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ブックマーク / artscape.jp (2)

  • 塚田優|ジョナサン・クレーリー『知覚の宙吊り──注意、スペクタクル、近代文化』(前編) – artscape

    監訳:岡田温司 翻訳:石谷治寛、大木美智子、橋梓 発行所:平凡社 発行日:2025/04/04 公式サイト:https://www.heibonsha.co.jp/book/b659318.html 「近代」という時代区分は、もはや過ぎ去ってしまった歴史なのだろうか。たしかにモダニティをめぐって、私たちはそこで起こっている諸感覚や社会の変容について繰り返し言及してきた。しかしそうした人文科学的な知性は、ビッグデータを学習したAIが生成する、お手軽な「正解」にその立場を脅かされてもいる。これが、知の今日的な状況であることは否めない。 しかし、ジョナサン・クレーリーはこのような現状にあっても、近代という問題設定を捨てることはないだろう。インターネットにアップロードされる情報の爆発的な増加は今この瞬間も継続中であり、24時間絶え間なく情報が更新され、市場への誘惑を振りまいている。彼は『24/7

    repunit
    repunit 2025/05/07
  • 彫刻を見よ──公共空間の女性裸体像をめぐって:フォーカス|美術館・アート情報 artscape

    で育った大多数の人々にとって、「美術」「彫刻」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、古風な衣服をまとった西洋人の石膏像と並び、駅前や公園など、屋外の公共空間にある記念碑的な人物銅像(その多くが裸体を晒している)ではないだろうか。しかし(「美術」「彫刻」という言葉と同じく)国内でそうしたイメージが定着したのはそれほど古いことではない。その過程に何があったのだろうか? 最近のartscapeでも、 3月1日号村田真レビューでは「小沢剛 不完全─パラレルな美術史」展、また同じく4月1日号の星野太レビューで荒木慎也『石膏デッサンの100年──石膏像から学ぶ美術教育史』がピックアップされている。今号では、彫刻家で彫刻・銅像・記念碑研究者の小田原のどかが、公共空間での「女性」裸体像の起源に迫る。なお稿に関連し、昨年4月15日号高嶋慈レビューによる小田原の個展「STATUMANIA 彫像建立癖」評も参照

    彫刻を見よ──公共空間の女性裸体像をめぐって:フォーカス|美術館・アート情報 artscape
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