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ブックマーク / www.h-yamaguchi.net (14)

  • 「戦争待望論」について - H-Yamaguchi.net

    この論文におけるこの方の主張については元の文章を参照(あと、この記事の末尾に挙げたこの方の著書も)。著名な論客を含め多くの反響があったことは記憶に新しい。中でも「戦争」をもちだしたことはある種の方々に相当の衝撃をもって受け取られたようだが、そのあたりに対する反論やらが多くみられるのは、書かれたご人にはさぞかし不意だろう。再反論ともいうべき文章にもそれは色濃くあらわれている。 東京新聞が憲法記念日に上記の記事を載せたのは、当然ながらこれらの問題が憲法と関係が深いという考えからなんだろうが、一応両方挙げてはいるものの、どちらかというと25条より9条への関心のほうが高そうに見えるのは色眼鏡だろうか。 この「戦争待望論」(というか、その裏にある格差論)に対する私の考えは、ちゃんと書こうとすると長くなるので、ここでは不意ながら捨象(前に書いたものとしては、こういうのとかこういうのとかが近いテー

    「戦争待望論」について - H-Yamaguchi.net
  • 今の給与水準はサービス残業を前提として設定されているのではないか - H-Yamaguchi.net

    どこぞでサービス残業が話題になっているらしいと聞いた。残業料をもらう立場でも払う立場でもなく、というかそもそも残業料がつかない職に就いた私はそれなりに中立的な立場にいるのではないかと思うので、けっこうタッチーなテーマだと思うが書いてみる。最初にことわっておくが、実態を詳しく知っているわけではない。こういうことなんじゃないのと思うけどどうなの?というネタ振り的スタンス。できれば、事情をご存知の方々に議論を引き継いでいただきたけるといいな、と思う。 あと当然だが、個別の職種とか業界とか、そういう話ではなくて、あくまで全体的な、おおざっぱな話なので、そこんとこもよろしく。 ネタというのは記事タイトルの通り。一般論として、今の日の企業やら役所やらの給与水準はサービス残業が行われることを前提として設定されているのではないか、という考えだ。こう考える人は他にも多いだろうし、書いている人もいるのではな

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  • ひろゆきは「海外脱出」するらしい - H-Yamaguchi.net

    小ネタ。申し訳ないがタイトルは半分釣り。理由は後記(「メソッド」に従ってみた、と書いておこう)。OGC2008関連の記事があちこちに上がってるようだが、今回の目玉はやはりニコニコ動画。セッション自体としては、基調講演と同じくらい注目を集めたのが最後のセッション。「生ひろゆき」を一目見ようという人たちであふれかえった。 この人について、私は実のところほとんど知らない。基的にはマスメディアのニュース等からの情報。いくつも裁判を起こされて、でも判決なんか無視しちゃってて、ネットの中の人たちに幅広い人気、というピカレスク・ヒーローっぽい印象。「生」では、何年か前にGLOCOMのイベントに出ていたのを見たことがあるが、頭がよくて人を煙に巻くタイプの人、という印象。いずれにせよ、私の手にはとても負えない、申し訳ないがあまり近づきたくないというのが正直なところだった。 で、今回再び「実物」を見たわけだ

    ひろゆきは「海外脱出」するらしい - H-Yamaguchi.net
  • いつのまにか「ソフトバンク」っていうと携帯電話のことになってる件 - H-Yamaguchi.net

    今やお役所の方々は閲覧すらできないらしいWikipediaでみると、ソフトバンクの設立は1980年とある。コンピュータソフトの卸売業、ソフトをたくさん集めているところ、で「ソフトバンク」という名前になったのかな、と想像する。出版なんかもやってたから、要するに、パソコン関連の会社だったわけだ。 その後90年代になると、ソフトバンクはインターネット関連の投資会社、といったイメージになる。もちろんヤフーみたいに成功した例もたくさんあったわけだが、あちこち買収してはいろいろとごたごたになって、という話が相次いで出てきていたから、どちらかというと色眼鏡というか、「どこへ行っても金の話がついて回る」とか、そういう目で見られがちだったように思う。 2000年代に入っても、しばらくはそのイメージは続いていた。「時価総額経営」もいろいろといわれていたような気がするし。変わってきたのは、2004年ごろからだろ

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  • 東京家賃予測コンテスト - H-Yamaguchi.net

    This is Hiroshi Yamaguchi's personal weblog. It aims to be an incubator as well as an archive of my ideas and thoughts. Possible topics include: finance, business administration, economics, prediction markets, virtual worlds, and other issues.

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  • 中国版セカンドライフ「HiPiHi」はmixiと連携するかもしれない - H-Yamaguchi.net

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  • 社会科学系の「擬似科学」対策 - H-Yamaguchi.net

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  • 新「六次の隔たり」仮説を発見したかも、という話 - H-Yamaguchi.net

    あくまでネタ。いわゆる「六次の隔たり」というのは、一時はやった、6人を介すると世界中とつながるというアレである(参考)。この話を「仮説」というか「神話」というか別として、実際には世界はそこまで狭くはないよというあたりも含めて、知ってる人はみんな知ってる状態になるまで広まったわけだが、もう1つ、「六次の隔たり」仮説と呼べるものがあるのではないか、ということに気づいた。なにをいまさら、なのかもしれないけど。 気づいたのは、昨夜というか今朝というか、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」を聞いていたときだ(ラジオで音声だけ聞いていたので「見た」のではない)。今回のテーマは「激論!“いじめ”“自殺”と日教育」。出演者はこんな感じ。 司会: 田原 総一朗 進行: 長野智子 渡辺宜嗣 パネリスト: 葉梨康弘(自民党・衆議院議員) 蓮舫(民主党・参議院議員) 福島みずほ(社民党党首、参議院議員) 伊藤玲子(

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  • いじめもゲームのせいになる、という話 - H-Yamaguchi.net

    このウェブサイトは山口 浩の個人的な考えを掲載したものであり、山口が所属ないし関係する機関、組織、グループ等の意見を反映したものではない。サイトは投資の勧誘ないし銘柄の推奨を目的とするものではなく、サイトに掲載された情報(リンク先ないしトラックバック先の情報を含む)をもとにして投資その他の活動を行い、その結果損失をこうむったとしても、山口は責任を負わない。サイトの記載内容は、予告なく追記、変更ないし削除することがある。サイトに寄せられたコメントおよびトラックバックは、いったん保留した上で公開の可否を判断する。判断の基準は公開しない。いったん公開した後でも、一存によりなんらの説明なく削除し、当該IPを投稿禁止に指定することがある。 このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています(帰属 - 非営利 - 派生禁止 2.1 日)。 まずは記事から。最初の

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  • 最悪の教育 - H-Yamaguchi.net

    これまでもそうだったと思うが、教育関係者に対する風当たりは最近特に強い。トンデモ事例に事欠かない、という批判は正直かなりのところあたっていると思う。ただ、それはやはり全体からみれば一部のことだろう。私は教員としては新米なので、部外者からの視点にかなり近いとは思うが、それでも、大半の教員の方は懸命に仕事に取り組まれているものと思う。 この問題については、いろいろな背景が語られている。大学の入学試験のやり方、高校間の競争、少子化、そもそも必修科目は何であるべきか、その他もろもろいろいろな条件が重なっている。もちろん、だからといって歴史やら何やらを教えなくていいということにはならないわけだ。学校の教育方針を決めた方々は、当然承知のうえでやったはず。真剣に悩んだ結果ではあったのだと思うが、まちがっていたといわれればそれまで。 この問題について、誰がどのような責任をとるべきかについても、寛大なものか

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  • 私は石を投げるべき人なんだろうか? - H-Yamaguchi.net

    「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」 ―ヨハネによる福音書 / 8章 7節(新共同訳) 私はキリスト教信者ではないし、このことばにこめられた宗教的な意味合いとかもよくはわかっていない。ただ、このエピソードとこのことばを字面だけ読んで、一般の日語として解釈しているだけだ。それでも、このことばには、考えさせられるものがある。自分の内面に向かわせる力がある。 私を知っている人は知っていると思うが、私はけっこう怒りっぽい。誰かが悪いことをしたという話を聞いたとき、「こいつら許せない」と思うことがよくある。「人でなしめ」「このまま野放しなんて許せない」「クビにしろ」なんて思うこともざらだ。自分で書いたりすることはないと思うが、ネットでそんな書き込みを見かけると、「そうだそうだ」なんて思ったりもする。 それでも収まらないときもあって、そういうときは自分の内側で

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  • 教育が就業機会を奪うことがある、という話 - H-Yamaguchi.net

    人がよりよい教育を求める、あるいは子供によりよい教育を与えたいと考える理由の1つに、教育によってよりよい職を得たい、与えたいというものがある。教育によって能力を高めることで、より収入が高く、より楽で、より社会的地位の高い職業を得ることを期待するわけだ。 ところが、現実にはそううまくいかないケースがけっこうよくあるように思う。 身近でよく聞くのは、いわゆるポスドク、つまり博士号を取得した後、専任の職に就くまでの間、大学などに籍を置いて研究を続ける研究者の話だ。去年だったか、2004年度時点でポスドクが12,500人に達した、という文部科学省の調査結果が報道されていた。2003年度は約10,200人で、1年間で約2,300人増と。しかも、うち約8%が40歳以上。私自身はこの立場になったことはないが、たいへんだという話はよく耳にする。声高に主張されないことこそが深刻さの証明であるとも。 大学院進

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  • ほめる技術 - H-Yamaguchi.net

    ブログをやっているなどというと、「これから始める人に何かアドバイスを」などといわれることがある。もちろん、たいていは社交辞令だ。それでも、聞かれた側はそれなりに一生懸命考えて答えたりしなければならない。そんないい知恵があるなら自分だって教えてもらいたいね、とか思いながら。 そんなときのために、ひとことですむ簡単な模範回答みたいなものがないだろうか、と考えたことがある。 もとより個人ブログに「こうすべき」みたいなルールなどない。個人の表現行為だ。犯罪になるのはまずいが、基的には「好きなようにやればいい」のだ。ということを前提として。 Bartle (2004)によるオンラインゲームプレーヤーの4分類というのがあるが、それを流用すれば、やはりブロガーにも4つの類型があるのだろう。 (1)Achievers(自分の目標の達成のために活動) (2)Socializers(他人と交流するために活動

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  • H-Yamaguchi.net: メールの流儀に関するささやかな「発見」をした話

    私は携帯電話のメール機能をほとんど使わない。PCメールを携帯電話からやりとりする(リモートメール、とかいうのだろうか)ことはあるのだが、それすらも自分から送るのは最小限にしている。理由は簡単で、打ちにくいからだ。あんな小さいキーボードで打てるわけないじゃん、と書いたあたりでもういまどきの人には「なんだこいつ」と思われているにちがいない。慣れた人が高橋名人ばりの速さで携帯メールを打つさまには、正直驚愕する。要するについていっていないのだ。 以上を前提として。 今回「発見」したのは、PCの電子メールを書くときの流儀が、私たちの世代と今の若い世代とではちがっている、という話だ。何いってるのあたりまえじゃん、となるのだろうが、とりあえず補足する。 私の世代だと、電子メールといえばPCで送受するものとして覚えた。メールを書くときに手としたのは紙で書く手紙だ。電子メールができる前は、PC(とかワープ

    H-Yamaguchi.net: メールの流儀に関するささやかな「発見」をした話
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