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PCと任天堂に関するraimon49のブックマーク (3)

  • 二大企業大激突Ⅱ!! スクウェアvs任天堂 前編|初心カイ

    0.はじめに 日の国産二大RPG、といえば「ドラゴンクエスト」と「ファイナルファンタジー」であることに異論がある人は少ないだろう。これは両方ともスクウェア・エニックス社のIPであるが、スクウェア・エニックス社は元々スクウェアとエニックスの二社が合併してできたものだ(若い人はピンとこないかもしれない)。 ファイナルファンタジーはスクウェア社側のIPであったが、元々任天堂のファミリーコンピュータ(以下ファミコン)で誕生し、育ったIPだった。任天堂とスクウェアは初めのうちこそ蜜月といって良かったのだが、そこから関係をこじらせ、一時は出禁状態であったことが有名だ。 記事はスクウェアがどのように歴史を紡ぎ、任天堂と近づき、そして破綻させ、そして再度関係を修復させたかを解説するものである。 1.誕生 スクウェア まず、スクウェアの創業から解説しよう。徳島県に株式会社電友社という、電気工事会社があっ

    二大企業大激突Ⅱ!! スクウェアvs任天堂 前編|初心カイ
    raimon49
    raimon49 2024/08/17
    >このレンタルレコード屋は光栄であり、その店長らしき女性とは襟川恵子社長だった。鈴木はそのまま信長の野望の移植作業に巻き込まれ、必死にプログラミングの勉強をはじめた。 / こんなところで種を蒔いていて笑う
  • ファミコンブームの誕生とハドソン成功の理由

    こんにちは、高橋名人です。 私が、「名人」として活動を開始したのは、任天堂の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」が発売されてから2年後の1985年春です。同年9月には任天堂から「スーパーマリオ」が発売されてファミコンブームに火がつき始め、翌86年に大ブームを迎えたのです。最終的に日だけで累計1900万台以上も売り上げるお化けヒット商品になりました。 そのころ私はゲームソフト会社、ハドソンの宣伝担当社員でしたが、85年末に開催された、とあるイベントの記事が東京新聞に掲載されたことがきっかけとなり、それまで子どもを相手に小学館の漫画雑誌「コロコロコミック」でしていたファミコン普及の活動が、より一般にまで広がっていきました。 マスコミの間でファミコンを記事にしたとき、話のできる人間として矢が当たったのも人気を後押ししてくれました。冷静に振り返れば、とてもラッキーで、タイミング

    ファミコンブームの誕生とハドソン成功の理由
    raimon49
    raimon49 2016/04/14
    日本の流通業における「サードパーティ」という概念の確立期。面白い。
  • 信長から乙女ゲームまで… シブサワ・コウとその妻が語るコーエー立志伝 「世界初ばかりだとユーザーに怒られた(笑)」

    のコーエーテクモゲームス(当時 光栄)が初の歴史シミュレーションゲーム『川中島の合戦』を発売したのはいつか? ――正解は、1981年である。 そのときには、まだパソコンでゲームをする文化自体が相当にマイナーな楽しみに過ぎなかった。有名なパソコン版の『シヴィライゼーション』が発売されたのでさえ、ずっと後のことである。しかし、そのゲームは、紡績業を営んでいた光栄という会社が大きく業態を変えていく転換点になるほどの話題を日で獲得した。 その2年後、彼らは『信長の野望』という大人気歴史シミュレーションゲームを生み出した。コーエーテクモホールディングス社長・襟川陽一氏ことシブサワ・コウは、それをRPGや司馬遼太郎の小説をヒントに作り上げたという。我々の遊んできたこうした『信長の野望』などの歴史シミュレーションゲームは、実はコンピュータゲーム史にほとんど忽然と登場したゲームに近い。 『ファミコン

    信長から乙女ゲームまで… シブサワ・コウとその妻が語るコーエー立志伝 「世界初ばかりだとユーザーに怒られた(笑)」
    raimon49
    raimon49 2016/03/22
    ファミコンのROM先払い制度に関する逸話めっちゃ破天荒で面白い。『村上海賊の娘』も読んでて『ペルソナ4』も100時間以上遊んでるとか、感性が若いなぁ。
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