タグ

哲学と東浩紀に関するrodoriのブックマーク (25)

  • 波状言論>情報自由論

    text 情報自由論 html version index 情報自由論ってなに? 「情報自由論 データの権力、暗号の倫理」(以下「情報自由論」)は、批評家・哲学者の東浩紀(僕)が、情報社会と自由の関係を主題として書き記し、『中央公論』2002年7月号から2003年10月号にかけて、14回にわけて発表した論考です。このサイトでは、そのすべての原稿が公開されています。 「情報自由論」の構想は、遠く、1990年代後半に『InterCommunication』で連載されていた論考、「サイバースペースは何故そう呼ばれるか」(未刊)に遡ります。2000年代はじめの僕は、第1章でポストモダンの理論的な問題を扱い、第2章でその情報社会における展開を扱い、第3章でそのサブカルチャーにおける展開を扱う大部の著作を夢見ていたことがありました。『動物化するポストモダン』はその第3章が、「情報自由論」は第2章が変形

  • 東浩紀「TwitterやYouTubeで『知の観客』をつくることはできない」 いまのネットにある「違和感」の正体

    「これでいいんですか?」って何回も何回も何回も何回も言った 【東】吉田さんの取材は緊張しますね。 ——雑談するだけなので大丈夫ですよ! とりあえず今回のは、ライバルが『鬼滅の刃』ってぐらいに売れてるらしいじゃないですか。 【東】初速は。でも、どれくらい広がってるのかわからないですよ。そもそもゲンロンってなんだってことですからね。『ゲンロン戦記』ってタイトル自体、「これでいいんですか?」って何回も何回も何回も何回も言ったんだけど、「いや、これがいいんだ」ということで。 ——東さんがゲンロンという会社を作って大変なことになった話だから正解ではあるんですよね。なんでこれを出そうと思ったんですか? 【東】中公さんから企画が来て、「『ゲンロン戦記』ってを出しませんか?」って。これは仮題でそのうち変わるのかと思ってたら変わらないまま最後までいっちゃったっていう感じです。 ——最初からそこまで決まっ

    東浩紀「TwitterやYouTubeで『知の観客』をつくることはできない」 いまのネットにある「違和感」の正体
  • 波状言論>情報自由論

    text 情報自由論 html version index 情報自由論ってなに? 「情報自由論 データの権力、暗号の倫理」(以下「情報自由論」)は、批評家・哲学者の東浩紀(僕)が、情報社会と自由の関係を主題として書き記し、『中央公論』2002年7月号から2003年10月号にかけて、14回にわけて発表した論考です。このサイトでは、そのすべての原稿が公開されています。 「情報自由論」の構想は、遠く、1990年代後半に『InterCommunication』で連載されていた論考、「サイバースペースは何故そう呼ばれるか」(未刊)に遡ります。2000年代はじめの僕は、第1章でポストモダンの理論的な問題を扱い、第2章でその情報社会における展開を扱い、第3章でそのサブカルチャーにおける展開を扱う大部の著作を夢見ていたことがありました。『動物化するポストモダン』はその第3章が、「情報自由論」は第2章が変形

  • 20150117【生放送】浅田彰×中沢新一×東浩紀「現代思想の使命――198919952011」 @hazuma

    高橋源一郎 @takagengen パリ解放以来の数の人々が「反テロ」のデモに立ち、約100年ぶりに議会で議員たちが国歌「ラ・マルセイエーズ」を斉唱した。フランスでは愛国が渦巻いている。テロリズムの目論見は成功したというべきだろう。彼らの望みは「愛国」の名の下に、その度合いによって人々が分断されることだったから。 東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma これです。会場はかつてなく満員。 【日 ニコ生 1/17 19:00から生中継】浅田彰+中沢新一+東浩紀「現代思想の使命――1989/1995/2011」 @hazuma #nicoch2580193 #genroncafe nico.ms/lv203860355 ゲンロンカフェ @genroncafe 【日のイベントについて】日は当日券の用意がございません。また、客席の半分ほどは立ち見となります(席のご案内は来場順となりま

    20150117【生放送】浅田彰×中沢新一×東浩紀「現代思想の使命――198919952011」 @hazuma
  • 偶然を愛する?――東浩紀『弱いつながり』書評 : En-Soph

    【エン-ソフ】は、言論と、様々なオピニオンのためのウェブ・スペースです。「不均質な人的集合による、不均質な集合知の場」を目指して、2012年4月から活動を開始しています。≫詳細 ・『弱いつながり』は素晴らしい 誤解を回避するために、最初にベタ褒めしておこう。東浩紀の新刊『弱いつながり――検索ワードを探す旅』(幻冬舎、2014・7)は素晴らしいである。今年下半期の人文系書籍のなかで最大の一作であろうことは間違いない。いや、今年の人文知におけるひとつの事件だとさえいえる。東浩紀というと、博論=主著『存在論的、郵便的』の硬く難しい文章によって、小難しい人だと思っている読者などもいるかもしれないが、書のリーダビリティはその凝り固まったイメージを一新させるだろう。そして、何より、単に読みやすいだけでなく、『弱いつながり』は著者自身が長年積み上げてきた理論(デリダ研究)と実践(株式会社ゲンロンで

    偶然を愛する?――東浩紀『弱いつながり』書評 : En-Soph
    rodori
    rodori 2014/08/05
    "ある人が、「リコメンデーションにしたがって本を買い続ける行為」を通じて、しかし全く新たな一回性の出会いを果たす可能性は誰にも否定できない。"
  • 菊地誠と東浩紀とソーカルと

    あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 @kikumaco SF大会の懇親会で出た話題について。比喩というのは、それが比喩として機能する相手にしか意味を持たないわけです。たとえば、「フラクタル」を比喩とするなら、その言葉で「雪の結晶みたいな形ね」と思う人と「フラクタル次元はいくつなんだ?」と思う人とでは機能のしかたが違う @hazuma あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 @kikumaco 比喩はそのものずばりではないことによって、相手の知識次第でまったく違う受け取られ方をされうるし、もちろん、時代が変われば受け取られ方も変わる。この点は比喩を使う側が当然負うべきリスクなわけです @hazuma あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 @kikumaco 僕の考えでは、科学的な用語を「比喩」として使うのがいけないのではなく、たとえば「フラクタル」を比喩としたときに、フラクタルに詳しい人から「フラクタルのどの側面を比喩に

    菊地誠と東浩紀とソーカルと
  • ソーカル難民としての東浩紀

    東浩紀は、小保方事件とソーカル事件を並べて、こんなことを言っていた。 ぼくは1993年に大学院入学だったので、1994年のソーカル事件の余波にはずっと苦しめられてきた。現代人文思想への入口がソーカル事件になってしまい、無知なひとからも最初から嘲笑されるようになった。うんざりすることの連続だったけど、今後の再生医学界隈でも同じことは起こるかもね。 posted at 17:08:03 小保方事件とソーカル事件を比べるのは内容的には無理だと思うが、ソーカル事件のあと無関係な思想家も一気に信用を失い、人文disが一般化したことを思えば(いわゆる風評被害ですな)、今回の事件も同様のインパクトを与える可能性はある。http://tocana.jp/2014/03/post_308.html… posted at 17:05:59 東浩紀が「よろず評論家」になったのは、ソーカル事件が大きな原因である。

    rodori
    rodori 2014/07/13
    東浩紀はラカン派のジャーゴンを使わないラカン派であって、本当はデリダ派じゃないと思ってる。たとえば『動ポモ』。
  • 『思想地図』東浩紀×宇野常寛トークショー | CINRA

    2008年4月、思想誌『思想地図』がNHKブックスから創刊された。批評家の東浩紀と社会学者の北田暁大が編集を務める同誌は、3月刊行の5号をもって一度幕を閉じる。来年秋には東浩紀、宇野常寛、濱野智史ら5名の批評家陣による合同会社コンテクチュアズを版元に第2期の刊行を始める予定だ。彼らはゼロ年代をどう捉え、来たる10年代に備えているのか? ゼロ年代が終わりを告げようとしている2009年12月26日、11月に刊行された第4号「特集・想像力」をめぐり、東浩紀と宇野常寛によるトークショーが青山ブックセンター店にて行われた。その模様をレポートする。 自分たちの好きなものに、普遍的なテーマを見出した(宇野) 東:突然だけど、どうだった? 『思想地図』4号を編集してみて。 宇野:大変だったけど、非常にいいになってよかったです。東さんから「4号の編集を手伝ってくれない?」と言われたとき、まず「3号に負け

    『思想地図』東浩紀×宇野常寛トークショー | CINRA
  • 浅田彰×東浩紀「「フクシマ」は思想的課題になりうるか――震災後の日本を振り返る(2014.02.22@ゲンロンカフェ)

    東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma クローズ風に言うと今日の護国神社(=ゲンロンカフェ)には、千葉雅也、黒瀬陽平、津田大介、市川真人、矢野優新潮編集長など、街の猛者どもが続々と決戦を見届けに集結するらしい。 2014-02-22 11:23:18

    浅田彰×東浩紀「「フクシマ」は思想的課題になりうるか――震災後の日本を振り返る(2014.02.22@ゲンロンカフェ)
  • これは対幻想2.0だ。 ――東浩紀『セカイからもっと近くに』の歴史性 - 鳥籠ノ砂

    東浩紀『セカイからもっと近くに』(2013)は「著者最初にして最後の、まったく新しい文芸評論」として書かれた。このことは翻って、エッセイ集などを除く東浩紀の著作には「文芸評論」が存在しなかったこと、すなわち文学的作品それ自体を対象にした批評がなかったことを意味するだろう。あの『動物化するポストモダン』にせよ『ゲーム的リアリズム』にせよ、その論で扱われているのは作品の位相を下支えする環境の位相であって、作品そのものではない。かつて出版された「東浩紀コレクションLSD」の副題が明確に示しているとおり、彼の評論は「文学環境」と「情報環境」についてのものだったというわけだ。 東浩紀は『セカイからもっと近くに』のなかで「セカイ系」の問題を取り上げ、現実と虚構の再縫合を試みようとしている。セカイ系の問題とは、政治的な想像力と文学的な想像力が乖離してしまったこと、要するに共同的な幻想と個人的な幻想が切

    これは対幻想2.0だ。 ――東浩紀『セカイからもっと近くに』の歴史性 - 鳥籠ノ砂
  • 1/15 東浩紀『存在論的、郵便的』を読む 講義---第二回 #genroncafe - 書肆短評

    1、『郵便』第一章第二節(1) 導入と哲学史的補足 ---19:05-19:35 (1) 冒頭 ・「幽霊」ghost, spector に憑かれた哲学、の意味:存在論ontologie の憑在論化hauntologie としてのデリダの語法 (2) 「存在」についてのいくつかの哲学史的補足: ・ハイデガー『形而上学とは何か』による「存在」についての考え方 「what is this ?」に対して、①科学は「S is P」の「P」部分について探究する。これに対して、②哲学は「S is P」の「is」部分について探究する。 ・「分析哲学/大陸哲学」 この時期は、哲学が、科学・論理学寄りの分析哲学(カルナップ)と形而上学寄りの大陸哲学に別れようとしていた時期(〜1930年代中盤くらい) 前者①についてはその後、分析哲学の自壊(『哲学探究』)からクリプキ『ウィトゲンシュタインのパラドクス』におけ

    1/15 東浩紀『存在論的、郵便的』を読む 講義---第二回 #genroncafe - 書肆短評
  • MIYADAI.com

    98年の秋に、ある出版社の編集者に対して、東浩紀『存在論的、郵便的』と社会システム理論との関係について語ったものです。 宮台、東浩紀の〒(郵便を語る その1 僕に言わせると、僕の言説の内部に意味にも強度にも還元できない両義的なものを探すというのは、非常に反動的な身振りです。僕の語ったことの内部にそれを見い出さなくてはいけないという必然性は全くなくて、世界の中に見い出せばいいわけですから。 つまり、僕のしゃべっていることが重要だという前提になっちゃうじゃないですか。僕のしゃべっていることは別に重要でも何でもないし、もうちょっと厳密に言えば、それが一貫しているかしてないかというのは、さして問題ではない。僕にとっては問題です、一貫したものを提示しようとする僕の個人的なオリエンテーションや目的はありますけども、それと全く無関係に、僕のを読む人が、「宮台が言っているから」とか、「宮台の言ってい

  • 『一般意志2.0』について ――東浩紀と柄谷行人(第三回) - 鳥籠ノ砂

    東浩紀は『一般意志2.0 ルソー、グーグル、フロイト』(二〇一一)を書く前に、似たテーマで「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」と「情報自由論」の二つを書いている。だが、これらは書き手にとって満足のいくものではなかったらしく、単行にはなっていない(のちに『情報環境論集』(二〇〇七)という名でまとめて収録されてはいる)。『一般意志2.0』は、東にとって「三度目の正直」とでも言うべきものだった。それを読む前にまず、私たちはこの二つの論文を読まなければならない。それによって、『存在論的、郵便的』から『一般意志2.0』までの流れを示すことが容易になる。この流れを通して分かることは、『存在論的、郵便的』において示された郵便的、精神分析的脱構築が、具体的な主体のモデル、国家のモデルとして練り直されていることだ。 一九九七年から二〇〇〇年まで連載された「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」は、タイ

    『一般意志2.0』について ――東浩紀と柄谷行人(第三回) - 鳥籠ノ砂
  • レイプ・ファンタジーについてのメモ - ohnosakiko’s blog

    こちらのコメントの中で、id:font-daさんがご自身のテキストのことを教えて下さったので、早速掲載誌『フリーターズフリーvol.02』(2008)を入手して読んだ。 タイトルは『「レイプされたい」という性的ファンタジーについて』。ストレートです。 思春期にヤオイを愛好し、<攻>男性が<受>男性をレイプする同人誌で自慰をし、やがて成長と共にヤオイを忘れヘテロ・セクシュアルな恋愛に没頭していった自身の経緯を振り返り、若い女性がレイプ・ファンタジーに求めたものの一つの形を描き出そうとするものだった。 font-daさんは先のコメントに「大野さんと、ほとんど同じようなことを言っているので、特に面白みはないかもしれませんが。」*1 と書かれていたけれどもそんなことはなく、<攻><受>双方の観点からの構図を精神分析の「転移」の枠組みを借りて考察している点を含め、やや生硬なところはありつつも自分語り

    レイプ・ファンタジーについてのメモ - ohnosakiko’s blog
  • 東浩紀×千葉雅也 新著『動きすぎてはいけない』をめぐるやりとり - Togetter

    原田 忠男 @harapion 千葉雅也氏の『動きすぎてはいけない』の帯に、東浩紀氏が「書は『存在論的、郵便的』の、15年後に生まれた存在論的継承者だ。」と書いているのですが、郵便的継承者ではなく、存在論的継承者としているのが引っかかります。いや、なに、あのでは郵便的の方が肯定的な意味を持たされていたので。 2013-10-31 22:34:54

    東浩紀×千葉雅也 新著『動きすぎてはいけない』をめぐるやりとり - Togetter
  • 本日取次搬入:千葉雅也『動きすぎてはいけない』河出書房新社 | URGT-B(ウラゲツブログ)

    動きすぎてはいけない――ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学 千葉雅也(ちば・まさや:1978-)著 河出書房新社 2013年10月 体2,500円 46変形判上製372頁 ISBN978-4-309-24635-2 帯文より:接続過剰(つながりすぎ)の世界から「切断の哲学」へ。思想界の超新星、衝撃のデビュー作。“もっと動けばもっとよくなる”“もっともっとつながりたい”……動きすぎ、関係しすぎて、ついには身動きがとれなくなった世界でいかに生きるか。待望のドゥルーズ入門。 推薦文:「ドゥルーズ哲学の正しい解説? そんなことは退屈な優等生どもに任せておけ。ドゥルーズ哲学を変奏し、自らもそれに従って変身しつつ、「その場にいるままでも速くある」ための、これは素敵にワイルドな導きの書だ」(浅田彰)。 推薦文:「超越論的でも経験的でもなく、父でもなく母でもない「中途半端」な哲学。書は『存在論的、郵便

    本日取次搬入:千葉雅也『動きすぎてはいけない』河出書房新社 | URGT-B(ウラゲツブログ)
  • : _

    【教えてくん】コミュニティーなのです。 なんかニュースとかあったらここに書こうかと思ってますよ。とりあえず、おいらのブログ

  • 斎藤環の東北:8月 「ダークツーリズム」の享楽- 毎日jp(毎日新聞)

  • ゼロ年代批評の政治旋回――東浩紀論 - 名無し委員会

    稿は、『別冊情況 思想理論篇』第二号に掲載されたものである) ゼロ年代批評の政治旋回――東浩紀論 藤田直哉 ゼロ年代批評の政治旋回!? 『思想地図β』vol.3(二〇一二)、特集「日2.0」の巻頭言で、東浩紀は政治旋回宣言を行った。 日はどうあるべきか。考えてみれば、ぼくたちは長いあいだ、その素朴な問いをこそ忘れてきた。停滞する政治を尻目に、消費社会のまどろみのなか、それがまどろみにすぎないことを知りながら、現実との直面を先送りにしてきた。(p44)。 ぼくたちは長いあいだ、自分たちがなにものか、その問いへの直面を(原発の問題への直面を、沖縄の問題への直面を、世代間格差の問題への直面を)避けることこそが幸せの条件であり、成熟の条件であり、ひいては「正義」の条件ですらあると教えられてきた。(同) ゼロ年代を代表し、オタク・カルチャーを牽引し、ポストモダンを肯定していた東浩紀という人物

    ゼロ年代批評の政治旋回――東浩紀論 - 名無し委員会
  • 東浩紀×家入一真×イケダハヤト対談 ソーシャルで”個人”は食っていけるのか? – 評価経済時代の個を考える | logmi [ログミー]

    HOME>カルチャー>東浩紀×家入一真×イケダハヤト対談 ソーシャルで"個人"はっていけるのか? - 評価経済時代の個を考える 東浩紀×家入一真×イケダハヤト対談 ソーシャルで”個人”はっていけるのか? – 評価経済時代の個を考える ソーシャルメディアの発達によって注目されるようになった「評価経済」。それは果たして当に個や社会を豊かにするのか? 東浩紀・家入一真・イケダハヤトという、まさに評価経済の渦中で生きる3氏が、その具体的なメリット・デメリットについて各々の立場から激論を交わす。 【スピーカー】 東浩紀氏 家入一真氏 イケダハヤト氏 【参照動画】 OpenCU 東浩紀×家入一真×イケダハヤト対談 『評価経済時代の個を考える』 【放送日】 2012年6月18日 諏訪:こんにちは。最初に場ならしというか、3人に自己紹介と共に、世界は当に評価経済に移行しているのかというこ