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山内溥とSonyに関するraimon49のブックマーク (5)

  • どれだけ知ってる? スーパーファミコン時代のCD-ROM事情|初心カイ

    もともと「プレイステーション」という名称が、スーパーファミコンにくっつく拡張用CD-ROMオプションにつけられた名前だった、ということは、私のnoteを読みにくる方でしたら、だいたい知っていることだと思います。 それとは別に任天堂がフィリップスと提携して独自にCD-ROM機器を出すと発表し、プレイステーションの計画(このCD-ROM機器を後のPS1と区別するためプレイステーション0と呼称します)は破綻し、ソニーは独自路線を歩むことになります。そして任天堂はいつのまにかこのフィリップス系独自CD-ROM(これには正式名称がないのですが死ぬほどわかりづらいので、フィリップスシステムと呼称します)計画をぽしゃってしまい、スーパーファミコンはパワーアップせずそのままニンテンドウ64へと向かうこととなりました。 大雑把にこんな歴史を歩んでいたのですが、皆さん、このプレイステーション0とフィリップスシ

    どれだけ知ってる? スーパーファミコン時代のCD-ROM事情|初心カイ
    raimon49
    raimon49 2023/11/09
    光学ディスクメディアに見切りを付けてプレイステーションに天下を明け渡したものの、ダウンロード販売 + インストールして遊ぶのが主流になりつつあるから中長期的には間違ってなかったんだろうか。
  • 幻に終わった対任天堂共同戦線 セガ&SCE|初心カイ

    1990年代初頭、某所にて今後のゲーム業界を大きく左右する二社合同技術研究会が行われていた。 その研究会に参加していたのはセガの佐藤秀樹。後にセガ社社長にまで上り詰め、セガハードの父と呼ばれる男だった。セガ内のエース中のエース、アウトランとスペースハリアーを作った男、鈴木裕もいた。 そしてさらなる男がいた。ソニーの久夛良木健。プレイステーションの生みの親である。 彼らを中心にセガ、ソニー両社の技術者たちが机の上に並べられた資料を持って喧喧諤諤の大議論が行われた。その資料とは、開発途中だったセガサターンの資料だったのだ。隠しているものは何もなく、全スペックを久夛良木たちの前にさらけ出していた。 彼らの頭にあったのは「対任天堂共同戦線」である。当時のゲーム業界最大、最強の巨人に対抗しなければならない。それはセガ、ソニー両者の共通認識だった。そしてじきに「二社が共同で同じハード上で力を合わせるこ

    幻に終わった対任天堂共同戦線 セガ&SCE|初心カイ
    raimon49
    raimon49 2023/03/20
    実際サターンは日立製CPUチップにヤマハ製音源チップ積んだ上に変態設計ハードだったから値下げ合戦ではプレイステーション相手に不利だったんだよな。会食での久夛良木氏の見立ては、悔しいことだが正鵠を射ている。
  • そろそろ語ろうか(其の弐)|和田洋一

    「ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル」(長い・・ので以下、FFCC)のリマスター版が発売されました。 このタイトル、実はスクウェアが任天堂と取引再開した記念碑的タイトルなんです。 これを機会に、任天堂との取引再開の経緯、また、このタイトルが実は当時のスクウェアの革新について重要な役割を担っていたことについて、書いてみます。 任天堂出禁私が着任した2000年時点でスクウェアはソニーのプレイステーション(以下、PS)以外にタイトルを供給しておらず、任天堂から取引拒否をされている唯一のゲーム開発会社だった。 どのプラットフォームにも供給できる選択肢を持っているのが自然であるし、携帯ゲーム機を製造しているのは任天堂だけだったので、この観点でも取引は必須のはず。ところが、着任時のスクウェア社内では、出入禁止になっている事がシリアスに捉えられていなかった。 解せないながら、2000年内は管理

    そろそろ語ろうか(其の弐)|和田洋一
    raimon49
    raimon49 2020/08/30
    任天堂出禁の要因分析と解除に向けての仕込み。直接対話の重要さを感じられる。其の壱でもそうだったけど、和田氏いちいち2ちゃんねるの評判を気にし過ぎでは。
  • 「スーファミ」上村雅之氏×「プレステ」久夛良木健氏──“ゲーム機戦争”両雄の歴史的証言から識る90年代プラットフォームビジネスの真髄【セミナーレポート】

    上村雅之氏と久夛良木健氏。ゲーム歴史に詳しい人であれば、このふたりの名前にピンと来て、顔合わせにグッと来るものがあるはずだ。 上村雅之氏は、任天堂でファミリーコンピュータやスーパーファミコンの開発責任者を歴任した人物だ。 そして久夛良木健氏といえば、PlayStationの開発を最初期から主導し、成功へと導いた後にPS2やPS3を世に送り出した人物として知られている。つまりこのふたりは、ファミコンとPlayStationという、その後継機がいまなお世界を席巻しているゲームハードの“生みの親”なのだ。 上村雅之氏(写真左)と久夛良木健氏(写真右) このふたりが、2017年10月14日、京都・立命館大学の朱雀キャンパスにおいて行われた「温故知新−ファミコンとプレイステーションにみる“プラットフォーム”ビジネスの神髄」と題された特別セミナーに揃って登壇し、公の前で顔を合わせる初の機会となったの

    「スーファミ」上村雅之氏×「プレステ」久夛良木健氏──“ゲーム機戦争”両雄の歴史的証言から識る90年代プラットフォームビジネスの真髄【セミナーレポート】
    raimon49
    raimon49 2017/12/05
    >「任天堂さんやセガさんがビデオゲームという素晴らしいジャンルを育ててくれたので、それをさらに広げることをやってみたい」というのが、PlayStationを開発するモチベーションになっていた
  • テレビゲームの父、任天堂・山内溥氏を悼む

    家庭用テレビゲーム産業の父、任天堂の山内溥前社長が9月19日、85歳で逝去した。3日後の22日に京都市内の任天堂社で執り行われた社葬には稲盛和夫・京セラ名誉会長ら京都財界の首脳が参列。岩田聡社長は弔辞の中で故人との思い出を次のように述懐した。「山内さんの笑顔は最高に魅力的でした。滅多なことでは褒めてくださる方ではありませんでしたが、まれにこちらの報告に笑顔で応えてくださったときは、当にうれしく感じ、どんな苦労も吹き飛んで力が湧いてきたことを覚えています」。 大学在学中の22歳で家業のカードゲーム会社を引き継いだ山内氏は社長を53年務めた。多くの失敗を繰り返しながらも、「ゲーム&ウォッチ」などのヒットを飛ばし、任天堂を世界的なゲーム会社に育て上げた。荒波をくぐる中で確立した信念は「独創の精神」だ。1998年の誌取材ではこう断言した。「われわれが考え、形成し、創造し、歩む。人に影響された

    テレビゲームの父、任天堂・山内溥氏を悼む
    raimon49
    raimon49 2013/10/06
    読んだこっちが苦笑いだわ
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