東京電力福島第一原発事故による全町避難が唯一続いていた福島県双葉町で30日、帰還困難区域の一部の避難指示が解除された。双葉町の特定復興再生拠点区域(復興拠点)は11年5カ月ぶりに居住可能となったが、住民のさらなる帰還に向けては、除染や生活環境の整備など課題が山積している。(片山夏子) 今年1月から始まった「準備宿泊」で7カ月間、復興拠点内の自宅で生活してきた元競輪選手の谷津田陽一さん(71)は「今のところ帰還しそうな住民は、原発事故前の1%にも満たない。想像以上に現実は厳しかった」と嘆いた。「犬の散歩に行っても除染や解体作業員以外、会ったことがない」 JR常磐線双葉駅から北西に1キロ弱、緑豊かな高台にある自宅周辺は、多くの家屋が解体され、さら地が広がる。近隣住民は戻っていない。同居する妻(55)は「夜は人がいないから怖い。住んだ当初は特に外の音に敏感になった」と言う。
1000円超の“高級のり弁”に行列、外食大手も注目 昔懐かしい国民食がなぜブームに?:長浜淳之介のトレンドアンテナ(1/5 ページ) コロナ禍でテークアウトを選択する人が増える中、ブームになっているのが昔懐かしい「のり弁」だ。 のり弁は、持ち帰り弁当の業態を確立し、全国に普及させた「ほっかほっか亭」1号店(1976年、埼玉県草加市にオープン)の開店当時からあるメニュー。昭和30年代に家庭で作られていた、ねこまんま風の「のりおかか弁当」をアレンジしたものだ。給食が普及していなかった頃、子どもがお昼に学校で食べていた、いわゆる「おふくろの味」である。 のり弁のシリーズは今でも、ほっかほっか亭に限らず、持ち帰り弁当チェーンの売れ筋上位に位置するロングセラー商品だ。 それが時を経て、コロナ禍で再注目されている。ステイホームによって家庭料理が見直されたことや、町中華や喫茶店の良さが再発見される昭和レ
東電福島第一原発事故前に東電社内でやりとりされていた電子メールを集めた捜査報告書を、法務省が2021年10月28日付で開示した[1]。東電から提出されたハードディスク(HD)から、メールデータ61通分を復元し、文書にしたものだ。2008年から2011年にかけて、東電内部で津波のリスクについてどのように認識していたか、そして外部の専門家に根回ししたり、他の電力会社に圧力をかけたりして、津波対策の遅れが露見しないよう工作していた状況がわかる。事故の原因を解明するための第一級の資料だ。そして、これらのメールを東電は政府や国会事故調には提出しておらず、さらに検察の初期の捜査でも利用されておらず、強制起訴された後の2017年になって指定弁護士によって発掘されたらしいことも示している。 デジタルフォレンジックで指定弁護士が発掘 開示された文書は、「捜査報告書(メールデータの抽出印字について)」2017
「北澤さんは私の先生だった」 菅 私は市民運動出身で、大きな組織を運営した経験はありませんでした。北澤さんには若い頃から、先生のようにいろいろなアドバイスをいただきました。自分自身の活動でも、党内のいろいろなことを考える上でも、ものすごく助かりました。 北澤 私は自民党出身で、事前にいろいろ準備や調整をする政治(文化の中)で育ってきましたが、菅さんはいきなり真剣勝負。見ていると小気味がいいんですよ。度胸のある政治家だなと。一方で少し危なっかしいところもあるから、そんな時には意見を申し上げたりしてきました。 菅 震災の時に北澤さんが防衛大臣だったことは、ものすごく大きかったと思います。 東日本大震災と「自衛隊10万人」 菅 震災発生翌日の3月12日にヘリで福島原発に行き、現地の吉田昌郎所長に会いましたが、さらにそのヘリで(津波被害を受けた)宮城県の海岸沿いを見てきました。海と陸の境目が見えな
「福島の桃を6個食べた。とてもデリシャスだった」 福島での試合後、米国ソフトボールチームのエリクソン監督がこんなコメントを残し、その言葉に多くの人が反応した。 「福島の桃は美味しいよね」 「食べてくれてありがとう」 「6個は食べ過ぎ。お腹壊さなかったかな」 そんなコメントを見て、私も思わずSNSで呟いてしまった。「福島の桃、食べてみたい」と。 その一言がきっかけで「福島の桃デリシャスプロジェクト(勝手に命名)」が走り出した。 「敵に塩」ならぬ「桃」 その呟きを見た福島の陸上関係者(Aさんとする)から「桃、送りますよ」と連絡をいただいた。「いえいえ、買います」「いえいえ、送ります」という日本的なやりとりを数回した後、「ではソフトボールの米国代表に送っていただくことは可能ですか」とお願いしたところ快諾いただいた。 ソフトボールの米国代表はすでに福島を離れ、ライバル日本との決戦の舞台、横浜に滞在
7月23日夜に国立競技場で行われた東京オリンピックの開会式。ネット上では、“ある演出”に賛否の声が上がっている。 23時過ぎに行われた聖火リレーでは、宮城・福島・岩手の東北3県の中高生たち6人が最終ランナーの大坂なおみ(23)に聖火を繋いだ。 この演出にネットでは《被災地の子供たちの聖火リレーは胸熱だった》《感動しました》と賞賛の声があがる一方、深夜の子ども出演に批判の声も上がっているのだ。 《この遅い時間に子供が開会式でてるけどええの???》 《子供があんな深夜まで拘束されるのが違和感しかなかったな》 《子供達出すなら時間考えて開会式設定しなきゃ》 そもそも労働基準法では、原則として児童を午後8時及び午前5時の時間帯に働かせてはならないとしている。またボランティアだったとしても、やはり深夜帯での出演には制限がある。 「東京都青少年の健全な育成に関する条例」第15条の4では《保護者は、通勤
「原発事故のマイナスイメージを変えるビッグチャンスだ」。二〇一七年、福島市の斎藤道子さん(57)は、市内のあづま球場が五輪のソフトボールと野球の会場に決まったというニュースに胸を高鳴らせた。 あの日から四年後の今年、ブログに書き込んだ言葉は「今、ものすごく迷っています」。大会を支えたいとボランティアに手を挙げたが、やりがいが見えなくなり、正直な気持ちを吐き出した。 斎藤さんは、前回の東京五輪があった一九六四年に広島県福山市で生まれた。記憶に鮮明なのは小学二年だった七二年の札幌五輪だ。テレビで見て「世界にはいろんな人がいるんだ」と興味を持ち、地球儀を抱えて寝た。大学で比較文化を学び、旅行会社に就職して世界を歩いた。
東京五輪・パラリンピック大会組織委員会が、全国の大会ボランティアに対し、ユニホームや身分証明書を関東や東北、北海道などに取りに来るよう要請していることが分かった。新型コロナウイルスの感染拡大で、都道府県をまたぐ移動の自粛が求められている中、ユースク取材班にボランティアから疑問の声が寄せられた。 ユニホームと身分証明書の配布は今月十二日、東京を皮切りに始まり、組織委は大会で競技が実施される北海道、宮城、福島、茨城、静岡の各都道県の大学や公共施設などに受け取り会場を設けた。五輪ボランティアの場合、東京は六月末まで受け付けるが、その他は五〜七月の数日間のみが指定され、茨城、静岡県は五月中に取りに行く必要がある。事前に予約した上で、直接取りに行く仕組みで交通費の支給はない。 組織委がボランティアに送ったメールでは「新型コロナに関するお願いと対策」として、受け付けの検温で発熱が確認された場合には出直
声優そしてアーティストとして長年音楽活動を続けている緒方恵美さん、そして緒方さんの音楽活動をサポートするランティスの吉江輝成プロデューサーに、コロナ禍におけるライブエンターテインメントの実情を伺った <後編はこちら> 緒方恵美さんが語る、ライブ業界の現状 緒方恵美さんは『新世紀エヴァンゲリオン』碇シンジ役などで知られる人気声優だ。現在でも『ダンガンロンパ』『花子くん』等で主役を演じ、声優として最前線を走り続けるトップランナーでもある。 一方で、音楽活動のキャリアも長い。2000年代からはランティスに在籍し、ロックを中心にオリジナル楽曲を制作、全国ツアーを回るアーティストの顔も持つ。 近年では事務所を設立し、経営者となった緒方さん。新型コロナウイルス感染拡大防止策に端を発した音楽業界の危機に直面し、演じる側と支える側の苦境を両方一度に味わった。 「このままではかなりの音楽関係者が仕事を辞めざ
マグニチュード9.0の巨大地震とそれに伴う津波で、1万8000人あまりの死者・行方不明者を出した東日本大震災。それは未曽有の原発事故も引き起こすことになった。震災当時、総理大臣だったのが菅直人衆院議員(74)。水素爆発も起きるなか、「最悪のシナリオ」として5000万人が避難することも想定していたという。10年後のいま、元首相に振り返ってもらった。(ジャーナリスト・森健/Yahoo!ニュース 特集編集部) ──東日本大震災から10年です。どんな感慨がありますか。 「あの震災では、津波で多くの人が犠牲になり、避難を強いられ、また、福島第一原発の事故も起きました。地震や津波では物理的な被害で元の住まいに戻ることができず、原発事故では放射線の影響で戻れていません。多くの人が戻れていないことを申し訳なく感じています」 ──菅さんは震災の翌月、諮問機関「東日本大震災復興構想会議」を立ち上げ、そこで「創
所員の決死の作業によってベントに成功し、格納容器の破損を免れた福島第一原発1号機。しかし、それからおよそ1時間後には水素爆発が起こり、建屋の上部が吹き飛んでしまう事態に見舞われる。当然のことながら、現場にいた作業員の間では爆発の直後、大きな動揺が走ったという。ここにいてどうなるのか、ここにいたら全員が死ぬ……。極限状況下に追いやられる所員、そして、東電と官邸は、その瞬間、どのような対応に走ったのか。 ここでは、船橋洋一氏を中心とした調査委員会による綿密な取材をまとめた書籍『フクシマ戦記 上 10年後の「カウントダウン・メルトダウン」』を引用。当時の様子を子細に紹介する。(全2回の2回目/前編を読む) ◇◇◇ 「頼む。頼むからここに残ってくれ」 12日午後3時36分。福島第一原発の1号機の建屋の上部が轟音とともに吹き飛んだ。 中央制御室(1/2号機)は、ドシャーンと上下に揺れた。天井のルーパ
元首相は映画『Fukushima 50』をどう見たか 菅直人インタビュー【1】 事故のリアリティはよく出ている。ただし描かれていないことも多い 中川右介 編集者、作家 東京電力福島第一原発事故から9年。事故対応にあたった原発職員たちの苦闘を描いた映画『Fukushima 50』(若松節朗監督)が公開されている。映画の中の内閣総理大臣は、怒鳴り散らすだけで役に立たない、ある種の「悪役」として登場しているのだが、当の菅直人元首相は自身のブログなどで「よく出来た映画だ」と、意外にもこの映画を好意的に評価している。菅元首相の著書『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』(幻冬舎新書)も担当した編集者・評論家の中川右介さんが、その真意と事故当時の模様を改めて聞いてみた。 「たしかに、私も大声を出しました」 ――3.11の原発事故を扱った映画は、いくつかありますが、事故の様子をこれだけリアルに再現
<海外大手メディアの複数が、2020年に旅行へ行くならここがお勧め、という記事を掲載しており、日本でのお勧め訪問先として、さまざまな場所が紹介されている......> CNNは九州をお勧め オリンピックイヤーの2020年、世界の注目が日本に集まっているのは想像に難しくない。米ワシントンポストによると、2019年の1年間に米国でもっともグーグル検索された旅行先ランキングで、日本は2位になった。同紙は「2020年の五輪を控え、日本が旅行先としてグーグル・トレンド入りしたのは驚きではない」としているが、モルジブ(1位)やボラボラ(3位)といった「南国パラダイス」に挟まれての大健闘だ。 しかし2020年、日本への旅行者みんなが五輪開催地の東京だけに集中するというわけではないかもしれない。海外大手メディアの複数が、2020年に旅行へ行くならここがお勧め、という記事を掲載しており、日本でのお勧め訪問先
返礼品競争が依然やまないふるさと納税。総務省は抑制策として「返礼品は寄付額の3割以内」とする通知を自治体に出したが、この通知に従った福島県広野町では、寄付額が20分の1に激減した。通知に反した豪華な返礼品で寄付を集める自治体がなお存在し、本来、恩恵を受けられるはずの地方の町村が制度に翻弄されるという「ひずみ」が見える。 原発事故後、町独自の判断で避難指示を出した広野町。2012年3月末の避難指示解除後、営農再開を復興の柱に据えた町は15年、ふるさと納税の目玉返礼品としてコメを選んだ。 ふるさと納税では、寄付額に対する返礼品の金額の割合(返礼率)が高いほど「お得感」があり、寄付が多く集まる傾向がある。 広野町では、通常のコシヒカリではなく、農薬の量を減らした特別栽培米を返礼品とし、15年度は、3万円の寄付で「コメ60キロとみそ1キロ」(返礼率58%)を用意。この年は696件(2088万円)の
東京電力の副社長が泣いていた。2月3日、東京・内幸町の本社応接室。福島の、ある被災者に話が及んだ時だった。「すみません…。上野さんの話をすると、つい込み上げてしまって」。福島復興本社代表を務める石崎芳行副社長(63)は、鼻をすすって息を整えた。「上野さん」とは、上野敬幸さん(44)のことだ。南相馬市沿岸部の萱浜(かいばま)地区で農業を営んでいる。副社長はなぜ泣いたのか。東日本大震災と原発事故から間もなく6年。加害者と被害者という立場だけでは計りきれない事情を知ろうと、人々を訪ね、福島を歩いた。(Yahoo!ニュース編集部) 石崎副社長は、上野さんに初めて会った時のことを鮮明に覚えている。震災から2年後の2013年3月。復興本社の代表として、福島に居を移して2カ月が過ぎた頃だった。「知人からぜひ会って欲しいと言われまして」。萱浜を訪ねると、自宅前に上野さんが立っていた。1階は津波で破壊されて
上杉周作シリコンバレーのエンジニアが語る、誰にも悪気はなかった話2017/02/22 貧困の連鎖を止めようとしたら、子どもの学力が下がりました。働き方から変えよう、地方から変えようとしたら、何も変わりませんでした。 自己紹介こんにちは。上杉周作と申します。教育について考えるのが好きな、シリコンバレー在住のエンジニアです。 88年生まれで、中学1年まで日本で暮らし、それからはアメリカ在住です。カーネギーメロン大でコンピュータサイエンスを学び、AppleとFacebookでエンジニアインターンをし、その後シリコンバレーのベンチャーを転々とし、2012年9月よりシリコンバレーの教育ベンチャー・EdSurgeに就職しました。2017年1月にはNHK「クローズアップ現代+」の教育特集に「教育×IT」の専門家としてお呼びいただき、教育評論家の尾木ママさんと共演しました。 そしてこのたび、4年とすこし働
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く