきりとは言わないが、心の中ではそう考えている人が多い。だから「カッコイイ」と思いながらしている発言は実際は「カッコ ワルイ」ということを人に気がつかせるという意味もあるのかな。 「東京ではクラクションを鳴らしません。東京から來た 人に笑われるからクラクションを鳴らすのは止めましょう!」という大阪万博時の

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    qpq 2006/03/19