🀁みなみおじさん @mnmsyan 平和島駅前のあの潰れたゲーセン取り壊されてて、奥の建物の壁面のこれはいつから封印されていたのかって看板がコンニチハしていた 良いねえ、良い こういうのお好きな方はお早めに是非見に行くといいです pic.twitter.com/Xu5f7nzeNx 2022-05-21 20:58:14
【エスプレイドΨ】エムツーは男どアホウシューティングだ──漫画家・井上淳哉ロングインタビュー 文 電撃PlayStation Ron、なかJ 公開日時 2019年09月06日(金) 12:15 これまでゲームファンから“家庭用ゲーム機への移植”を強く望まれていながらも、20年にも渡って実現しなかった不遇のタイトル──1998年に登場したアーケード用の縦スクロールシューティングゲーム『エスプレイド』が、21年の時を経て、エムツーの手により再び覚醒する。タイトルは『エスプレイドΨ(サイ)』。 思い返せば1998年当時のアーケードのシューティングゲームシーンは、ライジングの『アームドポリス バトライダー』や彩京の『ストライカーズ1945II』などが攻略されている最中で、格闘ゲームの勢いに押されつつも、ジャンルはまだまだ活況を呈していた。前年にケイブからリリースされた『怒首領蜂』によって、”弾幕シ
住所:高田馬場店・東京都新宿区高田馬場4-5-10オアシスプラザビル1F&2F/池袋店・東京都豊島区東池袋1-42-19 ホームページ Twitterアカウント:@babamikado ゲーセンミカドは、多くのお客が集い賑わうアーケードゲーマーの聖地のような場所だ。このゲームファンの憩いの場も例に漏れず新型コロナウイルスの影響を受けており、先日、資金調達のためのクラウドファンディングの発表が行われた。このあたりも含めて、店長であるイケダミノロックこと池田稔氏(文中は池田)にミカドの現状を聞いてみた。なお、この取材の直前に緊急事態宣言が発令され、ゲームセンターは休業要請の対象となっている。 最後まで足掻いて足掻いて足掻き続ける ――ミカドさんでもイベントの中止や延期を発表されていますが、新型コロナウイルスの影響を感じ始めたのはいつごろからでしょうか? 池田政府が2月末ごろから自粛なども含めて
ビデオゲームの語り部たち 第3部:“バーチャファイターの聖地”新宿カーニバルプラザで格闘ゲームの隆盛に心血を注いだ林田貴光氏の若き日々 ライター:黒川文雄 12→ 1990年代前半,筆者は映像会社からセガ・エンタープライゼス(当時)に転職し,第2AM研究開発部(AM2研)で,ゲームセンター向けにリリースされた「バーチャファイター」の宣伝責任者として働いていた。 ゲーム系雑誌メディアはもちろんのこと,全国のゲームセンターとも日々連絡を取り,さらにはプレイヤーからの問い合わせに対しても,必要があれば直接対応していた。 これはおそらく,ゲーム会社における宣伝の枠を超えていたと思われるが,やっている側からすれば,店やファンに情報を届けるのは自然なことだった。 そんな中で出会ったのが,東京・新宿の歌舞伎町にあったセガ系列のゲームセンター「新宿カーニバルプラザ」の店舗スタッフだった林田貴光氏である。
「GAME ON」とは? コンピュータやインターネットなどの情報技術とともに進化をつづけ、世界中のエンターテイメントを変えたテレビゲーム。 本展はその歴史を一望し、社会的・文化的意味、そして未来について考える企画展です。2002年に英・ロンドン市のバービカン・センターでの開催以来、世界中を巡回し200万人以上を魅了してきた「GAME ON」。 日本初上陸となる今回は、「ゲームってなんでおもしろい?」をテーマに、最新ゲームなどのオリジナルコンテンツを多数追加! リアルとの領域を越え、実社会に大きな影響を与えるようになったゲームの意味について来場者のみなさんと共に考えます。 ゲームは、今を生きている私たちと一緒に育ち、私たちを育ててくれた、特別なエンターテインメントです。 そのオリジンから、たった今までを見つめることは、今やっておくべきことの1つです。 なぜなら、これから生活や社会のあらゆる部
1980年代に子ども時代を過ごした世代もいまや立派なアラフォー。このところ30代の大人を中心にミニ四駆人気が再燃しているというのは、本サイトでもお伝えしてきた通り。筆者を含めこの世代が、過去を振り返って懐かしむトシに、いよいよなってしまったということだろう。 ゲームの黎明期から全盛期へ至る過程とともにあった子ども時代 開き直って(!?)さて、アラフォーの子ども時代を語るうえで絶対に欠かせないものといったら何だろうか。 そう「コンピューターゲーム(CPUゲーム)」である。 TVゲームという新しい遊びを爆発的な勢いで一般家庭に普及させた任天堂ファミリーコンピューターの登場が1983年。380万本を売り上げ、社会現象ともなった「ドラゴンクエストIII」の発売が1988年。そして1990年代前半にかけてはNEC PCエンジン(1987年登場)、セガ・メガドライブ(1988年登場)、任天堂スーパーフ
印刷 メダルゲームを楽しむ80代の女性=2日午後、東京都葛飾区亀有3丁目のハロータイトー亀有、遠藤真梨撮影 かつて子どもの遊び場だったゲームセンターがいま、お年寄りも楽しめる「憩いの場」になりつつある。ほかの娯楽施設より安く長く遊べる点が人気のようだ。少子化と若者の「ゲーセン離れ」に悩む業界各社も、シニア向けサービスに本腰を入れ始めた。 8月中旬の平日昼下がり。東京都葛飾区のゲームセンター「ハロータイトー亀有」では、十数人のお年寄りが遊んでいた。 「今日の調子はどうかい」。畳敷きベンチに座って小藤チエ子さん(76)が野田マツさん(86)に話しかけた。2人ともここの常連客で、通っているうちに友達になった。10年ほど前に夫を亡くした小藤さんは「1人で家にいるとぼけてしまうけど、ここでゲームをしていれば時間を忘れられる」と語った。 店は2年ほど前から高齢者が増え始め、今は平日昼間の利用者
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