「近視眼的な批判の盲点を突く俺」をやりたい人には見えていないことがある。男性中心社会では女性の声は常にミュートされてる。 これまでにも何度も繰り返されてきた気がするが、リベラル左翼界隈である出来事や言動への批判が高まっているときに、一歩引いたところから「でも、それを批判することは○○である」と批判への批判をするリベラル左翼が現れる。もちろん、それ自体は悪いことではない。様々な意見が出てくること、批判者が見落としている視点を提供することは、問題を正しく把握したり議論を深めたりするために有効なことも多いからだ。一般的に、個々人は「森羅万象を担当」できるほどの時間も能力もないので、ありとあらゆることに詳しい人間などほぼいないし、少ない情報から判断を誤ることもある。専門的な知識のある人のコメントや有益な追加情報が提供されることは重要でさえある。 ただ、その「一歩下ったところから」発せられる苦言が誰
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