2022年8月 新潟県向けにラジオ第1で放送したラジオ特番「DJ松永のそれでいいじゃん」。長岡市出身で ヒップホップユニットCreepy NutsのDJ松永さんが、母校の中学校で後輩たちの等身大の悩みに向き合いました。放送に盛り込んだ深くうなずけることばの数々。放送だけで終わらせるのはもったいない!と この記事では中学生の質問に真摯に向き合ったDJ松永さんのことばを放送さながらにお伝えします。 母校のジャージを着て登場 質問にこたえるDJ松永さん リーダーならではの悩み 最初の質問は、3年生の女子生徒。体育祭でリーダーを務めることになり、大勢の前に立つリーダーならではの悩みを打ち明けました。 生徒:自分は大勢の前に出るとかなり緊張しちゃうタイプです。松永先生は大勢の人の前でライブとかをすると思うんですけど、どうやったら緊張しないですか? DJ松永
プロレスリング「藤原組」の藤原喜明組長(73)が22日、福岡市内でスポーツ報知の取材に応じ、今月1日に心不全のため79歳で亡くなった師匠のアントニオ猪木さんへの思いを告白した。 藤原はこの日、藤波辰爾(68)が主宰する「ドラディション」のアクロス福岡大会に参戦。メインイベントで高岩竜一、吉江豊と組んで藤波、AKIRA、金本浩二と対戦する試合前に取材に答えた。猪木さんの「愛弟子」である藤原が師匠の死後、新聞、雑誌などの活字媒体に猪木さんについて語るのは初。師匠の人生を「カッコ良かった」と万感を込めてたたえ、その出会いに感謝した。 藤原は、23歳だった1972年11月に猪木さんが創設した「新日本プロレス」へ入門した。今年11月でデビュー50周年を迎えるが「今日、辞めよう。明日、辞めようとずっと思ってハッと気がついたら、ここまで来た。アッという間でした」と振り返った。 50年間で一番の思い出を聞
電ファミニコゲーマーではこれまで、『週刊少年ジャンプ』の編集者として『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』などを担当し、現在は白泉社取締役相談役を務める鳥嶋和彦氏をお迎えして、漫画について、そして編集者の役割について考える記事をお届けしてきた。今回の対談もまた、そうした試みのひとつである。 今回、鳥嶋氏とともにお話を伺うのは、株式会社ヒーローズ代表取締役社長で、小学館最高顧問(※取材時。現在は退任)の白井勝也氏だ。 白井氏は『週刊少年サンデー』『ビッグコミック』で編集者として活躍した後、『ビッグコミックスピリッツ』の創刊編集長に就任。『めぞん一刻』『美味しんぼ』『YAWARA!』など、数々の人気作を送り出して、同誌を今も続く人気青年コミック誌へと押し上げた人物だ。 『めぞん一刻』(画像はめぞん一刻〔新装版〕 (1) (ビッグコミックス) | 高橋 留美子 |本 | 通販 | Amazonより
4月、世界最大級の音楽フェス「コーチェラ・フェスティバル」に宇多田ヒカルが現れた。アジアのカルチャーシーンを世界に発信するメディアプラットフォーム「88rising」が主催するステージへの参加アーティストとして。その数日後、宇多田自らが対談相手に指名したジェーン・スーとのロングインタビューが行われた。 プルオーバー ¥49,500/SACAI(サカイ) 「TRINITY FORCHITOSE ABE of sacai」限定コレクション シングルイヤリング ¥594,000 ネックレス ¥2,217,600(ともに予定価格・限定店舗にて展開・6月中旬発売予定)/ともにCARTIER(カルティエ カスタマー サービスセンター) 宇多田ヒカル(以下・宇多田) タイミングと、「コーチェラだから」の二つですね。キャラ的にも歌唱法にしても、私はあまりフェスに向いているタイプではないし、きっかけもなかっ
イノベーションには、“手法”がある。 「技術力は今でも世界一です。ただ…」USBメモリーの生みの親・濱口秀司に聞く、日本が“世界”で勝つには 濱口秀司さん。「USBメモリー」や「マイナスイオンドライヤー」、「世界最大手の物流サービス企業FedEx(フェデックス)の顧客体験設計」など、世の中に新しい常識を生み出すプロダクトを多数企画・開発してきたビジネスデザイナーです。 現在は、某世界的リーディング・カンパニーをはじめ、世界中の企業の事業戦略から商品企画、技術開発、マーケティング、投資分析、商品ローンチまでありとあらゆるコンサルをしており、軍事関係などの仕事も含め、最近は機密性が高い仕事がほとんどなのだそう。(“株価に影響が出る”仕事らしいです…)
長いこと映画業界を牽引するスターの座についているのに決して「消費」されず、人助けをしているところが目撃されたり、さらには哀愁を帯びた“ぼっちキアヌ”がSNSで拡散される稀有な存在のキアヌ・リーブス。ハリウッドで最も働き者で、好感度の高い俳優の一人だ。彼のキャリアのマイルストーンの一つである『マトリックス』シリーズの最新作『マトリックス レザレクションズ』の公開を機に、英紙「ガーディアン」が思慮深いことで知られるスターに接近した。 『マトリックス』は配信で観るな キアヌ・リーブスは両手で顔を覆っている。抱えた頭を揺らすと、長い漆黒の髪が左右に揺れる。57歳になるリーブスは、新作映画『マトリックス レザレクションズ』(2021)の公開を控えている。今世紀初頭にブロックバスター映画の根幹を揺るがした映像派三部作『マトリックス』(1999)、『マトリックス リローデッド』(2003)、『マトリック
「アイーン」の後に百分の一照れる魅力 いかりや長介の懐の深さ けんちゃんには、哀愁が漂っていた 志村けんさんが亡くなって約4カ月。伊東四朗さん(83)は、志村さんと同じように「喜劇人」であることに誇りを持ち、芸能界で半世紀以上にわたって活躍してきた。『ドリフ大爆笑』での共演などで感じた「音の中で生きてきた」という志村さんの才能。そして、ギャグの後に見せる「百分の一」の照れ。「最後の喜劇役者」伊東さんが見た、志村さんについて聞いた。(ライター・鈴木旭) 伊東四朗(いとう・しろう) 1937年06月15日生まれ。東京都出身。1958年、軽演劇の石井均率いる劇団「笑う仲間」に参加。1962年に三波伸介、戸塚睦夫とともに「てんぷくトリオ」を結成。『笑って!笑って!!60分』などのバラエティー番組で活躍し、『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』のワンコーナーでベンジャミン伊東として歌い踊った「電線音頭」が
イーロン・マスクが YouTube チャネルでスペース X のテキサス工場スターベースの中を歩き回りながらロケット製造や電気自動車について説明しているのを観た。ツイートしたこの件。 これがめちゃくちゃに示唆に富んでいて面白かった。この日のイーロン・マスクは饒舌で楽しそうなので、かなり魅入ってしまった。きっと彼はカンファレンスや会議室の中でインタビューを受けるよりも、工場でみんながロケット作ったり作業している場で語った方が情熱を込めていろいろ説明してくれるんだと思う。 この中で製造工程の話があって、これはロケット製造などの特定分野だけでなく、IT やその他の分野にでも当てはまる普遍的な知見だと思ったので意訳してみた。ざっとビデオを観て印象に残った部分だけを意訳した。あくまで大枠で言ってることをまとめただけなので、もし詳細に興味があればぜひビデオを観てイーロン・マスクの話を直接聞いて確認してく
多くの芸能人に慕われていた志村さん。写真は06年2月の誕生会の様子。明け方6時に志村さんが帰宅しようとするとタレントたちが深々と頭を下げた 薄いサングラスをかけた無表情の男性が入室すると、部屋に緊張が走る。TBS別館のリハーサルルーム。入ってきたのは、コメディアンの志村けんさんだ。毎週木曜日に行われていた、バラエティ番組『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(以下『加トケン』。86年~92年放送)の緊迫の台本会議(通称「木曜会議」)が始まろうとしていたーー。 【画像】追悼・志村けんさん「酒と美女と麻布十番の夜」写真 新型コロナウイルスによる肺炎で志村さんが他界し、3月29日で1年になる。世界的にも有名なコメディアンの死は、日本中に衝撃を与えた。なぜ志村さんのギャグは、今も多くの人の心に響くのだろう。あらためて振り返りたい。 冒頭で紹介した「木曜会議」で、放送作家だった西条昇氏(56、現・江
1980年代後半、任天堂はアメリカ家庭用ゲーム機市場の95%を有する、圧倒的な存在だった。強固な小売ネットワークを築き、ソフトメーカーはファミコンでゲームを制作するために不利な条件であっても契約を結んだ。 「ゲーム業界の巨人、任天堂」。 誰もがそう思っていた時代、その巨人に立ち向かったゲームメーカーがある。それがセガだ。アメリカにおける当時のセガはアーケードゲーム専門の中小メーカーに過ぎなかったが、大きな野心を抱いていた。 世界最大規模の玩具メーカー マテル社にてバービー人形を世界的なヒット商品に育て上げ、スーパーヒーロー“ヒーマン”を生み出したトム・カリンスキーがセガ・オブ・アメリカのCEOに就任すると、ジェネシス(日本名:メガドライブ)の発売とともに攻勢に出るのであった──。 日本では1988年に発売されたメガドライブ。日本国内での累計販売台数を見ると、ファミリーコンピュータが1935
2020年12月19日、任天堂はユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)にオープンする新エリア「スーパー・ニンテンドー・ワールド」の一部詳細を明らかにしました。2021年2月についにオープンするスーパー・ニンテンドー・ワールドは、任天堂のゲームやキャラクターを現実世界に再現したテーマパークであり、任天堂のこれまでの集大成とも言えるものです。そのスーパー・ニンテンドー・ワールドのデザインや設計を監修する宮本茂さんに、ニュースメディアのThe New Yorkerがインタビューしています。 Shigeru Miyamoto Wants to Create a Kinder World | The New Yorker https://www.newyorker.com/culture/the-new-yorker-interview/shigeru-miyamoto-wants-to-cre
ジミー・ペイジ。1973年、英イースト・サセックスにあるホームスタジオにて撮影。(© Jimmy Page Archive 2019) ジミー・ペイジが新刊『アンソロジー』の出版を前に、レッド・ツェッペリンの数々の名作やジョン・ボーナムの素晴らしさ、ヒップホップに魅了された理由などを語った。 【写真ギャラリー】レッド・ツェッペリン、ロックの歴史を変えた4人の素顔 ジミー・ペイジはインタビューを受ける前に、「君はギターを弾くかい?」と質問してきた。筆者はペイジの期待通り「イエス」と答える。「それなら話は早い」と彼は言った。 ペイジがロンドン郊外の自宅から電話をくれたのは、2020年10月初めのことだった。彼はガールフレンドと3月から隔離生活に入っている。「庭園が付いているから、自宅に軟禁されているような感じはしない」とペイジは言う。「ただし二人とも、直接会う人間には十分過ぎるほど気を付けてい
1997年、日本サッカー界は大きな転換期を迎えようとしていた。1998年フランスワールドカップ出場をかけたアジア予選が集中的に開催されたのだ。1993年の「ドーハの悲劇」もあってワールドカップ出場はそれまで以上の「悲願」とされた。また2002年日韓ワールドカップが決まり、それまで本大会に出場した経験のない開催国はなかったということで、このフランスワールドカップ出場は「義務」という雰囲気にもなった。 日本は何度か本大会出場の夢を打ち砕かされそうになりながら、何とか最後は出場権をもぎ取った。その厳しい戦いをキャプテンとして戦い抜いたのは井原正巳。引き分けた試合後、椅子が選手バスに投げられるなどの中で、期待を感じ、責任を受け止め、仲間をまとめながら戦い抜いたあのときの話を聞いた。 (オンラインでお話をうかがいました) 井原正巳の苦しかった時期 僕の現役時代で一番苦しかったのは、やっぱり1998年
舞台・映画・ドラマ、クイズ番組や歌番組の司会、ラジオパーソナリティーなど多方面で活躍している伊東四朗さん=スギゾー撮影 志村けんさんが亡くなって約4カ月。伊東四朗さん(83)は、志村さんと同じように「喜劇人」であることに誇りを持ち、芸能界で半世紀以上にわたって活躍してきた。『ドリフ大爆笑』での共演などで感じた「音の中で生きてきた」という志村さんの才能。そして、ギャグの後に見せる「百分の一」の照れ。「最後の喜劇役者」伊東さんが見た、志村さんについて聞いた。(ライター・鈴木旭) 【画像】志村けんさん、愛車のベンツでの出勤姿 楽屋での真剣な表情、30年前の密着取材で見せた素顔 初共演は『ドリフ大爆笑』――志村さんと最初に出会ったのはいつ頃か覚えていらっしゃいますか? ドリフターズのボーヤ(付き人)時代に会ってるのかもしれないけど、まったく覚えてないんですよね。一番最初にドリフターズと会ったのは、
小説家・編集者。1958年、東京生まれ。 編集者を経て、2012年、 長篇小説『火山のふもとで』を発表(読売文学賞受賞)。 『沈むフランシス』(2013年)、 『優雅なのかどうか、わからない』(2014年)、 『光の犬』(2017年、芸術選奨文部科学大臣賞、 河合隼雄物語賞受賞)のほか、 編著・共著に『新しい須賀敦子』『須賀敦子の手紙』 『ぼくの伯父さん』『伊丹十三選集』(全三巻)、 新潮クレスト・ブックス・アンソロジー 『美しい子ども』などがある。 ── 雑誌に掲載されたインタビューとしては、 非常識なほどロングです。 だって、100ページくらいあります。 松家 録音テープ、当時はMDの時代でしたが、 合計すると、 録音時間は十数時間ありました。 箱根の富士屋ホテルに、2泊3日。 まるで合宿のようでしたけど、 泊まった部屋は、別々です(笑)。 ── 村上春樹さんの個々の作品論や物語論、
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