引用したのは、1942年に出版されたカミュの『シーシュポスの神話』の一文だ。「不条理(absurde)」は、この本のキーワードである。 辞書を引けば、「absurde」の項には「不条理」「馬鹿げた」といった訳語が並ぶ。「場ちがい」などという訳例はない。しかし、この本を読んでいて「不条理」という語にぶつかると、そのたびにぼくは頭の中で「場ちがい」と読み替えている。上の引用文もそうだが、カミュの使い方、文脈上の意味は、「場ちがい」に近いと思うからだ。 ムルソーは「場ちがいな人」 『シーシュポスの神話』と同じ年に出版された小説が『異邦人』である。 母親の葬儀や服喪中に、ふさわしくない振る舞いをしたムルソー。彼は、友人のケンカ相手を射殺して裁判にかけられるが、取り調べでも法廷でも「場ちがい」な発言に終始して、ついに死刑判決を受ける……これが『異邦人』のあらすじだ。 主人公ムルソーは、母親の死、他人
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