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鉄道史に関するrailwebのブックマーク (7)

  • 牧久『昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実』 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

    屋で見かけてからずっと気になっていた牧久『昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実』(講談社)を昨晩から一気に読み上げました。 書は国鉄が崩壊、消滅に向けて突き進んだ二十年余の歴史に再検証を試みたものである。昭和が平成に変わる直前の二十年余という歳月は、薩長の下級武士たちが決起、さまざまな歴史上の人物を巻き込んで徳川幕藩体制を崩壊に追い込んだあの「明治維新」にも似た昭和の時代の「国鉄維新」であったのかもしれない。少なくとも「分割・民営化」は、百年以上も続いた日国有鉄道の「解体」であり、それはまた、敗戦そして占領から始まった「戦後」という時間と空間である「昭和」の解体をも意味していた。 この30年の間に、様々な立場の人々による回想録も多く出されましたが、その前史も含め、ここまで包括的に国鉄の解体を描き出したは初めてでしょう。国鉄という経営体の中の暗闘も、政治家の思惑も生々しく描き出さ

    牧久『昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実』 - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
  • 阪急十三駅に60年前の表示板か 壁の塗装はがしたら…

    阪急電鉄の十三(じゅうそう)駅(大阪市淀川区)で、60年ほど前に書かれたとみられる古い行き先表示が見つかった。駅の改装工事で地下階段の壁の塗装をはがすと、「宝塚」「京都」などといった文字が現れたという。阪急は壁を新しく塗り替える予定で、4月ごろまでには見られなくなりそうだ。 十三駅には京都線、宝塚線、神戸線の3路線があり、1月からリニューアル工事をしている。古い行き先表示は、改札内で各路線のホームにつながる地下の階段脇の4カ所の壁に直接、書かれていた。 ほとんどの文字はかすれて読みにくいが、阪急によると、宝塚線ホームにつながる1カ所は、行き先として「中津」「京都」「みのお(箕面)」「宝塚」などと読める。一部の行き先には下に「③」などと書かれ、乗り場の数字と考えられるという。 阪急にも詳しい資料はなく、いつ書かれたものか特定できていない。ただ、京都と宝塚など異なる路線の行き先が併記されている

    阪急十三駅に60年前の表示板か 壁の塗装はがしたら…
  • おばあちゃんの家の倉庫から出てきた「大正時代の全国の路線図(鉄道職員用)」がレアすぎる「これはすごい」

    はしも @hashimo_k8000 おばあちゃんの家に行った時におばあちゃんが家の倉庫から出してきた箱の中にあったもの(☉_☉) 大正時代の全国の路線図。大正時代やから満州国とか朝鮮の路線図も載ってる! 満州鉄道の職員用やから数少ない超レア物らしいo(*゚▽゚*)o pic.twitter.com/owPnIgVP8N 2016-01-01 16:06:28

    おばあちゃんの家の倉庫から出てきた「大正時代の全国の路線図(鉄道職員用)」がレアすぎる「これはすごい」
  • 西武「大久保駅」構想は、なぜ幻となったのか

    これまでに連載で取り上げた未成線のうち、半分以上は都市部から離れた郊外や山間を通る計画だった。都市部は再開発などによって遺構が消失していることも多く、まとまった記事を書きにくいからだ。 とはいえ、遺構や名残がまったくない場合でも、予定されていたルートを訪ねて「もし鉄道ができていたら、ここを○○線から直通する××行きの列車が走っていたかもしれない」などと想像を働かせるのは、意外と楽しい作業である。 これから数回に分け、そうした都市部の未成線をいくつか紹介したい。まずは西武鉄道新宿線の、国鉄(現・JR)新宿駅東口への乗り入れ計画だ。 輸送量の増加があだになった新宿乗り入れ 西武新宿線は、東京都新宿区の西武新宿駅から埼玉県川越市の川越駅に至る、47.5kmの鉄道路線だ。都心側のターミナルである西武新宿駅はJR新宿駅から離れていて、乗り換えの利便性が悪い。実は西武鉄道もJR駅の東口に新宿駅を設け

    西武「大久保駅」構想は、なぜ幻となったのか
  • 丹那トンネルの工事日誌 遺族が市に20冊寄贈:静岡:中日新聞(CHUNICHI Web)

    世紀の難工事と言われた一九三四(昭和九)年開通のJR東海道線の丹那(たんな)トンネル(七・八キロ、熱海-函南駅間)の工事に携わった作業員が十一年にわたって記録した工事日誌二十冊が見つかり、遺族が二十八日に熱海市に寄贈した。解読を進める市立図書館嘱託職員の梅原郁三さん(73)は「作業員の工事日記はほかにあるが、十一年の長さで記録している点で貴重。新たな証言になる」と話している。

    丹那トンネルの工事日誌 遺族が市に20冊寄贈:静岡:中日新聞(CHUNICHI Web)
  • 京阪100年号事故 - Wikipedia

    牽引機のC57 1(1976年9月5日 梅小路蒸気機関車館にて) 京阪100年号事故(けいはん100ねんごうじこ)は、1976年(昭和51年)に発生した日国有鉄道(国鉄)の動態保存中の蒸気機関車牽引によるイベント列車で起きた鉄道人身障害事故である。鉄道撮影のために軌道敷内へ不法侵入していた小学生1名が列車にはねられて死亡したもので、鉄道事業者側に責任のある「有責事故」ではなかったが、その後の日における蒸気機関車の動態保存のあり方に大きな影響を与えた。 事故の概要[編集] 記念臨時列車の運行[編集] 1976年9月4日に、東海道線の京都駅 - 大阪駅間開業100周年を記念して、梅小路蒸気機関車館に動態保存されていた蒸気機関車C57 1と12系客車による記念臨時列車「京阪100年号」が京都駅 - 大阪駅間で運転された。京都駅を出発して大阪駅で折り返す運用で、下りが京都11時10分発、上り

    京阪100年号事故 - Wikipedia
  • http://www.asahi.com/national/update/0401/OSK200604010053.html

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