1975年6月、OECD科学技術政策委員会の「社会科学の開発と利用」に関する調査団が日本に派遣され、2年後『日本の社会科学政策』と呼ばれる報告書が作成された。 この報告書は、日本の政策形成システムや大学やシンクタンクなどの研究機関、中学高校を含む教育システムなど広範な分野について、極めて厳しい評価と多くの提言を行った。 報告書が多くの反響を引き起こしたこと、特に日本の社会科学者から反発を招いたこと、それにもかかわずその後の日本の状況は、いくつかの改善がなされたにせよ、四半世紀経った現在も根本的には相変わらずであることなど、取り上げるべきトピックは多いが、報告書の詳細な分析にふれる前にまず気づくのは、調査団及び報告書を最終的にまとめたOECD科学技術政策委員会事務局の前提と、調査の対象になった日本の社会科学の現状に対して責任を持つ人々との間に横たわる大きなギャップである。 すなわち、報告書の