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ブックマーク / riq0h.jp (2)

  • 分散できないのはどう考えても僕たちが悪い - 点と接線。

    2016年にMastodonってのが出た。なんでも自由にサーバを建てられるから巨大資に言論統制されないらしい。ちょうど真新しさに飢えていた人々はさっそくこれに群がった。かくいう僕もその一人だ。学生が建てたサーバがパンクして企業が支援を申し出たり、政治家がお忍びでアカウントを作ったりなんかして、しばらくお祭り騒ぎになった。 しかし分散型SNSが負の側面を露呈せしめるのは割と早かった。自由にサーバを建てられると言っても結局、ほとんどのユーザは人がたくさんいる場所、安定していそうな場所に行きたがる。やがてインフラコストに耐えられなくなった運営者は次々とサーバを手放し、安住の地から放逐されたユーザたちはそそくさと古巣に戻っていった。第一次Mastodonブームの終焉である。以降、Twitterがなにかやらかすたびに分散型SNSは潮の満ち引きを繰り返してきた。 現在、度重なる譲渡の末に国内二強サー

    分散できないのはどう考えても僕たちが悪い - 点と接線。
  • ゴア表現今昔 – riq0h.jp

    ゴア表現の精細性は視覚文化の発達に伴ってますます進歩している。激しく殴打されれば身体が歪み、刺されれば夥しく流血する。人々はたとえ現実で体験した事がなくてもそこに現実感を見出してきた。たとえ仮想の出来事であっても。 自らが介入して自在に刺激を加えられる視覚文化ーすなわちゲームが登場して以来、この「現実感」はさらに重要性を帯びはじめた。当初は数色のドッドで構成された敵が光って消える程度の演出に過ぎなかったが、点や線の集合がやがて具体的なモチーフを形どるまでにそう時間はかからなかった。 90年代に入るとゴア表現はいよいよある核心に到達する。立体的なフィールドを歩き回って写実的な銃でもって人を殺せるようになったのだ。これまでは想像力を働かせなければとても人間や銃に見えなかったグラフィックが、この頃にははっきりとそう認識できる水準に達していた。 銃で撃たれた敵が叫び声をあげながら流血して斃れていく

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