映画評論家。神戸出身。ハイカラな港街で芸者小屋を営む両親に連れられ、4歳の頃から映画を見まくった。子どもの頃から良い作品は他人に紹介せずにいられなかった性分らしく、一人で面白い映画に出くわすと、劇場の電話を借りて家に連絡し、親類の席を約10人分予約して、改めてもう一度観たという。 中学時代、「映画ばかり見ずに数学の勉強をしろ」と説教した先生に、「公開中の『ステラ・ダラス』を観てからそれを言って下さい」と抗議し、先生が数人で劇場に足を運んだところ、感動的な自己犠牲のラブ・ストーリーに一同はむせび泣き、以降は学校行事として映画を見に行くようになった。作品の選定は淀川に一任され、自分が薦めた映画で級友たちが、笑い、泣き、楽しむ様子を見て、「もっと多くの人に映画の素晴らしさを伝えたい!」と思うようになった。 1927年(18歳)、上京して雑誌「映画世界」編集部でアルバイト。1932年(23歳)には