日曜日は木村さんにお誘い頂いて真鍋会行ってきました。その前に1個忘年会行ってたので最初から酒臭くてすんませんでした。 今回はただの飲みではなく一人一ネタ何かしら5分程度プレゼンしようという趣旨での開催で、会場付いたら皆おもむろにPCを取り出して黙々と資料の確認とかをしつつ横ではモツ鍋作ってる状況で会話無しという異様な空気。 という事でユルい集合でまったり鍋を食いつつ皆のプレゼンが始まったわけですが、当初一人5分程度という予定だったのに各自プレゼンの為に用意してた資料が気合い入り過ぎててほとんどの人が多分2,30分くらいやってた。結局全部で6時間くらい。これ何てカンファレンス? 皆さん面白いトピックを取り上げていらっしゃったのですが個人的に気になったのを挙げると、 NSSGRAPHICA 町田さん。お仕事紹介で出ました美女暦!これは超興奮。色々聞きたかったけど皆同じ事を思っていたようで安心。
一日一日は短く感じるが、一日前のことは結構昔に感じるという、撮影中に独特な時間感覚によって、『兄兄兄妹』がクランクインしたはずの12/4などは一週間ほど前なのにも関わらず、先々月の出来事のように感じていて、日々の買物コースの途中にある、今回ロケさせてもらった公共施設の、明かりが消えて誰もいない寒々とした(いつもどおりの)様子がすでになつかしい。いくつかのトラブルやら叱られやら、身にしみてはいるものの、そんなこともあったなあなどというニュアンスの回想の後、ぶり返して、少し胃のあたりがきゅんきゅんする。疲れがたまっていていくらでも眠れそうだが朝にちゃんと目が覚めた。強制的に朝型になった感じ。 撮影中に左大腿骨の付け根あたりが、ズレたか外れたかのような、以来しゃがむのが少し辛い。左右の足の長さが違ってしまったかのような感覚。近所で整体を探すも、よくわからない分野なのでどこもピンとこない。保険のき
放送大学で初めて数学のゼミに参加した。結局仕事が忙しくなって1度しか出られなかったが、客員教授が担当してくれて、学生が自主的に読み進める。噂には聞いていたが、数学のゼミでは本当に教科書の2、3ページを読むのに3時間かける。内容は多様体で、参加者も工学部出身で数学に挫折した人から、美容関係の仕事をしつつ突如量子力学に目覚めた人まで多様。 放送大学では『数学の歴史』も履修している。今でいう数学や哲学、芸術はかつてもっと渾然一体としていた、という話は知識として持っていたし、多分野に渡る成果を出した偉人も知っている。しかしその実際のあり方までは想像できていなかったので、すごく面白い。ルネサンス期の数学は古代ギリシャ数学を復興させるために語学に長けた人文主義者(コンマンディーノなど)が中心であったなど。デューラー、ヤムニッツァーについても掘り下げて調べてみたい。 うまく人には説明できないのだが、自分
カイカイキキギャラリーにて会田誠とMr.のトークを聞く。 トークは七時までだったけど六時半ごろにはギャラリー内に会田誠や関係者らしき人が増えて一種異様な雰囲気に。 見間違いでなければ、國方真秀未も居た。 すごい好きな作家なので気が気じゃなかった。 会場内はMr.が監督した映画「誰も死なない」の絵コンテや撮影で使った衣装、キャラクターの部屋の再現が展示されていた。 ストレートに言うと女子中・高校生アイドルの使っていた衣服や部屋がそのまま展示されている感じだったので、まことに変態然としていたと思う。GEISAIミュージアム2でやっていた「Mr.の部屋」というのも再現展示されていて、Airやクラナド、kanon、バンブーブレード、もえたん、ひだまりスケッチなどのアニメのポスター、イラスト集やティーンズアイドルのポスターやらなにやら彼が愛するオタクグッズが凝縮されて陳列されていた。 「誰も死なない
« 明日、D&DEPARTMENT静岡 by TAITAオープン | メイン 2008年12月01日 デザインを学校で習っていなくて、本当に良かった。 デザインの中からデザインを考えている。そんな気持ちになった。来年からはじめる「D&DEPARTMENT桑沢プロジェクト」。桑沢デザイン研究所での僕のゼミについて、そのテーマを提出しなくてはならない期日となった今、いろんなことを考えているうちに、いやになってきた自分がそこにはあって、それを冷静に分析していくと、「いわゆるデザイン」「いわゆるデザイン教育」の中からなにかを探そうとしていることがわかった。あんなにわかっているつもりだったのに・・・・・。 デザイナーをしていると、デザインの中からデザインを探そうとしてしまう。それが嫌で店をやっているのに、デザインに異存してしまう。 デザインを教えるのに、デザインは必要だろうか。ますますそんな疑
http://mysound.jp/electronica/special/2008/11/006661.php −最近は中田さんのフォロワー的存在も増えてきましたが、それはどう捉えていますか? 中田:好きでやってるんだったら良いと思いますけど、売れると思ってるんだったらいらない(笑)。あと、作ってる奴がインタビューとか受けた方が良いと思う。それは歌ってる人じゃダメって訳じゃなくて、作ってる人が好きなのかが気になる。「今はそういうのやっとこうぜ」ってやってんだったらもう死んで欲しいね(笑)。 そりゃ好きでやってるほうがいいけどさ。こんなこというと叩かれるのは分かっているけど、動機が何であれ、より面白いものを作ったものが勝ちだと思う。 坂本龍一の発言の恣意的な引用。 作曲の95%は、過去の遺産を糧にしています。作曲家自身の「発明」は、せいぜい1、2%程度で、最大でも5%といったところ。作曲の
田中功起、言葉にし、質問し、書かれたものを集めるサイト - 目次 -「言葉にする」←いま・ここ -「質問する」(ART iTのサイトにリンク) -「書かれたものを集める」 -「言葉にする」の中にでてきたテキスト、作品などへのリンク - - ステイトメント - 話し手と書き手を紹介する。 - 言葉にした、いままでのこと(ポッドキャストのアーカイブ) 日本語で話す(あるいは書く)ということはいやおうなくローカルなものになる。なぜならそれは日本語を分かる人たちのために話したり書いたりしているということを意味しているからだ。もちろんそれは翻訳されることもあるだろう。だけれどもほとんどの発話は、そしてほとんどの文章は、翻訳されることもなく日本語のままぼくたちの目の前を流れていく。 それをぼくはネガティヴなものとしてとらえてきていた。でも、しかし、ぼくは日本語で話すし、日本語で考えてい
ひとまず展示を終えて、いろいろ思うことを 思いつくまままとめずに書く。 今回の作品は、今までと作り方をかえた実験的な方法だったけれども ひとまず実行できたという点では成功だった。 「実験的」であることと「実験」は違う。 ということを酔っぱらって説教を垂れた打ち上げの時に言うべきだった。 説教とかそんなことを言える立場ではないが。すいません。反省してます。 でもたまには自分の立場を棚に上げて発言してもいいと思う。 立場をわきまえた発言は、時としてダブルスタンダードになるから。 某空幕長のことをなんとなく思い出す。 けれどもそもそもたかだか一個人の思考がそこまで一貫性を持つ方が不自然でもある。 昨日考えてた事と今日考えてた事は違うはずだから。 そして、そもそもわきまえるべき"場"は個人と切り離せるのか。 そんな"場"から切り離され、抽象化された個人は自己意識をもった個人であるだろうか? よくわ
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