ブックマーク / goisan.hatenablog.com (104)

  • 鹿児島の旅 その1 ~ 西郷さん ~ - goisan's diary

    3月31日(木)から4月2日(土)にかけて鹿児島に行ってきました。いつもならマラソン大会のついでにという旅行なのだけど今回はマラソンはなし。実はJALのマイルポイントの有効期限が切れるというのでJALの「どこでもマイル」というのを利用することに。これはこちらで選んだ任意の4つの候補地のどれかに行けるというもの。4つの候補地に選んだのは、松山、広島、高松、そして鹿児島。松山はもちろん道後温泉にどっぷり浸かって坊ちゃん気分を味わうこと。広島は原爆ドームと宮島。しまなみ海道のこともちょっと考えた。高松では讃岐うどんをべてそれから小豆島…かな。鹿児島は高校の修学旅行で行った。50年ぶりにもう一度訪ねてみるのもいいかと考えた。それと西郷さんにも会いたい。とそんなことを思っていたら早速にJALから返事が来て行先は鹿児島と決まった。 飛行機に乗るのは実に久しぶり。前日辺りから少し緊張気味だ。もう何度も

    鹿児島の旅 その1 ~ 西郷さん ~ - goisan's diary
    recoca1940
    recoca1940 2022/04/16
    お久しぶりです。また全国ご旅行できる時が待ち遠しいですね。関連記事のトップに名古屋旅行の記事があり懐かしく拝見しました。https://goisan.hatenablog.com/entry/2019/05/02/175742
  • 再び、前へ - goisan's diary

    2022年1月1日、生まれてから70回目の新年を迎えた。毎年同じようなことを繰り返して適当に喜びや悲しみを味わいながら、もうこんなにも生きてきたのかと感慨深く思う。小さい頃は死ぬということがとても怖くて、あと何年生きられるんだろうなんて真剣に悩んだ時がある。30歳になった時にはこれで人生の半分を生きてしまったのかと考えた。そして今ではその後半の分もとっくに過ぎてしまった。 60歳で定年を迎えて始まったごいさんの第2の人生計画も今年がその前半の最後の年となる。なんだかんだと64歳まで働いたのと2年前からのコロナ騒ぎで計画は大幅に遅れてしまったけれど、これからはもっと精力的に活動していきたい。当にこの2年間は空白的に過ごしてしまった。マラソン大会はことごとく中止。昔の仲間と会って酒を飲むことも無かった。一昨年は母親の入退院の繰り返しや妹の手術があり、そして昨年は二人の叔父が亡くなった。 さら

    再び、前へ - goisan's diary
    recoca1940
    recoca1940 2022/01/08
    余裕が一番です。
  • 2021年 最大の決断 - goisan's diary

    東京オリンピック・パラリンピックボランティア ~ その始まりから辞退まで ~ 2013年9月に東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定した時、そのボランティアをやることが自分の人生における最後の使命のように感じて心ときめいたのをはっきり覚えている。定年になって退職したら英語を一から学びなおして海外の人たちと交流をする。それがごいさんが50歳の時に決めた第二の人生のゴールだった。だから、ここでボランティアをやることはまさに天命のように感じられたのだ。 2019年秋、晴れてフィールドキャストのメンバーになることができた。ボランティア運営事務局から与えられた英語の研修にも取り組みながら、翌年の番のことを考えるとワクワク感でいっぱいだった。ところが年が明けて2020年、ご存知のようにコロナウィルスの世界的流行が始まった。日でも大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」を皮切りにあっという間

    2021年 最大の決断 - goisan's diary
    recoca1940
    recoca1940 2022/01/02
    ごいさん、お目覚めですね。マラソン、自主トレばかりでは気が滅入るでしょう。せっかくの英会話も実力発揮の場をうばわれたとは。コロナには本当に泣かされますね。
  • 奈良マラソン、最終戦(後) - goisan's diary

    今シーズンは4時間が切れればいいという考え方で走っているから、気分的にはだいぶ楽に感じる。最初から飛ばしてできるだけいいタイムを出そうという考えはない。今の自分は10キロほど走ってみないとなんともその日の状態が分からないのだ。20キロまでの様子を見て4時間が切れそうと判断できれば少し頑張ってみるかといった具合。 スタートしてしばらくは大集団。少しゆっくり目のペースで沿道の人たちとハイタッチを交わしながら進んでいく。最初の折り返し地点の5キロまでは下り基調でその折り返しから10キロ過ぎまでは上り坂となる。ともあれ大勢の中に紛れるように走ると上り坂もそれほど苦にならない。最初の10キロは54分21秒で通過。若干遅れ気味。 沿道からは胸に書かれているごいさんという名前を呼んでくれる声がけっこうある。もちろんみんな知らない人なのだがすごい安心感を与えてくれる。その一声でまた自分に元気が戻る。15キ

    奈良マラソン、最終戦(後) - goisan's diary
    recoca1940
    recoca1940 2019/12/17
    自分のやっているウオーキングですが、時間の節約のためジョギング(スロージョギング)を挟むようにしました。膝のことを考えお寺の参道の砂利道でとりあえず始めました。
  • 奈良マラソン、最終戦(前) - goisan's diary

    自分にとって4度目となる奈良マラソンは思い出に残る楽しい大会となった。沿道の人とのハイタッチや声の掛け合いはもちろんだけれど、何と言ってもはてブロランナーのマルさんと一緒に走るという一年越しの思いが叶ったからだ。昨年のエントリー競争で破れごいさんが一人で走ることになったことへの責任を感じてこの一年間を悶々として過ごしていたマルさんもこれでようやくその呪縛から解放された…ね。 マルさんは3週間前に神戸マラソンを走ったのだが風邪を引いた直後ということでかなり無理をしたようだ。そのためこの奈良マラソンへの参加も一時は諦めかけたというのだが、今回ばかりはどうしても参加しなければいけないという強い気持ちで乗り越えたという。マルさんとは前日のランナー受け付けで会い、それから喫茶店で上述したようなこの一年間の彼の思いを聞いた。 さてごいさんはというと、奈良マラソンも今回が4度目でそしてマルさんと一緒に走

    奈良マラソン、最終戦(前) - goisan's diary
    recoca1940
    recoca1940 2019/12/17
    久しぶりのマラソン記事。まだ健在ですね。膝の使い過ぎにご注意して頑張ってください。
  • 友、来たる - goisan's diary

    京都からS井君がやってきた。一昨日東京の大学に招かれて、そこの大学院生に対して講義をしてきたという。彼の専門は脳科学。今も大学教授としてバリバリに働いている。彼が京都に行ってから40年以上の歳月が流れ、こちらに住んでいたご両親も数年前に亡くなり、横浜も彼にはずいぶんと遠くになった。今ではすっかり京都の人だ。 ごいさんと同じ大学を卒業した後、大学院を京都で過ごし、それから広島、富山の大学で講師や准教授として働きそして数年後に京都の大学に戻ってきて教授となった。高校や大学で一緒に彼と遊び回っていた頃は彼が教授になるとは考えもしなかった。もっともそれはお互い様らしいけれど。彼はとにかく頭の回転が速い。彼のポンポンと飛び出してくる面白い言葉にどれだけ笑わせられたことだろう。 ランチを取りながら話そうということで、横浜駅地下街の沖縄料理のお店に入る。沖縄の料理に詳しい彼のお勧めで沖縄そば付きのゴーヤ

    友、来たる - goisan's diary
    recoca1940
    recoca1940 2019/10/31
    青年時代の友はいいものですね。
  • ごいさん、富士山に登る(後) - goisan's diary

    頂上に着いたのはちょうど4時くらい。ネムネムさんに案内されてご来光がよく見えるという場所を確保。どっかと腰を降ろして遠くに目をやる。いつもは下から見上げているだけでてっぺんのことなどまるで考えたこともないのに、今は自分が実際にここにいて地上を見下ろしている。まるで自分自身が富士山そのものにでもなったかのような不思議な感情だ。この何とも言えない満足した気持ちはずっと覚えておきたい、そう思った。 空が少しずつ赤みを帯びてくる。大勢の人の目が一方向に集中して今や遅しとその時を待っている。そうして待つこと40分余り。いよいよ太陽がその姿を現した。遠く水平線の上に出るものばかりと思っていたらその下にある雲の中からポッカリ湧き上がってきた。こういう日の出は初めてだ。密かに感動。しっかりと目に焼き付け、そしてカメラに収めた。 それから火口を一周するというお鉢巡りをして、最高峰の剣ケ峰にも行ってきた。そし

    ごいさん、富士山に登る(後) - goisan's diary
    recoca1940
    recoca1940 2019/08/16
    有酸素運動の山登りに転向した方がいいかも。
  • みんなで楽しく湘南ラン - goisan's diary

    先週の土曜日に、はてブロランナー繋がりで、Macさん、バンビさん、naoさん、ネムネムさん、青豆さんと一緒に、湘南海岸を走ってきた。Macさんから連絡をもらった時は、膝のことがあって一応悩んだけれど、Macさんやバンビさんとこんなふうにご一緒できる機会もそうそうはないだろうということで混ぜていただくことにした。後から、naoさんやネムネムさん、青豆さんたちも参戦すると聞いてかなりの緊張が走る。 小田急線鵠沼海岸駅から歩いて10分ほどで湘南海岸公園にあるランステーションに到着。着替えて出た所でちょうど雨が落ちてきた。それでも適度な降りで走るにはちょうどいいくらい。そしてバンビさんを先頭にのんびりとスタート。その後きっちりキロ6分のペースを刻んでいく。もちろんみんなは楽しくおしゃべりをしながらの余裕のランニングだ。それを聞いているのがまた楽しい。 相模川の河口の柳島で折り返す。晴れていれば富士

    みんなで楽しく湘南ラン - goisan's diary
    recoca1940
    recoca1940 2019/07/02
    リラックスムードのランに徹すればテニスと両立可能ですね。
  • 関東マスターズロード選手権 DNS - goisan's diary

    申し込んだ時はそこそこの気合いもあったのだけど。大会の日が近づいてきてどうしようか迷っていた時に、ブロ友&ラン友のMacさんから多摩湖月例マラソンとその後のアフターのお誘いがあって、ジョッギング程度でもいいから走ろうかという気になった。しかし前日に膝から少しばかり水を抜かれて、無理はできないと断念。同じ大会の10キロに出るブロ友さんの青豆さんの応援に専念することにした。 その彼女がなんと2位入賞。応援した甲斐がありました。その後に立川駅前のお店で、Macさん、バンビさん、よーじさんと合流。よーじさんとは初顔合わせだったけどMacさんや他のランナーさんの記事でもよく見かける名前だったので親近感を覚える。時間はあっという間に過ぎてお開きの時間に。ただただ皆さんのやる気に圧倒されっぱなし。テンションが落ち込んでいた自分ももう少し頑張ってみようかなんていう気持ちに。 6月8日に梅雨入りしてから暑い

    関東マスターズロード選手権 DNS - goisan's diary
    recoca1940
    recoca1940 2019/06/17
    膝は気を付けないと長引きますからくれぐれもお大事に。
  • 名古屋二人旅 - goisan's diary

    ぎふ清流マラソンを走れなくてちょっと落ち込んだ状態で名古屋の宿に戻ってきた。この宿は、ブログ仲間のrecocaさんが予約してくれたものだ。岐阜でマラソンを走るということを話したら、名古屋に良い宿があると言う。彼は名古屋出身なのだ。ついでに名古屋の街を案内してくれると言う。そのために彼はわざわざ東京から一日遅れでやってくるのだった。10歳以上も大先輩の彼がわざわざ東京からやってくる。言葉では上手く表せないけれど、何ともありがたいことだ。 夕方6時ぐらいに彼の部屋から内線があった。去年の暮れのクリスマスパーティ以来、久しぶりの再会。だけどそういう感じは全くしない。彼は、ブログの記事そのままに実直な人だ。彼のような人が戦後の日を立ち直らせてきたのだというのがよく分かる。そして今もまだ彼はいろんなことに挑戦しては進化を続けている。なんとも魅力的な人なのだ。 部屋でひとしきり話した後、夕べに

    名古屋二人旅 - goisan's diary
    recoca1940
    recoca1940 2019/05/03
    岐阜マラソンの時期をゴールンウイークから外してもらえれば、どこでもゆっくり観光できるのにと思ったりしますが、来年はどうでしょうね。
  • 第Q回ぎふ清流ハーフマラソン - goisan's diary

    一昨日に行われたぎふ清流マラソンに行ってきた。でも走れなかった。 前日の夕方6時頃、受付会場の岐阜メモリアルセンターに向かう。さすがにこの時間になると受付に来るランナーも少ない。露店も片づけを終えて帰らんとしている。で愛ドームに案内され、ゼッケンを受け取る。ブロックはA、だいぶプレッシャーを感じる。それでもボランティアの皆さんから頑張ってくださいと声をかけられ、気持ちは前向きに。 名古屋のホテルで、コース図を見ながらレースプランを考える。橋の位置と距離関係を確認しながらだいたいのペースを設定する。今の状態から1時間50分を切れればいいかと妥協点を見つけたところで早々と床に就く。朝は目覚ましの鳴る前に目が覚める。軽く体を動かして朝を取り、6時20分、ホテルを出発。この時はやる気も十分、そしてQちゃんとのハイタッチに期待を膨らませていた。 なのに、走れなかった。駅に行く道を少し間違えて途中か

    第Q回ぎふ清流ハーフマラソン - goisan's diary
    recoca1940
    recoca1940 2019/04/30
    今回は走らずに休養するようにとの天のメッセージですね。それにしてもまだ出てきませんか。日本においては、落し物はすぐ交番に届けられるということになっていると聞いていますが、そうでないとすると残念です。
  • かすみがうらマラソン 2019 - goisan's diary

    この前の日曜日にかすみがうらマラソンを走ってきた。結果は惨敗。2年前に同じこの大会で出したワースト記録を更新する4時間21分18秒でフィニッシュ。天候はそれほど暑くもなくむしろ涼しい風が吹いていたぐらい。それでも2年前のトラウマから脱することはできなかった。もっとも3月3日の三浦マラソン以来、ほとんど走っていないのだから当然と言えば当然の結果だ。 3月は三浦マラソンの後は体を休ませるためにしばらくランオフしようと決めていた。その間にニューヨークに行き4月から練習を再開する予定だったのだが、母が病気をしたこともあってそれを口実に走ることをしなかった。いよいよかすみがうらマラソンが近づいてきて、とても参加できるような状況ではなかったけれど、それだけの理由では棄権するわけにはいかなかった。 そこで調整を兼ねて参加したのがかすみがうらの一週間前に行われた月例湘南マラソン20キロの部だった。これも初

    かすみがうらマラソン 2019 - goisan's diary
    recoca1940
    recoca1940 2019/04/20
    岐阜は大丈夫かな?頑張って!
  • ニューヨーク、再び ⑤ - goisan's diary

    ニューヨーク5日目は、メトロポリタン美術館 (The Metropolitan Museum of Art  通称メット(The Met)) とグッゲンハイム美術館の見学。美術のことは丸っきり分からないごいさんだから、当然ガイドさんに引率してもらうことにした。それでなくてもメトロポリタン美術館は一日では回り切れないという話だしね。 さて今回の記事は写真が主。ごいさんが実際に目にしたのはみな物だったけど、写真に収めた段階でもはや物ではなくなってしまう。それによく知られているものばかりだから皆さんには味気なく思われるだろうけれど、自分の記録としてここに残すことにする。 まずはメトロポリタン美術館の正面入り口。 エジプトから寄贈されたというデンドゥール神殿。 美しいティファニーのステンドグラス。 ドミニク・アングルの『ド・ブロイ公爵夫人』 ルノワール『ピアノに向かう2人の少女』 同じくルノア

    ニューヨーク、再び ⑤ - goisan's diary
    recoca1940
    recoca1940 2019/04/11
    写真で見ても目が肥えますね。次はロンドンの博物館?
  • ニューヨーク、再び ③ - goisan's diary

    ニューヨーク3日目はブルックリンを歩く。ホテルを出て地下鉄1線に乗り72streetで地下鉄2線に乗り換えてフルトン駅まで行き、そこからブルックリンブリッジに向かって歩く。まず目に飛び込んできたのがこのニューヨーク旧市庁舎。シティホールと呼ばれ200年の歴史があるという。 市庁舎を過ぎて少し行くとブルックリンブリッジだ。この日は土曜日ということもあって多くのランナーが走っていた。他の国から来ているという感じの観光ランナーもけっこう多かったような。自分も一度は走ってみたい。 ダンボ地区の絶好の撮影ポイントだそう。向こうに見えるのはマンハッタン橋。そしてその橋の下にエンパイアステートビルが見える。ダンボ地区を歩いてみたがまだ時間が早かったせいか、人も少なくお店もあまり開いていなかった。ちょっとした計算違い、残念。 ダンボ地区にあるエンパイア・フルトン・フェリー州立公園から写したブルックリンブリ

    ニューヨーク、再び ③ - goisan's diary
    recoca1940
    recoca1940 2019/04/04
    27kmのウオーキングとはすごいですね。もっとも41キロ走るのに比べればなんてことないか。
  • ニューヨーク、再び ② - goisan's diary

    ニューヨークの2日目は、ニューヨーク市内半日コースの見学ツアーに参加した。限られた時間をできる限り有効に活用するには、ガイドさんからニューヨークの見どころを直接聞くのがよいと考えた。実際、ガイドブックでおぼろげだった部分が鮮明になり、またガイドブックには書かれていないこともたくさん知ることができた。 参加者は10名ちょっと。大きなバスでまずはあの「自由の女神」を目指す。前回はフェリーから見ただけだったが今回はリバティー島に上陸してそばまで行ってみる。遠くで見る姿も美しいが、近くに寄るとそれに威厳が加わった感じだ。右手でたいまつを掲げ、左手に独立宣言書を持って遠くを見つめる姿は桂浜の龍馬の像と重なる。 次に向かった場所は2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロの標的の一つとなったワールドトレードセンター跡地、いわゆるグラウンド・ゼロだ。もう17年も過ぎるのにあのシーンは未だに鮮明だ

    ニューヨーク、再び ② - goisan's diary
    recoca1940
    recoca1940 2019/03/30
    このペースで一月も居たらニューヨークのプロですね。市立図書館の閲覧場が素晴らしい。本だけ置くのでは物足りない。日本のローカル図書館も参考にすべきだ。
  • ニューヨーク、再び ① - goisan's diary

    3月14日から20日までの5泊7日で、再びニューヨークに行ってきた。前回は2年前の11月、ニューヨークシティマラソンに参加するためのツアー旅行だった。今回は自分で計画を立てる。いろんな意味で不安で一杯。思いついたのは今年の1月中旬だった。単純に、ESTAの有効期限が切れる前にもう一度行っておこうと考えた。それと、前回から1年と半年、どれくらい英語が上達したかの度胸試しもしてみたい。 そんな強い気持ちで決意したのに、出発の日が近づくにつれ、マラソン大会の時と同じように止めておけばよかったという後悔の念がこみ上げてくる。とにかく今回は添乗員さんも仲間もいない。分からなければ自ら尋ねるしかない。背水の陣…なんて、ちょっと大げさかな。まだ上手く話せる自信はないが、やってみなければ分からない、進歩もないだろう。ともあれ、一週間後に無事に戻ってこれたら、一定の成果だと考えることにした。 では、ごいさん

    ニューヨーク、再び ① - goisan's diary
    recoca1940
    recoca1940 2019/03/27
    ワンダフル、ハラショー、素晴らしい!!付き添いなしの公共交通機関(特にバス)しかも危険なニューヨークで。よくぞご無事で戻られました。きっと強力な守護霊に守られているんでしょうね。
  • 熊本城マラソン2019 - goisan's diary

    先月の17日に熊城マラソンを走ってきた。記事にするにはずいぶんと過ぎてしまったが、記録として書き残しておこうと思う。 大会前日、熊空港から会場に向かい受付を済ませて、早速に熊城へと向かう。今回の大きな目的だ。高校2年生の時に修学旅行で訪れて以来ちょうど50年ぶりとなる。大きなクレーンを使って懸命に修復作業が続いているようだが、どれくらいかかるだろう。石垣の崩れたありようは戦国の戦に敗れた後のそんな感じだった。熊城の後はこれまた懐かしい水前寺公園に向かう。当時に撮った写真の通りの変わらない姿だった。 さて大会の方だが、相変わらずの不安だらけの状態だ。それでも前回の勝田でフルを走り切ったという気持ちがあるから多少はゆとりを持てた感じだった。ごいさんはBブロックからのスタート。今はこのゼッケンがどうにもプレッシャーに感じる。ラストのフィニッシュ地点の熊城まで駆け上がることを考えると気が

    熊本城マラソン2019 - goisan's diary
    recoca1940
    recoca1940 2019/03/05
    「参加することに意義あり」これですよ!
  • 母さんの誕生日 - goisan's diary

    昨日は母の89歳の誕生日だった。昼から、ま~るいケーキを買って訪ねて行った。丸いケーキはここのところのお決まりになっている。「なんでこんな高いもん買って来る?」と母は言うけど、にこにこしていて嬉しそうだ。そうだよね、ごいさんが子供の頃は当に貧乏だった。それでもクリスマスの日だけは丸いケーキを買ってくれた。あのバタークリームのケーキの美味しかったことは今でも忘れてないよ。 今こうして自分も妹も幸せに生きていられるのは母さんのおかげだと思っている。こんなケーキなんて何個でも買える、そんな生活ができるなんて小さい頃は夢のまた夢の世界だった。でも今はそれが現実だ。小学生の時に将来に役立つからと家計をやりくりしてそろばん塾に行かせてくれた。おかげで算数が得意になった。勉強が好きだからと高校や大学にも行かせてくれた。 母さんはずいぶんと僕のわがままを聞いてくれた。妹は高校を出てすぐに働き出して家には

    母さんの誕生日 - goisan's diary
    recoca1940
    recoca1940 2019/02/22
    健康長寿、祈念しています。ごいさんも無理されないように。
  • テニスの仲間たち (後) - goisan's diary

    それから半年が過ぎて7月になって、待ちに待った2回目が開かれることになった。この時、ごいさんは釧路に行っていて参加できなかったが、6人ほど集まったと聞いた。続いて8月にも2回集まった。みんな同じような年で同じくらいのレベル。勝ったり負けたりが楽しい。こうしてこの集まりも格的になっていく。それからは月に1回か2回のペースでこの集まりを楽しんできた。そうして常時6人の仲間が集まるようになった。 まずは最長老(多分)のK内さん。何事にも積極的で行動力がある。なかなかのお茶目ぶりを発揮しては周りの笑いを誘っている。もちろんこの集まりの中心人物。 次にY中さん。一言で言えばジェントルマンかな。言葉遣いも丁寧だし全体から醸し出される感じがね。 そしてK村さん。ごいさんと同い年だということが分かったけど、自分より若さを感じる。テニスバッグを背負って高校生のようなそんな軽い足取りでいつもやってくる。 そ

    テニスの仲間たち (後) - goisan's diary
    recoca1940
    recoca1940 2019/02/16
    いいですね、そしてうらやまし。新しい友達の輪が広がる。内輪のサークルであるほど親密度は増すでしょう。颯爽とテニスコートに春近し。
  • テニスの仲間たち (前) - goisan's diary

    2年前の4月に三ツ沢公園で開かれているテニス教室に通い始めた。もうすぐ2年になる。始めた理由は、もちろん上手くなりたいから。以前にブログの記事にも書いたが、時々集まってはダブルスの試合を中心に仲間とテニスを楽しんでいるのだが、彼らのほとんどは現役の時にテニス部の顧問をしていたりしてかなりの技術を持っている。だからごいさんはいつも彼らの足を引っ張っている。ペアを組んで試合となるとほとんど勝てない。みんなもその実力の無いのは認めてくれているから決して文句は言わない。いや逆にいいプレーをした時は大いに褒めてくれる。それでも負けてばかりいるのはやはりつまらない。 一昨年3月に完全リタイアしたのを機に、テニスについても少しばかり気になってみようと思ったのだ。この歳で今さら急激な上達なんて望まない。でも少しでも彼らに近づきたい。それで見つけたのがこのテニス教室だった。朝の9時半からの90分間。参加者

    テニスの仲間たち (前) - goisan's diary
    recoca1940
    recoca1940 2019/02/11
    テニスはいいですね~。何歳になってもできます。