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コミュニケーションと精神分析に関するretletのブックマーク (1)

  • 精神病的ミクロ認識と神経症的マクロ認識 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    人はなぜ宝くじを買うのか たとえば、雲行きから天気を予測する場合、いままでの経験に照らし合わせて、「この雲行きだと、雨が降りそうだな。」と予測します。これは、ある意味、「統計的な認識」です。一日を単位として、それが反復されている。その毎日毎日の経験値(母集団)に照らし合わせて、天気を予測する。このようなある単位=「ミクロ」が反復しているという想定で、予測が行われますことを「ミクロ認識」と呼びたいと思います。 それに対して、経験値とは別に、「今日はなにか良いことがありそうな気がする。だから今日は晴れだ。」と予測する場合もあります。これは、反復のない今回1回限り=「マクロ」の認識であり、「マクロ認識」と呼びたいと思います。 人間は世界を、「ミクロ認識」と「マクロ認識」の相補的な関係で認識していると、考えられます。たとえば、宝くじを買うことを考えます。宝くじを確率的に考えると、「購入者」は必ず損

    精神病的ミクロ認識と神経症的マクロ認識 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
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