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ブックマーク / finalvent.hatenadiary.org (265)

  • ヨナ記というのがある、ピノキオの元みたいな - finalventの日記

    クリスチャンならたいてい知っているだろう。すまん、「ヨナ書」だった。 こんなのもあるけど⇒「 鯨の中のジョナ(字幕): ビデオ: エルダ・フェリ,ロベルト・ファエンツァ,ヤノース・ケンデ,ジャン=ユーグ・アングラード,ジュリエット・オウブリィ,ルーク・ペターソン,ジェネー・デル・ヴェッチオ,ヨナ・オバースキー,エンニオ・モリコーネ」 ウィキペディアでは⇒ヨナ書 - Wikipedia 物語 ヨナ書の主人公はアミタイの子、預言者ヨナ(イオナ)である。ヨナは、神から、イスラエルの敵国であるアッシリアの首都ニネヴェに行って「(ニネヴェの人々が犯す悪のために)40日後に滅ぼされる」という予言を伝えるよう命令される。しかし、ヨナは敵国アッシリアに行くのが嫌で、船に乗って反対の方向に逃げ出す。このため、神は船を嵐に遭遇させた。ヨナがそれまでの神との事情を船乗りに話すと、船乗りたちはヨナが神の怒りに触れ

    ヨナ記というのがある、ピノキオの元みたいな - finalventの日記
  • 毎日社説 タミフル 厚労省は不安の解消を急げ - finalventの日記

    ああむかつく。もともとこの騒ぎは浪速の浜六郎医師と毎日新聞のマッチポンプ。 タミフルというのは基的にというか世界の現在の認識ではインフルエンザ治療薬ではない。パンデミック、つまり危険な鳥インフルエンザ(人間に感染)対応なのだ。これが現在ベトナムまで迫っており(あまり日で報道されていない)、これがおそらく台湾中国に飛び火する(あるいはフィリピンか)。だから台湾ではこの日ので馬鹿騒ぎにほとほと困惑している。(台湾中国のおかげでWHOにも入れない。) 日にも飛び火する可能性は高いが今ならまだ大丈夫だ。毎日新聞が欺瞞なのは、このような世界報道の状況をネグりまくっていることだ。 死者の山を他国で見て、はっと目を覚ますなんていう醜悪な日はやめてくれと思う。まあ、実際的にはそうしたパンデミックが数千人死者の単位で起きるのはまだまだ先だろうが。

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    qpq 2007/03/24
  • 号泣 カモちゃん - finalventの日記

    ⇒時事ドットコム:鴨志田穣氏死去(フリーライター、カメラマン) 2007/03/20-17:32 鴨志田穣氏死去(フリーライター、カメラマン) 鴨志田 穣氏(かもしだ・ゆたか=フリーライター、カメラマン)20日午前5時、腎臓がんのため東京都江東区の病院で死去、42歳。川崎市出身。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く。喪主は元漫画家の西原理恵子(さいばら・りえこ)さん。 アジアを題材にしたエッセーが人気を集めた。西原さんとの共著に「アジアパー伝」などがある。 (了) ⇒訃報:鴨志田穣さん42歳=フリーカメラマン、ライター−訃報:MSN毎日インタラクティブ 06年、アルコール依存症の克服記「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」を出版し、2度目の婚姻届は出さず西原さんと復縁していた。 ⇒鳥頭の城/Saibara Riezo Official Site 2007年3月20日午前5時、 鴨志

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    qpq 2007/03/24
  • 自己評価を高める2つの方法 - finalventの日記

    お勧めしない⇒(1)自己評価とは結局他者による自己評価なので、その他者を制御する。即効の方法は自己評価してくれる他者を自分の周りに集める。集めるためには以下略。 お勧めしたい⇒(2)これから行う行動に対してこれを満たせば自己評価点という基準を設けておいて、行動結果の後に評価する。これを累積していく。

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    qpq 2007/03/19
  • こんとこなんとなく思うのだが(今朝の説教) - finalventの日記

    若い子でちゃんと普通の挨拶をする子をみると、男女問わず、あ、この子はいいなと思う、いいなというのは、別にそれほどの思い入れではないけど。 で、なんとなく思ったのだが。 普通に普通の挨拶ができるようになれば、普通に社会に生きていけるようになるのではないか。根拠レスで言うのだけど。 非モテとか負け犬とか、ま、それで解決できるわけでもないだろうし、孤独というのは云々だが、あれ、普通に挨拶できないっぽいと思うことがある。で、普通に挨拶するくらいな人間がもっと増えるとよいのではないか。 なんか、馬鹿みたいなことを書いているようだが。 昔、某会社で仕事をしていたとき、知らなかったのだが、私はけっこう評判がよかったことを思い出した(そのうち化けの皮が剥がれたのだけどね)。朝一番近く出勤して、大人、とくに掃除のおばさんにきちんと挨拶する。あとで知ったけど、というか意外と一般的にそうだけど、お偉いさんという

    こんとこなんとなく思うのだが(今朝の説教) - finalventの日記
  • こういう闇討ち的なものも面白いなとは思うけど - finalventの日記

    こういう⇒瀧澤くんとやらは典型的なパーである。 もうちょっと私も血気があったら、あいつとかあいつとかあいつとかみんーんな闇討ちにしてやろうとか思うけど、し・な・い・よ。 あれなんだよ、「瀧澤くん」って知らないんでそれは除外として、一般的に「典型的なパー」というのは一種のマシーンみたいなものというか、フナムシみたいなものというか、相手にしても無駄なんだよね。沸いてくる沸いてくる。そういう言論構造のマシーンなんだから。で、そういうの相手にしていると、自分もマシーンになっちゃうんだよ。 で、私について言えば、私の敵対者というか、悪の臭いのするやつっていうのは、それなりにたいしたもんだよと私は思いますよ。悪な分だけ。っていうか、私がこいつら悪だなと思う主観にすぎないんだけどね。 悪というのは、誘惑がその質、いやその質的機能というべきかな。魅了があるわけですよ。うぜぇうぜぇうぜぇと思うだけ負けて

    こういう闇討ち的なものも面白いなとは思うけど - finalventの日記
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    qpq 2007/03/18
  • 蛭子能収先生、それは違いますだ - finalventの日記

    東大の「産業総論」で露呈 日人の知力崩壊が始まった - ビジネススタイル - nikkei BPnet コンピュータはかけ算すら足し算の繰り返しとして計算する。そういう数学の基礎中の基礎をちゃんと理解しているかどうかが最も重要なのだ。いいかえれば小中学校時代に算数・数学の基礎をしっかりやらせるかどうかが決定的に重要なのだ。 蛭子能収先生、それは違いますだ。 これを大学の一、二年生の教科書に使える先生が少ねーからですだ。 計算機プログラムの構造と解釈: ジェラルド・ジェイ サスマン,ジュリー サスマン,ハロルド エイブルソン,Gerald Jay Sussman,Julie Sussman,Harold Abelson,和田 英一 素人評に「翻訳がひどい」が多いけど、大丈夫です。 英語が読めれば無料で読めます⇒Structure and Interpretation of Compute

    蛭子能収先生、それは違いますだ - finalventの日記
  • 2007-03-17

    夜を徹して人生を語り合い、哲学書や歴史書に没頭する。戦前の旧制高校に息づいた教養主義の精神と文化は、昭和40年代の大学紛争時に解体された。社会学者の竹内洋関西大教授はそう指摘している(『学歴貴族の栄光と挫折』)。▼これが跡形もなく消え去ったのは後のバブル期だろう。若者は人間と社会に深く思いを巡らすよりも目に見える名利を追い、世間もまた、それを許した。きのう実刑判決を受けたホリエモンの言行をたどると、1度は東大にまで学んだこの受験秀才に欠けていたのも、まさしく「教養」ではなかったかと痛感する。 とほほ。 「成長性の高い有望な企業の姿を装い、投資判断を大きく誤らせ多くの市井の投資者に資金を拠出させ、その犠牲の上に立って、企業利益のみを追求した犯罪で、中心的な役割を担った」のだから、証券取引法違反罪では異例の実刑も当然である。 「中心」がホリエモンであった、と、「当然である」、と。 ワロタ。 1

    2007-03-17
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    qpq 2007/03/17
  • 50歳目前に思う教育っていうか - finalventの日記

    私は結局学問的には大成しなかったが、30歳くらいまではけっこうアカデミックに勉強していた。けっこうというのはいろいろ含みがあり、単純にいえば、25歳以降は自由に好き勝手な勉強というか関心の探求が増えた。 それがいろいろあって30代前半には学究的な領域からは離れた。 こういう言いかたもなんだが、ただ、勉強癖みたいのだけが残った。私を比較的よく知る人は、またなんか勉強してんの?とか言う。ま、ほかにたいした趣味もない。 知識というのは、そのフレームワークが時代とともに変わる。アカデミックな領域もけっこう流行というのがある云々。で、知識というのは時代とともに廃れる。新刊書と似ている。あと、酒とかいわゆる男の趣味みたいのは、時代とともに腐る。ブログなんかで男の趣味みたいなものを披瀝している人はその腐臭に気が付かないのだろう。 50歳目前に思うのは、教育のなかで、何が残ったかな、と。 語学は残る。もち

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    qpq 2007/03/17
  • ある人が生存している理由 - finalventの日記

    というか。 例えば。これは金田正太郎的問題。 好きな女性ができて孕ませたが出征しなければならない男がいるとする。彼が生存したい理由は、その子供に会いたい、ということである、という主張はけっこう説得力がある。 いや別に子供に会いたいとも思わないし、戦場で死んでもいいやと考える男がいるか? これは設定的に無理。というのは、男にとってその女は「好きな女性」だったから。 つうことは。 最初に愛があると、生存の理由というのは付随しちゃうもんだし、子供とかできちゃうし、人類になってしまう。 なので、その男にとって、最初に、「好きな女性」という原初のイベントがありえたか、が、とても重要になる。 もっといえば、人生の場で、「愛」に遭遇したか? で、愛とはなんぞやとかとりあえずスルー。 ここでは、愛とは、あなたの外部から突然嵐のようにやってきて、あなたがそれまで惰性的に存在した理由をすべて奪い去っていくこと

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    qpq 2007/03/13
  • ちょっとだけ - finalventの日記

    まネタなんだろうけど⇒日が特定アジアと分かり合えない最大の理由は宗教観である。|おはら汁(緊急避難場所) 1.日は聖徳太子の時代に、すでに独立国家として中国と対等に渡り合おうとしていた。 2.足利義満という 『負のサプライズ的人物』 や、アメリカ軍による占領はあったが、それを除けば日は有史以来 『独立国家』 の立場を守り通している。(足利義満のヤバさは各自ググれ) 3.日には数えたらキリがないほどのオリジナル文化が残っているが、朝鮮半島にはそれがない。何故なら中国と一体化しようとするあまり、『中国にない物は下等な物』 とみなし、自らの手で全て破壊し尽してしまったからだ。 4.日は宗教にしても文化にしても、大陸や半島から伝わったものを鵜呑みにしたことは一度もない。必ず日人の感覚にフィットする形に作り変え、結果として原形とは全くの別物にしてしまった。 聖徳太子は実在人物であるこ

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    qpq 2007/03/13
  • 34歳の踏ん切り - finalventの日記

    まいどこんなことばかり書いているのでなんだが、ちとあるエントリを1つ2つ、それといただいたコメントを読みつつ、思った。34歳の踏ん切り。 34歳というのは自分の思い入れなんで特に説得力はないだろう。ついでにいうと、人がかろうじて自立というか自分たりえるのは27歳。もちろん、男女差や人によって違うのは当然として。 いわゆる「失われた世代」については、率直に言ってよくわからない面がある。この15年くらい日の景気が普通に順調ならきちんと雇用され家庭ももてただろう人は、数として推定すれば少なからずだろう。そして、日の経済の舵取りは間違っていたと言っていいのだろう。まあ、それはそうだろう。 ただ、済んだことは済んだことだ、ということと、人は自身の立場に立つと数として生きるわけではなく自分で生きるしかない。運命というか不運というものはある。他人の幸運がうらやましくも思うし、なぜ私が不運と社会に怨嗟

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    qpq 2007/03/13
  • ま、タイプでいうのだけど、私は上祐史浩みたいな人が大嫌い - finalventの日記

    理由は簡単で、嘘つき野郎だから(ちなみ彼自身がそう言っているのだからそう誹謗にもならないと思うのでそう言うのだけどね)。 でも、お前だって、嘘つき野郎じゃないかと言われると、ぎゃふん。ま、そのあたりはどっちもどっちだろうか。 ただ、しいていうと、私は、人を騙すために嘘をつくことはあまりない。というか、もっと言うと、そういうことで利害関係が変わる場というのが好きじゃない。つまり、嘘が意味を持つ場というのを基的に避ける。 もうちょっというと、私は、ドンヅメの時には、すべて聖霊に任してしまう、というとキリスト教徒っぽいけど、イエスが立つことに任せる(比喩ですよ為念)。小細工をしない。自動車にひかれて死んじゃうことだってあるくらいな。 で、と。 上祐史浩みたいな嘘つき人間はうじゃっと世の中にいる。 なるべくそういう人間そのものを避ける。 避けられないことがあるのは、人間力学的な関係の場に置かれた

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  • もう遙か昔のことだけど思春期のころっていうか - finalventの日記

    テレパシーというのでもないけど、なんというか、心の奥のある核にうまく思いの圧力を込めると、偶然の配列が動き出すというか、なんとも奇妙な連動のようなものがあるように思えたことがあった。 もちろん、そんなものはない。 ただ、そう思えるような偶然と心の動きになにか奇妙な連携があった。 あの力というかメソッドというか、それを使うと、たとえば、当に好きな人に、心というかメッセージというか出会いというか何かを送信できるように思えた。(で、そうして恋が実るわけでもないけど。) 問題は、それの使い方だ。 邪念のようなものがあるときは動かない。 でも、そうでないときに動くこともある。 というか、その力はなんというか、不運とか邪悪な力に関係しているのではないかという奇妙な疑念もあって、その心の力の純化そのもの疑わしくも思った。 あれから随分時が立ち、思春期のころのようにそれを使おうというかそうしたいとは思わ

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    qpq 2007/03/13
  • まあ確かに - finalventの日記

    増田⇒■ それから半年が経つ。やはり父は偉大だった。時代のせいもあるのかもしれないが、この過酷な職業に良く耐えられたものだ。先日、あまりの不調にかかった医者に、軽度の病と診断された。 そんな私の現時点での考え。 不器用で、内向的な人間が、幸せに生きられる場所なんて、この世に、ない。 努力しても、変えられないものが、ある。 まったくそのとおり。 ただ、早世されたお父さんはあなたが幸せになってほしいと願っていたと思う。あるいは比喩的に言えば願っていると思う。 それに応えてみようとしてもいいかもしれない、と少し思う。 思い出。若い頃に、年上のきつい友人によく言われた、「お前はお前さんという人間を救ってごらん」、と。自己を自己で救済することはブートストラップ的な不可能なアポリアだろう、まあ、そこまでは少しものを考えればわかる。 そして、絶望というのは、少しものを考える人間なら、パチンコの玉が下の

    まあ確かに - finalventの日記
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    qpq 2007/03/02
  • 間違った生き方があるのか、本当の生き方があるのか、わからない - finalventの日記

    ただ、関係のなかで人は「罪」足りえる。 だけど、「罪」は許されうるかもしれないのに、その「罪」を逃れることで「愛」の可能性を失うこともあるのかもしれない。 そこが生きることの難所のようにも思うし、そうした難所にある人をあまり他人事には思えない。 でも、それは、語れば、欺瞞。人は、「罪」と「愛」の括弧を外して生きなくてはならないのだから。 私はこうしたことを考えるときティリヒを思い出す。 ティリヒはなぜこんな恐ろしいことを言うのだろう。 批判者になったり、反逆者になったりすることは、それほどむずかしすぎるなどということはありません。しかし、何かに対して妥協しない、自分に対してすら妥協しないで、しかも偶像礼拝に対する神の審きを告げることはたいへん困難です。その勇気ある行為が、苦難や殉教を招くかもしれないからというのではありません。失敗の危険を含むからです。私どもの意識のなかにある何かが、つまり

  • 我流、頭のいい人の判定法 - finalventの日記

    その人が、どのくらいの人をどのように統率できるか。 どのようにが難しい場合は、人数で考える。 普通の人は3人くらい。 7人統率できれば、頭の良さというのがある。 40人統率できれば、っていける。 100人統率できるなら、社会貢献しろ。 500人統率できるなら、シャッチョさんか小型新興宗教教祖。 2000人統率できるなら、政治家。 まあ、40人を越えるあたりから、頭が良いといってもいい。 そんなの頭いいのと関係ないじゃんとか言う人、頭悪すぎ。 げー、それじゃ、煎様とか頭いいわけとか、批判する人、頭悪すぎ。 自分が嫌だと思う相手でも頭のいいやつはいるのであって、そのことを認めることができない時点で、頭悪いよ。

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    qpq 2007/03/02
  • 悪な人とか騙せる人とかそういう人に普通の人は勝てない - finalventの日記

    どうも、よくわからないが、邪悪というのもはあり、それが乗り移っているというかそれが受肉したような人間がいる。 この人たちは邪悪の能力という下駄を履いているので、それだけで超人的。頭もすごくよいというか人間をその時点で越えている。 こんなやつらに勝てる人はいない。 というか、世に隠れた聖人を犠牲にして対抗するくらいなもので、そんなことに聖人を使うのはもったいないというわけで、邪悪ははびこる。 どうしようもない。 逃げるっきゃない。

    悪な人とか騙せる人とかそういう人に普通の人は勝てない - finalventの日記
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    qpq 2007/03/02
    "そんなことに聖人を使うのはもったいない"
  • すンばらしい人生をおくる三つのカギ - finalventの日記

    今日はメタログもの。 ヴェンタス・フィネラル著の「70年間で人生を変えよう」というに、以下のような一節があります。 すンばらしい人生に必要なものは、実はたったの三つしかない。 一、裕福な家系(過去) 二、幸運の連続(現在) 三、良き伴侶(目標) 言いかえれば、こういうことだ。 生まれたところがよくて、運がよくて、地雷女を踏まなければ、人生はすンばらしい!

    すンばらしい人生をおくる三つのカギ - finalventの日記
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    qpq 2007/03/02
  • いつもの - finalventの日記

    自分より10歳くらい年上の団塊の世代、あるいは5歳くらい上というのか、まあ、私より少し年上の世代が、50歳を越えて、なにやらすんなりと青春回帰というか、青春の一貫性のようなものを維持していることに出くわすと、私は憎悪のような羨望のような思いがする。私はどこに帰れない。帰りたいという思いはあるが、それはできない。 もちろん、世代の問題ではないのかもしれない。ただ、自分より年上に見えるある一群の人々の生き様にある憤りを感じているというだけかもしれない。 では、下の世代へはというと、私には下の世代への語りかけは、どことなく人造的な感触がある。自分でもそう感じているのだから、聞かれるほうではよほどうさんくさく思えるだろう。 とにもかくにも50歳(まだジャストではないが)まで生きてきたんだというのが、なにやら安堵のような抜けきらないような疲労感のようにある。世の中には自分くらいの歳で分別もなくカネや

    いつもの - finalventの日記
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    qpq 2007/02/26