日々色々考えることがあったのでちょっとまとめることにしました. この記事に対する返事はこちらにあります。合わせてご覧いただければ幸いです。 はじめに ここで言う「理系の女の子」は理系を専攻している高校生・大学生をさします。特に国立大学の理系に通う女子大生を指します。 「普通の女の子」は短大および四年制大学の文系の女の子を指します。髪をくるくる巻いて、化粧もばっちり☆ディズニーランド大好きな一般的な女の子を指します。女性誌でいうなればJJ・CanCamおよびWith・Moreと言ったところでしょうか。世間一般にもてはやされる女の子のタイプです。 以下のことについてはすべての人に当てはまるものではないし、正しいとは思いません。 私は議論が大好きなので、大いに叩いてください。全然しらないひとだからといって臆する必要はないです。 現在理系の女の子・理系の女の子だったはもちろん、男の子視点からの意見
さて、昨日書いた「人に心を向けてはいけない」とは、全く正反対のことを書きますよ。ただし、正反対ではあれど、このケースは、基本的には人に心を向けないとしつつ、その上で人に介入しようと思ったときには、人に心を向けることもあるという、言ってみれば部分集合のような関係なので、正反対ではあるけど矛盾はしていない、と思う。 前置きが長くなってしまったが。 人に介入していこうとするとき、完全に心を向けないでは、よい介入のしかたはできない。その時だけ限定的に、自分の心のほんの数%だけを、相手に向け、相手の心に沿わせ、相手を感じる努力を行う。 相手に心を向けることで、私は、相手が何を思い、何を感じているのかを、自分のこととして知ることが出来る。これは、相手を見るだけでは得られないことであるし、貴重な情報でもある。 相手を見る、つまりよくよく観察することで、私は、相手の問題が何であるのか、客観的な観点から考察
自らが繊細で傷つきやすいという自覚のある人間は、人と接するときに、目の前の人に心を向けてはいけない。心を向けるかわりに、目だけを向け、目の前の人を見るべきである。決して目の前の人を感じてはいけないのだ。 特に目の前の人が、強い感情や強い想念を持っているとき、それらを感じてしまうことは危険である。冗談かと思われるかもしれないが、強い感情や強い想念は伝染する。 だから目の前の人が怒っていても、一緒になって怒ってはいけない。ただそれを見ているのがよい。 目の前の人の感情や想念を心で感じ、トレースしてしまった時点で、私は我と彼の区別をつけることに失敗している。いつの間にか、その感情や想念が、自分のものとしてしか感じられなくなっているのだ。それらは私の中で、新たな強い感情や、未解決の問題を掘り起こし、混乱を引き起こすだろう。強い感情はエネルギーを消費させ、混乱は、不安や怒りを引き起こす。これは、自分
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